四話 ぺーこの力

 想像はしていたが、やはりぺーこが真っ先に手を上げた。他のやつは即答できないといったように、うーんと唸っている。
「とりあえず、ぺーこは確定だな。今日の稽古が終わったら申請用紙に名前やら歳やら住所やら書いておいてくれ。みんなは、まあ締切は一ヶ月後だから、ゆっくり考えればいいよ。別に負けたら道場の名を汚すとか、そんなこと考えなくていいからな」
 簡単な朝礼が終わり、みんなは準備運動を始める。俺はみんなが道場に来る前に準備運動をいつも済ませてしまうので、みんなの準備運動を見る。
 大会に参加するとなると、練習メニューもより実践的なものに変えなくてはならない。でも今、大会への意欲を見せているのはぺーこだけで、他のやつらは決めかねている。今まで通りの練習だとぺーこが物足りなくて、実践的な練習だと他のやつらが苦しい、あるいは決めかねているのに既に出場を決定されているようで、ある種の束縛を感じるかもしれない。
 みんなの準備運動が終わるまでに結論を出さなくてはならない。みんなの1、2、3、4! 5、6、7、8! の掛け声を何回も聞いている内に、数字は進んでいるのにカウントダウンを聞いているような気になってくる。早く決めなくては。
 みんなの準備運動がほとんど終わったような頃に、あまり気は進まないが練習内容を決定した。
「みんなはいつも通りの練習をしよう。ぺーこは俺が直接指導するから、俺のところに来てくれ。はい、開始っ」
 そして、俺の言う通りみんなはそれぞれいつも通りの練習を始め、ぺーこは俺のところに来た。
 いつもはみんなの練習を見ながら俺が指導していたが、今日はぺーこを指導するのでみんなを指導できない。少しは見ることができるけど、中途半端になってしまうだろう。だが、しょうがない。
 ぺーこは俺とまた一体一で何かをできることが嬉しいのか、ニコニコしている。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
 正直、今のぺーこが大会に出たところで、相手がこちらと同じような実践の未経験者だったり、よほど体格差で優位に立っていない限り、初戦を勝つのは難しいだろう。あるいは、この間の俺との戦いの中で見せた、奇跡的な動きをまたぺーこがやってのけるのなら、勝つこともあるかもしれない。だが、可能性は低い。
「さて、今日は今までにやったことのないことをやろうか」
「裏鬼ですか!?」
「なんでいきなり裏鬼を継承しようとしてるんだ。それはまだ早い」
「早いってことは、今度教えてくれるんですか!?」
「お前があと四回くらい生まれ変わった後にな」
「ひええ、四回も生まれ変われるかなあ」
「それはともかく、今日はあれだ。いつも練習しているようなことをさせてもらえない相手を想定しての練習だ」
「僕のスピードを封じるなんて、そんな恐ろしい相手がいるんですか」
「ああ、そりゃあもうたくさんな」
「そしたら、もっと速く動けばいいんですね!」
「天才は黙ってろ。そもそも、いつも練習しているようなことっていうのは、つまり万全の体勢で万全の動きができる状態ってことだ」
「わかりません!!」
「素直でよろしい。例えば、右手で相手の顔を狙う練習をするだろ? そのときぺーこは力を出しやすい体勢で、力いっぱい殴るし、相手はミットをちゃんと狙った位置に構えててくれる。それが万全ってことだ」
「なるほど!」
「基本的に実践では万全な体勢なんてなかなか取らせてくれない。見た目上取れていても、何かを封じられているような状況だってある。相手が自分の何かを封じているということにも最低気づかなきゃいけない。でも今日はそこまで意識しなくていい。今日はもっと露骨なところから潰していこう」
 防具とグローブを付け、対面する。
「まず、ぺーこが不利な点は体が小さいことだ。一歩の大きさが違うし、あまり細かく動きすぎると体力を消耗する。リーチも負けているし、思っているパンチがなかなか入らない。試しにやってみるか。俺の顔にパンチを当ててみろ」
 いつものように、ぺーこは反復横跳びを始める。俺は一定の距離を保ちながらパンチを細かく放つ。ぺーこはやはり近づけないし、パンチも届かない。繰り返している内に、ペーこも反復横跳びに疲れて動きが鈍くなってくる。「終わり」と言う。
「な、難しいだろ?」
「難しいです」
「ここで一つ覚えよう。カウンターだ。俺がパンチを打った瞬間に、避けながら距離を詰めてパンチを打ってみろ。あと、今回は反復横跳びをやめよう」
 ぺーこは言う通りに、俺のパンチをじっと待つ。なかなか見ない光景だ。
 俺がさっきと同じようにパンチを打つと、その瞬間に俺の顔にパンチが入った。普通ならタイミングが合わなかったり、体が反射的に避けるだけになってしまったりするところを、ちゃんと前に詰めながら正確にパンチを打ってきた。本当にぺーこはとんでもない才能を持っているかもしれない。
「うまい、そうだ」
 今日はこのカウンターに絞って、ぺーこを指導し続けた。まだ安定性に欠けるがそれでも初日ということを考えると、なかなかいいところまで行った。大会まで毎日続ければ、かなり良い線まで行けるかもしれない。
 周りのみんなも、俺が見ていなくても問題なく稽古をやり遂げていたようだった。嬉しいと思いたいが、正直少し残念だった。ただ、予定が空いているときはいつも来ているようなやつらばっかりだから、これが当たり前なのかもしれない。
 片付けを済ませ、終わりの礼をし、家に帰った。大会に出場している自分を想像していたら、またドアノブを割った。ミヨ婆のところへ行ったら怒られたが、またドアノブを作ってもらった。
「何度も壊す割にはガラス製のドアノブを使い続けるね。そんなこだわりがあるようには見えないが、なんでだい?」
「ガラスじゃないとしっくり来ないんだよ。見た目も手触りも」
「手触りって、あんた握りつぶしてるじゃないか」
「もしかしたらそれがいいのかも」
「よくガラス職人の前でそういうことが言えるね。…まあ、いいだろう」
 帰りながら、大会に出場するやつが増えたらいいなあ、と思って、ドアノブを握り締めていた。


