~第二回~ ページ5
…
さて。
湖山に見えない糸で引きずられるように校舎一階の職員室前へ来てみると、そこでは河野と水月が壁にもたれかかって他愛も無い雑談をしていた。
「おまたせーっ」
合流を果たした三人娘は、湖山の「失礼しまーす」の声とともに職員室へ消えていった。それを追うように、俺達も職員室へ入室した。
そこで俺達は、教材運搬の依頼を渋々承ることになる。湖山達がたまたま職員室の前を通り、そこを先生に見つかったからという、俺達にとってはなんとも理不尽な理由で。
「よっと、…。結構重いなぁ」
俺も今まさに同じ感想を抱いた。
俺と湯之元が、手を肩幅よりもう少し広げて下から支えているこのダンボールは、うーん、何キロあるかはわからないがそれなりの重量は誇っていた。
嘉川を置いてきたのは失敗だったな。単純に人手が増えるし、あいつは体力バカだからな。
「あんなやつ放っときゃいいのよ」
そう言った湖山は、俺達の抱えるそれより二周りほど小さいダンボールを抱えていて、河野と水月も同じものを抱えていた。いろいろ運ぶものがあるらしい。
湖山はラクに抱えていたが、後ろの二人は、なんだか危なっかしいな。足元が少しふらついている。
教室は三階だ。辿り付くまでには階段という試練を二階分克服しなければならないが大丈夫だろうか。
「んふふ~。大丈夫、安心しなさい」
俺の懸念を感じ取ったのか、階段まで歩いてきた所で湖山が俺に笑顔を向ける。だがその笑顔は朝のHRに水月が『よろしく』と手をさし伸ばしたときのような天使の笑顔ではなく、人間の持つ心の闇が垣間見える悪魔の笑顔だった。
ニコニコと笑顔のまま、まずは自分の荷物を湯之元が抱えるダンボールの上にズシリと載せる。
次に河野と水月の荷物を俺のダンボールの上にズシリズシリと載せる。一階建てのダンボールが、三階建てになった。
貴様、これはどういうつもりだ。
「レディファーストよ、レディファースト。なに、か弱い女の子が困っているのをあなたは見過ごすというの」
後ろの二人はともかく、腕組みをし鋭く尖らせた視線を刺してくる湖山の姿は、困っているか弱い女の子には見えないな。
なんて言ったらどんなことが起こるかわからないから、口に出しはしないが。
「運んでくれるんですかぁ~。お二人とも頼りになります~」
湯之元も苦笑するしかないらしい。河野の気の抜けた、しかししっかりと俺達に任せるつもりでいる声に、俺の気も抜けそうになる。
でもココで気を抜いたら、三階建てダンボールが倒壊してしまいそうだ。
「情けないこと言わないの。中国雑技団の人はこのぐらい屁でもないんだから」
あんな超人集団を引き合いに出されて納得しろというのも無茶な話だ。こちとら一介の日本国男子中学生だ。
ぶつくさ言いながら不満顔を崩さない俺に対し、湖山はついに最終兵器を出してきた。
「ほら、みなちゃんも一言言ってあげて。『がんばって~』とか、『かっこい~』とか」
湖山の水月に対する耳打ちの内容は俺には聞こえなかったが、多分そんなことを言っているのではないだろうか。
湖山はすでに水月の有効利用法を心得ているらしい。
多少無茶な要求でも、少々上目遣いの潤んだ瞳で両手をぎゅっと握り締める祈りのポーズをされた挙句『お願い…』と小さな呟きで懇願された日には、果たして世の男どもの何割がそれを断ることが出来るかな。
『自首してください』と笑顔で言われたら、ふっかけられた罪が冤罪でも警察に向かうかもしれない。
しかし彼女の口から出てきたのは思いがけない、いや寧ろ彼女の人柄を象徴するに相応しい言葉だった。
「そんな、悪いですよ。私持ちますよ」
心底申し訳なさそうな顔をして、ぱたぱた歩み寄ってくる。
ココで『あ、そう?』などと彼女に荷物を押し付けるコトの出来る輩がいたとしたら、俺はソイツがジャングルの真っ只中でベンガルトラ六頭に囲まれていたとしても面白い形のオブジェだと思って素通りを決め込むだろう。
どのみちさっきの様子では、河野と水月は教室まで持つまい。だとしたら追加搭載されるのは、当然俺達男子側だ。
正直、湖山が自分の分の荷物を一つ持って残りの二つを俺と湯之元で分担するのが最善策であるとさっきから俺の脳味噌が喚き散らしているのだが、
「んふふ~」
さっきから俺の思考を読み取っているかのように、そして俺が次にとる行動を見透かしているかのように、湖山は俺に微笑みかけてくる。
すべて彼女の読み通りに事が進んでいるのかもしれない、俺は彼女の手の上で転がされているのかもしれない。
でも、でも。こうするしかないじゃないかあ。
「大丈夫、大丈夫。任せて」
無事に上りきったら、中国雑技団でも目指してみるか。
俺はダンボールタワー倒壊に十分注意しながら、階段の一段目に足をかけた。