~最終回~ ページ3
とりあえず最悪の事態を回避できたコトを俺は、アスファルトの上でチャオを抱えつつ尻餅をつく、と言う体勢で喜んだ。
俺の出せる最大のスピードで走りつつチャオを拾い上げて横断歩道を渡りきった所で止まろうとするもバランスを崩してしまった、という一連の動作の結果である。いてて、尻打った。
乗用車は耳をつんざくクラクション音を残し、走り去っていった。
信号が青になり、青ざめた顔で水月が駆け寄ってくる。その背中を追うように、ミズがふわふわ飛んでくる。
その頭上にクエスチョンマークが浮かんでいるのを見る限り、いったい今何が起こったのか、なぜ俺が突然走り出したのかなど全くわかっていないんだろう。
「だ、大丈夫!?」
目の前にしゃがみこんだ水月は、今にも涙が溢れそうな顔で、
「ご、ごめんなさいっ、私が、私が目を離したから……ごめんなさい…」
実際に涙を溢れさせて、そう言った。
俺の手から離れたチャオはしゃがみこんでぽろぽろ涙をこぼす自分のご主人を心配そうに見上げている。…その原因はキミにあるのだと言うコトは、わかってくれているだろうか。
それにしても、灼熱の太陽の輝きの下、アスファルトの上で尻餅をつく男子中学生と、その目の前でしゃがみこみ端整な顔を涙で濡らす女子中学生。
一体全体どういうシチュエーションなのか、当事者である俺にもわからないのだから、第三者からすればその光景の奇妙さたるや、計り知れないものがあるだろう。
よーするに、人目が痛い。
「あの、とりあえずココじゃ邪魔になるから、移動しよ。ね」
俺はすっくと立ち上がる。特に痛むところもない、体に異常なし。
尾てい骨に残る若干の痛みと、脈打つ心臓の鼓動の大きさ以外は。
…
とりあえずどこか落ち着ける場所と言うコトで、俺たちは近くの河原にやってきた。
草の上で座り込んでいると、さっきまで祭りの太鼓のように鼓動していた心臓も落ち着いてきた。
それは水月も同じ様で、
「あの、さっきは本当にありがとう」
もう涙は乾いたようだ。
「瀬野君は、なんであそこにいたの?」
本当ならもっと早くその疑問が出ているべきだったと思うが、そんな余裕は無かったのだろう。
「俺も、あの店に用があったから」
「そうなんだ。…そのチャオは、瀬野君が育ててるチャオなの?」
水月は、さっきから草の上で飛んだり跳ねたり寝転んだりしてじゃれあっている白と水色のチャオの内の、水色のほうを指差して言った。
俺は、そうだよ、と言って頷いた。
「名前はなんていうの?」
俺は答えた。
「ミズ、っていうんだ」
…
…
私が彼にチャオの名前を尋ねると、彼はこう言った。
「ミズ、っていうんだ」
ミズ。
私は驚いた。偶然、だろうか。
私の育てている、今彼の『ミズ』と遊んでいるチャオ。
私があの子につけた名前も、ミズだから。
「ミズ…。ミズ、っていうの?」
「う、うん」
「私の、私のチャオも、」
…
…
「ミズ…。ミズ、っていうの?」
「う、うん」
水月がぐい、と顔を近づけて、確かめるように聞いてきた。
はて、ウチのチャオの名前に何かあるのかというか、さっきとは違う意味でまたドキドキしてきた。
「私の、私のチャオも、」
?
「ミズ、って言う名前なの」
「…へ?」
と、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
水月のチャオも、ミズ?
「えと、あの白いチャオのコトだよね?」
「うん、そうだよ。偶然…かなぁ。ミズ、なんてあんまりつける人いいないと思ってたから、びっくり」
偶然…。
コレはなんといいますか、俺と水月が、その、俗に言う赤い糸なるもので繋がっているようなコトを少しは期待してもいいですか神様。
…とは言うものの、『ミズ』は俺が考えたものではない。
小さい頃一度だけ会った、俺と同じくらいの歳の女の子が育てていたチャオの名前が、ミズだった。それを勝手に拝借したのだ。
このコトを言うか言うまいか迷っていると、
「瀬野君は、なんでミズって名前にしたの?」
こう尋ねられたから、俺は言うコトにした。
たった一度だけ会った、女の子の話。