〈二章〉(1)

 ——マラシュケ区、中央広場 AM10:30

「ドーはドグラのドー、レーは轢死のレー♪」
「それで……、あれ? おねえちゃん? ねぇ、……」
「ミーはみーなごーろーしー、ファーはファジーネーブルー♪」
「おねぇちゃん……?」
「ソーは即死のソー、ラーは落下のラー、シーはシクトキシンー♪」
「……もう」
「さぁ、ぎょーぼーりーまーしょー♪」

 晴れている日は気分が良くなります。
 最近溜まっているストレスも、どこか抜けていっている気分。
 おなかの底から出てくるような澄んだ歌声は街を駆け巡っていることでしょう。
 でも、清々としているあたしの横で、いつの間にやら、ミゥちゃんの顔はどこか沈んでしまっていました。
 心配になって、彼女と同じ目線の高さになるまで腰をかがめ、声をかけます。
「疲れた?」
「ちがう」
 短い言葉を発して、また俯いてしまいました。
「でも、何だか、顔色がよろしくないけれど」
「わからないの?」
 ジト目でそう言ってくるあたり、理由は明白のようです。
 ただ、あたしだけがそれを理解できずじまいでした。
「へ? へ? へ?」
「はぁ、……もう、いいもん」
 ミゥちゃんはツーン、とそっぽを向いてしまいます。
 あたし、なんか悪い事でもした? 
 先ほどのあたしの十八番、ドレミの歌(改)がそんなに気に入らなかったんでしょうか?
「んむ……」
 でも、不機嫌になっちゃっているところ、悪いんですが、その顔もカァイイです。
 亜麻色の綺麗な髪からちらちら見える、その、白いお肌がですね。

 うふ、うふふふふふふ——

「おねぇちゃんってさ」
 ——ハッ!
 ミゥちゃんから言葉を投げかけられて、あたしはいきなり現実に引き戻されます。
 目線の先には視線が据わっているミゥちゃんの顔。
 彼女は頭をやれやれと横に振ると、呆れた口調で言いました。

「ひとのはなし、きかないんだよね」

「え、うそ」
 あたしにとっては思わぬ指摘で、正直ビックリ。
「そういうの、だめだよ。おとこのこからきらわれちゃうよ?」
 ウンウンと自分の言葉に頷くミゥちゃん。
 彼女のブスッとした表情から放たれた言葉は、あたしの心にブスッと刺さります。
 どうやらあたしの意識、無意識関係なく、それは本当のようです。
「そ、そうだったのかー……」
「だからさ。、しょうじき、おねえちゃんって、もてるタイプじゃないよね」
「……っ!」
 ——ドグシュッ。
 って、小さい男の子がヒーローごっこするときに良く使う擬音語がありますよね? 
 今まさにその言葉通りの音を立てて、言葉というナイフが、あたしのガラスハートに刺さります。
 何とも言えない沈んだ気持ちになるあたし。
 でも、それだけでとどまらず、追い立てるように、ミゥちゃんはつらつらと言葉を連ねていきます。
「せもちっちゃいし」
「きゃんっ」
「かみのけ、ぱさついているし」
「むぎゅぅ」
「てのひら、カサカサだし」
「はうぅ……」
「それでもって、おっぱいちっちゃいし」
「うー、……そ、それはミゥちゃんも同じじゃないですか!」
 子供相手にどういう反論をしているんだ、あたし。
 ……案の定、抜け穴だらけのあたしの言い訳を聞いて、ニシシと言った感じでミゥちゃんは笑います。
「かーわいいよ、おねえちゃん」
「も、もう、意地悪しないでよー!」
 愛しい声で毒を吐く理由が分からず軽くテンパってしまいます。
 さすがに、それ以上追い詰めようとは思わないのか、ミゥちゃんは最初の通りの ブスッとした顔になって、ポツリ、と言葉をもらします。
「だって、おねえちゃん、……わたしのおはなしなんにもきいてくれないもん。……へんなうたばっかりうたってさ」
 頬を少し膨らませて、ミゥちゃんはあっちの方向を向いてしまいました。
「あ……」
 そういえば、今日はミゥちゃんの話は全部聞いてあげるよ、って約束したんでしたっけ。
 ちょっと気分が良くなってしまって、聞き耳全然立てていなかったんですね。
 そりゃ、ミゥちゃんも怒ってしまいますね。
 あたしはパン、と手を合わせて、ミゥちゃんに許しを請います。
「ごめん、今からはちゃんと聞くから、ね?」
「……本当?」
 あう、ミゥちゃん、絶対信じてませんね。でも、ここは頷くしかありません。
「う、うん」
「じゃぁ、わたしになんでも、してくれる?」

 ——あれ?

