〈二章〉(2)

 ——マラシュケ区、自宅 PM9:30

 マラシュケ区には、観光業では二つの収入面がある。
 一つはカスバなど、そのものの遺産を目的とした旅行者の投下するお金。
もう一つは、イトラス山脈を越えて現れる、史上最大の砂漠、ベルべ砂漠とその中にある世界遺産アイト・ベン・ハッドゥを敢行するツアーに参加した旅行者の投下するお金である。
 海沿いの荒野地帯に位置するマラシュケ区は砂漠都市とは言っても実質的な砂漠地帯ではない。高度な文明都市であるトゥキョオ区民からすればそう見えるのかもしれないが、本当の砂漠が見れるのはイトラス山脈を越えてからである。

「で、今回の調査は……をこうして……ったく、めんどくせえ作業だ」
 俺はベッド脇のテーブルで報告書を作成しながら、愚痴をこぼす。
 報告書とは、CHAO研究所に提出する、いわば、ちゃんと仕事をしてますよ、的な証明書類であると考えれば良い。
「そんなもの、適当に書けば、いい」
 ベッド上で楽しそうに新しく買ってきた魔法書を読んでいる黒猫。
 同じ研究所の人間なのに、どうしてこんなに苦労の差が出ているのだろうか。
「適当に書いてみろ? 明日から給料カットだ」
「それは大変。ちゃんと書いてね」
「黒猫、お前も手伝えよ」
「イヤ」
 そうきっぱり言い放つと、再び魔法書に目を向ける。
 正直、報告書なんかよりも、魔法書に書いてある意味不明な文字の羅列の方が難しい気もするが、彼女にとっては簡単な算数ドリルのようなものなのかもしれない。
 パラパラと次々にページをめくっていく音がする。
「あ、そうだ、」
 と再び、黒猫は、何か言い忘れていたのか、書物から目を離さないで口を開く。
「白猫ちゃんからの伝言」
「白猫? ……何?」
「ウソを良く付く女の子は、嫌いですか?」
「……は?」
 あまりに突拍子なその質問に頭の理解が付いて来ない。
 だけど、それは黒猫にとっても同じようで、感情を特に込めず、伝言を棒読みするかのような口調で伝言の内容を続けた。
「背がちっちゃい女の子は嫌いですか? 髪の毛がちょっとパサつき気味の女の子は嫌いですか? 手がカサカサな女の子は嫌いですか? おっぱいがちっちゃい女の子は嫌いですか? ……だって」
「へぇ、アイツが俺に女性の好みをきいてくるなんて珍しいな」
「……そう言うこと、じゃ、無い、と思う」
「じゃあなんだよ」
「自分で、考えれば、分かる」
 そう言って、今度こそ黒猫は自分の読書に没頭してしまう。
 少し、怒っているようにも見えるが、多分それは考え過ぎだろう。
 俺は最初の雑多な会計記録を付けるのを終え、ようやく適当に書くことが出来る部分にした。一日の記録なんて、それこそ相手も疑いようが無いのだし、きちんと建前で仕事していることさえ書いておけば十分だ。
 ふぅ、と一度息をついて、最後の文章作業に取り掛かる。
「……」
 黒猫はパタンと本を閉じると、ベッドから降りてとてとてと台所の方へと移動する。
 冷蔵庫から、今日買ったオレンジジュースを二つ分取り出してきた。
「どぞ」
「ありがと」
「いえいえ」
 黒猫はテーブルの上にジュースを置くと、彼女も同じようにベッド脇に座りこんで、俺の肩に寄り添ってくる。
「何?」
「白猫ちゃんにも、かまってあげて」
「あ? ……あぁ」
 黒猫はこうして、たまに白猫の事を言うことがあった。
 俺としては魔法を使うことが出来て、さらには聞き分けの良い黒猫の方が扱いやすくていいのだが、あまり自分ばかり構われるのも嫌なのだろうか?
「白猫ちゃん、良く、わがまま言うでしょ?」
「そうだよなぁ、アイツのせいで、酷い目に会ったものだ」
 普通より大きく幅が取られた窓を見る。
 お洒落な金属製の枠の間から見える、少し太ってしまった三日月。
 段々と輝きを増して、数日後には満月となってこの窓から見ることが出来るのだろう。
 もちろん、この窓の大きさも白猫に無理を言われて大工に頼み込んだことだった。最初はレンガでは難しいと言っていたが、そこは職人技でカバーしてくれたらしい。
「あたしは、白猫ちゃんのこと、好きよ?」
