3A

俺は、亜子を抱えて工場から家へと引き返した。

「ゆー…。」
「やっぱり無理だよ。お前を不幸になんかしたくない。」
「ゆー…。」

亜子は嬉しそうに俺の顔を見た。
俺は黙って笑って彼女を家に置いた。
彼女は泣いているようにも見えた。
それは決して昨日のような涙ではない。
暖かくて、穏やかな、そんな言葉が似合うような涙だった。

「じゃあ、行ってくるよ。」
「うん…。」

結局、俺だけがジャムの工場に行くことになった。
最初入っただけだと、一見普通のロビーにも見えた。
ロビーの向こう側に工場があるらしく、
ロビーではせわしなく男女がそこら中を歩いている。
俺はふと色々なパンフレットがあることに気づいた。

「富裕地域で働く女性募集…ただし一生貧困地域には帰れない。
 …当たり前か。」
「なぁ、そこの男のかた、早く工場で働いてこいよ。」
「ん…?あ、はい。」

俺は帽子を取って軽く挨拶をして、
そのまま綺麗なのか汚いのか分からぬ、ジャム工場へと足を踏み入れた。

……。

見た瞬間にカルチャーショックを受けたのは初めてだった。

赤いピュアチャオが大量に生きたまま熱湯の鍋に入れられている。
悲鳴が聞こえる。鳴き声が聞こえる。やがて消える。
それの繰り返しでマユさえ作らずチャオは形を残したまま死んでいた。
そして、鍋からチャオの死骸がどさりと網に掛けられ、
また、鍋に砂糖などと共に煮詰められ、どろどろの赤い液体…ジャムが、
どんどんと瓶詰めされていた。

「…ひでぇ。」
「ん?何がひどいんだ?生きるためだ。しょうがないだろう?
 じゃ、お前はチャオを熱湯の鍋に入れる作業だ。がんばれよ。」

男は乾いた目つきでにこりと笑うと、
潤んだ生気のある俺の瞳を止めて、そして、肩を叩いた。
俺はしばらく立ちすくんでいたが、
亜子の顔を思い出して、拳を握りしめ、工場の仕事に取りかかった。

チャオは確かに俺の手では生きていた。
俺が抱いた瞬間、チャオはまるで運命を悟ったかのような顔をする。
いや、実際は慣れていない人だから緊張しているだけだろうが―。

俺はこの光景で一瞬亜子を初めて抱いたときの光景を思い出した。
亜子は新聞紙のベットでじっと俺がなす事を見ていた。
かわいらしい目をきょろきょろとさせて、手は覚束なくて、
口をもごもごさせて、俺の手をぎゅっと掴んで、そして…。

…ただ、未来のベクトルは全く逆の方向である。
亜子はその後俺の想像ではおそらく幸せになってきていることだろう。
(いまはかなり落ち込んでいるが。)
…このチャオは…。

俺は心中でゴメンと思いながら、そのチャオを投げた。
チャオは熱湯につかった瞬間急に表情を変えた。
俺は震えた。全身が震えた。
あのチャオが、あのチャオが、信じられない表情を出している。
そして、甲高い悲鳴が聞こえる。

―あぁ、この世界儚きこと。

数秒後、鍋からは音が聞こえなくなっていた。
チャオは目をガッと開けたまま…ぷかぷかと浮いていた。
―その日、俺はその光景を100回見ることとなった。

夕方。俺は給料をもらった。

しかし、その「給料」を見た瞬間俺は愕然とした。

「…ジャム…!?」

「そうだよ、お金よりも価値はあるぞ。食べ物をあげるなんて。
 しかもここの中でも上級のジャムだ。何か文句あるか?」
「…いや…ない。」

俺は失意のうちに、家に帰った。
亜子は何を言うだろうか。
…いや、彼女は優しいから何も言うことはしないだろう。
ただ、彼女はその代わりジャムをもう二度と口にはしないだろう。
そして、日を追うごとにどんどん衰弱していって…。

俺は家の前で立ち止まった。

深呼吸をした後、その家に足を踏み入れた。

ふと、そこで、俺は気づいた。これが運命なんだと。

亜子が生きていくという運命を支えるくらいの力が、
俺の運命には、無かったのだ。

それはまるで、悲鳴を上げて死んでいったあのチャオのように。

俺たちは…



亜子が衰弱死したのはその三日後だった。

(end 2)

このページについて
掲載号
週刊チャオ第300号
ページ番号
8 / 17
この作品について
タイトル
JAM
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
週刊チャオ第300号