No.4

「いやぁ、また会うとは奇遇ですね」
「ええ、まったくです」
「それにしても、なんだってまたあの町に? 何か用があるにしても……誰かいるんですかい?」
「まあね」
「ほぉ、そりゃ珍しい。なんですか、二人だけの待ち合わせスポットなんて洒落た事でも?」
「あはは……残念ながら独り身です。彼氏のアテもいませんしね」
「なんでぇ、要らん事を言っちまったじゃねぇですか。じゃあいったい?」
「大した事じゃありません。ただの仕事です」
「仕事ねぇ……」
「ええ、仕事です」
 ――嘘を吐くのがこんなに楽しいとは、今日初めて知った。


「どうします? 帰りもご利用なら待ちますよ?」
「いえ、それなりに長い用事になりますので結構です」
「さいですか。じゃ、またよろしく」
 そう言ってタクシーは去っていった。
「さて、と」
 というわけで、またこの町にやってきた。えーっと、エピ……なんとか。案の定、名前を覚えてなかった。降りた場所は勿論、あのアパートメントの近く。
「さっさと行こう」
 今日は荷物が多い。左手には差し入れ兼非常食が入ったビニール袋、右手には学生時代に使っていた鞄。どれもチャオの身には大きな荷物で、引きずっていかないようにするのに少し苦労する。
「それにしても……」
 右手の鞄を改めて眺め、溜め息を吐く。
 たった数年前の事なのに、学生時代の事はどうも記憶に残っていない。某同好会にいた頃には学生時代の友人ともまだ面識があったが、思い出話をする度に私は相槌しか返してなかった気がする。思い出す事と言えば――。
「――早く行こう」
 過去の傷口を掻くのはまた今度だ。


____


 しかしこの探偵事務所、ウチの事務所と内装が似ている気がする。最も、家具の配置が同じようなだけという程度なのだが。それでもこのソファに座ってみると、いつもと同じ場所にいるように感じる。
 ひょっとして所長と未咲さんとやら、実は知り合いなんじゃないだろうか。どことなく気の合う者同士で、それで事務所の内装も似た風に……とかなんとか。
「お待たせ」
 奥のドアから、トレイに二つのカップを乗せたアンジュさんが出てきた。
「ありがとね、わざわざコーヒーの差し入れだなんて」
「いえいえ」
 ちょっとした皮肉のつもりですよ。とまでは言わなかった。
 テーブルに二つのカップが並べられる。私はそのウチの一つを取り、漂う匂いを嗅いだ。うーん、間違いなくカカオ豆に非ず。
 そういうわけで、私は再びこの未咲探偵事務所へと足を運んだのだった。


