第一夜 3
——道なき道を進んでいく。
光の種族に位置がばれないようにする、という意味もある。
だが、そのおかげで、俺は帰ってくるたび、いつまでも木が続いているのではないのか、という不安に駆られて仕方が無くなるのだ。
だが、今回も、いつものように前方に黒い木で出来た門が見える。
「ふう……」
門の横にあるレンガで出来た小屋。
木製の窓をこんこんと叩くと、今日は若いひ弱な女が顔を出してくる。
黒いフードを頭まで被らず、その綺麗な髪の毛が頭の上をさらりと流れている。
ただの怪しい魔女にしか見えないが、これでも俺と元同級生である。
そして、この病院で夜勤担当の医者でもある。
「お帰り、お二人さん。こんな時間に帰ってくるなんて」
「あぁ、それは——」
「よくあることだからね。怪我はないのかい」
外見に似合わず、心地の良いアルトで俺たちを心配してくれる。
さり気に、先輩に敬語を使っていないのだが、巧先輩もそんな細かいことを言おうとはしなかった。
「今日は、ゆっくり身体を休めたほうがいいですね」
「あぁ、そうだ。今回の少女、脚がやられている」
「そうですか。速達コウモリ飛ばして、すぐに後退の門番をつけます」
そう言うと同時に、ギギギと重そうな両開きの門が開く。
おかえりなさい、という声を後ろに聞きながら、門をくぐる。
森の中にあるとは思えない開けた場所にヨレンダの街はある。
先ほどのように意味もなく大量の光を放出することもなく、うすぼんやりとした灯りが各々の家から染み出してくるだけだった。
『似ています』
五年前、夜更けにこの町に辿り着いた時、彼女はふとそんなことを口にした。
星空と雪が融合する不思議な日だったから、よく覚えている。
『この街は、寒そうで、暖かそうです』
* * *
「ハハハハハ、手術は成功した、手術は成功したぞっ!」
手術室の扉が開くなり、医療器具を片手に持った女医姿の女が飛び出してくる。
先ほど小屋で見かけた女である。
一人廊下で手術を待っていた俺に満面の笑みを浮かべてくる。
そのあとに続いて、先ほどの少女がてこてこと歩いてくる。
何やら不安と恐怖と裏切られた感が混ざった変な表情をしている……仕方ないのだけれど。
「美月、……さっさとその片手に持っている器具を台に戻してこい」
「あー、でも、今日の手術は楽勝だったわね、つまらない。カットバンを蹴っ飛ばすくらい簡単だったわー」
「——結構、難しかったんだな」
美月は俺の言葉を無視して、手をうねうねと動かし、うすら笑いを浮かべる。
「もっとさ、こう、ずぶとい注射をズブっとして、生理用食塩水で身体の中をぐりぐりともてあそんでみたいわぁ」
「おいっ」
「あぁっ、でも、そんな医療行為、ズブっとヌメッとなんてダメよ。エロい、エロすぎるわ。そんな行為を清純な病院の中でするなんて破廉恥すぎる!」
訳の分からない言葉でかたかた震えている少女を見て、俺が注意しようとするのだが、どうやら聞く耳を持たないらしい。
声も綺麗で、容姿は端麗、グラマーな体で病院に入院する男たちを虜にする彼女は、名前を美月という。
普段は気立てが良く、優しい性格で子供たちからも人気があるのだが——
ただ、どうも医療器具を持つと、性格が無意識のところから捻じ曲げられてしまうようで、手がつけられなくなる。
「妄想好きな大きなお友達のみんな、元気ー! 医者のお姉さんと楽しくお歌(嬌声)を歌いましょうねっ! 続きはWebで登録を済ませてから正しいパスワードを入力して入室してねっ。——なお、会員料には49,4$掛ります」
「……お、お兄ちゃん」
「そうだね。もう行きましょうか」
きゅっと俺のローブを掴んでくる少女2367。
俺はすべてを分かってる、といった表情で、黙ってその手を握って、場を後にしようとする。
「どこへ行こうというのかね?」
肩を掴まれた。
「お前はもっと、あれだ、医者としての自覚を持て。自分のカラダを今から分解させられる患者の身になってみろ。お前は自分の力で人のいのちが左右されるという自覚が足りないんだよ」
「自覚?」
「そうだ、自覚だ」
その瞬間、美月は手に持っていた銀色のメス……の形をしたボールペンを俺に突きつけてきた。
「Don't try to be a hero!!」
「は?」
「ヒーローなんて割に合わない職業なのよ。こうやって幾度も幾度も真夜中に駆り出されるなか、自分がヒーローだから、と想って自分の意志を固められる人間が居たら素晴らしい馬鹿か、ただの真面目ちゃんね」
——ダメだこいつ。
と、彼女の気づかない角度から、パキパキと指を鳴らしているナース服に身を包んだおばさんが立ちすくんでいた。
「幼稚園のころから医者になるためにお受験お受験、ウサギよりも象は小さい、○か×かという難問を突破し、郊外にあるもっとも有名な医学学校に——」
「美月」
「何?まだ話は」
「後ろでナース長がメンチ切ってる」
「……あ」
左手に「夜中の騒音注意!」と書かれた広報を持って、つかつかと美月に歩み寄っていくメガネをかけたナース長。
逃げようとする彼女の首根っこを掴み、あっという間に手術室の中に引っ張り込んでいく。
がちゃんと扉が閉まり、何故か手術室のランプがついた。
「ぎゃぁー! ソイレントシステムは嫌ぁ! リアレンジはいやぁぁぁ」
「……行きましょうか」
俺はただただ戸惑う少女を病室まで案内した。
——緊張に縛られた仕事から、なんだか一気に解放された気分になった。