Des-Dur.Theme【とあるRPGの軌跡】

 最近、ナイフの売れ行きがいい。

 老若男女、みんながこぞって買いに来る。
 確かに、売れてくれる方が自分としてはありがたいのだが、理由がいまひとつ、ぱっとしない。護身用かな、と思ってみても屈強な格闘家もナイフを買っていくし、料理ブームかな、と思ってみても小さい子供が「ないふくだちゃい」と言ってお母さんのお小遣いで買っているところを見るとそうでもない。ただ、さすがにそのときは、僕は少女を諭して、違うものを買うように言ったのだが。
 嬉しいのだか……悲しいのだか……そんな、ケーキにタバスコを塗りたくったようなインバランスな感情が僕に迫ってくる。
 ナイフは使い方一つでは人を殺めるのさえ簡単だ。俺は金銭至上主義ではない。売り上げが上がったからと言って単純に喜ぶような野暮な男ではない。

 俺はナイフ専門店を経営している、ごくごく普通の自営業者だ。両親はいなくて、幼い年の離れた妹が一人いる。年の離れた妹がいるのだから両親は少なくとも物心ついた後も生きていたはずなのだが、なぜか俺はその姿を思い出すことはできなかった。
 妹は、俺が二十歳の頃、今は廃業した養育施設にいたところを引き取った。当時は彼女は十歳だった。今は中学生……であるべき年齢なのだが、残念ながら相当重症の「おこもり」になってしまったようで、外に出ることを極端に嫌がる。友達もいないようだし、恋人もいないようで、兄としては少し心配だ。

「おにぃ」

 入荷してきたナイフの製品チェックをしていると、ふと背中からいつもの呼び声が届いてくる。そして微かな温かさが俺の肩から背中を包んできた。
 思春期の妹らしく兄貴を少しくらい嫌がるしぐさをしてみてもいいと思うのだが、妹はいつまでたってもこの子供っぽい呼び名を捨てようとしない。

 このショップの隣で雑貨店を経営している友人に妹のそのような仕草を聞いてみると「それは〈ブラコン〉って言うんだぜ、うらやましいなぁ、おい」ということだが、自分としてはあまり好ましくない。将来結婚する相手が見つかった時に困るのは妹自身なのだから。
 多分、友達がいなかった妹の事だから、そういう兄貴とかの悪口を聞いて影響を受けなかったからだと思う。彼女の体の変化についての相談も全部俺が乗ったし、この世界についての話もほとんど俺を通じての事だった。だから、どこかで彼女は常識的な何かを落として、そのまま忘れてしまったのだろう。
 変えなければいけないことは従順承知している。だが、方法も分からないし、例え変えようとしたところでやり方を間違えたら逆に彼女を傷つける恐れもある。もしかすると、もうすでに手遅れなのかとさえも——

「おにぃ、また考え事?」
「…あぁ」
「なんか考え事する理由でもあるの?最近ナイフかって良く売れていて、あたしのお小遣いもいつもの三倍にしてくれたのに」
「いくらでもあるさ。人間、考え事なんて作ろうと思えばいくらでも作れる」
「ふぅん……でも、そんな調子だといつか爆発しちゃうと思うけど?」
「大丈夫、爆発しない程度にしておくさ」
 俺はナイフの製品チェックを終えると、イスから立ち上がり、うーんと伸びをする。グキグキと背中や肩の骨が鳴り、血液が改めて通り始めていることを感じつつ、部屋から出る。  
 リビングでは妹が用意したオムライスが二人分、エアコンのつけすぎで若干肌寒い部屋の中で、湯気を出しながら机の上で俺を出迎えてくれた。お気に入りのナイフのデザインなどを見定めているうちにすっかり太陽も真上まで登る時間となってしまったようだ。

