〈一章〉(4)

 ——トゥキョオ区、ジャンク市街 AM3:00

 ——トゥキョオ区東部商工業取引市街。
 トゥキョオの中央から東部に数十キロ離れた所に位置する、通称ジャンク市街。
 ショーン=レーンのイカレたギタープレイがBGMになって流れるような街。
 どこかしこで聞こえてくる会話はたとえマルチリンガルでも全ては理解できないだろう。
 海外の、名も知れぬ不法入国者の溜まり場だ。
 それだけじゃない、違法業者、犯罪者、指名手配犯、アウトロー。
 そんな肩書を持ったクズどもが集まる、クズの市街。

「久しぶりに来た」
 眩しすぎるくらいのライトに顔を照らされ、思わず片手で目を覆う。
「やっぱ、すぐに順応できる街ではないな」
「そうですねー。僕も、さすがに一人でここを歩こうとは思いません」
「お前の場合、身体能力の高さが外見に現われていないしな。苦労するだろ」
 実際、怖そうな雰囲気を出していると良く言われる俺が同伴していても、我孫子は単体で絡まれるときがある。
「眼力が無いんじゃないのか、って思っているんですが」
 親指の出っ張ったところで目の付け根をぐりぐりとして、へへっと笑う。
 確かに、こんな優男はすぐに絞れそうな雰囲気しかしない。
 もちろん、我孫子とマジでやり合って勝てる奴はそうそういないだろうけれども。
「にしても、一つ一つの店の音量でけぇンだよ」
 思わず、文句が声となって出てしまう。
「オッサンみたいなことしないでくださいよ」
「るせぇ」
「ふふ……あぁ、これ、拍子が安定しない曲ですねー」
 彼が指さしたのは、ジャンク市街ではまだまともな位置にあるだろうレストランのような所。午前3時に営業している時点で、もう普通ではないのかもしれないが。
「あー……、Pain Of Salvationか」
「なんですか、そのバンド」
「いや、普通の人は聞かないバンドだから、スルーしてくれ」
「……は、はぁ」
 コートに手を突っ込みながら、ガヤガヤとした雑踏を通り過ぎていく。
 肩がぶつかったくらいで文句を言ってくるような人間は、ここにはいない。
 それで文句を言ったら、相手が自分より弱くない限り、確実に殺される。
 だから、よっぽど、ゴミみたいに集まってたむろする連中よりはよっぽど扱いやすい人も多いし、自分がある程度立ち回りをしっかりしておけば、知り合いかって容易に作れる。
 そして、その知り合いは時として強力なバックアップをしてくれるのだ。
「着きました」
 我孫子がそう言ったので顔を上げると、なじみのある古びた看板がつるされた、ぼろぼろの廃屋が目の前にあった。
 看板自体にライトアップはされていないが、廃屋の窓から漏れる光で、かろうじてその文字は読める。
 ——喫茶メヘンディ。
 この看板名を見ると、いつも吹きそうになるのは俺だけなのだろうか。
「王目の目をごまかそうにも無理がありすぎるだろ」
「〈ユー〉さん曰く、昔は本当に喫茶店をここで開こうとしていたらしいですよ」
「ここに!? ……その時点で、もうダメだろ」
 ジャンク市街に普通の店を建てることは確かに可能だ。
 だが、普通の営業時間で営業しようものなら、大変な目に会う。
 ここは夜中に営業していることが当たり前の街。常識など通らないのだ。
 夜中に暗い建物はつまり、空き家として認識され、酔っ払いに侵入されるわ、ホームレスが壁を破壊して、中に泊ろうとするわで、結局実質的にろくな商売など出来なくなるようになるが関の山。
「で、喫茶店を目指していた純粋無垢な少女は、今ではオバはんになって銃器や爆弾を売り払っていると」
「まとめると、そう言うことですかね」
「ハッ、情けねぇ」
 と、俺がそう呟いた瞬間、ガランと、勢いよくシャッターが開いて、中からレンチを持った女性が身を乗り出してきた。

