〈一章〉(5)
——マラシュケ区、マラシュケ中央広場 PM9:00
トゥキョオ区から荒野を車で走らせること約12時間。
先ほどのトゥキョオと比べると、随分と阿弗利加チックな街になる。
何でも、魔術国発祥の地だとか。
何度来ても、ただの喧騒な途上国の街にしか思えないけれども。
中央広場では、一面に広がるコンクリの地面の広場上に、白いテント屋根をつけた露天商がそこら中で店を展開している。各々が紐で適当に括りつけられた白熱ランプが、相変わらず盛況な中央広場を明るく照らす。
そして、広場を囲うように沢山の背丈の低い白や赤褐色の建物も軒を連ねている。
いわゆる新市街というところだ。
俺は、荷物だけを降ろしてもらい、我孫子と別れて、一人、市街を歩いていた。
我孫子は明日も研究の仕事があるらしく、そのまま元の道を引き返していった。忙しい身なのだろう……俺とは違って。
「……ん?」
ふと横を見ると、中央広場のライトに照らされた、右目に見事な黒いブチを持った白い犬が、ハッハッと舌を出しながらこっちの方をじっと見つめている。
若干痩せている感じの顔つきが、なんだか、その顔にいやらしさを付け加えている気がしてならない。
——フッフォッフォ、あんちゃん、苦労してるねぇ?
とか、言っているみたいな。
「っ……こっちみんな! f**kin’ dog!」
思わず大声で怒鳴ってしまう。
ブチの素敵なその犬は、何が何だかわからない様子で、ただ、迫力に押されすたこらさっさとどこかへ走り去ってしまった。
良く考えたら、犬が人間をバカにすることなんてありえない。
きっと飯をちょうだい、的なノリで近づいてきただけなのだ。
「スマン」
どうやら、俺自身がただ単に不機嫌なようだ。
深呼吸をひとつして、荷物を片手に、少し急ぎ足で目的地に向かう。
露店の人達が、ジャポネらしい清楚な身なりをしている俺を目ざとく見つけては「駆けつけ一杯」「オリーブ沢山」とか言って手招きしてくるが、今はそれに構っている余裕はあまりない。
これから住む場所は中央市街から、メディナのスークを通り、カスバに入り、合計歩いて20分くらいの所にあるらしい。
ただ、何せカスバが複雑そのものであるため油断はできない。
——PM9:20
「そうしては雑誌屋とトマト売りの店の間の路地に入って——」
我孫子からもらった地図を片手に、俺はカスバの入口へと入っていく。
赤い土壁で出来た建物との間にある通り道は、もはや隙間と言っても過言ではないほど狭かった。もちろん自動車など通れないし、自転車でかろうじて、と言ったところだろうか。
人の姿はあまり見かけない。
月の光が漏れだしてくるように降り注いでくる。
上を見上げると、建物と建物の間に竿が縦横無尽に引掛けられており、洗濯物がひらひらと空中を浮いているように躍っていた。砂漠の近くにある都市であるため、この時間帯は幾分か涼しい。
俺は地図に書いてある赤い通り線に沿って右へ曲がったり、左へ曲がったりする。
途中にトンネルを抜けたりしながら、正しい道を選択して歩いた。
——はずだった。
「あれ?」
やっと、目的地だ、と、最後の角を曲がったと思ったら、そこには先ほどと同じ、賑やかな広場が目の前に広がっていた。相変わらず、活気づいている。
時間は過ぎているようだが、俺は全く進めないまま振り出しに戻されたらしい。
「なんでだよッ」
俺はもう一度、地図を広げる。
「雑誌を売っている店とトマト売りの店の間を入っていくところは絶対正しい。そうして、次に二番目の角を右に曲がって、すぐに出てきた交差している所を左に——」
独り言をブツブツと呟きながらもう一度迷路の攻略を始める。
別に難しい方程式を解かせるわけではない。ちゃんと、地図面の右左が把握できてさえいれば、きちんと答えの場所にたどり着けるはずなのだ。
道の途中でおばちゃんに声をかけられたり、男に道案内を申し込まれたこともあった。前者はともかく、後者は何かとトウキョオから来た人間を狙った似非案内人である可能性もあるので、丁重に断る。
活気がどんどんと狭い路地に行くにつれ薄れていく中、猫がそこら中を歩き回っているのに気付いた。迷いつつちょこちょこ進む俺を尻目に、彼らはすたこらさっさと何処へと消えていく。
「あぁ、猫の手も借りたい」
歩き過ぎで白ニット帽が蒸れてきたので、それを外して髪の毛をぐしぐしとかき回す。良い感じに清涼な風が頭を駆け抜けていき、思わずフゥと息をついてしまう。