「オムライス、初挑戦だけど、どう、上手く出来ている?」

 振り向くと、妹がくすりと笑いながら僕の方を見ていた。妹は、俺が料理をしているのに感化されて自分もやりたいと言い出して、つい一年ほど前から始めた。今では十年以上長く生きていた俺よりもその腕前を伸ばしつつある。
 テーブルの椅子に腰かけ、スプーンでその黄色とオレンジのコントラストをすくい出す。口の中に入れると、ふわりとした触感と絶妙なケチャップの味がきいたライスが僕の下を思う存分踊りまわる。素直に、おいしい。
「……おいしい」
 一言そういうと。口に手を当てて、微笑みながら、
「ありがと、おにぃがそう言ってくれるからあたしは頑張れるんだよ?」
 と返してくる。
 ハハ……ま、確かに、可愛いけどな。こう言ってくれる妹って。
 隣に住んでいる友人にも妹がいるが、お前うぜぇ、とか、クソ兄貴、とか、なんであんたの妹として生まれてきたんだろ、など散々なことを言われては、落ち込んで俺に「どうすれば妹になついてもらえる?」とよく相談してきたものだ。今は彼の妹は都会に出てメールさえもしてくれないらしいが、そんな関係よりは俺たちの方が数倍マシなのかもしれない。

 俺はオムライスをすぐに完食すると、財布とケータイを持ち、イヤホンを耳につける。夕食やその他生活用品の買い出しに。妹はついてこない。ついていきたいと言うのだが、玄関でいつもそわそわと立ち往生しつつ、じっと俺の目を見つめるのが習慣になっていた。どこか不安げで疑惑を向けられた眼差しは一体何を意味するのだろう……分からない。
「いってらっしゃい。早く……早く、帰ってきてね」
 ——早く——を強調して、妹は小さく、手を振った。


 外に見える世界を妹は殆ど知らない。

 例えば、今、俺の目の前に見えている世界。
妹も、景色だけなら窓から良く見ているかもしれない。灰色のコンクリ。アズール色の空。どこか色を帯びた濁った白の雲。少ない緑。点々と見える赤。黄色やオレンジは……残念、妹の好きな色だが、ほとんど見当たらない。
 雑然としているのに孤独で寂しい雰囲気を醸し出す大通り。賑やかなのに、鬱蒼とした気配を取り除けない商店街。この下町は、喜も怒も哀も楽も混ざり合い、喧嘩して、衝突して、緩衝している。どこからともなくやってくる悪魔と天使も、杯を交わし、騙し、助け、愛して。

 最後にはみんな、消える、世界。

 見せてやりたいことはたくさんある。……見せてやりたくないことも、たくさんある。
 妹はあのままで幸せなのかもしれない、とも思う。
 自分が縛られてしまった一つの慣習とか、建前とか、常識とかを、妹は知らなくても、受容しなくても、笑ってああして生きていられれば、それでいいのかもしれないとも思う。

 俺は大通りを歩きながら、いつもの商店街を目指す。
 何台もの車が、青色で示された「○○ ○○km」と書かれた看板の下を、通り過ぎていく。灰色の道を、灰色の煙をもうもうと出しながら、灰色の顔をした人間が決まり切った運転方法を順守して。
 仕事に行くのだろうか。
 旅行だろうか。あぁ。恋人どうしかもしれない。
 犯罪?誘拐でもしてたのか。強盗殺人をして逃走中なのかも。
 いや、はたまた、家で破水した奥さんと、これからこの世に生を授かるであろう子供を後部座席に乗せながら、必死に前をにらんで、急ごうと、でも、急いで事故を起こしてはならないと、感情をぶつけ合わせて運転している夫かもしれない。