 その言葉どっかで聞いたことある気がしますが——

「うん、もちろんっ」
 あたしは何かしらのデジャブに襲われながら、結局そうとしか答えられませんでした。

 ——喫茶Les Plaisir AM11:00

 人類はさまざまな統治主義によって国を治めてきました。
 民主主義、絶対王政、——
 でも、共産主義だけはどんな国が実行しても、必ず失敗に終わりました。
 理由は一つ。
 共産主義は所詮、お金を管理する「支配者」というモノが必ず必要になって、それは独裁という名の悪政になり替わってしまうからです。だから、頭がよくなった人達は次々に民主主義に切り替えたわけです。民主主義が良いわけではないですよ? でもまぁ、共産主義の酷さに比べれば……ということでしょうか。

 ところが、個人の問題となるとそーもいきません。

 待ち焦がれていた待ち人さんがベッドの中から突然現れて——どうやら、あたしが眠っていた間に到着していたようです——早数週間。
 あの後、一日に一回はリブリッツさんの家にお邪魔するようになって、家では、 朝昼晩のご飯を二人分作るようになって、急に大忙しとなりました。
 富裕層のいるところは結構遠くて往復だけで服はびちゃびちゃ。
 買い物で人と押しつ、押されずで食材を買って服はびちゃびちゃ。
 だるだる。ふらふら。ばったーん。ずっきゅーん。
 ……あれ、なんで今脳内で撃たれたんだろあたし。まいいや。

 なのでね、移動費、食費、あとストレス解消費が欲しくてたまらないわけですよ。
 洵さんの時には雑貨しか買えなかったから、服が欲しいんです。
 可愛い服着て、ちょっとでもいい目で見られたいんですよ。

 なのに……なのにっ!

「ありがとう、おねぇちゃん」
「……その笑顔さえ見れればあたしは幸せです……うぅぅ」

 ——喫茶 Les Plaisir。

 古代フランス語なんで読み方の規則は知りませんが、レ・プレジールと読むらしいです。
 そう言えば、ここマラシュケも、元はと言えば古代フランスに統治されていた場所なんですってね。その名残かもしれません。
「ここは、りぶりっつさんがめいてん、っていっていた」
「名店、ですか」
 分かりますよ? 
 今ミゥちゃんが美味しそうに食べているこの店一押しの最高級フルーツパフェを見れば。
 今だって唾液が零れ落ちそうなのを必死に我慢しているのに。
「だから、おねえちゃんもなにかたのもうよ」
 奢らせた相手にも心遣いを忘れない良いコなミゥちゃんですが、今はそれが苦しくて仕方がありません。
「良いんです。あたしはこれで」
「おねえちゃんって……お水が好きなんだね」
 変な人を見るふうに、視線をこちらに向けてくるミゥちゃんは悪魔です。
 確かにここの水はレモンの輪切りが入れられていて、お洒落なお水ですよ?
 でも、だからと言って、別に、あたしは水なんか好きじゃないんだからねっ!

 ——幸せは、お金で買うモノ。

 倫理なんて知りません。それが現代社会の縮図です。
 そして、その理論に基づくなら、あたしには幸せなんかありません。

 ——何故?

 Q1 あたしは服が欲しい。買えないのはどうして?
 A1 お金がないからです。
 Q2 あたしはパフェが食べたい。パフェを食べられないのはどうして?
 A2 お金がないからです。

 お金がないのは、どうして?

 正解——お連れさんが全部管理しているからです!

 これぞ現代の家計に視る共産主義の恐怖!!
 あたしの財布の残高ゼロ!!
 なぁにが「お前に金を預けるとすぐに消えてしまうから」ですか!
 あなたとパートナー組んでいるから、あたしは自由に引っ越しできないのにっ。
 ハチリア島の美味しいレストラン行きたかったのにっ。
 海の見えるキッチン、寝込んでいたから全然使えていなかったのにっ。
 ふわふわのお布団せっかく新調したのにっ。
 あそこでしか取れない珍しいオリーブオイルでマリネ作ろうと思ったのにっ。
 生まれて初めてのフルーツ農園、行くの楽しみにしていたのにっ。
 一度でいいから綺麗な海でばちゃばちゃしたかったのにっ。
 カップルで行けばらぶらぶになれるって言う教会にお連れさんと行きたかったのにっ。