 平日は道場へ来られないやつも少なくない。休日は四十数名集まるところ、平日は年寄りや勤務形態が特殊な者が集まって大体十五名くらいだ。そして、必ずそのどちらの中にも入っているのはぺーこだった。
「今日は何の練習をするんですか!」
「じゃあ今日はマッパにしよう」
「うべえええええええええい!」
 ぺーこの母親が初めてこの道場に訪れたときに聞かされた話だが、ぺーこの家庭はかなり貧しいらしい。というのも、家庭の唯一の収入源であった父親は肺に病気を持っていたらしく、それがあるとき急激にひどい状態になってそのまま死んでしまい、母親もまた体が弱く、すぐに熱を出したり倒れてしまっりして、長時間働けないそうなのだ。
 だからぺーこを幼稚園に通わせることもできない、が家に引きこもらせてコミュニケーションが取れない子にしてしまうのも気が引ける、とのことで藁に縋る思いでこの道場へ来たのだ。確かにここは幼稚園よりは安いが、俺は幼稚園が具体的に何をやって教育としているのかまったくわからない。幼稚園の代わりとして頼られても、それに応えられる自信はなかった。だから、ぺーこの入門は一度保留にさせてもらっていた。
 その後、もう一度訪れたぺーこの母親との話の中で「幼稚園の代わりだなんて思っていません。いつものお稽古に参加させて頂ければいいんです。ぺーこに誰かと触れ合う時間をあげたいんです」と彼女は言った。その言葉を聞いて、俺はぺーこを入門させることを決意した。
 次の休日になる頃には、ぺーこは実践レベルとは行かないものの中々に強くなっていた。一週間ぶりにぺーこの練習風景を見る休日組も驚いていた。
「監督が本物の監督になる日も遠くないかもな」と、ボロス。まだおっさんと呼べる程転生回数を積んでいないが、この道場では一番の古株だ。
「こりゃあ負けてられないな」と、ニジラ。転生回数で言えばニカやマミと変わらないくらいだが、あの二人よりは道場に長くいる。中堅と言ったところだ。
「僕が監督になったらみんなを音速にするよ!」
「さすが監督、スケールがでかい」とニジラ。
「今のうちに足腰でも鍛えておこうかな」とボロス。
 ぺーこを入門させたのは間違いではなかったのだと思う。
 その日の内に、大会出場希望者は二十名にも上った。早急に練習メニューを考えなくてはいけなくなったが、面白くなったきた。

このページについて
掲載日
2017年9月17日
ページ番号
4 / 20
この作品について
タイトル
ステンドグラス
作者
ダーク
初回掲載
2017年7月11日
最終掲載
2018年8月16日
連載期間
約1年1ヵ月6日