〈一章〉(1)
——マラシュケ区、AM8:00
微かに吹いてくる風が、あたしの服を揺らします。
中央広場を抜けて、カスバの中を進み続けて、ここに着いたのは昨日の午前3時でした。
夜中も夜中、ともすれば変態さんに襲われてしまう時間帯ですが、あたしには強靭なボディガードが一人(一匹?)ついているので、そこは安心です。
砂漠に囲まれたマラシュケ区には昔とっても凄い王国があったそうです。
この世界には技術国と魔術国の二つが各地に点在しているんですが、ここは魔術国発祥の地。それで、ものすごい軍事力と経済力を誇っていたんですが、 2000年前位に滅亡。
今では、魔術で作られたのであろう、赤い粘土土の城壁で出来た複雑な路地を持つ街(いわゆるカスバです)をその面影として残すのみとなりました。
まるで迷路のような道を通り抜けないと家にたどり着けないカスバですが、ちょうど一枚分壊れてしまい、周りの景色に似合わないまっさらな土地が残っていたので、あたしのお連れさんに無理言って買ってもらいました。
なんだか、異世界に迷い込んだ主人公になれる気がしましたから。
で、今はそのお連れさんが遅れてくるので、その人を待っているんですが——
ぼーん。
ぼーん。
ぼーんやり。
身体をユラユラと揺らしながら、人がたまに行きかう細い路地をきょろきょろと人探しします。
でも、彼は一向に現れる気配がありません。
「あうおー……」
口真似をしながらユラユラ。
誰の真似かって言うと、今あたしの真下にいる動物さんです。
——ドラゴンさん。
頭をあたしのお尻に敷かれている状態なのに、随分と心地の良さそうな表情をしています。以前、聞いた話だと、そう言うので喜ぶ人は「M」と呼ばれるらしいのですが、ドラゴン界にも、存在するんでしょうか。……無いでしょうけども。
先ほど、土地が開いているということとでしたが、そこを埋めるように建てたのが、この新築のレンガのお家。レンガと聞いて、これまた夢をかなえようと、ちょっと大工さんに無理を言ったら赤と黄色と茶色の三色レンガにしてくれました。
二階建ですが、そのうち一階は車庫の作りをしていて、いわゆるドラゴンさんの領域です。昼は自動暖房、夜は自動冷房で、人間にとっては甚だ住める所じゃないので、あたしは二階の方に住んでいます。今は朝ですし、日陰なんで、良い感じに涼しいんですが、そろそろ熱くなってくる頃です。
ちなみに、あたしの待ってる人も同じく二階で、しかも、同じ部屋です。
——そう。それで、爬虫類も思わず冬眠しちゃう寒い夜には「温めてあげるよ」とか言いながらあたしのベッドにモゾモゾもぐりこんできて……キャー!
「うっふふー♪ 撫で撫でー」
恥ずかしい妄想を振り払いたくて、ふと見えた堅くてふっといドラゴンさんの角を激しくシェイクしてしまいました。
彼は止めてーこそばいー、と言っているかのように、うーっとうなり声を上げます。
「えへ、ごめん」
ゴロンと寝っ転がると、路地を挟んだ赤い粘土土で出来た不細工な——でもしっかりとしたくり抜き式のアパートがいくつか目に飛び込んできます。
そして、それらの隙間からは、雲が一つもない、快晴の空。
ドラゴンさんの上ですが、布団干しついでに毛布を敷布団代わりにしているので、背中はふんわりとして、気持ちが良くなります。
「ふああ——」
どこか、この場所から遠く、気持ちの良い場所へとトリップしていけるような——
「うわっ、白猫じゃねぇが!?」
突然の大きな声に、思わず飛び上がってあたりを見渡します。
人影はすぐに見つかりました。
「お、驚かせないでくださいよー、もう。……お久しぶりです、洵さん」
