The Endless Winter:4

3:記憶のオルゴール



ロビーにはヤナギの母と、もう一人、誰かの母親が話していた。
母はヤナギに気付くなり、すぐに賭け付けて来るが、今のヤナギには余裕が無かった。
「407号室は……」
呟きにもれた言葉は―……。
ずっと前と、同じ言葉だった。


「あと、七日」


記憶を失うまで、あと七日。


それは、断言でも予測でもない。
ただの希望だった。
ヤナギは、幼い頃の自分は―……。
最後の一週間に、全てを賭けた。


「どこだ?」


息が荒い。
それを察した母親は、もう一人の母親に目配りをすると、うなずいた。
「ヤナギ―仁美ちゃんは―」
「知ってる。だけど、違うんだ」


オルゴールが響いていた。
耳に入るのは、ただそれだけで、母親の言葉は、唯の言葉に過ぎない。
心に響くオルゴールの音色だけが、ヤナギの耳に入っていた。
「四階の一番東側」
男性の声だった。
それが誰の声かも考えずに、ヤナギは駆け出した。
階段を駆け上って、四階、東側をひたすらまっすぐ走って、


面会謝絶の札をいとも気にせず、
ドアを、

あけた。



一人の少女がいた。
その少女は、騒がしい公園で、いつも一人で。
笑わずに、ゆきだるまを作って。
オルゴールを持っていた。

そのオルゴールが、ある日壊れた。
少女は泣かなかった。が、公園で遊ばなくなった。
ヤナギは、いつも無表情の少女を見かねて、お年玉でオルゴールを買った。
それを、少女にプレゼントした。
少女は喜んだ。
無表情な少女が、わずかだが、喜びを見せた。


しかし。
少女は交通事故に遭った。
幸い後遺症は、ほとんど無かった。
だが、記憶が欠けていた。

辛うじてヤナギの事は覚えていたが、自分の母親の名前すら覚えていなかった。


もうすぐ全ての記憶を失ってしまう。
そう怖れたヤナギは、最後の一週間、少女とずっと遊んでいた。

七日間がすぎて、その、八日目の午前零時。
少女は記憶を失った。
朝早く、ヤナギが病院に行ってみると、少女はヤナギの事を覚えていなかった。


衝撃的で、あまりに衝撃的で。
ヤナギは二度と病院に向かわず、忘れようと励んだ。



少女の名前は、上之仁美。



「〝きおく〟だったんだよな」
少女は眠っていた。
可愛げのある顔つきで、眠っていた。
なぜまだ入院しているか、ヤナギは理解した。


―…記憶喪失だからだ。


〝少女〟はアウトドア派。
でも、オルゴールを壊してからは外で遊ばなくなった。
それが答えだ。

オルゴールの音色が響いていた。

あの作さんが、と話していた彼女は、恐らく。
自分の、〝望んでいた記憶〟なのだろう。
そして、この、今の、思い出した、忘れていた、それこそが―……。


「まさか、来てくれるとは思わなかったよ」


〝守られた記憶〟なのだ。
「俺も、キオクが来るなんて思わなかった」
ヤナギの心境は複雑ではなかった。
「楽な方向に向かうな、って言ったのは……」
「彼女だよ。この場合、〝私〟とも言うけどね」
やっぱりだ、とヤナギは頷く。
「彼女はずっと孤独だったから。でも、負けず嫌いだった。だから楽な方向に向かわない癖が付いちゃったんだよ」
「記憶が失われかけていた時も?」
キオクは小さな顔でうなずいた。
体は白かった。
それがなぜなのか、ヤナギには無論、理解できるはずも無い。
「ヤナギ、私たち〝チャオ〟はね、記憶を反映するのよ」
「うん。今、分かった」
「だから、根本的には人間と同じ。人間も、愛されれば生きる事が出来る。チャオも、愛されれば〝生きる〟事が出来る」
その言葉の意味を、ヤナギは即座に把握した。
「〝チャオ〟は―……お前は、オルゴールの中の記憶なんだな」
「正解」
キオクはにっこりと笑った。
ヤナギと仁美は、長い間、ずうっとオルゴールで遊んで来た。
それは、〝愛を捧げて来た〟ことと、同義。
「俺の〝望んでいた記憶〟は―……」
「見える人には、ヤナギが〝チャオ〟に見えると思うよ。あなたも、記憶の中にいたから」


「〝チャオ〟は………記憶なんだよ。記憶だから、人間なんだ」


ヤナギは自分が何を望んで、どうしたいのか。
今更ながらに、理解していた。
「写真に仁美がいなかったのは」
「写真の記憶が、ヤナギに戻ったから。本来、戻らないはずの記憶が、写真から戻ったんだよ」
「仁美は……」

その言葉を、口にしたくはない。
だからこそ。

「……いつ、起きるんだ?」
「違うでしょ。いつ、記憶が戻るんだ、そう言いたいはずだよ」
「お見通しか」
ヤナギは苦笑した。
キオクは、オルゴールの〝守られた記憶〟は、小さく微笑んで、言う。
「私が彼女に〝戻れば〟……あるいは、ヤナギのように」
「それは……」
「大丈夫。私は、オルゴールの記憶だから。オルゴールが、それが響いていれば、ずうっと生き続ける」


キオクの体は、白に色づいていた。
白は、雪の色だから。
「キオクが桃色だったら、桜みたいで良かったのにな」
「……もう、桜は咲かないんだよ」
「でも、俺が咲かせるよ。終わらない冬も、終わりにする」
「どうやって?」
〝少女〟は、消えかかる体で、訊ねた。
記憶。オルゴールに宿る、奥底の、記憶。
「記憶を見付ければ、それを戻せば、桜は咲くはずだ」
自信に満ちた笑顔だった。
キオクは最後にそれを焼き付けて、そして―……。



少女は目を覚ます。
ただの、言葉で。

このページについて
掲載号
週刊チャオ第301号&チャオ生誕9周年記念号
ページ番号
5 / 6
この作品について
タイトル
The Endless Winter
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
週刊チャオ第301号&チャオ生誕9周年記念号