「今、私の事おばさんと言ったヤツ、もしかしてシグかい!?」

 先ほどのBGMのように、ワーワーと喚き散らす顔がススだらけの女性。
 彼女こそが、この喫茶メヘンディのオーナーである、ユーだ。
「あぁ、大正解。俺だよ」
「ったく、相変わらず冴えない顔してるくせに言うことだけはでかいんだから」
「うっせ」
 ちなみに、シグと言われているのは、それが俺の本名だからではなく、ただ単に、シグという会社の銃を俺が愛用しているから、そう呼ばれているだけである。
「まぁ、良い。久しぶりだ」
「あぁ」
「どこに行っていたんだい」
「ハチリアの街だ。とてもここは遠くて来れなかった」
「そうだったんかい、ま、中に入りな」
 半開きのシャッターから、くぐるようにして中に入る。
入った瞬間に気付いたのは、天井をクルクルと回り続けるいくつかの換気用のプロペラ。
 そして、眩しい白熱灯に照らされる、床に落ちた大量のネジ、部品。
 俺と我孫子は二人して、しかめっ面をしてしまう。
「少しは片づけろよ、ユー」
「ああん? 片づけて大切な部品を間違ってしまっちゃったらどうするんだい?」
「いや、落としている方がよっぽど無くすものが多いだろ」
「気にすんな。そんなことより新しい銃でも買いに来たんだろ。我孫子は、そこらへんに置いてあるから、好きなもん適当に取ってみてくれ」
「分かりました」
「あと、弾は入ってないから、強殺してかっぱらおうなんて考えるなよ」
「誰がするか」
 随分と熱された狭い室内——多分銃器が開いてある棚で殆ど埋められているからだろうが——の空気が、俺の顔に浴びかかってくる。
 最初は暖かいと思っていたが、すぐに熱くなり、コートを脱いで、机の上にどさっと置いた。
 ユーはあからさまに嫌そうな顔をして俺の方を睨んできた。
「おいおい、そこはお客さんの休息テーブルだ。勝手にモノを置くんじゃない」
「あ? 俺かって客だろうよ」
「あんたはいろんな意味で『特別な』客さ。さてと、シグだが、今回のお勧めは右奥の上から二段目の碧いプラスチックの箱に入ってる。確かめてみな」
「随分と隠すように置いてあるな」
 俺がそう言うと、ユーはニヤッとして、俺の方を見てくる。
 それは、俺とユーの間では『上物が入ったから、いっぺん撃ってみな』と言う一種の合図である。
「成程、それは楽しみだ」
「ちょいとした改造を施してある。弾丸が入っているから、適当に裏の射撃場で撃ってみな」
「オーケー」
 改めてコートを軽く羽織ると、言われたとおりの場所から、小型の銃を取り出す。コートの件はこのことに関する伏線だったというわけか。……伏線というほど、大層なモノでもないだろうが。
 ——SIG SAUER P239。
 今回は、随分と小型だ。おそらく、SPなどが愛用するような懐に隠す銃、って言うところだろう。
 俺としても、あまり大型の銃を振り回すのは嫌いなので、その小型の銃をコートに仕込んだまま、そのまま右奥のステンレス扉から外へと出た。
 
 ユーとは、彼女がここに来た時からの知り合いである。
 というか、どうやら、俺がここメヘンディの一番最初の客だったらしい。
 昔の俺は、こう言ったジャンキーな匂い漂う店が好きだったので、ここのカオスな外装は一目で気に入る逸材だったのだろう。
 なので、この店にとって、俺は最古残の常連ということになる。
 あの時から、銃を売っぱらっていたので、多分最初に喫茶店を経営しようとしていた、と我孫子に語っていたことは狂言だろう。
 年齢については一度も聞いたことが無いが、俺の年齢を言ったところ、自分よりは年上らしい。まぁ、推測するに、20と4か5だろうが、口に出すと、本気で銃を撃ってきそうなので黙っていることにした。
 
