〈一章〉(3)
——トゥキョオ区郊外 AM2:30
はぁ、——と息をつきながら、ふと前を見る。
膝下まで伸びる黒いコートを纏っても、冷たい風は容赦なく俺の身体を突き抜けていく。
銀色に染め上げられた砂だけの世界の上にぽつねんと浮かぶ、幻想的な三日月。
ダイヤモンドリングの欠片のようなそれは、鮮やかで、かつ繊細な光を放ちながら、こっちを見下ろしているようだった。
「お久しぶりです」
星空の下。
黒いコートを纏った俺は、大きなカバンを持って、迎えの車に近づいていく。
車に寄りかかっている長身の男に、俺は見覚えがあった。
「久しぶりだ、我孫子」
「ハハハ、未だに僕を名字で呼ぶのは貴方くらいですよー」
「お前の名前はありきたりすぎるからな、そう言うのは嫌いなんだ」
俺と我孫子、二人とも、言葉の応酬が喧嘩腰であるが、これはいつもの事だ。別に仲が悪いというわけでもないので、誰も気にしなかったし、俺たち自身もこういう軽口の叩き合いが好きだった。
二つの口から白い息が漏れる。
一週間前くらいに、俺と連れで引っ越すことにしたのだが、色々と手続きが必要とのことで、俺だけが残り、ドラゴンと黒猫を先にマラシュケの方に送った。
こっちは車で追いかける算段だったが、、途中でガソリンの量が足りず、約一時間かけて砂漠を歩き続け、やっと道があるところまでたどり着いた。偶然、我孫子からの着信があったので、彼にすがり、こうして迎えに来てもらっているのである。
これだから、科学技術は信用できない。
まぁ、心配せずとも、ドラゴンは賢い動物で、行先はきちんと分かっているはずだし、アイツのことも、ボディーガードとしてのドラゴンと、何日分かの食料があれば大丈夫だろう。だから、急ぎ旅になる必要はないのだが、どうも定刻通りに事が運べないとイライラしてしまう。
……ジャポネの原住民の悪い癖だ。
「そろそろ行きましょうか」
我孫子の言葉に、あぁ、と軽く返事をし、助手席に乗り込む。
エンジンがかかり、目の前のラジオやCDのプレイヤーのボタンが青く光り輝く。モニターにはFMの文字が出ているが、この場所は圏外であるようだった。
久しぶりの車の感覚。
俺はふぅ、と息をついてシートにもたれかかった。
「随分と、お疲れのようですが、改めて、おかえりなさい」
「お帰りなさい、か……。なんか、お前に言われると虫唾が走る」
「でも、世間一般ではそう言うのが常識ですよ。僕も、同僚に対しては上辺の心遣いをすることを怠らないようにしているのです」
「上辺って言っている時点でもう意味ねぇよ」
「アハハ、確かにそうですね、……それより、貴方、以前より逞しくなってませんか?」
今度は本音なのだろう、俺の方をまじまじと見ると、フゥと残念そうな溜息をついた。
「残念だったな。俺は、どの世界に飛ばされようが、生きて帰ってくる自信があるんでね」
「だったらむしろベルベル砂漠の向こうにある、密林の奥地で修業でもしてきてください」
そこで熱病にでもかかってしまえば、流石の貴方もくたばるでしょうし、と付け加えて、我孫子は運転を続ける。
砂漠に続いていた道なき道を通って、国道に出てくる。
そして、だんだんと、誘蛾灯だけだった単調な道が、光に囲まれるようになる。
あちらこちらに中小企業のビル——夜中まで光が漏れているとはお疲れ様なものだ——や、ラブホテルが散見される。例の青い看板を見ると、トゥキョオ中央区までは後五〇km、と書いてあった。
「なかなか、遠いですね」
「あぁ」
「今日はトゥキョオに一泊していきます?」
「だな。もう、世間では幽霊が出る時間だ」
「いえいえ、2時45分だと微妙に外れます。幽霊は二時半までですから」
ハンドルを華麗に操りながら、国道を少し飛ばして走る。
まさか、違反切符取られるくらいでムショ行きは無いだろうが、どうしても怖くなってしまい、きょろきょろとあたりを見回してしまう。
「王目(ケーサツ)はここら辺は見ていません。無論、スピードメーターもありません」
俺の考えをあっさりと読みとったのか、前を見据えながら我孫子は言う。
「そうやって僕にアドバイスしたの、アナタじゃないんですか?」
「あぁ、確かな。車運転する先輩として、常識を教えてやろうと思ったんだ」
「何が常識ですか。あぁいうのは抜け穴って言うんですよ」
「そうとも言うー」
「……どっかで聞いたことあるフレーズですけど、まァいいです。ところで、いつもアナタの後ろをとてとてと着いてくるあの可愛らしい女の子はどこに行ったんですか?」
「先に向かっているさ。もう、家にたどり着いているだろうよ」
「また突然の引っ越しですね、あのコ、文句言わなかったんですか?」
「言ったよ。海が見えるこの街の方が良いー、砂漠なんて熱いし寒いしでイヤ、って」
「上手く丸めこんだんですね」
「ちょっと、マネーが幾分が飛んで言ったけどな」
我孫子はその言葉に軽く笑うと、今度はハンドルを左に切った。