 でも、俺にはみんな、灰色の人間にしか見えなかった。

 妹にも、そう見えるだろう。
 彼女は孤児院で苛められていた。
 理由は、弱かったから。
 優しい孤児院の人達にお世話になりすぎて、不幸な境遇を痛いほど味わった、他の子供たちにうとまれてしまったのだ。みんな平等なのに、あいつだけちやほや。弱いから、きつい仕事はしなくていい。ゆっくりと陰で冷たいお茶を飲んでいればいい。
 妹には到底言えないけれど、彼らの気持ちは、俺にも分かる。
 この世界の、平等とか、常識とか、変な知識かもしれないものをごくごく当然のものとして嫌というほど、受容することを強要された、俺には。
 そして、彼女はその後、俺に引き取られた。病気は精神的なものもあったのかもしれないが、俺と暮らしていくうちに、その寡黙は回復に向かった。だが、大きな傷跡はその心に残ってしまった。

 ——あんまり考え事をすると、爆発しちゃうよ。

 先ほどの妹の発言が思い返される。俺は情けないくらい、考え事をしないとやっていけないし、他の人かって、なんだかんだいっていろんなことを考えて、悩んで、あれれ、こんな程度か、と安堵して、また考えもしなかったことを考え事にしてしまって……。
 妹も、同じはずだ。

 ——あいつはどうして考え事をしないのだろう?

 その質問に、俺はすぐ答えることができた。

 ——知らないのさ。あいつのいる狭い世界より、素晴らしくて、醜い、この世界を。

「やっほー、えまのん」
 大通りを抜けて、商店街に入ると突然、考え事を強制終了させてしまうほどの大声で後ろから呼ぶ声があった。
 名前を郁という。俺より背は低く、妹よりは高い。髪の毛はストレートに伸ばした茶髪で、スタイルはまぁ良い、可愛い顔をした俺の妹分。妹ではなく、妹分、だ。
 この商店街で商店を経営している父親の娘で、自分よりはだいぶ年下の十八だ。確か、今年から大学生のはずだが、幼心が抜けていないというか、無邪気というか、天真爛漫な目をして俺を見つめてきた。
「……恥ずかしいからさ、いい加減やめてくれないか?」
 俺がそういうのは、自分の呼ばれ名。
 昔、俺はこいつから本名で呼ばれ続けていた。でも、本名は何となく恥ずかしかったので、「no name」という「名前なし」を意味する言葉を彼女に提案した。でも、彼女は頭をひねったようで、そのアルファベットを逆さにして読むことのできるローマ字を考えついてしまった。「emanon」つまり「えまのん」という名前に……。
 想像していた以上に響きが乙女チックで、しかも幼児っぽい。これを彼女はどこそこ構わず呼びまくる。えまのん、えまのん、えまのん……。
「頼むから、これからは本名で呼んでくれてもいいから」
「やだね。えまのん、めちゃくちゃ気に入ったし。えーまのんっ、えーまのんっ」
「……おまえなぁ」
 俺ははぁと息をついてあきらめる。後数年もたてば三十路になる男が、こんなガキ臭い奴の相手をいつまでもしているわけにはいかない。
 妹が待っている。早く帰って来いって、ずっと玄関にでも立っている。
 早く、安心させないと、早く、彼女にこの顔を見せないと。
「あ、そうだ、胡桃ちゃんはやっぱり……?」
「……?」
 分かり切った質問をすると思って、俺は無意識のうちに、口を開く
「相変わらずだよ。あいつはあれからも外に出ようとしない。俺たちの家だけが唯一の世界のように、思っているみたいだけどな」
「ふうん……そうだよね。前、えまのんの家に遊びに行ったときに」
「あぁ、〈あの時〉は悪かった」
「気にしてないよ。胡桃ちゃんには心底嫌われちゃったけど、自分も悪いことしたなぁって反省しているんだ」
 
