No.7

「おっと、アリスのお帰りですね」
「ユリです」アリスじゃねーよ。
「おやおや、濡れているではありませんか。おまけに酷く疲れているようで」
「そりゃもう」
 行きは城門を強行突破したっていうのに、帰りは城壁の外と地下通路が繋がっているということを知って失意のままにとぼとぼ帰ってきたせいだろう。どうして私ってヤツはいつもこう、帰る時になってから近道とか昇降機の存在に気付くんだろう。
「ほほ、これほどに年季の入った顔をした少女を見るのは初めてです」
「女っ気や“若さ”に乏しいって意味ですか」
「ユリ様は“使えない”という意味です」
 用意の良いことに、セバスチャンさんがタオルで私の髪を拭いてくれる。とても良い笑顔で。
「……ところで着替えの“服”とかありませんか?」
「残念ながら“閉店”です。汚れは目立ちますが、幸い酷く濡れているようではなさそうですよ?」
 自然乾燥しろってか。ひでえ執事もいたもんだ。水でべたつくのを我慢して、私は手近な椅子に腰を降ろした。
「それで、何かわかりましたか?」
「バケモノについては残念ながら何も。ですが“海”が帰ってきました」
 ……だんだんこのじじいと話すのが嫌になってきた。
「“彼女”って?」
「ユリ様の“安全”な顔をした人です」
「あの、いい加減アリスごっこは“ヤメ”にしてもらえませんか。会話が円滑に進みません」
「“在庫”がなんですって?」聞いちゃいねえし。
「私と“同じ”顔って、つまりクリスティーヌ姫ってことですよね」
「ええ。人伝に聞いた話ですが。私は直接会ってはいません」
「ふうん……って、そういえば私、平然と不在になってたんですけど大丈夫でした?」
「幸いバレずには済みました。王も今の今まで休んでおられましたし、民の騒ぎは治めきれませんでしたが――お嬢様の側近のメイド、覚えていますか? 彼女がうまく立ち回ってくれたおかげで、懸念していた問題は起きませんでしたよ」
「へえ?」
 あのメイドさんがね。それは何よりだ。ようやく私がお姫様ではないと証明されるわけだ。ようやく肩の荷が下りてほっと一息。
「ですが、また問題ができまして」
「ん?」
「そのお嬢様がまたお城を出て行ってしまわれました」
 古典的に椅子から転げ落ちた。
「ほっほ、なかなか楽しい御方だ」
「楽しくねえよ! ちゃんと引き“止めろ”よ!」「“在庫”がなんですって?」「それはもういいっつってんだろ!」
「もちろん私も会いにいこうとしなかったわけではないのですが、その頃には既に騎士団の団長様とその他を引き連れていなくなってしまいました」
 最悪だ。せっかくのチャンスが音も無く消えてしまった。どんだけ運が悪いんだ私。もうちょっと早く帰ってきていれば私自身がお姫様を引き止めに行けただろうに。
「まあまあ、お嬢様の無事が確認できただけで良しとしましょう。団長様が一緒ならば問題もありません。私達は私達の目的を果たしましょう」
 何も情報掴んでないくせに。
 まあいくら嘆いても仕方ない。私は椅子に座りなおし、どこから話を始めたものかゆっくりと考えてから口を開いた。セバスチャンさんは引き続き私の髪を拭きながら私の話に耳を傾ける。
「この町の外に森があるの、知ってますよね」
「ええ、もちろん。国を挟む北の森と南の海。この国に住む者は皆知っていますよ」
「その森に枯れ木が何本もあるのは?」
「森ですから、枯れ木があるのは当然ですね」
「その枯れ木が、不自然に多いと感じたことはありませんか?」
 妙な問いかけに彼は一瞬だけ手を止める。
「枯れ木が目立つと感じたことは、無くも無いですね。それがどうかしたのでしょうか」
「あの森の木がなぜ不死身なのか、思い当たる節を見つけたんです」
「――外の枯れ木と、何か関係が?」
 私はゆっくりと頷く。
「何かよっぽどおかしな事が無い限り、どんなものだって斬られたり燃やされたりすれば死にます。あの木は本来ならとっくに死んでるんです」
「当然でしょうな」