「ふぇ、ふぇぇぇぇぇん……」
「え? え? え? お、おねえちゃん?」
「と、泣けるほどあたしは可愛い女の子じゃないです、ってね」
「うぅ、まーたうそついた」
「また、とか言うない。……お金……はぁ、お金欲しい」
 あたしはレモンの輪切り入りの水が入ったコップをチンっと爪ではじいて鳴らすと、お気に入りの白い財布を。
 その財布の札入れには白い紙しか入っていません。
 白い紙? いず でぃす まにー?
 のー、 いっつ レシート。レシート。レシート。レシート……。

「お金がないんですよ、あたし。だから、ミゥちゃんの分を買ったら自分の分は何も買うことが出来ないんです。だから、こうやって水をちびちび飲んでいるんですよ、分かります?」
 小さい子供ということはおいおい承知の上ですが、ここは社会の厳しさというモノを痛感してもらおうとリアルな話をします。
 でも、それにたいしてショックを受けるでもなく、ミゥちゃんは不思議そうな顔をして、こちらの方を見てきます。
「え? ミゥちゃん、なんかさ、そう、お金が無いということに対して、可哀想とか思ってくれないの?」
 逆に問い返してしまうあたし。
 彼女は暫く困ったちゃんの顔をしていましたが、やがて言葉を組み立てたのか、あたしの方をじっと見てきました。
「だって、おかねがないなら、ぎんこうからとってくればいいじゃない」
 ……あぁ、そうです。
 この子、お金持ちの家の子でした。
 ハハ、ハハハハハ……。
「はぁぁ」
 あたしは深くため息をつくと、ぐったりと、綺麗に拭かれた机に突っ伏します。
 冷たいひんやりとした木製テーブルの感触がとても気持ちが良くて、少しずつあたしのストレスで熱された頭を冷やしてくれます。
「おねえちゃん」
 ミゥちゃんが声をかけてきたので、顔だけを90°動かして彼女の方をぼんやりと見つめます。
 銀色のスプーン。
 その上に器用に乗っけられたプリンとイチゴと生クリームが乗せられていました。
「あたし、に?」
「ん。ひとくちだけよ?」
「ありがとぉ……」
 あたしは緩慢な動作で身体を持ちあげると、口をぱかっと開けます。
 そうして、銀色のスプーンの上にあるモノを下に乗せた瞬間、その中に何とも言えない、甘さと酸っぱさの混じった風味が広がります。
「おいし」
 あたしがそう言うと、ミゥちゃんも幸せそうな顔をして頷きます。
「ここのぱふぇ、おかねもちのひともいっぱいたべる」
「へぇ、そうなんだぁ」
「わたしも、ここのぱふぇは大好き」
「フフ、あたしも、今の一口だけで好きになっちゃった」
 自然と彼女の顔から笑みがこぼれてきました。
 ちょっとイタズラをしようとあたしに奢ってもらったのはいいものの、やっぱり、心の根っこには優しさがあって、落ち込んで机に倒れ込んだあたしの事が、心苦しかったんでしょう。
「ごめんね、ミゥちゃん」
 あたしは、穏やかな口調になって、彼女に優しく声をかけます。
「え?」
「さっき、広場で話していたこと、もう一度聴かせて? 今度は、おねえちゃん最後まで聞くから」
「……、うん!」
 彼女は嬉しそうに頷くと、さっきあたしに聞かせようとした楽しかったこと面白かったことを次々にあたしに伝えてきてくれました。
 喫茶店の上にある天井窓から、優しい太陽の光がぽろりと零れてきます。
 仲直り、出来たってことなんでしょうね。ミゥちゃんが笑ってくれるなら、少しくらいお金が飛んで行っても、平気です。

 ——ミゥちゃんとはあの日以来、毎日のように会うようになりました。
 相変わらず、チャオの事は触らせてくれません。
 けど、代わりに、あたしによく懐いてくれたようで、あたしの手を最近は握ってくれるようになりましたし、こうやって、リブリッツさんに無理を言って、外出もあたし同伴でするようになりました。(とは言うものの、近くにはリブリッツさんのSP(部下?)と思われる屈強な男の人たちが複数、私腹を着てあたしたちの方をきょろきょろしているのを見かけましたけどね)
 そうして、ただ優しいだけじゃなくて、たまには怒る時もありますし、たまには悪戯を考えてあたしを引掛けてしまうことも多くあります。さっきみたいに毒も吐きます。
 なかなかに、普通な少女だと分かって、あたしはホッとしました。
 優しいだけじゃぁ、やっぱり寂しいですからね。

