第一章 「不幸な兄妹」2
「ちゃおー」
家に帰ると、いつものようにオニオンが玄関でちょこんと座りこんで僕たちを出迎えてくれる。その鳴き声はいつも「ちゃお」だから、この生き物はチャオという名前が付けられたのかもしれない。
「ちゃお?」
そんなことを考えながら彼をじっと見つめていると、疑問符付きのぽよ(彼の頭の上には黄色をした丸くて柔らかそうな球が浮いている)を強調しながら、おにおんは「うん?」といった感じで僕たちを見つめてきた。
「……あ、あぁ、ただいま、おにおん」
頭を撫でる。
すると、今度は不思議なことに先ほどまで疑問符形を作っていたぽよが急に成形しだし、あっという間にハート型へと変化した。確かにぽよが空中に浮かんでいることからして不思議といえば不思議なのだが、この生物はいろいろと不思議な性質を持ち合わせており、多くが謎に包まれている生物だという。
「あはは、おにおんかわいい」
胡桃がその様子を見て手を叩いて喜ぶ。
不思議なのは確かだけれど、その気持ちを知るのはとても簡単な生物だ。喜んだときにはこうやってぽよをハート型にすることもあれば、たまに俺の脚が彼にぶつかってしまうとその形はぐるぐる巻きをしたものになる。分からなかったことがあると、はてなマークにして、驚いた時には素直にびっくりマークを作る。面白くて、愉快で、可愛らしい生物を買ってきたもんだな、と僕はつくづく思う。
この村はいつも平和だ。いや、正確には平和だった、か。
僕たちのいる世界は本当は緑色と青色に囲まれているはずだった。緑色の草原、森、山、そしてその穏やかな色をしたような人々の心。青色の空、川、海、そしてその清々とした青色のような空気。
だが、いつの間にか赤色をした鉄が発見されて、赤色をした人の血を流すような戦いが数多く起こるようになってきた。人はそれを戦争といった。戦争はやがて巨大化し、長期化し、普通の生活を営んでいた人さえもむしばみ始めていた。この村も同じように、その逃れられない渦に吸い込まれていくかのよう、戦争色に確実に染まっていた。
ナイフが売れる。銀色の冷酷な色をしたナイフが、たくさん売れる。そしてそれは赤色を吸収し、あざ笑うかのようにまた振り下ろされる。誰かを守るため、自分を守るため。誰かを殺すため、自分を殺すため……。
「また考え事?」
後ろから声がした。
「おにぃはいつもそんな感じだね。毎日そんなこと考えていたら頭がパンクしちゃうよ?」
「パンクしない程度にはしているさ」
苦笑いをしてそう答える。相変わらずの心配性だが、彼女の声は自分の不安げな考え事を一時停止させてくれるので助かった。
僕はすっとイスから立ち上がると、ドア横にある灰色の石でできた貯水所に行く。ちょろちょろと、水が木で出来た管から出ていてそれは干からびることが無い。ちょうど山水から通してあるので、夏でも冷たい。コップを二つ棚から取り出し、ちょろちょろと出てくる水をそれで受け止める。と、と、ととととと…、と満杯にして、机の上に置いた。
「ありがと」
「暑いからな。倒れてしまう前に水分だけは補給しておかないと」
「うん……。あ、おにぃ」
水を一口二口飲んで彼女はふと僕に問いかける。
「何?」
「なんか、ね。近くに住んでいるフーおばさんが言ってたんだけど、勇者様がここに来るって話、知ってる?」
「勇者様って、どういうこと」
初耳だった。
勇者様、とは誰なんだろう。いや、それ以前にそんな勇者と言われるほど有名な人間の存在を聞いた覚えはない。
「おにぃは知らないの?勇者様」
「言葉では聞いたことあるけど、……そんな風に呼ばれる人間は聞いたことない」
「へぇぇ。いや、あたしも名前までは知らないんだけどさ」
「……」
ここの村のことを人々は何故か「始まりの村」と呼ぶ。それと何か、関係があるのだろうか。
僕は冷たい水を一気に飲み干す。そしてコトンとそれをテーブルに置くと、俺は外に出ようとする。いつものごとく、胡桃も一緒に行くということで彼女は付いてきた。
外は相変わらず熱かった。暑いという表現はもはや合わないようであるほどだ。燦々と揺らめく太陽が真っ白なカクテル光線を地上のモノすべてにふりかけているようであった。時より吹いてくる風がやけに生暖かい。
「暑……」
うだるような気温で胡桃はそうつぶやいた。
「今日は隣町までチャオのえさを買いに行くから、辛いようなら家で休んでいてもいいんだぞ?」
「ううん。今日は自分も隣町に用があるから……」
「あぁ、そう」
胡桃の言う用事とは多分言い訳だ。強がらないで普通に家に帰ってぐったりしていればいいものを、彼女は僕が隣町に行くたびについていこうとする。
自分たちの棲んでいる「始まりの村」から隣町の「オーの漁港町」は大体往復10kmくらいあり、歩いて行くには少々きつい道のりである。それまでは森も山もなく、いたって平坦な草原道だから良いのだが、やはり距離の長さは胡桃にとっては苦痛であろう。
あぁ、そう、とそっけなく言ってしまったが、やはり時々くらりとする彼女を見ると心配せずにはいられない。
と、丁度目の前に大木が木陰を作っているのを発見したので、僕らはいったんそこで休むことにした。