「既に失くした命をどうやって取り戻しているか。方法は至って単純なものでした。あの木は他の命を奪って生きてるんです」
「外の森の木から……ということですか?」
 さすがに察しが良い。私が頷くと、彼は私の頭を拭く手を止める。
「ですがどうやって?」
「恐らく、あの木と外の木は地中の奥深くで繋がってるんだと思います。あの木がバケモノを生み出すたび、斬られたり燃やされたりするたび、根っこを通じて他の命を奪う。そして外の木は急速に命を奪われ、瞬時に枯れてしまう」
「案外簡単な手品の種ですな。しかし、どうしてそれに気付いたのですか?」
「見つけたんです。命を奪われたばかりの木を」
 そう、それがあの時見つけた矛盾の答えだった。
“今、触れることのできないカズマは、枯れ葉に埋もれながら地に伏せている。なぜか? それは私が撒いたバケモノに襲われたから。”
 この一文に隠された矛盾。それは“枯れ葉に埋もれながら”と“私が撒いたバケモノに襲われた”。
 一から考えてみよう。まず、私は森の中に入ってバケモノたちを撒いた。だがその一方で、そのバケモノたちにカズマが襲われてしまう。恐らくあの時聞いた「ばか」なる一言が聞こえた前後にだ。それがカズマの倒れたおおよその時刻。それから私は聞こえた声を頼りに移動し、枯れ葉に埋もれてうつぶせに倒れていたカズマを見つけた。声を聞いてからカズマを見つけるのに、長く見積もっても10分。
 ここでちょっとおかしなことになってくる。
“なぜカズマは、たったの10分足らずで枯れ葉に埋もれてしまったのだろうか?”
 普通、秋に大樹の近くで寝転がったとしても人一人が10分以内に枯れ葉に埋もれてしまうというのは、人為的でなければ考え難いことだ。では、どうしてカズマは枯れ葉に埋もれていたのか? 普通に考えれば、実はカズマはもっと前に別の誰かにやられ、それからずっとあの場で倒れていた、とかいう答えになるだろう。だが、私はそれとは違う可能性に気付いた。それこそが、不死身の木によって命を奪われた木が急速に枯れ、カズマを枯れ葉に埋もれされたという事実だ。
「素晴らしい」
 私の髪を拭く手を止め、セバスチャンさんが私の前に回りこんで両手を握ってきた。
「え、あの」
「やはりあなたは私の見込んだとおりの御方だった。百年間謎に包まれていたあの不死身の木の秘密を、たったの半日で解き明かしてしまうとは」
「そんなオオゲサな、まだ確証にも乏しいし」
「いいえ、決して大袈裟ではありません。ユリ様の名前は私が責任を持って歴史に刻んでおきますので」
「いや、ちょ、それは勘弁してください恥ずかしいです」
「何を仰いますか! この国、延いてはこの世界を救った英雄の名を刻まぬなど、我が国一生の恥です!」
 ああ、そういえばそんなすっげえ大きな話だったな。やってることが地味そのもので未だに実感が湧かなかった。
「別に、まだ世界を救ったわけじゃありませんよ。むしろ問題はここからです。極論、外の森を全て焼き払ってしまえば、不死身の木を死なせることも可能ですけど」
「むう……それは難しい話です」
 セバスチャンさんはぱっと私の手を離し、顎に手をあてて緩やかに歩く。
「この国は北の森、南の海から採れる資源や食料で発展した国です。その内の一つを手放すのはとても難しい判断です。資源もそうですが、この国の評判にも関わります」
「やっぱり国王さんも納得はしてくれませんよね……」
「いえ、国王ならば国民の為に泥を被る覚悟はおありでしょう」やれるんかい。「しかし、その決断に全ての者が応と答えるはずがないでしょう。最悪の場合、国王に反旗を翻すものも現れる可能性がある。そうなればこの国の秩序は失われてしまう」
「……結構考えてるんですね」
 どうやらこの執事さん、この国の政治の一端を担う立場にあるようだ。かなり先のことまで考えている。
「伊達に歳を取ってはいませんので。……それは置いといて、如何なさいましょう?」
「え、私に聞くんですか」
「何か良いアイディアはありませんか?」
 そりゃ無茶振りってやつだ。とはいえ、一応考えるだけ考えてみる。
