No.3

 その翌日。昨日に続きグレースカイ。即ち曇り。
 事は私が事務所に向かう途中、ステーションスクエア駅を通りかかったところで始まる。


「あれ」
 昨日の要領を得ない謎の仕事の事も徐々に忘れかけていた朝、私は珍しい人物を見つけた。
 茶色いコートに身を包んだ、テンガロンハットのオヨギチャオ。かなり特徴的なその見た目に、私は見覚えがあった。
 私はその人物の元へ近付くべく駆け寄る。ちょうど人波の第一波が通り過ぎたタイミングで、近寄るのは容易だった。
「フウライボウさん、ですよね?」
「ん……」
 やや退屈そうに目を細めていたオヨギチャオが、私の声に気付き顔を上げた。
「キミは確か……小説事務所の」
「はい。ユリです」
 オヨギチャオの退屈そうな顔が、幾分か和らいだ。
 フウライボウさん。名前の示すとおり世界各地を旅しているチャオだ。
 世界で最初のチャオの旅人として知られ、見た目の印象とは裏腹にかなりの有名人。そんな彼が小説事務所と関わりを持っていると知ったのは、去年の事だったか。
「こんなところで何をしているんですか?」
「ミスティを待ってるんだ。キミのとこの所長さんに連絡を取りにって」
「事務所へ?」
「うん」
「はぁ……それはなんとも、タイミングが悪いですね。今、所長は事務所にいないんですよ」
「そっか」
 不思議と私の言葉を受けたフウライボウさんの反応は、それほど大袈裟ではなかった。驚かないのだろうか。
「ただいまー!」
 そこへ、元気な少女の声が割り込んできた。声の聞こえた方を見ると、セミショートの髪を遠慮なく振り回して走り寄ってくる。そろそろ春も近いのに、まるでスキーウェアみたいな服装をしているのがとても目に付く。
「あーっ、ユリちゃん! 久しぶりー! さっき事務所にいなかったけど、今から行くところなの?」
「いや、あの、ちょっと」
 口先だけペラペラと動かしながら、遠慮なしに私の頭を撫でてきた。徐々に忘れかけていた昨日の出来事が少し蘇ってくる。確か、これでも成人のつもりですとか言った覚えが。
 彼女がミスティ・レイク。物書き、そしてエクストリームギアと呼ばれる超低空を滑走するボードにおけるスペシャリストとして知られる少女。フウライボウさんに負けず劣らずの有名人だ。ご覧の通り、超の付くほどチャオ好き。
 小説事務所との関係は、父親が高名なチャオ研究者であり、かつて世間を揺るがせた大事件に関わっていた事に起因するのだが――詳細については、今は省いておこう。
「あの、事務所に行ってきたって」
「そうそう! ちょっと所長さんにお話があったんだけど、やっぱりいなくてさぁ」
「やっぱり?」
「うん。ケータイに電話を寄越してくる以外の連絡手段がないの。こっちからかけても出てくれないし。だから直接ここまで来たんだけどさー」
 つまり、私と一緒だということだ。……ということは。
「ひょっとして、所長に何か頼まれてます?」
「あれ、わかるの? いやね、ちょっとした人捜しみたいなものなんだけど、チャオ関係の裏組織絡みだっていうから、私のお父さんが過去に関わってた繋がりから辿ってみてくれって」
「へえ……あの、いったい誰を捜してるんですか?」
「え? あー、言っちゃっていいのかなぁ、いいや言っちゃえ」
 決断、はやっ。

「捜してるのはね、ミサキさんっていう人だよ」

 え?

「ミサキ……さん?」
「うん。どういう人なのかはよく知らないけどね。そのウチわかるんじゃないかなー。……どうかした?」
「ああ、いえ」
 ミサキさん。それって、昨日の探偵事務所の? これって偶然なのか?
 いや、偶然なわけがない。だって所長は、私とミスティさんに仕事を言い渡した張本人だ。それも同じ「ミサキ」という人物を捜させているんだから。
「あの、ミサキさんっていう人の手掛かりはまだ掴んでないんですか?」
「うん。お父さんの持ってる研究関係者リストにでも名前が載ってるかなって思ったんだけど、不思議な事に一人もいなくって。日本人ってそんなに名前被らないかなぁ」
「所長からは、何も連絡ないんですか? 所長もその人の事を調べてると思うんですけど」
「ぜーんぜん! 所長さんが私に連絡を寄越したのは、私に仕事を頼んだ一回っきりよ」
 聞けば聞くほど意味がわからない。これは一体全体どういうことになるんだ?
「あの、それっていつ頃の事ですか?」
「ちょうど一昨日。詳しい事は話してくれなくてもう大変のなんのって」
「ミスティ、そろそろ時間」
「え、もう? 残念。また今度会おうね!」
「あ、はい。それじゃ、また」
 フウライボウさんを抱き上げて元気よく駅の中へと走り去っていくミスティさんを、私は力無く手を振って見送った。