こう言うことは冷静に考えないといけない。
冷静かつ、大胆に、だ。そう進んでいれば、きっと道は開ける。
——30分後。
最後の角を曲がり切り、俺はその光景を見た。
オレンジをそこら中に積み、それをオーダーされたごとに切り取って、ジュースにし、売る人もいる。乾燥キノコをそこら中の木箱に詰めるだけ積んで、人々に叩き売りをしている男の人もいる。自転車のかごに入れるだけの食料を積んだ女性が、路地の方へと消えていく。
出てきた場所が違う方角からだったので、一瞬違う場所のように思えた。
だけど、そこは中央広場だった。
「あああああああ!」
——もうイヤだ。
我孫子の前では、俺も結構な先輩面をしている。(所詮、2カ月程度の差なので、相手からは同僚扱いなのだが)
だから、どこか心配そうに俺の方を見つめてくる彼の視線をよそに、大丈夫だ、一人で行ける、と強がってしまったのだ。
と、呆然自失としている俺のそばに、ケバブーの串を持った何とも疲れ切った服を着ている大男がのっしのっしと近づいてきた。
「どうかしたのカ? トゥキョオから来たような身なりダが」
「えぇ、まぁ」
いつもなら無視するが、今回は現地住民に頼るとしよう。ぼったくられるだろうけど。
俺は、二時間は握っていたであろう地図を彼に手渡した。
軽く今までの事情も説明する。
だが、それをしばらく見ていた男はやがて吹くのを我慢するかのように口元を歪め、俺の方を向いて一言言った。
「お前、どっかの地図売りにでも騙されたナ、これ、でたらめだ」
「……は?」
「あー、でもよく見ると、これは10年前くらいの地図かァ? ま、今はどちらにしろ意味が無い代物だからヨ。俺が代わりに正しい地図売っているところ案内するワ。あぁ、言っておくが、そこは国営だから嘘つきな場所じゃねぇし、安心しな」
ケバブー串をくちゃくちゃと食べながら、ガニ股で俺を案内してくれる。
また騙されるんじゃないのか、と一応疑心を抱いてはみたが、たどり着いたところが広場を囲む建物の一つだったので安心した。
こうして、俺はようやく正しい地図を手に入れ、今度こそ、正しい家を探すことにした。
家の番地名だけは我孫子本人から教えてもらったので、それを伝え、ご丁寧に赤色の線で正しい行き方まで教えてくれたので、今度はあんなことにはならないだろう。
——30分後。
今度は中央広場に戻ることも無く、たどり着いたところは、赤い建物が並ぶ他よりは若干広い裏路地だった。
幼い子供が数人で連れたってどこかに向かおうとしている。どうやら、もう学校へと登校する時間帯らしい。学校の始まる時間が9時だとすると——俺は約3 時間半、迷わされていたのか、畜生。
一体、俺はなんであんな偽物を掴まされてしまったのだろうか。
まぁ、——犯人は大体分かっている。
「三日月ィ……」
沸々と、今日の朝の怒りが戻ってくる。
そういえば、今回の地図も、我孫子が書いたものではなく、彼が手渡してくれた封筒に入っていたブツだった。今更だが、どうして我孫子が心配そうに俺の方を見てきたのか、その意味が分かる。
地図を選んで書いたのは、三日月のせいに違いない。というより、研究所でそんな陰湿なことをする奴なんか、アイツしかいないのだ。
「次に会ったら、絶対仕返ししてやる」
そんなことを言ってみるが、もちろん、相手の方が一枚上なので、仕返しが成功した試しは無い。
逆に切り返されて俺の心に傷が付くだけだ。
「もうなるべく顔を合わせないようにしよう……」
荷物を手に提げたまま、地図片手に自分の棲みかを探す。だが、地図を見るまでもなく、その場所はすぐに判明した。
赤、黄、茶レンガで出来たカラフルな一軒家。ガラスで出来た西洋風の窓。
そこまでは他の家と大して変わらない。
まず、俺の家だと思えるものには一階が存在しない。その代わり、ぽっかりと開いたその空間にでっかい何かが鎮座している。全身を黒いうろこで包み、立派な角を頭の上から生やしている。ふわぁと牙が並ぶ口を大きく開けて、目をぎょろりと動かす、巨大な生物。(さすがに家を壊すわけにはいかないのか、尻尾は動かしていないようだが)
「ハァ——」
やっと正しい場所にたどり着いたのに、俺の気分は限りなく暗い。
「はぁ」
ため息が漏れる。
おまけに、連れにギャーギャー騒がれて、今回は若干お金をかけた家を建ててしまった。