「うん? そりゃこっちのセリフだよ。いつ戻ってきたんだい」
「今日ですよ。いやぁ、メディナ近くの所も良いんですが、ここはここで乙な感じがしていて住み心地は良いと思います」
「そうかい。はぁ、だぁれもいないうちに来ようと思ったのに。まさか、ドラゴンの上さいるなんて思ってなかったべさ」
「楽しいですよー。乗ってみます?」
ギロッと、ドラゴンさんが洵さんの方を睨みます。
そういや、このドラゴンさんはあたしとあたしのお連れさんにしか懐いてないんでした。
「あ、いや、遠慮しとくわぁ……」
ドラゴンの頭に座る私が見上げるくらいの高身長。ギョーカイ用語で言う、パツキンのいかにも俺チャラいゼ? っていう若い男性の方。ただ、どこかしらの方言と思われる訛りがちょっと可愛い。で、性格も意外と弱虫。
それが私にとっての「洵さん」というイメージです。
彼は右手左手に何やら色々なモノ(雑誌?)を詰めた紙袋を抱えています。
「それ、なんです?」
何気ないノリで聞いてみるのですが、洵さんは「Ouch!」という感じでそれら二つの紙袋を背中に隠します。
見せたくないなら、あんな堂々と両手に抱えなけりゃいいのに。
「あら、洵さん、隠し事はいけませんよー」
ドラゴンから降りて、ずいずいっと彼に近づいていきます。
近づいた分だけ、後ろに下がる洵さん。
「これはだなぁ、白猫、男だけの秘密なんだ」
「大丈夫ですよ、私も男ですからー」
「嘘付けぇっ」
洵さんは恐る恐る一階奥の、二階へのの入り口にそれを置くと、絶対見に行くなよ、とこちらを警戒しながら戻ってきます。
——そんなに心配しなくても大丈夫ですよー? 後から見ますー
ま、今のところは、多少気にはなりますけど、堂々と見にいくわけにもいきません。
うーんと伸びをして、腰を回します。
「ところで、白猫ぉ。おめぇ、昼に時間とれるか?」
寝てたときに出来た後ろ髪のはねを手ぐしで直していると、洵さんが相変わらずの口調で何か尋ねてきます。
「えぇ、まぁ」
「ちょっと頼みたいことがあってーなぁ。手伝ってくれるけぇ?」
両手をパチンと合わせる洵さん。何だか訳ありのようです。
すぐの仕事だったら、待ち人さんに伝言でもしておかないといけませんし、何かと面倒なんですが……。
「んぐー、仕方ないですね。話だけは聞きます」
二人で水の出ない噴水に座ります。
朝9時の日光だけで随分とコンクリートは暖かくなり、座っているだけで気分が良くなります。
「あぁ、暖かい……」
日光は素敵です。浴びるだけで身体はビタミンDを作ってくれるうえに、ホルモンの活性に役に立つと言いますから。
おかげで私の身体も寒い寒い夜よりは幾分かぴんぴんとしています。
やっぱり人間こうでなくちゃいけません。遅寝遅起なんて、身体に悪いだけです。
「で、用件なんだけどよ、ちょっと今のおめぇにしか頼めねーんだなぁ」
洵さんは担いでいたカバンから一枚の紙を取り出します。
えーと、何だろ——
「ピュアヒーローチャオ、を下さい?」
「マラシュケの新市街に住んでいる、ちょっとした富裕からの要望さね」
——チャオちー。
ドラゴンさんもなかなかにこの世界では有名な生物ですが、現時点で一番界隈を賑やかにしている生命体はチャオちーでしょう。あ、ちー、っていうのはあたしのオリジナル語尾なんで、正式名称はチャオ、ですね。
それはそれは、ずっと昔にマッドサイエンティストとして学会を追い出された男がCHAOS(ケイオス)という地球を滅ぼす存在を作ろうとしたらしいのです。
でも、結果は失敗。代わりに生まれてきたのが、チャオ。
男の方はどうなったかって?