 それと——あぁ、そうだ。

 洵さんは、あたしとの約束通り、リブリッツさんによってしごかれている最中です。
 今日もミゥちゃんを迎えに行った時、雑巾がけであの縦も横も広い廊下を掃除していました。多分、あの面積を終えるだけでも昼過ぎになると思うのですが、リブリッツさん曰く、あのあと、ダイニングルームの床も掃除するんだとか。
『しろねごぉ、だずげで』
『おい、お前何をサボっている! お前はこの家ではウジ虫だ! ウジ虫が汚らしい言葉を吐くな! ウジ虫はウジ虫らしく一つの言葉だけを言え!』
 竹刀を片手に咆哮するリブリッツさん。
 横では苦笑いの表情でバルサさんが立っていました。
『さ、サー……』
『聞こえないっ!』 『サー! イエッサー』
『……ハハハ。が、がんばー……』
 確かに、命にかかわる作業ではないですが、精神的に病んでしまいそうで怖いです。
 ま、今回ばかりは同情の余地もありませんが。
 せいぜい身を粉にして働いてくれ、としか言いようがないですね。洵さん?

「それで、ムーン、ボールをとりにいこうとしていずみにあたまからつっこんじゃったんだよ?」
「アハハ、あのチャオって結構おドジさんなんだね」
「うん、もう、だれににたんだか」
「ミゥちゃんかもよ~?」
「うー、わたしはどじなんかじゃないもん」
 ムーン、というのはミゥちゃんが大切に飼っている、例の黒っぽいピュアチャオの事です。チャオちーのうえについているポヨがお月さま見たいだったからムーンなんだとか。
 最近、彼女が話すことと言えば、ムーンの事ばかりでした。
 なんだか、それを聞いていると、なんだか穏やかな話だなぁ、という気もしますし、逆に、どこか引っかかってしまう部分もありました。

 そう、ムーン以外の事を何にも話さないのです。

 それはリブリッツさんの事でもあるし、あの家での普通の生活の事、学校の事。

 そして……お父さんやお母さんの事も、何も話してくれないのです。

「おねえちゃん」
 あたしが肘をつきながらぼんやり外の様子を眺めながらそんな考えを張り巡らせていると、ちょっといらついたミゥちゃんの声が聞こえてきます。
「あ」
「もう、またうそういた。わたしのはなし、聞いてくれていない」
「……ミゥちゃんってさ」
「うん?」
「一日ずっと、何しているの?」
 彼女の文句を敢えてスルーして、あたしは出来るだけ明るい調子でそう尋ねます。
 でも、それを聞くと、ミゥちゃんは顔を俯かせて、ポツリと一言漏らします。

「行ってない」

「……え?」
「わたし、がっこう、かよっていないの」
「で、でも」
「わたし、7さいだから、ほんとうはがっこういかないとだめ。でも、いいの。がっこうなんて、もうにどといきたくない」
 ミゥちゃんは全部食べ終えたパフェのスプーンをいじくりながらそう答えます。
 切なげな、そして、どこか空虚な瞳。
 あたしは嫌な質問をしてしまったことを悟り、明るい調子をなるべく保つようにして言葉を続けます。
「そ、そっかー、ごめんね。あ、じゃぁ、さっきの」
「いいよおねえちゃん、むりしなくていいの」
「あ——」
 あたしの心なんかお見通し、と言わんばかりに、ミゥちゃんは言葉を返してきました。
「わたしは、いちにちずっと、ムーンとだけ、過ごしているの。ムーンだけがおともだちなの」
「……」
「……あ! もちろん、おねぇちゃんも、お友達、だよ?」
「う、ううん、いいんだよ、そんなこと心配しなくて」
 心配そうにこっちの方を上目遣いで見てくるミゥちゃん。
 あたしは、強く頷きます。
「大丈夫。あたしも、ミゥちゃんとはおともだちだっておもってるよ」
「おねえちゃん……」
「ミゥちゃん」 「え?」
「ひとつだけ、約束しようか」
「うん」
「お友達には何でも話すこと、分かった?」
「約束、だよね?」 「そ」
 あたしがそう言うと、何とも言えない表情で彼女はこっちを向いてきます。
「でも、しんようできない。……おねえちゃん、うそせいぞうきだから」
 つ、ついに製造機ときましたか。
「むっ、今の言葉くらいは本当だい!」
「じゃぁ、あとのことばはぜんぶうそなんだね」
 冗談のようにいうミゥちゃん。
「そ、そんなわけあるかー!」
 あたしの間の抜けた突っ込みに、二人で笑ってしまいました。

このページについて
掲載日
2010年2月20日
ページ番号
8 / 10
この作品について
タイトル
とある少女とショーネンR18
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2010年2月15日
最終掲載
2010年2月23日
連載期間
約9日