 外に出ると、光の街道から抜けた、暗い、陰鬱とした空間が広がっている。
 向こうには微かにぼろぼろになるまで撃ち抜かれたジャポネ製の車が無残な姿で何台か置いてある。もちろん、それこそが的である。
 俺は先ほどの銃を抜き、そのうちの赤い車に目標を定める。
 だが、寒い風が俺の耳を急激に冷やし、じんじんとした痛みを与えてくる。
 集中力が続かない。
「チッ……寒いな」
「寒いだろ? やっぱコートは必須だねぇ?」
 おばさん口調で話しかけてくる声が後ろから聞こえてきた。
 金髪に染めた外見には良く似合う、ピンク色のファー付きのダウンジャケットと白いふわふわしたニット帽をかぶったユーがこっちの方を見ていた。
「店番は?」
「我孫子ならそんなネコババして逃げていくことはないだろう。代わりにしてもらっている」
「相変わらずの大雑把な性格だ」
「ふふ、風に揺らされながら銃を構えるシグは、なかなか映えるねぇ。ちょっとの嫌味も思わず風に流してしまうよ」
「そりゃ、どうも」
「この姿見ていると、あんな可愛い子が惚れこんでしまうのも分かる気がするね」
 可愛い子? 
 俺の『連れ』の事を言っているのだろうか。
「アイツは相棒であって、恋人でも何でもないぞ?」
「はぁ、確かにシグならそう取るかもねぇ」
 何やら意味深なことを言って、ハァとため息をつくユー。
 その口からは白い息が漏れている。
 正直、よく意味が分からない。
「黒猫ちゃんの事大切にしてあげるんだよ。あんなに優しい目をした子、滅多にいないからねぇ」
 俺はその言葉にイエスともノーとも言わず、もう一度精神統一をして銃を構える。
 小型で軽量なので、逆にピントがぶれやすくなる。
 しっかりと手首をグッと力を込めて固定する。
 狙うは赤いジャポネカー、左側のサイドミラーだ。
「ところで」
 俺は視線をそらさぬままユーに問いかける。
「上物ということらしいが、どこら辺に『アレ』が仕込まれているんだ?」
「フフン、それはねぇ、中にあるコイルの成分に仕込んである」
「凝っているな」
「最近、魔術の復興研究が盛んで政府が魔術用マテリアルを大量に買い上げているのよ。だから、その魔素を手に入れるのには随分と苦労したわね」
「わざわざ、ご苦労さん」
「良いんだよ。シグは、ウチにとって一番大切な客だからね」
「サンクス」

 俺はトリガーを勢いよく引いた。
 ダブルアクションだから、わざわざハンマーを下す必要もなく、弾は発射される。
 刹那、俺の身体は大きく吹き飛ばされて、ちょうど出てきた廃屋の壁に思い切り激突する。自分でも予想だにしていなかった反射が、俺の身体を襲った。
「大丈夫かい?」
「あぁ、俺は平気だ。ハハハ……やられた、まさかここまでの威力だと思わなかった」
 銃を確認してみるものの、傷一つなく、シューと白煙を上げている。
 普通、今みたいな強烈な威力の弾を撃つと、小型銃なんてすぐにおしゃかになってしまうものだが、そんな様子はどこにも見られなかった。
 立ち上がり、コートの土を払う。前を見ると、先ほどまで4台あったはずの車が、いつの間にか3台になってしまっていた。
「完全破壊しちゃったわね。ま、良いわ。4なんて、不吉なだけだし」
「一体、どこから何の魔素を手に入れてきたんだよ」
「えっとねぇ、何だっけな、名前は読めなかったわ」
「はぁ?」
「だって、古代ヒンズー語だぞ? 読めるわけねぇじゃん」
 古代ヒンズー語、という彼女の言葉で俺は何となく感づいた。
 彼女は知らなかったのかも知れないが、その言語地域が出てくるだけで、相当強力な魔素が仕組まれていることは確かだった。
「ま、その言葉の魔素を23種類くらい組み合わせて銃を改良したよ」
「23だと? それはまた相当な量だな。調合は平気だったのか」
「私を舐めてくれちゃあ困るね。これでも、ジャンク市街で一目置かれている存在なんだぜ?」
 大きな胸をさらに張って、ユーは誇らしげな顔をする。
 俺はコートにその銃を仕込むと、裏口のドアを開けた。
「買うかい?」
「当然だ」