その事実発覚後、王目(ケーサツ)さんが沢山彼の所に押し寄せたらしいですけど、彼の姿はすでになく、失敗作——チャオの作成書だけが、そこに残っていたと言います。
そうして、どさくさにまぎれて作成書を回収し、それを軍事応用しようとしたジャポネ国ですが、結果的には愛玩動物としてチャオを各地に売り払うことになりました。予算をつぎ込むだけつぎ込んでおいて、色々繁殖を重ねたらしいんですけど、結局愛玩動物しかできなかったんですって。
そりゃあ、売り払うでもしてお金を回収しないと、世間から何を言われるか知ったものじゃありませんからね。
「ピュア……」
形としては色々あるんですが、最初生まれたときは大抵オニオン型の頭をしていて、身体手足は丸みを帯びていて可愛らしく、頭の上に謎の物体を浮かべています。色つきのもあるにはあるんですが、やっぱり一番人気は原型であるピュアチャオです。
「でも、またなんでヒーローチャオなんでしょう?」
「あれだろよ、ヒーローチャオを持ってることは、その人間の性格に良い面が多いという箔が付くべさ。富裕にとっちゃ、それは自慢にもなるし、商業取引で重要な接待道具になりうるのさね」
「はぁ」
よくよく考えると、似たような形で、そう言う件を依頼されたことはありました。
アウトローな場で敵を威嚇するために、ダークチャオを作ってほしいと言う方。
デスメタルバンドするから、それに合うようダークチャオを作ってほしいと言う方。
良き妻を演じるための手段として、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。
ダークにすると学校でいじめられるから、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。
——ハァ。
「正直、あんまり、乗り気になれないんですけど」
「まーまー俺もタダでやってほしいと言ってるわけちゃうから」
「と、言うと?」
「何らかのモノは買ってあげようじゃないかぁ、ってことだべ」
相変わらずのどこの方言か良くわからない訛り全開で私に商取引をしてくる洵さん。
商売人として、そこら中を闊歩しているのが災いしたのでしょうか。
「でも、モノを買ってあげる、ってそんなお金どこで……あ」
自分で言葉を口にして、ようやく真相に気付きました。
洵さんは売り上げをすぐに酒や女性とのいやんな行為、に使ってしまうので、最低限残して彼の財布はすぐにすっからかんになっちゃいます。そんな彼があたしに奢る、なんて普通はあり得ません。
洵さんの方をキッと睨むと、いつの間にか彼は噴水のふちで土下座をし、小さく畏まっていました。
「すまねぇ。もう、前金たんまりもらってるんだわぁ」
「ば、バカじゃないんですかぁー!?」
そりゃ、お金もたんまりありますわ、フツー。
「だから、白猫よぉ。なんとか引き受けてやってくれねぇが?」
土下座の姿勢のまま、顔だけ上げて私の方を見てきます。
キラキラとした目の輝きが、私に「イヤ」と言わせることを拒ませるようです。
「ヤです」
だけど、断らせていただきます。
洵さんの顔が文字通り、蒼白になってしまいます。
「そんな……」
「ここで引き受けたら、あたしが良いカモになってしまうじゃないですか」
「そこをなんとか! 何でも! 何でも買ってあげるから!」
深々と土下座をしながら、引き換え条件を提示してくる彼。
「何でも?」
思わず、そう問い返してしまいました。
いつの間にか、脳内悪魔が刺激されて、デーモン閣下がむっくりと起き上がっていたようです。さっきまでは、合理的な天使っコが仕切ってたんですが、段々とその脳内雰囲気の風向きが逆になっているのが分かります。
天使:引き受けるの? 引き受けないほうがいいんじゃない?
あたし(悪魔):いや、引き受けるのも悪くない。何でもだぜ? 何でも!
天使:何でもなんて、絶対嘘です。
あたし(悪魔):ふふふ、そこは無理を通すよ。策は練ってある。
天使:……そこまで言うなら、致仕方ありません。
許可ゲット! っしゃぁ!
あぁ、あたし、すっかりイケナイ女の子♪
「そう何でも、だ!」
「言っておきますけど、それ、死亡フラグですよ?」
忠告みたいなのを言っちゃってますけど、頭ではほくそ笑んでます。
だって、彼が言うことなんてひとつですもの。
「構わない!」
……ね?