「それにしても、どうしてまたここに? また仕事?」
「まあそうですね、仕事です」
 タクシーの中にいた時と同じような会話が繰り返され、私は顔がにやけるのを堪えるのに必死だった。
 さて、私が今知りたいのは未咲さんについてなのだが……何を聞けばいいだろうか?
 住所氏名年齢電話番号みたいな個人情報は十中八九アウトだ。そんなのを図々しく聞けば疑われる。何より私は先日ここに来た時に、所長から急に連絡が来たせいで、アンジュさんに不審なイメージを持たせてしまっている。その気になれば事務所の暇人にでも頼んで調べてもらえるし、彼女から聞く必要はないだろう。
 つまり、今知るべきなのは未咲さんという人物像の事ではない。私が知るべき事はこの一点だ。
「そういえば未咲さん、今日もいないんですか?」
「ええ、いないわ」
「どうしてなんです? 一度会っておきたいんですけど」
「急な仕事で空けてるの。だから帰ってくるのは当分先になるかしら」
「そうなんですか……いったいなんの仕事で?」
「残念だけど教えられないわ。探偵はクライアントに関する情報は漏らしちゃいけないから」
「はあ、そういえばそうでしたね」
「そうよ、それが探偵の常識。……ところで、ユリちゃん?」
 ここまで話して、アンジュさんが微かに声色を変えたような気がした。私の事を警戒していることを前提に考えれば、この間の続きをするつもりだろう。
「はい、なんでしょう?」
 果たして、ここまで予想した展開になると流石に笑えてくる。そろそろにやけ顔を堪えるのも難しくなってきたので、ここは一つ笑顔を作っておく。表情で自分をカムフラージュするなんて今までやったことないけど、うまくいくだろうか。
「そういえばなんの仕事をしているか聞いてなかったわ。折角だから聞かせてもらえない?」
 これはまた答え辛い質問だ。都合の良い嘘も思いつかないが、こいつを言ってしまうといい顔はしてくれないだろう。
「えーっと、世間一般でいう何でも屋ですかね?」
「あら、そうなの? ユリちゃんってあたし達と似た事してるのね。浮気調査とか盗聴器発見とかやったことあるのかしら」
「いやぁ、探偵業務っぽいのはやったことないんですよねー」
「でしょうね。だってあなた、自分の素性を隠せてないもの」
「そりゃそうですよ。探偵業務をしにきたわけじゃないんですから」
「じゃあいったいなんの仕事をしにきたのかしら?」
「仕事? はて、そんなこと言いましたっけ?」
「言ったわよ。どうしてここに来たかを聞いた時にね」
「ああ、それですか。違いますよ」
「え?」
 思った通り、わからない顔をするアンジュさん。笑顔に切り替えててよかった。クスクス笑って話をしてたんじゃ怪しい人になってたところだ。
「仕事は仕事でも、私事です」
「私事? どういうこと?」
「実はですね、ここの探偵事務所に依頼をしに来たんです。ある人物の事を調べて欲しくて」
 途端に話の方向性が変わり、アンジュさんが戸惑う。
「依頼って……いったい誰の事を調べるの?」
「ミサキ」
「ミサキ――!」
 アンジュさんが腰を浮かした。
 ここまでくると、流石に笑いを通り越してしまう。どこか冷めてしまった口ぶりで、私は事の次第を話した。
「先日話した上司というのは、私の勤務している事務所の所長です。この前ここに来たのは、所長から直々に仕事を請けての事なんです。内容は「ある探偵事務所に行け」です」
「……それで? 未咲の事について調べて来いと?」
「いいえ。先日ここに来ていた時、上司からの連絡と言って席を外しましたよね? その時の事なんですけど、仕事の経過について聞いてきたので探偵事務所に来ていると言ったら、仕事は完了だと言われました」
「それってどういうこと?」
「わかりません。こちらから連絡しても応答してくれなくて。会う事もできないし。……ただ、一つ手掛かりがあるんです。昨日偶然に知り合いと会ったんですが、その人もウチの所長から仕事を頼まれていたんです。内容は「ミサキを調べろ」というもの」
「知り合いさんもウチの探偵さんを調べてるって事?」
「それが不思議な事に違うみたいなんです。仕事の内容をもっと正確に言うと「チャオ関係の裏組織絡みの線からミサキを調べろ」と言われたみたいで……」


 ……そう、これが私を素直にさせなかった理由だ。
 所長の行動についてもそうだけど、今回の事は何から何までおかしい。その謎の渦中にいるのは紛れも無くミサキという人物なのだ。

 昨日、私はずっと悩んでいた。
 それは探偵の未咲と、チャオ関係の裏組織絡みのミサキが同一人物なのかという一点。
 私はその裏付けをとる為、所長の行動を追う事を考えた。だが、私みたいなぺーぺーが調べたって無駄なのはわかりきっていた。だから本職の探偵に頼ろうとしたのだが、そこで私は思いとどまった。
 もし本当に二人のミサキが同一人物だったら? その関係者であるアンジュさんに所長を追う事を依頼した結果、所長に危害が及ぶような事になってしまったら?
 だから私は、探りを入れることにした。