「そっか」
「お友達なの。目覚める前とか、入れ替わるとき、ちょっとだけ、お話しできる」
「話をするのか」
「うん……。白猫ちゃん、寂しそうにしてる。お連れさんと最近全然会えないから」
「そうなのか」
「そうだよ。お連れさん、女のコに思いやりがない」
 むっとした表情になって、語気を荒くする。
「白猫ちゃん、いつも朝と昼のとき。だから、人と関わるとか、そう言う面倒くさいこと、全部白猫ちゃんに押し付けた。だから、彼女、すごく嫌な思い出もある。好きな人、いなかった」
「……」
「だから。白猫ちゃんのこと、優しくしてあげて」
 俺はオレンジジュースを飲みほし、カタンとテーブルの上に置く。
 そうやって頭を冷やしていると、俺も最近は白猫に冷たくし過ぎたのかな、とも思う。
 家の増築で無駄金使ったからって、お小遣いをゼロにしたり。彼女と話すとイライラしてしまいそうで、朝早くにさっさと外出してしまったり。
 でも、彼女は朝昼晩とご飯を用意してくれている。洗濯も、掃除も、自分自身が仕事を持っているのに、そう言う面倒事も全てやってくれる。
「反省した?」
「ちょっと、な」
「白猫ちゃんは、あたしより、女の子なんだ」
「……?」
「わがまま言うのも。きちんと仕事をこなそうとすることも。ひとりで何でも抱えちゃうことも。全部、それは裏返しなんだ」
「……」
「分かってあげて。お連れさん」
 黒猫がいつにもまして沢山しゃべったので、俺は空気を読んでいないこと前提にプッと吹き出してしまった。
「む。真面目に、聞いてる?」
「あぁ、聞いてる聞いてる。……明日、遺跡の調査、二人で行こう」
「へ?」
「そう白猫に伝えておいてくれ」
「あ……。……はい」
 俺は報告書をかき終わり、それらをホッチキスで止める。マラシュケの速達で送れば二日後には届くだろう。
 黒猫はそれをじっと見ていたが、やがてもう一度冷蔵庫の所まで行き、今度は桃の絵が描かれた大きな瓶を持ってくる。
「おい、それ、ピーチリキュールじゃねぇか。酒だぞ?」
「オレンジジュースと割って、ファジーネーブル作る」
「お前、未だ17歳だろ?」
「飲んだら、王目に言うの?」
「いや、言わないけどさ」
「なら、良い」
 こぽこぽと二つの液体を混ぜ合わせていく黒猫。慣れたものだ。
 たまに、俺の目を盗んでこそこそこう言うモノを飲んでいたのかもしれない。
 彼女も、彼女なりにストレスがたまっているのだろうか。
「あたし、たまに、分からない」
「ん?」
 ファジーネーブルを作り終え、先ほどの定位置に座りこんだ黒猫は、そのオレンジともピンクとも言えない綺麗な色のそれを飲みながら、ポツリと言葉を漏らした。
「自分の好きな人の事、優先するか、お友達、優先するか」
「好きな人、お前、いたのか?」
「……バカ。普通に生活してきた17歳の女の子に、いないはずがない」
「ふうん、お前ももうそんな年か、あ、俺にもちょっとくれ」
 俺は彼女のコップを受け取ると、それに口付けた。
 隣で、黒猫が「あっ」と、吐息に近いような声を漏らす。
 もじもじと、両手をいじくりながら、俺の方をそっと見つめてくる。
 アルコールであるピーチリキュールの方はあまり入れていないのか、自分にとってはあまり酒では無いような気がした。
「センキュー」
「……ん」
 無言でうなずいてコップを受け取ると、彼女は何やらじろじろとコップの淵を見る。
 肩まで伸びた黒髪の間から見える頬が、ほんのりと赤くなっていた。
「何しているんだ?」
「……分からないならそれでいい」
 大慌てでピーチリキュールを飲み干すと、ちょっと強めにコップをテーブルに置いて、黒猫はさっさとベッドの方に登って行ってしまう。
 一段のセミダブルベッド。黒猫は奥側で寝るのが好きらしかった。
「お、や、す、み」
 どこか刺のある口調で黒猫がそう言うと、数秒後、可愛らしい寝息が聞こえてくる。
 お酒をあれだけ勢いよく入れれば、すぐに回ってしまうだろう。
「……おやすみ、黒猫」
 俺はそう一言だけ言うと、部屋の明かりを消して、タバコを吸うために外に出た。