——PM0:00
〈MEMO〉
お連れさんへ♪
今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
夜までには帰るからね! 白猫
「あぢぃです……」
太陽が燦々と上から降り注いできます。
朝はビタミンDが作られるし、太陽最高! とかあたし自身がほざいておりましたが、どのビタミンも過剰摂取は毒になってしまうんですよ。
え、関係ないって?
——マラシュケ区は、ただいま乾季真っ盛り。
ここは砂漠ではないので、超猛暑ではありませんが、それでも砂漠都市と言われるくらい砂漠に近い街ですから、かなり気温は上がっています。
先ほど買った日光よけパラソルを差してみるものの、濛々とした空気は相変わらずで、あたしの帽子や服に容赦なく入り込んできます。
汗がひたすらに出ます。
顔からダラダラ。
身体からダラダラと。
朝にせっかく水浴びして綺麗な身体にしたのに、これじゃあまた逆戻りです。
あたしたちはお買い物を終えて、カスバの路地裏を歩いていました。
お買い物をした後に重たい思いをすることは良くありますが(特に特売品とかで買い溜めした時は)、今回はその心配もありません。
え? ドラゴンさん? 連れてきてはいませんよ~?
代わりと言ってはなんですが、一人の男性の方が全て持ってくれています。
「う……あぁ……」
声にならないようなうめき声を上げて、あたしの後ろを歩いてくる洵さん。
前が見えないよう(ちょっと色々買い過ぎたかしら?)なので、あたしが先導してあげているというわけです。
「ノロいですね、もっと飛ばしてくださいよー。男でしょう?」
「んや、人間として、この重量はきつい……ゼ?」
「もー……。あ、右手の皮袋は注意してくださいよ、メディナで買った限定品の色つき陶器なんですからー」
あたしのはオレンジで、あたしのお連れさんには赤色を。模様はおそろい。模様がそろっているって滅多にないので、そういう意味で限定品。
このマラシュケ区には二つの買い物ゾーンがあります。
一つは中央広場で、確か名前がジャマ=ヤナ=ホンマ広場だったような気がしますが、みんなそんな邪魔くさい名前なんて言わず、普通に中央広場とか、もっと略して広場とか呼んでいます。
白いテントを上に広げた様々な露店が埋め尽くされているため、本当は広いコンクリの土地なんですが、そんな気は全然しません。
オレンジを大量に並べて、注文を受け次第、それを切り、絞り、ジュースにして売る人もいれば、傍らで羊の串刺しを丸焼きにしながら、それを切り取り、野菜などと串焼きにした料理(ケバブーっていうやつです)を格安で出してくれる人もいます。
はたまた、魔術の再来とかいう銘打ちをして蛇さんを笛で扱う大道芸をしている人もいますが、……あれって、蛇さんが笛の音にたまにビクンっと反応するだけで操っているとは思えないんですけどね。
——あ、それで、もう一つの広場は先ほどまでお買い物していた旧市街、通称メディナのスーク(市場)と呼ばれる所です。噂によると市場としては世界最大級の広さを誇るのだとか。
中央広場のような新市街もなかなかに楽しいのですが、旧市街はレトロチックな魔術国時代のお皿とか剣とか杖が売られていて、一時期考古学に没頭していたあたしの胸にずぎゅんと来るものがあります。
青銅を造形して、軒先につるされているようなレトロな看板を作る所。
魔術時代の本とかハープとか杖を売る所。(現代人はもちろん扱えませんが)
古代ルベルベ語で書かれた文書の巻物。
もちろん、それだけでなく、オリーブをはじめとする大量の食料品や、先ほど買った陶器など生活必需品も豊富に売られています。それぞれが色々な軒を構えて、商品を外にまで広げてい光景は、写真に撮ってしまいたいくらい素敵な風景なんですよね。
と、そんなこんなでいつの間にかあたしの家の前までたどり着いていました。
オーライ、オーライと言いながら、洵さんを二階への入り口まで誘導します。
