No.8

 海の中にいる。所長室の窓から差し込む光を見て、私はふとそう思った。
 青いグラデーションがオーロラのように波打っている。それを見て、私はいつかに水族館に連れて行ってもらった事を思い出していた。
 私はこう問いかけた記憶がある。
「どうしてゼツメツキグシュを展示してるの?」
 私はこう答えてもらった記憶がある。
「いなくならないうちに保護して、絶滅しないようにしてるのよ」
 そういうことを聞いているのではない、と幼心にもそう思った。結局は自慢するためなんだなと自己完結して、それでお終いだった。
 まあどれだけ背伸びして皮肉っても、オーロラのような青いグラデーションと展示飛行のような魚達の遊泳に見惚れていたのは確かだったのだが。その美しさを自分の手で守りたい気持ちは、わからないでもなかった。


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 しばらく気を失っていたみたいだ。意識がはっきりしない。闇の中を泳ぐような感覚。
 そんな私を起こしたのは、ほっぺたをつねる誰かの手だった。その手は私の頬を離れ、髪を撫でるだの顎をくいっと上げるだのして好き放題してくる。
「……何してるんですか」
「ひゃああっ!?」
 私が止めた頃には、その手は私に被せられていた布団を退かして胸に伸びようとしているところだった。少女は椅子をガタンと倒すほど勢いよく立ち上がり、頭をもガタンと落っことすような勢いで何度も頭を下げた。
「ごめんなさいごめんなさい別にやましいことはないのごめんなさいただちょっと興味が湧いちゃってごめんなさい」
「あー、いいですから。いいですから落ち着いてください」
 興味ってなんだよ危ない女の子だなあ。とかなんとか思いながら目を擦り、その少女の姿をよく見て、ああ、興味ってそういうことかと深く納得した。
 私と全く同じ顔をした少女。背丈も髪の長さも同じに見える。ひょっとしたら体重まで同じかもしれない。そんなどこまでも私に似た少女クリスティーヌが、私もしたことがないくらいすっげえ慌てふためいていた。これが私のお姉さん役か?
「ここ、あなたの部屋ですよね?」
 部屋の内装に見覚えがあった。あのミレイとかいう団長さんに連行され、側近のメイドさんだという人に監視されていた時の部屋だ。
「えっ? え、ええ。ええそうよ。私の部屋。うん」
 なんと落ち着きのない。これが国王の娘か。あまり触れてやらないことにして現状把握に努める。
「その後、不死身の木はどうなりました?」
「あ、それなら大丈夫。もう死んじゃったから。って、セバスチャンから聞いたわ。あなたとんでもないことをするのね。ゼロ、だったかしら? 彼があなたに気付かなかったら大変なことになってたんだから。カズマも根の事に気付いたからよかったものを」
 なんだ、私は結局その二人に助けられたのか。あんなよくわからない状態になっていたというのに。必要以上に悲観してしまったじゃないか。
「ほんと、つい昨日の事とは思えない。バケモノも綺麗さっぱりいなくなっちゃったし」
 立て直した椅子に座り、窓の外から差し込む陽の光を見て彼女はほうと息を吐く。そうか、あれから一日しか経ってないのか。
「今回は短かったなぁ」
「なにが?」
「いえ、別に」
 気を失うのと他人のベッドの上で目を覚ますのにパッシブになったなっていう話だ。
「そうだ、自己紹介がまだでしたね。といっても、互いに話は聞いてるみたいですけど」
「あっ、そうだったわすっかり忘れてた。えっと、クリスティーヌよ。一応国王様の娘やってます」なんだその言い方。
「ユリです。未咲ユリ。えっと……元探偵です」
 小説事務所で働いてますって話してもわからんだろうなと思って無難な言葉を選んだ。
「タンテイ?」
 どうやら探偵も知らないようだ。この時代背景は諜報活動とかには縁がないのかな。
「ええっと、人に頼まれていろいろな調べ事をする職業です」
「へええ。なんだか暇そうなうえにお給料も安そうな仕事ね」
 しかも情報という商品の相場を知らないときた。元探偵のプライドでも吼えだしたか、私はちょっとムッとなる。
「……一回の仕事でウン十万取ります」
「え、うそっ? そんなに?」
 この国の金の単位すらも知らないが、どうやらこの言葉は効いたらしい。
「どうして? たかだか情報じゃない」
「例えばですよ。敵対している国が他の国を攻撃しに行く為に兵を動員するという情報があります。この時、その敵対国の保有している兵力はどれくらいか、動員する兵はどれくらいかという情報を知っているとどうなります?」
「どうなるの?」
「無駄なく兵力を動員して、手薄な防御の国を安全に攻撃し占領することが可能です。凄いですよね?」
「ええっと、凄いのね」
「さて、これほどローリスクハイリターンな結果に終わることができたのは、あらかじめ情報を知っていたからです。つまりこういった情報は人に利益を与え、価値があるものとされる。わかりましたか?」
「はああ……」
 ふう、満足した。今は別に探偵じゃないけど、これでも幼い頃に憧れていた職業なのだ。その凄さを知ってもらいたいという心が満たされてほっと一息。
「つまり、ユリはセバスチャンと同じ仕事をしてるってこと?」
「は?」
 と思ったらこのお姫様、どこをどう間違ったのか壮大な勘違いをした。
「いや、別に私、執事どころかメイドですらないんですけど」
「ううん、そうじゃなくて。彼、参謀のお仕事してるから」
「ぶッ」なにか間違ってたのはセバスチャンさんの方でした。「な、なんでっ? あの人、私には執事だって」
「執事兼参謀?」
