Mr.Beloved
この首都には1200万人の天使と、1200万人の悪魔がいる。
面白いじゃないか。
それでこそ、人間に価値が芽生える。
とある街の一画。
どこにでもありそうなホテルから、
髪の毛がぼさぼさの男が一人で出てきた。
目つきは鋭く、きれいだった。
その男を見る女はまるで磁石のように吸い付く。
―ふう。
男はため息をついた。
また、女と遊んで、逃げてきてしまった。
シャワーを浴びている隙に部屋から出てきたのだった。
―ま、ただの、お遊び・・・だと。
そして、男はそのたびこのように意識して、
また明日に備えて家へと向かうのだ。
誰もいない、その借家へと。
・ore視点
数年前までは母親も父親もいた。
―旅行しに行こうか。
そうやって、家族全員で旅行した。
おいしいものも食べた、温泉にも行った。
俺はあのころから心がすさんでいたが、少し何か角が取れた感じがした。
すこし、この旅行をうれしく思った。
そして、時速270kmの新幹線がそれをバラバラに引き裂いた。
母親と父親はそこに飛び込んでいた。
俺だけを置いて、二人はどこか遠い国へを飛び立った。
跡形もなく。
俺はどうして、どうしてこんな地獄を見なくちゃならないんだ!
俺は一年くらい外に出なかった。
電車を見るだけで、通る音を聞くだけで、吐き気がした。
頭を抱えても抱えても治らない苦痛を対処するために、
俺は本能のままに生きることを選択した。
ただただ、あの鮮明な記憶を消したかった。
そして、またこのように思い出してしまう。
2007年がもうすぐ来る。
21歳。あの事故から10年が経っても俺の記憶は消えない。
いっそのこと、俺も死んでしまおうか?
そう考えたこともあったが、それを実行には移さなかった。
死んだら終わり。
親のために―俺を見捨てた人間のために俺が終わるのは許せなかった。
とある日。
俺はバイト先である薬局でバイト料を受け取った。
そして、薬局のある道を通り抜け、またいつものねむらない道にたどり着く。
この直線を歩いていればまた女は吸い付いてくるだろう。
しかし、今日は違った。
女に捕まる前に、白いチャオが俺の目の前に立っていた。
チャオが俺を捕まえるのは珍しかった。
普通は俺の目つきで近づかないチャオが多い。
最近はそれが当然だと俺も思ってきたところだった。
だからいっそう、俺はこのチャオが俺を捕まえた理由を知りたかった。
―ふう、チャオが俺になんのようだ?
―お兄ちゃん、頼りになりそうだから、ボクの飼い主を守って欲しいんだ。
と、チャオが指さした方向には少女がこっちをじっと見ていた。
まだ、中学生か高校生だ。成人では、ない。
ましてや、女としての経験はまだだろう。
俺は経験でそれをすぐに悟った。
しかし、俺を直接捕まえない辺り、お金がどうこうという問題ではないらしい。
何かあったのだろう。
白いチャオは、俺が黙ったのを見て、言葉を続けた。
―ボクの飼い主のお父さんとお母さんは自殺しちゃった。
飼い主だけ置いて、車の中でいつの間にか死んでいたんだ。
―排気ガスで自殺・・・か。
俺は少女を優しい目で見た。理由は分からなかった。
少女は何かがはじけたように俺の方に駆け寄り抱きついた。
境遇が同じだと、何かが通じ合うと言う事は、
ここの世界で生きてきてよく知っていることだった。
・atasi視点
あたし、何やってるんだろ。
こんな危ない町に吸い込まれて、自分のチャオに危険なことさせて。
きっと、今あの男がチャオを殴り始めたらあたしは逃げていただろう。
こんな時、何度でもあたしは再認識させられる。
弱い。
そして、今、優しい目で見つめられただけで安心してしまった。
そういえばあのときも、そうだった。
一年前、あたしを見つめた父親と母親の目は、優しかった。
―どっか、出かけないか?
三時間後、あたしがトイレに行った間に、両親の車は消えていて、
山林で二人が排気口に栓をして死んでいるのが警察によって見つかった。
悲しくはなかった。ただ、迫り来る「この後」が怖くてたまらなかった。
そう、それは、あるいは、
ひとりぼっち。
そして、昨日、ついにそのひとりぼっちがいやになって、
ついに親戚の家を飛び出してしまった。
多分、親戚はあたしを捜さないだろう。
あたしのことを「愚か者の娘」とか言っていた、あの人間達は、多分。
でも、「この後」あたしはどうなるのだろう?
そんなことを全然考えていなかった。
―あ・・・あ・・・・。
私は声を出して、男と話をしようとしたが、声が出なかった。
あれだけ優しさのこもった目で見られたのに、
まだ恐怖がとれないらしい。
自分から、抱きついたくせに。
弱いのに加えて私はわがままだ。
「最低」
という言葉が浮かんできた。その通りだと思った。