「ドラゴンさん、ちょっと手伝ってください~」
あたしがそう言うと、彼はしっぽをくるんと動かして、洵さんの背中にあったお布団のセットを取り上げます。
身体が大きすぎて奥の方へは振り向けないのに、どうやってしっぽで洵さんの場所とかを感知しているんでしょう。しっぽに目でも付いているのでしょうか。
「あー……疲れたべさ」
ともかく、布団が背中から取り払われてフッと身体が軽くなった洵さんはふうとため息をつきながら荷物を入り口に全部置くと、どさっと車庫にもたれてしまいました。
なるべく日陰を選んで歩いてきたので、熱中症にはなっていないと思いますが……。
「大丈夫ですか?」
「あーあー、俺は大丈夫。ま、荷物を家の中に入れる作業くらいは自分でやってくれ」
「はーい」
あたしはパラソルをたたみ、山になった荷物を片づけようと、食料品の袋を持ちます。
何気なく、路地の方に目を向けます。
視界の中に、一匹のネコさんが見えました。
「あ……」
あたしと洵さん、同時に声を上げます。
ネコさんがいること自体は別に不思議ではありません。このカスバの迷路にはどこからともなく現れるネコさんが約数千匹いるとも言われています。今日も、先導して歩いていましたけど、その時だけでざっと20匹は見かけたような気がします。
「チッ、今日は付いていないな」
洵さんが舌を打ちました。
そう、その猫だけは明らかに他の猫とは違うんです
すらりとした手足、身体。
長く伸ばされた二股のしっぽ。
そして、何より、——黒いんです。
真っ黒の、光さえも反射しない体毛が、全身を覆い、黄色い瞳がじっとこちらを見つめています。
「白猫」
あたしの名前を呼んだ洵さんが、諌めるような口調で話しかけてきました。
「あまり近づくんじゃないべさ」
洵さんの行動はごくごく自然な反応です。
このマラシュケ区には古くからの伝統で、黒猫さんを忌み嫌う習慣があります。 あたしが住んでいた場所ではそう言う習慣はありませんでしたので、直接的にその黒猫をねたむことはないですが、雰囲気が違うことは肌で分かります。
黒猫さんはあたしの方をじっと見ていましたが、ゆっくりと、こちらの方へと近づいてきました。
後ろで洵さんがシッシッと手首を振ります。
でも、黒猫さんはそれをプイッと無視してあたしの足元へと寄り添ってきました。
二股のしっぽをふにふに動かしながらゴロにゃんと地面に横たわってお腹を見せてきます。
——ちょっと、可愛い、かも?
あたしは、袋の中から、パックされた小さなお魚を一匹取り出します。
「お、おい、白猫、何をしようとしているんや」
「餌を上げるんですよ、餌を」
「そんなことしているとこの醜いネコに住みつかれるど?」
「その時はその時ですー。お腹がすいているだけですよ、きっと」
「……しらねぇぞ、俺」
そう言うと、洵さんは改めて立ち上がり、地図を一枚渡すと、喉が渇いたから中央広場でオレンジジュース飲んでくる、午後三時にこの赤い丸の所に集合、と言い残して、去って行きました。
ちょっと背中が寂しそうな気がしますが、多分あたしが前金のほとんどを使ったからでしょうね、きっと。
「うふふー♪ 可愛い」
あたしはよしよしと黒猫さんの頭を撫でながら、彼女が魚を食べるところをじっと見ていました。こう見ると、なかなか器用に骨をどけてむしゃぶりついているのが分かります。
やがて、骨を残してほとんどを食べ終えた黒猫さんは満足そうな無表情で、その場をスタスタと歩き去って行きました。
「よっと」
あたしは中腰の状態から立ち上がると、改めて荷物を入れる作業を開始します。
大工さんにあらかじめ家具などは入れておくように言っておいたので、実質、自分のする作業は荷物をそれぞれ所定の位置に置いていくことだけでした。
食べ物はお連れさんが帰って来た時のために少し多めに仕入れておきました。
ま、残ったら全部ドラゴンさんの口に放り込めは処理できますし。……動物虐待じゃありませんよ?