 私達の目指したい目標は、この国一帯の地理的、政治的ダメージを抑えつつ、バケモノを完全に排除すること。バケモノを排除する方法は、不死身の木の根っこを断ち、生命力の供給を途絶えさせること。ただ、不死身の木の側から根っこを断ってもすぐに再生してしまう。かといって北の森側から根っこを断とうにも、間違いなく不死身の木は北の森の大部分から命を奪っている。それら一つ一つを探るのでは時間が掛かりすぎる。早期解決の為には森を燃やすくらいしかない。だが、どちらにしても森林破壊をすることに変わりはない。
 やっぱり無理じゃないのか、これ。
「ほっほっほ」
 何が面白いのか、セバスチャンさんは私の顔を見ながら暢気に笑っている。
 なんにしても、根っこを断つとか断たないとかそういう路線では良い解決策は出そうに無い。もっと別の視点からバケモノを排除する方法はないだろうか。
 例えば……不死身の木が自ら北の森との繋がりを無くす、とか。
「もっと有り得ない」
「何がですか?」
「いや、その、不死身の木が自分から命を奪うのやめないかなあって」
「ふむ?」
 何気無く話しただけだが、ずいぶんと興味を惹いたようだ。天井を仰くこと数秒、ぽんと手を叩いて彼は口を開いた。
「つまり、北の森から命を奪う必要を無くしたいということですか」
「……命を奪う必要を?」

 その言葉を聞いた途端に――一つだけ、方法を思いついた。

「あの、セバスチャンさん」
「なんでしょう?」
 ゆっくりと言葉を考えた。頭の中で浮かんだ一つの方法が勢いを増していて、ちょっと空回っている。
「その……そもそもあの木は不死身になったりバケモノを生んだりして、何がしたいのかわかります?」
「ずいぶん急な質問ですね」
 彼は今度は床を睨み、じっくりと言葉を探し始めた。今度は何十秒もかかった。
「我々のようになりたいのかもしれませんね」
「私達のように?」
 机の上に置かれた本の表紙を指先でなぞりながら、彼は思い出すように話す。
「あの不死身の木がなぜ生まれたのか? それについて記された本を私は知りません。ですが、チャオはこの世に存在するあらゆる生き物の特性を我が物にすると聞いたことがあります」
「キャプチャ、ですか」
「ほう、キャプチャと言うのですか。さすがに詳しいですね」
「まあ……」
「そのチャオを取り込み、自らも強固な存在となる……それが本に記されていた仮説です。おそらくそれに間違いはないでしょう。知識こそあれど、この世に存在する獣のような特性を持たない人間を狙わなかった理由にもなる。それらを前提に考えれば、あの木の必要なものは二つ」
 彼は指を二本立てる。
「一つはチャオの溜め込んだこの世の獣達の特性。もう一つは」
 指を一本折り、一拍置いて答えた。私が。
「生命力、ですか」
「その通り。前者は過去に取り込んだチャオ達のおかげで十分に条件を満たしたでしょう。ですが、後者の生命力が問題となった。だからあの木は100年も根を這っていた。そして再びチャオが現れた今、同じことを繰り返した。おそらくあの木は、未だに自らの計画が既に失敗していることに気付いていない」
「計画?」
「そう。自らが我々と同じ、もしくは上位の存在になるという計画です。と言っても、おそらくは本能的に進化を求めているだけで、計画するほど高い知能はないのでしょうが」
 なるほど、食物連鎖のヒエラルキーの上に立ちたいってことか。まるで私の世界で起こっている裏組織の抗争みたいだ。
「それじゃあ、もし生命力の面の問題を解決したら?」
「おそらく、地に根を張ることをやめて大地に立つでしょう。結果的に北の森は助かるでしょうが……こちらの被る被害は増すでしょうな」
「……わかりました」
 セバスチャンさんの話は、私の背中を押してくれる良いバネになってくれた。私は椅子から降りて、再びテーブルの下に潜る。
「どこへ行かれるのですか?」
「不思議の国ですけど」
 あえて誤魔化した。私がこれから何をするかなんて聞いたら間違いなく引き止められるだろう。床の扉を開け、さっさと目的の場所へ向かおうとする私に、彼はよく響く声をかけた。