「……ユリちゃん」
「はい?」
 ここまでの話を自分なりに纏め終わったか、アンジュさんは神妙な顔でゆっくり言葉を切り出した。
「確か、私事と言ったわね」
「言いましたね」
「つまり未咲について調べて欲しいという依頼には、あなたの上司である所長から頼まれた仕事とは無関係ということ?」
「そうです」
「どうして? あなた個人が未咲を気にかける根拠は?」
「――所長が詳細も告げずに消えてしまったこと。その所長が複数の人物にミサキという人物を調べさせていること。そして何より、こちらからの連絡には出ないこと。これだけ不自然なら、気になるのも当然ですよね」
「確かに気になるわ。でも、所長からは直々に仕事は終わったと言われたのよね? その分のお給料もくるんでしょ?」
「ええ、そのうち」
「なら深く追求するのは野暮でしょう?」
「そういうもんですか?」
「そういうもんよ。最悪、大して労せずに手に入れる予定だったお金も無くなってしまうのよ? それはとてもリスキーな行動だわ」
「……ああ、なるほど」
 今の一言でアンジュさんの根本的な勘違いを察した私は思わず手をポンと叩いた。それに対し、やはり私の意図が読めないアンジュさんは首を傾げる。私はそんな彼女に自信満々に次の言葉を述べた。
「アンジュさん、私達の関係がそんなにドライに見えるんですかね」
「え……だって、職場の上司と部下じゃない」
「そうですね」
「それにその職場が職場よ。関係がドライになるのは当たり前じゃない」
「ははーん、やっぱりそうだ」
「やっぱりって、何がやっぱりなのよ」
「アンジュさん、私達の事務所をなんか薄暗くてジメジメした印象で見てるんですね」
「違うの?」
 さも当然のように言うもんだから、逆にこっちが首を傾げたくなる。あんな職場のどこをどうみたら薄暗くてジメジメするんだか。
「アットホームっていう言葉がピッタリの、所長室で居眠りオッケーな事務所ですよ?」
「…………」
 時が止まったような感覚を覚えたのであろうか、アンジュさんの眼球の動きすらピタリと止まった。口元をわなわなと震わせ、ようやく吐き出した言葉が、
「はあ?」
 だった。
「あの、ちょっと待って。言ってることがよくわからないわ」
「もっと詳しく言うと、読書・ゲーム・闇鍋もオッケーかなー」
「は? え?」
「あ、あと突発で花火大会とかしてもいいかも」
「ユリちゃん、真面目に話してくれない?」
「ぶっちゃけ仕事しなくてもいいかも。従業員が九人しかいないのが不思議なくらい高給」
「あのね、そろそろ怒るわよ?」
「あ、嫉妬ですか? しょうがないなぁ。アンジュさんさえ良ければ、私から所長に紹介しときますよ?」
「……もういい。話にならないわ」
「ですよねー。あはははは」
 その反応があまりにも常識的過ぎて、私は笑いが込み上げるのを抑えきれなかった。
 改めて、自分の職場が狂っているという事を再確認した。こうやって何も知らない人に小説事務所というものの特徴を話すと、自分でもおかしいと常々思ってしまう。夢にも思わない事務所があることも、自分がその事務所にいることも。
 ――だからこそ、私はその夢を守りたい。
「だから、依頼しにきたんです」
 途端に声色を変えたから虚を衝かれたのだろう。聞く耳持たずと言う風にコーヒーカップに伸ばした手を思わず咄嗟に引っ込め、アンジュさんが顔をあげた。
「所長のいない事務所なんて成り立たないんです。もしも所長が何か危険な状況に置かれているというなら、黙って帰りを待っていられない」
「ユリちゃん……?」
「本当なら所長を探すよう依頼したいんですけど、お互い友好的にはなれそうもないですから。せめてあなたの知る未咲さんについて聞かせてください。そこから先は……」
 床に置いていた学生鞄をテーブルの上に置いて、開いた。
「自分でなんとかしますから」
 アンジュさんは、言葉を失った。
 スーツケースは無理でも、せめてボストンバッグにでも入れて持ってくるべきだっただろうか。大袈裟な額を持っていくつもりがなかったから目に付いた学生鞄をチョイスしたけど、やっぱり大金を入れるには似合わなかった。

このページについて
掲載日
2011年5月27日
ページ番号
6 / 12
この作品について
タイトル
小説事務所 「Repeatを欠けろ」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年5月27日