 彼女の言動に「もういいよ」と首を振り、手のひらを彼女に向けながら、そうして腕時計を見る。時計の針はちょうど一番暑さがひどくなる時間、午後二時を指していた。
 そういえば、郁の恰好も夏らしく薄着になっており、彼女のスタイルがより綺麗に映える。多くの男は視線を離すことができなくなるかもしれない。
かくいう自分の方も、今日はTシャツ一枚にハーフジーンズとサンダルで、デザインとかというより、もう涼しさが欲しいというような、感じでまとめていた。
 商店街のコンクリの地面から蜃気楼が出ている。アスファルト特有の乾いた匂いと、夏風の湿った空気が僕の全身をつく。汗となり、光となり、それらは僕の体を覆う。水がぽたりと道に落ちたかと思うと、それは一瞬黒い闇を作るが、すぐに蒸発し、何事もなかったかのようにたたずむ。
 少し、郁との話に時間をかけすぎてしまったようだった。それを告げると、「ごめんごめん」と言って彼女は手を振りながら商店街の外へ歩いていく。カレシと街を探索して歩くという。
 俺はベージュ色の目立たない買い物袋をカバンから取り出すと、食料品店が立ち並ぶ区画へと足を運ぶことにした。夕食のための材料を細かく書き記したメモを左手に持って、ぶらりぶらりと、特に何も考えず、その人ごみの中をさまよった。


「——遅い」

 エアコンの空気が多少入り混じり、涼しさを感じさせる玄関で、一段と冷たい目線を俺に向けながら、胡桃は立っていた。
「途中腹痛起こしてさ、ちょっとコンビニの便所で耐えていた」
 嘘も方便とはよく言ったものだ。俺の弁解を聞いていた胡桃は、「まぁ、それなら、しかたないけどさ……」と呟きながらも、しぶしぶ俺の帰りが遅くなったことを認めてくれた。
 買い物袋をいったん玄関にドスンとおろしたあと、すぐにキッチンの冷蔵庫に買ってきたものを入れておく。
 リビングに戻ると、クーラーの風がふわりと空中を揺らめく。そうして、最近、ばっさり切り落として丸坊主にした頭を撫でた。居心地の良い世界に戻ってきたことを実感する。
 胡桃は冷えた麦茶を綺麗なデザインのガラスのコップに注いで、ことん、とテーブルの上に置いた。
「ありがと」
「どういたしまして。おにぃ」
 そう明るく笑うと、彼女は夕食の下ごしらえを済ませようと、キッチンの方へと向かう。


 ———…グゥ……ォン…グァン……—


 そんないつもの風景が一つの音によって、固まった。

 最近では聞きなれた——鐘の声。

「あ、おにぃ、不思議の鐘だよ」
 妹は台所から声だけを俺に届けてくる。
 彼女がこの鐘の声を「不思議の鐘」と呼ぶ理由には二つある。一つはその音色である。中世に作られたかのような、決して綺麗で澄んだ音ではない、ある種の古めかしさを感じさせる響き。誰かが人々全員を見つめているような、荘厳さと権力性を持ち合わせた重みのある振動——この世とは思えない、鐘の声だった。
 そして、もう一つの理由。

 この街のどこにも、こんなにはっきりと音を響かせる時計塔が無いからだ。

「おにぃ、今日は何を……食べ……る………の……?」

 駄目だ、妹の声が届いてこない。

 だんだんと自分の三半規管が浸食されているような、そんな気分だ。
 俺は妹にもう一度俺への質問を言うことを要求しようとする。

 だが、今度は口が全く動かない。

 突発性発作が起こったかのように、俺の五感はすべて、ぐるぐると渦巻かれた混沌に吸い込まれてしまいそうだった。

 かねが鳴ると、いつもそうだ。

 あたまをかかえるほどのずつうがオレをおそう。

 なにもかんがえられないようにしてしまう。

 あぁ、わるいな…くるみ……ハナシはまたあとできくから……

 いまは、ねむらせてく…れ……——

 ……——


Des-Dur.Theme【とあるRPGの軌跡】 兄妹編

 第一章 「不幸な兄妹」
  第二章 「逃げ惑う兄妹」
   第三章 「たった一人の兄妹」

このページについて
掲載日
2009年8月4日
ページ番号
1 / 4
この作品について
タイトル
Des-Dur.Theme【とあるRPGの軌跡】
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2009年8月4日
最終掲載
2009年8月16日
連載期間
約13日