「はふー」
所定の位置に置くだけ、とは言いましたが、それはそれでなかなかに辛い作業です。
いちいち一階へ階段で下りて、荷物を抱えて昇る、という作業が特に。
結局、休み休みで作業していたので、その作業だけで40分近くかかってしまいました。
洵さん、もうちょっと雇うべきでしたね。
「さて」
一階へと降りてくると、一つだけ大ボスが残っていました。
ドラゴンさんのしっぽが華麗にクルクルしている布団セットです。しかも二人分。
見るだけで嫌な予感プンプンです。
「あの、ドラゴンさん、そろそろそれを降ろしてくださいません?」
覚悟を決めてそう言うと、彼はえー、面白くないーと言わんばかりのしかめっ面をして、ふわりとそれを地面に置いてくれました。
それらを縛る紐を両手で持ちます。
「せぇのっ」
——ズ。
あ、今の効果音、何も動かなかったという意味です。
「重いよー……」
分かってはいたことですが、重すぎます。
さっきまでクルクルと宙を舞っていた様子を見ていたので、なおさらにそう感じます。
もしかすると、あたしの体重より重いのじゃないのかしら?
「んー、どうしよ」
さっきの洵さんみたく、どっさりと壁にもたれてしまいます。
これだけはいくらガッツがあってもやってられません。
一階のひんやりとした日陰の場所に、思わず、うとうと。
お昼寝、そう言えばまだしていませんでした。さっき、洵さんのおごりで喫茶店でランチも食べたので、お腹もいっぱいです。ふわぁ、と大きくあくびをして、また、どこかにトリップしていきそうです。
「んく——」
今度こそ、あたしは深い眠りにいざなわれました。
………
ふわり、と誰かに身体を持ちあげられる感覚。
こつん、こつん、という階段を昇る音。
優しく乗せられた所は何だか良い匂いのする気持ちの良い場所。
そして、寝かされたその上からもふもふとした何かがかぶせられます。
この感触は、お布団?
でも、あたしの家にはお布団なんてありません。
だって、それはまだ一階に置きっぱなしですから。
もしかして、誰かが代わりにやってくれた?
でも、一体誰が?
あたしの、待ち人さん——お連れさんが、もうたどり着いて、あたしの代わりに作業をやってくれた、という可能性を考えます。
でも、それとは違う、凄く良い匂いのする人が、近くにいます。
こんな香りを身にまとう人なんて、女性くらいしか考えられません。
女性?
でも、この街で知り合いとして考えられるのはせいぜい洵さんくらいしかいません。
「だれ……?」
意識がだんだんとはっきりしてきて、あたしは声を出してその主を問います。
その声の主は言葉を発しません。
でも、その人はあたしのすぐ近くにいるような気がします。
彼女(彼?)はあたしの質問に答えず、ただ、座っているだけのようでした。
「ふふ——」
突然、耳を微かな笑い声が通り抜けていきます。
それを聞いて、あ、これは女性だ、と確信しました。
あとは、その姿を拝むだけ。
お願い、誰かさん、こっちの方を向いてください——
「また会いましょ。バイバイ、少女ちゃん」
だけど、そんな期待を裏切るように、彼女は優しくあたしの髪の毛を撫でると、どこかへと消えて行きました。
周りに、もう人がいる気配はありません。
「あぐぐ……」
何とか疲れ切った体を持ち上げ、ベッド棚の上に置いてある時計を手に取りました。
午後3時半。
なかなか良いタイミングで起床できたようです。
さっさと外着の服を着て、出かけましょうか。
数時間前まで堅い所で寝ていたのが災いしたのか、どうも腰らへんが凝り固まっています。軽くまわしてみると、ぐきっと言って大きく音が鳴ります。
あと、それと同じくらい頭もボーっとしています。なのに、頭は血が湧きあがっている感覚で、どうしようもないくらいに脳が回転しているような気分。
「冴えているんだか、冴えていないんだか」
ホント、そんな感じでした。
「それにしても、さっきの人、誰だったんだろう?」