 ………

 俺は今度こそコートを脱いで、メヘンディで紅茶を飲んでいた。
 喫茶店、というのは虚言なんだろうが、確かに、ユーの入れる紅茶は深みがあって、絶妙な暖かさで提供してくれる。
 我孫子の方は、顔に似合わず、ブラックコーヒーをたしなみながら、ジャンク市街で刊行されている新聞を見ていた。
 我孫子も、なかなかこっちの事情には精通しており、取引などの手伝いをすることもあるやり手だ。俺はあまり名前の通った存在ではないが、我孫子、と言えば誰もがその名を知っている。
 後は、その外見を広めれば良いのだが、それはこの市街の特性上、ほぼ不可能と言っても間違いないだろう。
「いやぁ、相変わらずユーさんのコーヒーは美味しいですね」
「ありがとよ、我孫子」
「喫茶店、と看板に書いてあっても、少し納得してしまうかもしれないな」
 俺も素直に賛辞を贈る。
「珍しいね、シグが褒めるなんて」
「良いブツが手に入って、機嫌がいいのさ」
「ハハハ、ま、こっちも金が入ったから満足だよ。だけど、残念ながら、私はもともと喫茶店じゃなくて、情報収集家になることが目標だったんだ」
 そう言うと、彼女はテーブル脇にあった、何のためのモノか分からない計器が多く取り付けられているものを指さした。その傍には、使い古されたヘッドホンも二つ三つ置かれている。
「傍受、か」
「そう。それ、実は今でも現役で使えたりするんだ」
「なんでこんな商売に変わったんだ」
「アハハ、実は、ヘッドホンの数で分かるだろうけど、何人かの仲間で情報収集屋を立ち上げようって考えていたんだ。でも、一人は男とどっか行っちまって、もう一人はヒロポンヘッドになってカンカンに連れてかれたわ。多分、マシな状態では戻ってこないだろうね。あたしはあたしで、ちょうど知り合いから銃やその他機器の輸入ルートを紹介されてね、今じゃジャンク街の住民として、このザマさ」
 ユーは寂しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにいつもの豪快な笑い声を上げて、俺たちの前にその機器を持ってきてくれた。
 俺と我孫子はヘッドホンを取り付け、適当にダイヤルを回してみる。

 ピー、ピ……ザー……

「おおっ」
 我孫子が声を上げる。
 女性のあえぎ声だ。
 こんな声、普通は電波で飛び交うようなものではない。
「いかがわしいダイヤルって言う、ヤツですかね……」
 良く良く聞いてみると、女性の声というよりは、なんか違う性質の——いや、あえて最後までは言うまい。
「オエ、気持ち悪いヤツだ。聞いている方も、言っている方も」
「なんだか、違う世界を見た気がします」
「ああ……このダイヤルは、何だ?」

 ピー、ピ……ザー……

「……」
 二人で無言でダイヤルを回そうと頷く。
 真正の、男性のあえぎ声だった。

 ピー、ピ……ザー……

「この世界、もうすぐ滅びるんじゃないのか?」
「何だか俺もそんな気がしてきました」
 我孫子がじっくりと音に集中しながらダイヤルをゆっくり回していく。
 俺は両手をヘッドホンに当て、微かな情報も逃さぬようにする。

 ——……を、……する。……

「ん?」

 二人で当時に声を上げる。
 何かが聞こえてくる。
 慎重に慎重に、ダイヤルを合わせていき、ハッキリと音が聞こえるようにする。

——1週間後、……で……を……する。………が手に……作戦だ。
——成程、計画は練って……のかい。
——まぁ、……の日、なんとかA爆弾で………だろう。あのと……薄になる。
——分かった。また、後日、話を聞かせてくれ。
——あぁ

「これは」
 我孫子が緊張した面持ちでこちらの方を向いてきた。
「あぁ、間違いない」
「犯罪の、匂いがしますね」
 いつもの取引ではアウトロー性など考えていない我孫子と俺だが、いざ、他人の壮大な犯罪計画を聞くと、その犯罪という匂いが俺たちの胸をむずむずとさせるのだ。
 なんだか、嫌な予感がすると言うか、そんな感じの。
「なんだい、何か、傍受出来たのかい」
 向かいからユーが首をかしげてこちらの方を見てくる。
「あぁ、これからの犯罪の計画に花を咲かせていた連中の話を聞いた」
「ほ、本当かい? 内容は」
「いや、肝心の具体的な内容は良く聞き取れなかった」
 俺がそう言うと、ユーはそうかい、と言ってがっくり肩を落とす。
 どうせその情報を王目に司法取引して金を手に入れる寸法でいたのだろう。
「ただ」
「ん? なんだい?」
「凄く、大きな犯罪がこれから起きるかもな。A爆弾と傍受出来た」
 A爆弾、というワードにユーが震えあがる。
「まさか、A爆弾と言えば、政府しか管理できない、高威力の小型ボムじゃないか」
「あぁ、あんなブツ、いくら裏ルートでも滅多に手に入れられない」
「大きな組織が動いているのかもしれないねぇ」
「だな。ま、そんなところだ。ありがと、今日は良いブツが手に入れられた」
 午前4時。
 そろそろ、出る時間としては潮時だろう。
 俺は黒いコートを着込むと、先ほどの小型銃を正規のケースに入れてもらいシャッターの外へと出る。
「また来な!」
 ユーはそう言うと、笑顔でこちらに手を振ってくれた。
 なんだかんだいって、根は優しい下町人情にあふれる人なのだ。
 俺は、そんなぶっきらぼうな彼女が好きだった。