____


「カズマさんカズマさん、奴さんソファに座ったまま動きませんぜ」
 灰色のテイルスチャオが、手にした携帯ゲーム機で口元を隠して、よく聞こえる耳打ちをしていた。
「ヤイバさんヤイバさん、もしやかねてから懸念していた事態が起きたのでは」
 ごく普通のソニックチャオが、手にした攻略本で口元を隠して、よく聞こえる耳打ちをしていた。
「なんと、それはもしや!」
「そう、やはり無気力症は――」
「うるさい」
 そんな聞き覚えのある寸劇も今はうっとおしい事この上なかったので、一言でピシャリとやめさせた。すると不自然なくらいに所長室が静まり返る。なんかマズかったかなと少し目線をカズマ達の方へ移してみると、二人とも何故か子犬のように震えていた。
「……もしかして、怒ってらっしゃる?」
「はあ?」
 ヤイバが声色共々下手な態度で恐る恐る聞いてきた。訳がわからん。
「なんで?」
「だってだって、ユリさんってば普段はそんな「うるさい」とか「目障り」とか「死ね」とか言わないもの」
 そりゃ言ってねーもの。後ろ二つは。……それは差し引いても、うるさいとか言ったことなかったっけ?
「別に、怒ってないけど」
「マジでか」
「うん」
「ではいったい何故」
「何故って……」
「行こう、ヤイバ」
 すると今度はカズマが、どこからともなくやけに膨らんだリュックを取り出して、私達に背を向けた。ところどころ角張っているのが見えるけど、ゲームとか本とかが入ってるのかな。
「カズマ……お前」
「今日の空は眩しい。旅立ちの時が来たんだ」
 旅立ちの時って何よ。それに今日曇りなんですけど。
「わかった。一緒に行こう」
 するとヤイバも同じようなリュックをどこからか取り出して背負った。そして二人は所長専用デスクの後ろにある窓をガラっと開けて――
「今日はっ!!」
「飲食店巡りだぁーーっ!!」
 ――飛び出していった。「ウラーラーラー」みたいな雄叫びと共に。
 一応ここは二階だとか、途中でギブアップして帰ってくるのかなとか、色々と思うところはあるのだが、とりあえず私に対する気遣いと受け取っておけばいいのだろうか。随分回りくどくてストレートだけど。
「……まあいいや」
 気にしない事にして、私は再び思案の世界へと戻った。
 またの名を、探偵ごっこ。


 考えていた事とは、ズバリ所長の「野暮用」についてだ。
 未だ詳しい事はさっぱりだが、今だけでもわかっている事は「ミサキ」――おそらくは未咲。その人物についての何かを調べているという一点。
 だが、そう考えても所長の行動には矛盾が存在する。

 所長は一昨日、私達に仕事を頼んだ。ただ、その依頼内容は同一のものではない。
 私には「探偵事務所の人間について調べて来い」というもの。だがミスティさんにはこう言ったのだろう。「チャオ関連の裏組織絡みで、ミサキという人物を調べろ」と。
 所長がとにかく「ミサキ」という人物の事を探る為に、私とミスティさんに別々の線から調査を依頼した。私には探偵事務所にいる探偵「未咲」を、ミスティさんにはチャオ関連の裏組織に関わりを持つ「ミサキ」という人物を。その情報を元にして、何かを明らかにする為に動いている。そう考えてみれば、一見なんの不思議もない。
 だが、これには大きな問題が二つある。

 一つは、情報の共有を行っていないこと。
 私とミスティさんは、お互いにミサキという名の人物を調べている事は知らなかった。必要な情報を聞く事を優先させて、ミスティさんには私もミサキという人物を調べているとは言えなかったから、向こうは今も知らないだろう。
 もしもミサキについての何かを明らかにする為に動くのなら、情報の共有をしていないのはおかしい。私に対して「ミサキはチャオ関連の裏組織に絡んでいる」とか言われても困るが、少なくともミスティさんには「ある事務所に未咲という探偵がいる」という情報は必要だったはずだ。事実、彼女は「研究者のミサキ」という人物を捜して空振りしてしまったのだから。
 所長がミサキという人物像を把握しきれていなくて、それで私を探偵事務所の調査へ回したという可能性も考えたが、尚更ありえなかった。それなら昨日の内にでもミスティさんに連絡できたはずだ。だが今日の朝に会ったミスティさんは、未咲さんについては知らなかった。

