1 +α
しかし、…しかし、何かが二人には見つかっていなかったようにも俺は思えた。
亜子にはそれがもう全部見つかっているらしいが、
俺には何かが…何かが見つかっていなかった。
…俺は少し息をつく。ため息にならない程度に。
そして、窓の外、決して心地よいとは言えない風を浴びながら頭を出した。
窓の方向、見たのは、皮肉にも、『東』の方向。
東の世界は、同じ国であったはずなのに、違う世界であった。
名は「東京富裕地区」。
水は整備され、森もあり、木の家が並び、子供は勉強をして、
男女は綺麗な衣服を身にまとい、自治は安定していて、
それ以上に、食べ物は綺麗で、お金の金が太陽光線に反射して…。
夢だった。夢である。あの世界は。
亜子も、密かにその世界を夢見ていた。
俺は亜子が「全部見つかっている」というのはそう言うことだと思った。
その全部見つかっているという内容は、あきらめでもあり、
夢が結局夢のままである…と言うことだと思った。
「…なぁ。」
「うん?」
「亜子、お前さ、もしも俺が富裕地区の人間だったら…どうする?」
俺はヒーローカオスチャオを膝に抱いた亜子にきいた。
そして、今までじっと見たこともなかった亜子を改めて確認する。
黒い大きな猫目、肩に触れる程度の髪の毛、小さいチャオを抱く小さい手。
確かに、亜子だ。
そして、その亜子は少し苦笑いをして、
「そっちの方が良いけど、どっちでも良い。」
「…そうか?」
「うん…富裕地区は夢だよ。夢だけど…やっぱり、ただの夢なんだよ。」
「それは、あきらめか?」
「…違う。自分の寝ているときに見た夢のような感じ。言葉じゃ説明できないよ。ムリ。」
「ムリ、か。そうだよな。悪い悪い、ちょっときいてみたかっただけだし。」
「ゆー(俺のことをこう呼んでいる)はどっちが良いの?私が…だったら。」
「俺が…かぁ。」
俺は亜子を見た。ヒーローカオスがふわりふわりと膝の上で踊っている。
亜子自身は窓からの斜陽の橙の光に照らされ、瞳に潤いを保っていた。
彼女が富裕地区の人間だったら、どうなるんだろうか。
今よりもっと自由に、こんな俺を好きになる必要も無かったのではないか。
俺はお互いが好きなんだろうな、とは思いつつも、ある一点で疑心暗鬼になっていた。
亜子はあのとき俺を無理に好きになろうとしたのかもしれない。
それは結局成功したが、もしかしたら俺より好きになれた人はいくらでもいたのではないか。
もっと大きな成功を手に入れたのではないのか…?
今の亜子でなければ俺は亜子と一緒になんか、なれなかったのではないか…?
「俺は…『今の』亜子じゃないと嫌だな…。」
「…そう?…へぇ…へへ。」
亜子は笑って上目遣いで俺を見た。
多分、今二人の解釈は違っているだろう。
亜子は今の自分を心底好いてくれていると思って嬉しくなったに違いない。
勿論、俺は違っていた。…
楽園という物が、あるならば、俺は幸せなのだろう。
俺にとっての楽園とは人が一つの運命しか持ち合わせていないと言う楽園。
亜子と共になるのがお互いに決まっていたことだと感じられる楽園。
でも、楽園なんて無い。
少なくともこの街には。 この世界には。
……。
俺はまた亜子を見る。
亜子はチャオが大好きだった。俺と同じくらい、いや、それ以上に好きなのかもしれない。
暗い部屋にいても俺の居場所より、チャオの居場所の方が良く分かった。
(まぁ、ヒーローカオスは全身かすかに光っているので分かるのは当然なのだが。)
窓の外が暗い。夜になりかけている。
「もう夜か…。」
そう言えば外から聞こえる声も少なくなっていた。
亜子は俺を見て笑顔で「夕食にしようか」と言った。
その手には製造主も原材料も分からない赤いジャムがあった。
貧困地区で最も格安で売っている。何故か。分からない。
何で出来ているのかは一部の人間しか知らない。
味は甘い。苺の味ではないが、かすかに苺のような感じもする。
亜子も俺も好きではなかったが、いつの間にかこれしか食べれなくなっていた。
ビタミンも炭水化物もタンパク質も糖分も、このジャムにはあり、
第一貧困地区が貧困地区で、一番豊かになっている要因がこれでもあるのだった。
「ジャム、もう慣れたよね。」
「飽きないのか…お前は。この味に。」
「慣れたの。もう飽きるとか飽きないとか、あまり思わないかな。」
「お前は幸せなヤツだな。」
「なにそれ?…でもそう、いま私は幸せだから…。」
「ふふ…なんで?」
「…きかないでよ。分かるくせに。」
亜子は笑う。俺も笑ってジャムに手を伸ばす。
Inborn,Past,Yesterday,Today,Tomorrow,Furture,…
ジャムをむさぼりながら生きてきたこの25年間。
そして、ジャムをむさぼりながら生きるこれから、since today afternoon…
亜子と俺はジャムと共に、生きていく。
いつまでも、生きていく。…