   *   *   *

 ——トゥキョオ区、帝都ホテル AM8:00

 ふわふわとしたベッドから起き上がり、朝の支度を済ませる。
 帝都ホテルの泊り心地は一般客のそれでも抜群だ。最初から、狙っているターゲット層が上流階級に近い人だと言うのもあるのかもしれない。
 綺麗に磨かれたガラスの灰皿に朝の一服のガラを押し付けると、カバンの中身を整理して、忘れ物が無いか確認し、外に出る。
「おはようございます」
 コンコンと、隣のドアをノックすると、せっかくの綺麗な黒髪をぼさぼさにしたままの我孫子が出てくる。
「お前って、つくづく、朝に弱いよな」
「申し訳ないです」
「まぁ良い。先に朝食済ませておくから、9時までには出る準備を済ませておいてくれ」
「はいはい」
 ふわぁと大きなあくびを一つだけして、部屋に戻っていく我孫子。
 あの様子だと、9時になっても絶対に起きないだろう。
 まぁ、実質4時間睡眠なので無理もない。

 数時間前、本当はチェックイン不可能な時間帯に来たのだが、そこは我孫子の絶妙な手回しにより解決した。帝都ホテルは政府関係者とも太いつながりを持っており、俺たちの所属する国家機関の事についても十分承知のようだった。
 我孫子のそう言った能力は高く評価したいが、もうちょっと時間にタイトになってもらえないだろうか。
 俺は一人エレベーターを降り、12階のカフェに行く。
 ホテルに泊まった時に貰えるチケットは12階のどの店でも使用可能だと言うことで、軽く食事がとれて、エスプレッソも飲める喫茶店にすることにした。
 喫茶店と言えば、あそこもそうなのだが……ま、外観をこんな一流のホテルと一緒にするわけにはいかない。
 俺はチケットを渡しモーニングセットを頼むと二人席の片方に座る。
 周りには制服を着た男子とその保護者らしき姿が見える。そう言えば、今日明日と帝都大学の試験がある日だと我孫子が言っていた。彼らは一様に緊張しており、何やら落ち着かない。
 なんだか、悠々とモーニングセットをいただこうとする俺が場違いのように思えるくらいだった。

「何だか、場違いよねー、ウチら」

「あぁ……。……って、三日月!」
 いつの間にか、机の上には『二人分』のモーニングセットが置いてあった。
 メイドさんみたいな恰好をした人が一礼して去っていく。
 そして、二人分の席、反対側は開いていた場所のはずだったのだが、そこに見慣れた少女がちょこんと座っている。
 茶色いふんわりとした髪の毛。
 瞳はくるんとしていて大きく、身長の割にはスタイルも悪くない。
 名前は三日月。
 義理の妹であり、俺が所属するCHAO研究所の……所長、だ。
「久しぶりー」
「……あぁ」
「連れないね、ま、良いけど」
「別の席に座らないのか? まだまだ沢山席は残っているだろう?」
「ふふ、良いじゃない。たまには間抜けっ面した自分の兄の顔を見るっていうのも」
「ッ……」