 もう一つの問題は、所長自身が情報を必要としていない節があること。
 一昨日の依頼を受けてから今日まで、私に連絡を取ったのが二回。ミスティさんには一回。どちらも所長から私、またはミスティさんへの一方通行の連絡。こちらが呼んでも応答無し。これほどまでにおかしいことがあるだろうか?
 普通はこちらから連絡があったというのなら、喜んで応答するはずだ。待ち望んだ情報が向こうからやってくるのだから。だが唯一受け取った情報と言えば、私との二回目の通信において「探偵事務所には助手のアンジェリーナ・ワトソンはいたが、探偵の未咲はいなかった」という情報だけだ。

 これらの問題が指し示す矛盾は、酷く単純。
 所長は二人の身内に協力を仰いで何かを調べている。
 だが、協力を要請した本人が情報を塞き止めている。
 調べているのに、知ろうとしない。
 この矛盾の正体は、いったいなんだ?


____


「お邪魔しまぁす」
「あ、どうも」
 推測がちょうど行き詰まったタイミングで、リムさんが所長室へとやってきた。
「ひょっとして、またぼーっとしてました?」
「いえいえ。リムさんは?」
「私も一緒にぼーっとしにきたんですけど……タイミングが悪かったみたい」
 軽い冗談に、お互い軽く笑う。そのままリムさんは向かいのソファに座った。
「暇ですね」
 所長のいない所長室を見て、リムさんはそんな事を言い出した。
「いつもとあまり変わらないと思いますけど」
 これまでの事務所生活を振り返ってみても、仕事のない日はいつもこんな風に暇だったと思うのだが。
「不謹慎だとはわかってるんですけど……何か事件でも起こらないかなって、たまに思うんですよ」
「はは、まるで子供みたいですね」
「もうそんな無邪気な歳じゃありませんけど」
「自分でそれを言いますか」
 そしてまたお互いに朗らかに笑う。
「でも、今日はぼーっとしてないなんて、ユリさんは暇じゃないんですか?」
「いやぁ、暇は暇ですけど」
 と反射的に言ったはいいが、よくよく考えてみれば暇じゃないかもしれない。頭脳労働をしていた最中だし。
「でも、昨日ちょうど所長さんから頼まれて何か仕事をしてたって聞きましたよ?」
「あー、あれですか。なんか大した仕事じゃありませんでしたよ。ちょっとしたお使いレベルの」
「そうなんですか? いったいどんなお仕事を?」
「どんなって――」
 そこで、私ははたと言葉を止めた。
 こんな状況、つい最近にも一度体験した覚えがあるような気がする。それも、ここと似たような場所で。お互いの位置すらも。
「……」
「どうかしました?」
 そうだ。この状況。この構図。昨日アンジュさんと話していた時と同じだ。
 ひょっとして、探られてる?
「んー、それがよくわかんない仕事だったんですよねぇ」
 ――隠す必要はないから、正直に話してもいいだろう。しかし、昨日の今日だからあんまりいい気分はしないなぁ……。
「ある探偵事務所へ行ってこいって依頼だったんですよ。何をすればいいのかわからなかったんですけど、着いたら着いたでお仕事完了なもんだから、なにがなんだか」
「へぇ。どんな探偵事務所だったんです?」
「普通の――って言っても、普通の探偵事務所の事がよくわからないんですけど、変わったところはなかったと思います。当の探偵さんがいないって点を除けば」
「どうしていなかったんですか?」
「さあ? お家の事情だからそこまで踏み入りはしませんでした」
「そうですか……」
 私からの報告もここまでで、リムさんは思案を始める。
「リムさんも気になってるんですか? 所長が何を調べてるのか」
「ええ、まあ……少し。ゼロさんがこうして所長室を空けるなんて、そうそう無い事ですから。ところで今はゼロさんと連絡は?」
「どうせ取れませんよ。向こうからの一方通行のみです。……心配ですか?」
「ええ――いいえ。心配はしてません」
 頷きかけたところ、いきなり言い直した。その物言いが気になるのだが、リムさんも私がおかしな表情をしたのを見てふっと笑みを漏らした。
「ゼロさんは心配されるのがキライなんですよ」
「は? 心配されるのが?」
「自分の身をどう使おうが自分の勝手だろ、って」
「はぁ……」


____


 結局その日は、他に大した事も起こらずに一日が過ぎた。
 おかげさまで昨日今日の出来事以外に何も考えられなくなった私は、その晩にある決意をする。

このページについて
掲載日
2011年5月27日
ページ番号
5 / 12
この作品について
タイトル
小説事務所 「Repeatを欠けろ」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年5月27日