本当は、こちらとしては、以前ここで住んだいたときのアパートに引っ越したかったのだが、どうもあそこでマンドリンみたいな形をした「虫さん(彼女いわく)」に出会ったことがトラウマになっているようで、こうやって新築の(もちろんゴキブリ対策はきちんとしてもらっている)レンガ家を購入してしまったのである。
……ローンで。
「ま、少なくとも、三日月よりはマシか……」
俺はドラゴンの鼻を一撫ですると、ゆっくりと二階へと続く階段を上る。
スンっと言ってドラゴンが嬉しそうな声を漏らした。
………
「ただいま……って、もう寝ているのか」
月明かりだけが照らされた二階の部屋内に、誰かが起きている気配はない。
天然の木で出来た家具独特の香りが部屋内をたちこめる。どこか涼しく、そして、どこか温かい場所にいる気がした。
さっきまでの喧騒が、ウソのように静かだ。
良く見ると、ベッドもきちんと整えてある。
そして、それにくるまって、俺の連れはスースーと寝息を立てていた。
すとんと、その寝ている傍に腰かける。
「おやすみ、黒猫」
俺はその黒髪を優しく撫でると、どこに何が置いてあるのかを確認する。
ダイニングに行くと、ハイカラで目立つお皿が模様同じの色違いで二枚あった。
赤色と、オレンジ色だ。随分高そうな代物だが、お金の方は大丈夫だったのだろうか。
本棚を見ると、魔法の本がまた増えている。きっと新しい風属性の大魔法でも覚えようと考えているのだろう。
「ん?」
ベッド横のテーブルに何かが置いてある。
〈MEMO〉
お連れさんへ♪
今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
夜までには帰るからね! 白猫
「白猫か……」
俺は、その紙をコートに詰めると、冷蔵庫のドアを開けた。
沢山の野菜と魚で作られたマリネサラダと、自家製のケバブーが沢山積んであった。
残したら、ドラゴンにでも食べてもらおう、というなの寸法だろう。
「ありがと」
電子レンジでケバブーをあっためた後、それらを机の上に取り揃える。
メディナに売っているパンもつけられていた。
ちょうど、今日は長旅で、何も食べていないのだ。
「いただきます」
俺は一つずつ、丁寧に食べていく。誰にも邪魔されない、安らぎの空間で食べるご飯はきちんと味が付いていて、美味しかった。
良く考えれば、こんな風にご飯が美味しいと思うようになったのはごく最近名気がする。
この忌々しい職に着いてから、俺は改めて、こう言う生活の楽しさを覚えた気がする。
それは……何と言う、皮肉なんだろう。
「お帰り」
テーブルの後ろから声がした。
「悪い、起こしたか」
「ううん。水が飲みたくなっただけ。……美味しい?」
「あぁ、用意してくれたんだろ? ありがと」
「うん。でも、……ちょっと。遅かった」
優しく、俺は包まれた。
黒い髪と赤い瞳をした彼女は、ただただ、ギュッと、でもふわりと俺を抱きしめた。
もし、この仕事を一人でしていたら、一体、俺はどうなっていたんだろう。
今頃、何をしているんだろう。
「ごめん、次はちゃんと約束守るから」
「うん。必ず……」
そう言うと、黒猫は俺から身体を離し、冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぐ。
それを一口飲むと、またサッサッとパジャマのズボンを引きずらせながらベッドに戻る。
「ところで」
「うん?」
「新しい魔法の本、何だったんだ」
「……白魔法。結構上級の。だと思う」
「そっか」
「……結構良い。センスある」
「あぁ。じゃぁ、もう、おやすみ。話を伸ばして悪かった」
俺がそう言うと、良いの、と少し微笑んで、黒猫はさっきと同じように、ベッドの上で丸くなった。俺が寝るために先ほどよりも少し右にずれてくれる。
けれど、俺もそこまで野暮な人間ではない。
彼女の用意してくれた夕食を全部平らげると、皿を全てシンクにおいて、満腹の腹のまま、ソファーに横たわった。
窓の外を見ると、相変わらず月の光が、俺たちの部屋に差し込んでくる。
——と、窓の外から、何かが覗いているような気がした。
俺は、疑問に思い、窓に近づくと、そこからあたりを覗くが、誰も、何もいない。
思わず首をかしげてしまうが、何もいないのでは仕方が無い。
改めてソファーに戻ると、目を閉じる。
長時間車に揺られていたということもあるのか、すっかり疲労がたまり、瞼はあっという間に重くなってしまう。
——白くかすむ世界の中、俺の意識は暗闇へと誘われていった。
→二章へ続く