 * * *

 赤い土の壁が 光に照らされて異様な雰囲気を演出する
 エスニックな甘い空気は 人の脳髄に染み込んで きっと頭から離れない
 そうして そんな赤い世界の間から見えるもっと奥
 どの世界にも散らばる 綺麗な星空が 俺の顔を優しく照らした
 夜の世界は闇が正しい存在で 光は異質な存在 
 昼の世界は光が正しい存在で 闇は異質な存在
 花火は常闇の空をさかさまに切り裂き 爆ぜる
 陰影は常昼の街にパズルピースのように 埋まる
 黒から白
 白から黒へ
 どちらが正しい そんなこと 言えるわけがない
 どちらも正しい でも そんなことも 言えない
 でも いつか きっと 選ぶべき時が来る
 それは 別れで それは 始まりで
 それは 最終章で それは 第二章で
 それは 悲しくて それは 嬉しくて
 それは 滑稽で それは 素晴らしくて

 そして 

 それは なんて 切ないことなのだろう?

 * * *

「ふぅ」
 俺は白い煙草の先に赤い光を灯らせながらドラゴンの身体に寄りかかっていた。
 『彼女ら』とは、研究所に入るときに出会った。
 あの時の白猫の性格は、今とは正反対で、何事にも従順で、口応えなどせず、何より、おとなしすぎて怖かった。黒猫は、相変わらず、あんな感じだったが、今よりも、誰か他人に対しては無関心だった記憶がある。
 二人とも、良いことなのか、悪いことなのか、変わってしまったが。
「あら、こんな時間にいるなんて、珍しい」
 と、俺が考えに耽っていると、突然横から女性の声がする。
 黒いローブを身にまとい、黒髪の毛を下げた、二十代くらいの女性。
 他に人と違う特徴があるとすればその腰辺りから二本のしっぽが生えているということだろうか。
「ウィッチか」
「あらあらまぁまぁ、そんな安直な名前じゃないわ。ツバキサンにはツバキって言う綺麗な名前があるのに」
「ツバキか……そう言う安直な名前は呼ぶのが嫌だ」
「どちらが安直かしらね」
 指をパキパキ言わせながらこめかみに青筋を立てるウィッチ。
「冗談だ」
 俺はタバコをコンクリに投げてそれを靴ですりつぶす。
 煙が立ち消え、清々とした空気が入り込んできた。
「あの子、昼は良い子で可愛いのに、夜になると同族になっちゃうのよね」
 あの子、とは連れの事だろう。
「正確に言えば違う。アイツは太陽と月をその目で見ることがキーになっている」
「そうなの。あの子、一体身体の中にどんなシステムを構築しているのかしら」
「お前には言われたくないだろうよ。本当の「黒猫」に化けて、そこら中を歩くことが出来る、お前には」
「ふふ、魔術を使える人間が最近はめっぽう減っているから、私が珍しいだけよ。昔は、こんなこと、誰でもすることが出来た」
 ウィッチはそう言うと、俺には理解のできない言葉を紡ぎ始める。
 突然、黒いモヤモヤが彼女の周りを包み、そして、それが彼女の身体を押しつぶした。
 俺は一瞬彼女の居る場所を見失う。
 が、すぐに、肩にすたりと、何かが乗ってくる感触がした。
 ——黒い、猫。
 もっといえば、しっぽが二手に分かれている二股の黒猫だ。
 彼女はぺロリ、と俺の頬を舐めると、にゃぁ、と鳴く。
「……邪魔だから、降りてくれないか」
 ウィッチはぐむーとうなり声を洩らすと、さっさと俺の肩から降りて、また黒い靄に包まれる。
 目の前には不機嫌そうに腕組みしたウィッチが立っていた。
「もうちょっと、喜んで良いんじゃない?」
「猫にキスされても喜ぶも何もないがな」
「ふうん、人間ならいいんだ……」
「ただし、普通の人間に限る」
「ケチ。一応、あなたの元カノよ?」
「何とでも言うんだな」
 俺はもう一本タバコを取り出して、火を付ける。
 ドラゴンは俺たちの事に無関心なように鼻から大きなシャボン玉を作っていた。
 寝付きのよい爬虫類である。