いつの間にか、周りは様々な光に覆われ、この車に次々と降り注いでいく。
ジャポネ共和国の唯一無二の科学技術都市、トゥキョオ区。何色もの光が我孫子の顔を横切っていく様は、何とも都会を走る車に乗っている気分で、興奮した。
パブの艶めかしいライトアップ。
ネオンで出来た看板を振りかざすパチンコ店。
飲み屋の赤い提灯。
ホストクラブのカンカンとした白いライトアップ。
眩しいショウウィンドウから見える高そうなブランドを指くわえて見ている女。
一見レストランっぽく、多分中では若者が戯れているであろう煌々とした建物。
カラオケ店の見た目も中々に派手さを増している。
ビルから流れてくる今時の理解しがたい音楽が耳についてくることもあれば。
クリプトプシィさながらのバイクや改造車の轟音が目の前を通り過ぎていく。
——そして、汚らしく飾りつけられた街を見下す三日月が、見覚えのあるタワーに若干重なりつつも、こっちを照らしていた。
「砂漠でも見たけど、今日は月が綺麗な日だな」
「フフ、タワーが見えたからって、別の対象に話を置き換えないで下さいよ。見えているんでしょ?」
「あぁ、見えているさ。いつ見ても不細工な帝都タワーだ」
「そう言うこと言わない約束です。それ街中で言って右翼に殺されそうになったじゃないですか」
「ふう、右翼も分かってないな、なんであれが帝国時代のジャポネの象徴としてあがめられるんだ? 中身は全然違う機関だってのに」
「歴史の重みって言う奴ですよ」
「歴史があるものなら、さっさと崩壊すりゃいい」
「もう、何イライラしているんですか」
「眠たいんだよ。ベルベル砂漠の真ん中を何時間運転したと思って」
「そんなこと言うなら僕もこんな夜中は普通寝ていますよ。ふう。……でも、トゥキョオって絶倫な街ですね。ホント、ビックリしちゃいます」
絶倫の街とは、なかなか乙な表現をしてくれる。
「あぁ、確かに、なんか飯時みたいな気がするくらいだ」
「でも、我慢してください。僕もアナタも、所長の命令には逆らえないんですから」
所長、と聞いて、俺は顔を暗くする。
あぁ、そうだ、戻ってきたのだから、そのうちアイツと顔を合わせることにもなるだろう。そう思うと、どうも気が滅入ってしまう。
「所長、嫌いですか?」
ストレートな質問をしてくる彼に俺は苦笑いをして、
「さぁな」
「僕も、そんな感じです」
ただ、正直なところ、アイツとは深くは付き合いたくない。
「どうも、性格がなぁ……」
「どうも、性格がですね……」
同時に同じ言葉を口にした俺と我孫子は、そのシンクロぶりに、思わず吹いてしまった。
「考えていることは同じだ」
「みたいですね」
と、そこで、急に何かを思い出したかのように我孫子がアッと声を上げる。
そうして、車を路肩に止めると、助手席と運転席の間に置いてあった袋から、缶コーヒーとおにぎり、サイドフードをいくつか取り出してきた。どうやら、俺のために買い置きしていたらしい。
「サンクス」
「久しぶりのコンビニ食ですよ。考えると、なかなか恋しい食べ物じゃないですか」
アクセルを踏みなおして再び街に躍り出る。
「それもそうだ」
確かにハチリア島区にはコンビニというモノは存在さえしていなかった。
カッツ、とコーヒー缶を開けると、生温くなってしまったそれをのどに流し込む。
鼻つまりがひどくて口で息をしていたのか、カラカラになった口内に、その生温かい液体はいい感じで染みわたっていく。
コンビニのおにぎりを開けると、それに片手でガブリとかみつく。
やはり、具はシーチキンマヨネーズだ。
「俺の好み、良くわかってくれているな」
「ありがとうございます、でも僕は安いものならおかかなんですが」
「あれは邪道だ」
「そう言うと思いました。ちなみに、そのおにぎり、全部シーチキンマヨネーズです」
「……それもそれで、ひねりが無さ過ぎる」
「良いんですよ。僕の懐が温かくなりますから」
そんなことを言って嫌味な笑顔を浮かべつつも、無駄に高いサイドフードもいくつか買ってきてくれているところが、我孫子らしい。
チキンを単体で食うなんて、何か月ぶりだろう、と思うくらいだった。
「とりあえず、今すぐマラシュケはあまりに遠いですから、一旦どこかで一泊」
「あぁ」
「それと、せっかくですし『あの店』にも寄って行きますか?」
流麗なハンドルテクニックを見せつつ、横目で我孫子が俺の方を見る。
あの店、というのは、ちょっとした銃器や爆弾を扱っている違法店の事だ。
そう言えば、以前住んでいた街が検問が厳しく、銃器は一旦破棄してしまったと、我孫子に言った覚えがある。彼はきっとそのことを覚えていたのだろう。記憶能力、という点に関しても、彼はよっぽど俺より優秀なエージェントだった。
「そうしてくれ」
「はい、分かりました。……砂漠の街ですかぁ、僕も住んでみたいです」
「俺の場合は仕事があるからだ。仕事、変わるか?」
「お断りします」
「チッ、連れないな」
俺はフッと笑うと、タバコを箱から一本取り出した。