『所長、嫌いですか?』
『さぁな』
『僕も、そんな感じです』
『どうも、性格がなぁ……』
『どうも、性格がですね……』

 妹、しかも義理、と聞けば、どこぞの連中がとても羨ましそうに俺の方を向いてくるかもしれないが、とんでもない。
 コイツの性格の悪さと頭のキレ——若干16歳で所長の座に就くくらいなのだから——は、もはやエロゲに出てくるようなかぁいい妹と同じに扱って良いレベルではない。
 もともと、俺のハチリア島区への移動も、こっちに急きょ戻ることになったのも、彼女の差し金だった。
 俺が担当している『研究』の情報がそこにあると言うことで、半ば強制的に引っ越しをさせられたのだ。あの時は環境が変化して、俺の連れが変化に対応できず病気を患ってしまい、2週間くらい寝込んでしまった。
 そして、やっと慣れてきて、色々な店に行けると、楽しそうにしていたときに、すぐにマラシュケに戻ってくるよう命令が来たのだ。
 ……三日月に。
「クソ……一番トゥキョオで見たくない顔を見てしまった」
「ありがと」
「褒めてるわけネェだろ」
 溜息をつきながら、いかにも美味しそうなフレンチトーストを切り分け、口に運ぶ。
 味など、全く感じない。せっかくの朝食が台無しだ。
「久しぶりね。ハチリア島区、どんな感じだった? 良いところだったでしょ?」
「あぁ、出来ればもう数年住んでいたかったな」
「でも残念、あの情報さ、上手く出来たガセだったから、当分はマラシュケの方で生活してもらわないとね」
 三日月はせせら笑うかのように俺の苦労を一蹴すると、皿の上のウィンナーを切って口に運ぶ。いかにも美味しそうなその表情にムカムカとこみ上げてくるものがある。
「ガセで、兄貴を振り回すとは、やってくれるな」
「あら、別に兄だからって言うわけじゃないの」
 何のことかしら、と言わんばかりに三日月がとぼける。
「あ?」
「対して費用対効果のない情報だったから、研究所で一番役立たずのエージェントを送ろうと思っただけで」
「ッ、てめぇ!」
 思わず、机を叩きそうになるが、何とかこらえる。
 俺の事をないがしろにし過ぎていることへの怒りもあった。
 だが、何よりも、俺意外の人間が苦しむことも考慮せず、俺に当てつけがましく指令を送ってくるこのやり口が許せなかった。
 ひそひそと周りから声が聞こえる。きっと、こんなところで何つまらない痴話喧嘩しているんだろう、と将来のエリート候補が嘲笑っているのだろう。
 俺はそれ以上何かを言うのを止めて、席に座る。
「大きな声出さないでよねー。不作法よぉ?」
「……お前」
「何?」
「いや、……もういい」
 俺は音を立てない程度にさっさと朝食を済ませると、さっさとエスプレッソを飲み干し、テーブルを後にする。
「じゃあね、バイバイー」
 何の罪の意識もない顔で手を振る三日月を思わず殴りたくなる衝動に襲われるが、それを我慢して、俺はその場を去った。

 ………

 1階のロビーで待ち合わせをしてくると、満足そうな笑みを浮かべて我孫子が降りてきた。
「おはようございます」
「あぁ」
「……どうしたんですか? 何か嫌なことでも?」
「三日月と会った」
 それを聞くや否や、我孫子は全てを悟ったかのように俺に同情の視線を送る。
「あまり気にしない方がいいです」
「分かっているさ。ただ、アイツの言葉はいつも俺にずしんと来る。きっと丁寧に言う言葉言葉を選んでいるんだろうな」
 今思い出しても怒りがこみ上げてきそうになってしまう。
 アイツの性格か、口調か、肩書きか、俺との関係か、何が原因かは分からない。
 もしかしたら、全てが上手くからんで、こうやって史上最低のハーモニーを奏でているのかもしれない。
「三日月さんも、苦労しているんですよ。若干18歳で、国家の一機関の所長ですから。今日もきっとここで会議があるので、このホテルに泊まっていたんでしょう」
「苦労しているのは知っている。……俺、嫌われることはした覚え、無いんだけどな」
 我ながら情けない声を出してしまった。
 三日月とは決して短い付き合いではなかった。
 俺はもともと、孤児だったが、前CHAOの所長、副所長をしていた夫婦に引き取られ、養子として育てられた。だが、その数年後に、二人の間に生まれると思わなかった、子供が生まれた。
 俺は、新しい家族が出来たと、最初は喜んでいた。
 4人で、楽しい生活が出来るんだと、信じて、疑わなかった。
「……」
 止めておこう。
 嫌なことをわざわざ思い出す必要はない。
「どうかしましたか?」
 ひょいっと、我孫子が俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、そろそろ、出ようか」
「えぇ、そうしましょう」
 二人で、ホテルの大きな入口を通る。

 ——ふと遠くを見ると、空へと突き刺さる程、高くそびえる帝都タワーがあった。

このページについて
掲載日
2010年2月15日
ページ番号
6 / 10
この作品について
タイトル
とある少女とショーネンR18
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2010年2月15日
最終掲載
2010年2月23日
連載期間
約9日