「何か方法があるのですか?」
「……ええ。多分、大丈夫です」
「本当に?」
 その言葉一つだけで、私の心は簡単にぐらついた。正直言って私の考えている計画は穴だらけだ。下手をすれば、まだ北の森を燃やした方がマシな結果になる。これは賭けだ。結果だけ高望みして賭け金を釣り上げまくった。今なら降りることができる。でも私は今、ここで降りるべきか否かわからない。
「……何か良い話とかありませんか?」
 私はうさぎの穴の縁に腰掛け、足をぶらつかせた。
 やはりアリスのようにはいかないものだ。この先に何があるのか知っているせいなのかもしれないが、誰かに背中を押されなければ縦穴に落ちることもできない。興味や好奇心だけで暗い穴に飛び込めるほど、私は子供ではない。希望という明かりがないと、不思議の国を冒険することができないんだ。
「良い話、ですか。……ふむ、黙っていようと思っていたのですが」
「なんですか?」
「先ほどお嬢様が帰ってきた、と話しましたね。実はお連れ様も一緒でして」
「連れ?」
「ええ。チャオと子供達です」
「っ! 痛う……」
 思わず飛び上がってしまい、テーブルに頭をぶつけてしまった。
「おやおや、大丈夫ですか?」
「本当なんですか!」
「教えたら後を追ってしまうかもしれないと思い、言わないつもりでした」
「あの、みんなどこへ行ったんですか、聞いてませんかっ」
「詳しいことは存じ上げておりません。ですが、お友達探しをしているとは聞いております。……きっとあなたのことですよ」
 私を……探してる。パウやリムさんが、ヒカルやハルミちゃんが、私を。所長とカズマも一緒にいるのかな。もしそうなら、きっと大丈夫だ。みんながいるなら、うまくいく。
「ありがとうございます」
「行くのですか?」
「はい。きっと成功します」
「わかりました。ユリ様が目を覚ますのをお待ちしております」
「……アリスが目を覚ますのって、お姉さんのいる場所じゃなかったですか?」
「おや、そうでしたな。これは失敬、すぐに配役をし直さなければ」
 気負わぬ彼の言葉に背中を押されて、私はいよいよ穴の中へ落ちた。


 ̄ ̄ ̄ ̄


 心臓が悲鳴をあげているようだ。血流や心拍数が早くなり、今にも倒れそうなくらいクラクラしている気がする。
 私は死なない。痛みも知らない。それは知っている。それでも、処刑台に行くのは怖い。そこに幽霊がいると知っていても、覗き見るのは怖いものだ。別にホラーが苦手ってわけではないけど。
 わざとらしくつばを飲み込んだ。少し緊張が解れるかなと思ったけど、それでも目の前の鉄扉を開ける手に力が入らない。
 ――大丈夫。みんながいる。
 再三自分に言い聞かせ、私はようやく鉄扉を開いた。
 蜘蛛の巣のように広がった根っこがある。どうやら私のことを覚えていたようで、私が中に踏み入るとすぐに根っこがこちらに伸び、私の腕をからめとった。
 抵抗はしない。
 やがて体中が根っこで包まれると、とうとう根っこは私を持ち上げて自らに取り込もうとする。さっきまであれだけ躊躇していた私も、事ここに至ってようやく余裕がでてきた。根っこがちくちくして煩わしいなと思う余裕さえある。
 100年という長い月日を経て、いよいよこの木は不死身になる。それにより北の森との繋がりは断たれ、この木は念願の獣として大地に上がるだろう。だが、その時がお前の門出だ。
 彼らがいる。それだけで、私は希望が持てる。
「大丈夫」
 そう誰かに言い聞かせた。
 体のどこかに傷がついたのか違和感を感じる。生命力を吸われているのだろう。すごく眠い。抗うこともせず、私は睡魔に身を任せた。
 大丈夫。
 次に目を覚ます時は、お姉さんの優しい笑顔が待ってる。

このページについて
掲載日
2011年12月24日
ページ番号
24 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日