第一章 「不幸な兄妹」1
最近、ナイフの売れ行きがいい。
老若男女、みんながこぞって買いに来る。
確かに、売れてくれる方が自分としてはありがたいのだが、理由が「戦争が近付いている」ということを考えると、僕は何とも言えない感情になる。
ちょうど、幼い女の子が「ナイフちょうだい」と言って、しわしわの紙幣を僕に差し出してくる。僕はいつもなら「そんなもの、君が買うべきものではない」と言うだろう。今は、出来ない。例えるならば、このナイフのおかげで少女の命が助かることもあるのだ。
こんな小さい年から、彼女は血を知り、敵というものを知り、この世界のどうにも抗えない何かを知る。子供のころだけでも、僕は素敵なこの世界の一部分を見せておきたかった。大人はそうするべきだ。だが、彼らはできない。人は、……できない。
「はい、お釣り」
「ありがと、おじちゃん」
彼女はニパッと明るい笑顔で僕にそう言うと、すたこらと平和そうな町の広場に駆けていった。
「自分、まだ二十歳の若造なんだけどなぁ」
杞憂になる僕の性格が災いしたのか、最近顔色が悪いと良く周りから言われる。
たまに物事を良く知り得た老人がやってくると、静かに「お前が作っている道具は人殺しのために売れているわけじゃない。自分の身を守ってくれるというお守りのように買われているんだ。そんな自分が考えなくてもよい」と諭してくれる。
たまに若い女性がやってくると「ナイフはまだ鶏肉作るときにか使ってないからさ、そんな落ち込まなくていいんだよ!」と励ましてくれる。おすそ分けに鶏卵を3つもらったこともある。
でも、僕が考え込む理由はそれだけではない。
「えまのん!」
「わっ」
急に目の前の光が遮られた。
えまのん、と僕を呼んだ少女はにこりとした顔で僕の方を見つめてくる。
またか……、と想いながら僕は口を開く。
「郁かよ…なんだ?何のようだ?」
あからさまに邪険な態度を示されたことに対し、彼女はその笑顔を崩さない。
「別に来たっていいでしょう?晴れた日はバザーに買い物に来る。これが、この〈始まりの村〉で住んでいる住人達の行動パターンじゃない」
「…だとしても、だ。お前が来ると、正直迷惑だ」
僕はそう言い放つ。郁はそこで初めてその笑顔を崩すと、俯いた。
そして、地にも通るような低い声で一言言葉を絞り出した。
「ふうん、そんなに〈夫婦ごっこ〉が楽しい?」
「……!」
彼女の言った言葉に、僕は過剰に反応してしまう。彼女がそういう「喩え」を使って何をいわんとしているかは大体わかっている。
彼女の名前は郁という。僕の住んでいるこの村に同じ年に、同じ日に生まれた幼馴染と言ってもいいだろうか。今の言葉の掛けあいからは想像できないかもしれないが、僕と彼女は昔から仲が良い友達として村の住人から二人一緒に可愛がられてきた。
村の近くにある山や、丘や、川など、いろんなところに遊びに行く時には必ず二人で行った。どちらかが病気などで欠けてしまった時には行くこと自体を取りやめにしていた。
そういった態度が急変したのは、彼女の言う〈夫婦ごっこ〉が始まった時からだった。事あるごとに僕のところに立ち寄っては嫌味な言葉を吐きかけて立ち去って行くようになった。
今日も、同じように外でバザーをしている僕のところに明るい態度で訪ねて来たかと思えば、邪険に追い返す俺に対して彼女はいつものように……
「おにぃ……?」
その時、後ろから聞こえてくる声が耳に入って来た。僕はふっと後ろを振り向く。ナイフを丁寧に紙に一つ一つ包む作業を終えたその少女はそれをバスケットに積んで、バザーをしている僕のところに持ってきてくれたらしい。
だが、彼女のまなざしは僕のほうに向いているようではなかったようだ。彼女の視線は……座っている僕の頭上を越えて、目の前に佇んで僕の店に影を落としている女性のほうにそそがれていた。
「胡桃ちゃん、こんにちは」
「……何しに来たんですか?」
僕と同じように邪険な態度を示した彼女に対して、郁はクスッと笑う。
「買い物以外に何かあると思う?それに、買い物客に対する態度が悪いと思わないの?あなたって本当に〈お兄ちゃん〉がいないと何にもできないのねぇ」
そう言われた胡桃はその厳しい視線をさらに強める。バスケットをもっていない右手が握りこぶしで固くなっているのが分かる。彼女は普段は穏やかな性格のはずだが、どうやら郁の発言でどうしても胡桃の琴線に触れるワードがあるらしい。
……いや、あるらしいというか、あるのだ。
それは普通なら何の変哲もない言葉。だが、僕たちにとっては、タブー。
「……帰ってください」
胡桃は至極冷静な口調でそう言い放つ。
「嫌だ、って言ったら?」
「なんで嫌なんですか?」
「商品を見たいからに決まってるじゃん」
「そうですか。でも、残念だけれどもあなたに見せるような商品は無いですから、お引き取りください」
「嫌だ」
「……早く帰って」
引き下がろうとしない郁に、胡桃もついに丁寧語を使うことをやめる。
バスケットにあるナイフでも取って刺しにかかるくらいの怒りのオーラというものが僕の髪の毛をちりちりと揺らす。
「だからさ、そんな口調は買い物客には……」
「帰って!」
胡桃はそう叫ぶとバスケットを思いきり地面にたたきつける。紙に包まれたナイフがバラバラと広場に散らばる。周りで他の店を回っていたバザー客が一斉に僕たちのほうを向いた。
その好奇の視線と、胡桃の怒り狂った態度にさすがにの郁も気まずさを感じ、それ以上言うことをあきらめてさっさと他のほうへ向かって行ってしまった。
「……ごめんなさい」
身長が低く、細身の体をもつ彼女の体がまた一段と縮こまってしまう。僕は気にするな、という意味を込めて優しく頭をなでてあげた。
胡桃は僕より四つ下の十六歳である。そして、僕との関係は、夫婦だ。もしかすると、この世界に定義されている「別の関係」があるのかもしれないが、僕たちはそんなことは関係ない。僕たちがそう分かっているものが一番正しいことであると思うし、世界がそう決めているからって別に必ず従わないといけないとは限らない。
もちろん、従わないとある程度の苦さを味わうことにはなるのだろうが。
「胡桃、そろそろ露店会場から出て、家に帰ろう」
「もういいの?」
「ナイフはすぐに完売してしまったし、僕も考え事をするくらい暇になっちゃったしさ。悪いな、せっかく家からそんな重たいものを持ってこさせておいて」
「あ、うん、良いよ。これは自分で持っていこうと思っただけだから」
「そうか。〈おにおん〉は元気か?」
僕はそう尋ねると、胡桃は「相変わらずだよ」と首を縦に振った。
〈おにおん〉とは僕らのつけ名であり、本当の生物名は「チャオ」というものらしい。頭の形が玉ねぎに若干似ているので僕らはそう名付けている。体は頭よりも小さく、手足がそこから短く伸びている。体は全体的に青っぽいのだが、手足の先は緑→黄色とグラデーションがかっている。胡桃がまだ小さかったころにねだられて隣町のチャオ・ショップで買ってきたものだ。
僕は全ての片づけを終えると、村の端っこの方にある自分たちの家へと向かった。