「あ」
 ウィッチは、思い出したかのように、雑誌が大量に入った紙袋を俺に手渡してきた。
「何それ」
 訝しげに彼女を見ると、彼女はハァと深いため息をつく。
「中を見ればわかるでしょ? あなたのじゃないの?」
「え?」
 俺はそう言われ、がさごそとその中に入っていた本を取り出し、そして、ぽとりとそれを落としてしまった。
 表紙でもう分かる。
 ——週刊巨乳少女Vol 34。
 そして、そのタイトルとともに、ロリ巨乳と言われるようなキャラクタが恥ずかしそうな目線で読者となるであろう俺たちの事を上目遣いで見ている。
「最低」
「違う、これは、洵の仕業だ」
「でも、玄関に、これ、置いてあったわよ?」
「だから、洵が置いたんだろうよ」
「巨乳かぁ……私と○○○する?」
「断る」
 俺は雑誌を袋の中に入れたまま、それらをまとめて一階にあるゴミ箱の中に入れた。
 巨乳とかそう言うのよりも、……二次元は俺はあまり好きではない。
「私に感謝してよね。こんなのあの白い髪の毛の子……白猫ちゃんだっけ? に見つかると、ヒステリー起こされるわよ?」
「……感謝してるよ」
 ヒステリーどころか、包丁とか普通に持ち出されてしまうレベルだ。
 あいつは、自分の胸の事に関して何か言われると、危険指数がぐんと跳ね上がる。
 洵の野郎は、後からこってりと絞らないといけない。
「で、ウィッチ。用事はそれだけじゃないだろ?」
「あら、別に昔の彼氏と私が何かシタいとかいうの」
「そう言うことじゃない。何か他に言おうとしていることがあるのじゃないのか」
 ウィッチはグスッと一度鼻をすすると、良くわかったね、と言って、俺に一冊の本を手渡してきた。
 その表紙には『太陽と月の冒険』と書かれている。
「何だこの本は」
「魔法書よ。黒猫ちゃんに上げたら喜ぶわよ。何せ、魔術書の中でも最上級のウチの一つだから」
「どうしてそんなものをくれる気になったんだ」
「一応。ちょっと、心配なことがあってね」
 ウィッチは二階のある方向へ目を向けながらそう言う。
「黒猫が?」
「ええ、まあ。ま、杞憂だから、内容は言わないでおくけど、一つあなたに忠告しておくなら、あまり彼女を一人にしないことね」
「どういうことだ」
「魔法使いとしての疳がそう言っているのよ。近々、良くないことが起こる気がする。おそらくは、この街を舞台に。そして、黒猫……もしくは白猫ちゃんがそれに巻き込まれそうな予感がする」
「何だと……?」
「私も詳しくは分からないけれどね。調査、続けるのはいいけど、あまり危険な場所には連れて行かない方がいいわよ? じゃぁ、バイバイ」
 ウィッチは黒いローブを翻らせると、先ほどと同じ呪文を唱えて、黒猫の姿になる。
 そうして、月が明るい夜の中に、再び消えて行ってしまった。

 ——嫌な予感。

 彼女がそう言うことは大抵当たるので、思わず身震いをする。しかも今度は、どうやら人事でもないらしい。
「気をつけないと……いけないようだな」
 俺も二本目のタバコを吸い終ると、さっさと二階に上がることにする。
 ——その時、俺は考え込んでいたからかもしれない。
 俺の家の方向を見てくる、複数人の影がこちらをじっと観察していることに、全く気が付かなかったのだ。

このページについて
掲載日
2010年2月20日
ページ番号
9 / 10
この作品について
タイトル
とある少女とショーネンR18
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2010年2月15日
最終掲載
2010年2月23日
連載期間
約9日