 私は頭を抱えた。一介の執事にしちゃあなんか変だとは思ってたが、あのじいサマがまさかそんな大物だったとは思わなかった。そりゃ威圧感の一つや二つ感じるものだ。踏み越えた場数がどうのって話ではない。
「なんで執事なんかやってるんだよ……」
「ほら、元はどこかのカジノでディーラーしてたって言うから、なんか雰囲気で」
 ますます彼がわからなくなった。どうして元カジノのディーラーが参謀になれるんだよ。
「それを言うなら、元探偵さんが国一つ救ったっていうのもよっぽどだと思うけど」
 同列にされた。言われてることは良いんだけどなんか喜べない。
「でも、そっかあ……ユリって昔は悪い人だったってことなのね。ってああごめんなさいそんなつもりで言ったんじゃないのだからそんな目しないで」
 この姫、どこまで私の評価を貶めるつもりだ。同じ顔してるってんでちょっと会うのを期待した私を返せ。というかカジノのディーラーは基本的に悪い人なんですね初めて知りました。
「……まあ、一概に良い人ではないですよ」溜め息を吐いて、自分を落ち着かせる。「それどころか、やってることは基本的に悪いですよ。だから、基本的に頼まれた時にしか探偵はしません」
「どうして?」
「自分の利益の為だけに探偵してたら完全に悪い人だからですよ。そうでなくても、探偵に探られる人は嫌な思いしかしませんし」
「だから、やめちゃったの?」
「そういうわけじゃないですけど……今でもそれっぽいことはしてるし。逆に自分が知りたいから探偵してることもあるし」
「じゃあ悪い人なの?」
 さっきから質問してばっかりの子だ。そろそろ答えあぐねてきた。
「私、悪い人でしょうか」
「良い人に決まってるじゃない! この国を助けてくれたんだから!」じゃあ聞いてくるなよ。
「……そういえば所長……ああ、私の知り合い達はどうしてます?」
 この話を続けるのも面倒なので、私は話題を別に逸らした。目覚めた時のお見舞いが一人だけというのには慣れているが、今回はさすがにちょっと状況が違うから気になる。
「みんなならお城を出てどこかに行っちゃった。誰もあなたのこと心配してなかったけど、まあ納得ね」
「ああ、そう……」
 痛く傷付いた。不死身になってから良いことあんまり無いな。
「って、さらっと話してたけど私の秘密知ってるんですか?」
「不死身のこと? それとも異世界のこと?」
 どっちも知ってるじゃないか。なんてこった。
「あの、本当に信じてるんですか、その話」
「少なくとも不死身の話は本当だったわね。セバスチャンも不死身になれるのかしら」
 とことん私とあの人を同列に扱うのはやめてほしいな。
「そうよ、異世界よ! あなたたち、どうやってこの世界に来たの? どうやって元の世界に帰るの?」
「う……」
 嗚呼、ついに目を逸らし続けたこの問題に直面してしまった。
 どうやってこの世界に来たのか。
 どうやって元の世界に帰るのか。
 どうやってその方法を探すのか。
「だ、大丈夫っ? 熱でも出た?」
「知恵熱じゃないですかね……」
「うそっ? ユリって何歳なの!?」冗談は苦手だが、冗談の通じない人はもっと苦手だ。
 起きて早々、また深い溜め息を吐いた。まあ、そう悲観することはないだろう。目覚めたばかりの時と今とでは状況が違う。今は所長達もいる。異世界渡航のプロフェッショナルがだ。今度ばかりは労せず事がうまくいくだろう。そう思えば、少しは気が楽になる。
「やれやれ……」
「何よ急に落ち着き払っちゃって」
「いえ、ようやく思い残しも無くなったなって――いや」
 そう思っていたら、さっそく何かが引っかかった。どうしてチャオの存在が伏せられ続けてたのか、だ。私には知る必要のないことだし、さほど知りたいとは思わないのだが、なんとなく知らないままというのはもやもやするものがある。今を逃すと知る機会も永遠にないだろう、みたいな。
「それってセバスチャンから聞いたの? その話、王家の人以外はみんな知らない話だから、言いふらしちゃだめよ」
「わかってますけど……えっと、お嬢様はどうしてチャオのこと内緒にされてたか知ってます?」
「やだ、お嬢様って。やっぱりセバスチャンみたいねあなた」もうそれ引っ張らないでくれよ。「残念だけど、知らないわ。不死身の木と同じで100年間の謎ね」
 そういって彼女は何やら期待の目線を私に向けてくる。
「……何か?」
「こういうとき、探偵のあなたが一日でぱーっと解決するのよね? 不死身の木と同じで」
「勘弁してください」
 確かに個人的にちょっと気になってるけど、昨日の今日でそんなことしたくない。というか私はもう帰りたい。頼むからそんな無理難題吹っ掛けないでくれないかな!
「だいたい、知りたいなら自分で調べればいいじゃないですか」
「やーねえ。私にできるわけないじゃない? 100年の謎を解き明かすだなんて」
「簡単ですよ。ほら、今ならバケモノ問題も解決したんだし。ちょいと知ってる人を探し出せば教えてくれますよ」
 今でも知ってる人がいれば、の話だが。
「そういうものなの?」
「そういうものです」
「ふうん、そういうものなんだぁ」
 椅子から立ち上がり、私に背を向けて腕を組んだ。どうやら調べてやろうかやるまいかと悩んでいるらしい。まあ、それはそれで結構だ。これで私はようやく御役御免になったわけだ。


「――ぁ」
 そう思ったとき、不意に後ろから枕のようなものをぶつけられた、みたいな感覚があった。
 いったいなんだ?
 私がその感覚に気付いたときには、後ろを振り返ることも、頭をあげることもできなくて。

 ふっと、目の前が真っ暗になった。

このページについて
掲載日
2011年12月24日
ページ番号
25 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日