No.6

「そうは言うけどさあ」
 これから具体的にどうしたものか全くアテがない私は、地下通路の中でうだうだと独り言を呟いている最中だった。
「情報が少なすぎるっていうかさあ」
 いわゆる愚痴だ。というのも、ここで目覚めてからの私の境遇と来たら、波乱万丈過ぎてお腹いっぱいなのだ。嬉しくて愚痴だって出てこようってもので。セバスチャンさんも面倒なことを頼んでくれたものだ。
「まずは所長達でも探してみるべきかなあ」
 なんとなく見取り図を眺めながら、どこから地上に出たものかと思案する。気がつくと私はあの鉄扉の近くまでふらふらと歩いてきていた。どうやらここのすぐ近くにも出入り口があるようだ。悩んでも始まらないと、私は重い腰を上げて地上へと向かった。


「あれ」
 出てきて真っ先に思ったことは、ここは町の外かという疑問だった。なんせまず目に映ったのが森だからだ。確かにあの木の根っこの近くから出てきたとは言え、私の予想では大きな大木が一本だけ立っているものかと思っていた。見る限りここは立派な森だ。草木が踏み鳴らされていて人が出入りしているような森ではあるようだが。
 マンホールのような出入り口から体を出し周囲を見渡してみると、どうやらここは町の中だということがわかった。木々の向こう側に建物の姿が見える。どうやら町の中の森らしい。通常であればここの木々は切り倒され、何か建物を作るかするのだろうが、そうもいかないからこの森があるということなのだろう。どこまでも厄介なことで。
 とにかくじっとしても始まらない。森を出る為の道を見定め、私は歩き出す。町の中に自然があると言えば聞こえはいいかもしれないが、歩いてみるとこれがまた退屈だ。色取り取りの花でもあれば話は別だったろうが、いかんせん木と土と石と草しかありゃしない。夕陽に照らされてさらに侘しい。空気のおいしさでも堪能するしかないのだろうが、あまり違いもわからないし。さてどうしたものだろうと困り果てる私の視界に、緑と茶色以外の何かが移った。それは木と隣り合わせの白と青。
「所長?」
 なんたる僥倖。第一村人発見。
「所長!」
 駆け寄って声をかけてみるが、返事がない。木に背を預けて眠っているようだ。異世界に来てるっていうのになんて悠長なんだ……と思ったが、よくよく考えてみれば所長は異世界出身だ。チャオが絶滅してるこの世界出身でないことは確かだが、こういう状況には慣れてるんだろうか。だが、ここは起きてもらわなきゃ困る。私が。
「すみません、起きて――」

 所長を起こそうと伸ばした手が、宙を掠めた。

「え、わっ」
 驚きのあまり体勢を崩しかける。その拍子に何か硬いものを踏みつけた感触が。
「ああっ、眼鏡がっ」
 なんとも運の悪いことに、それは所長の眼鏡だった。それはもうレンズが粉々になり、フレームも見事に歪んでしまっている。なんてことだ、これじゃ給料が下がるか地位が下がる。……普通の会社なら。
 いや、そんなことより所長だ。今、確かに手をすり抜け――
「げっ」
 もう一度確認しようと思って顔を上げたら、すげえ奇妙なのを見つけてしまった。土の塊に取り付けたような二つの花だ。しかも目玉のようにギョロギョロと動いていて、私の顔を凝視している。二頭身強くらいの大きさの土人形で、腕と足が異様にデカい。これが噂のバケモノか。
 逃げようと思って振り向くと、同じ奴が既に数匹立ちはだかっていた。さらに別の方向から二匹、三匹とどんどん集まってくる。
「所長、逃げないと! 所長!」
 とにかく声をかけるが、起きる気配がない。こうなりゃ抱えて逃げるかと思って手を伸ばしても触れない。なんだこれ。なんなんだこれ。
 半ば混乱状態に陥るが、何はともあれぼーっと立ってたらどれだけ集まってくるかわかんないので、早々にギアを稼動させて逃げ出した。御一行さん達は驚いた様子も無く、猿みたいな動きで追ってくる。所長の身の安全が気になるが、そうも言ってられない。多分私が触れなかったからあいつらも触れないさ多分。
 と、ものの一分もしない内に森を飛び出す、味のある石造りの町並みは既に荒らされてしまった後のようで、廃墟みたいな印象を受ける。人の姿こそないが、振り返れば建物という建物を軽快に飛び移るバケモノたちが大挙して押し寄せてくる。その数、百匹は軽く越えている。学校の一学年全員の引率でもしているみたいだ。
「って、私は先生でもなんでもないんだよ!」
 そうして道を二つ三つ曲がると町の出入り口が見えてきた。思い切って外に逃げ出すか。だが緊急事態なのか門が閉まっており、そう易々と出られそうにも――
「あれだっ」
 城壁へ登る為の階段を見つけた。あそこを通って城壁から飛び降りれば町の外へ行ける。
「お、おい、なんだあれは!」
「姫様……姫様なのか?」
「いや、それよりも後ろだ! なんだあの大群は!」
「退いてッ!」
 バケモノの百鬼夜行に驚く衛兵達を避けて階段を駆け上がり、城壁を飛び出した。滞りなく着地し、勢いを殺さぬよう速度を維持する。我ながらギアの扱いがうまくなったものだ。後ろを振り返ると、バケモノの何割かはまだ私を追っていたが、大半が城壁の兵士達と交戦を始めていた。申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら逃げ場を探すと、私は大規模な森林に目が留まった。
 ……何かがある気がする。
 元探偵の勘だろうか、私はそれに倣うように森へとすっ飛んでいった。


 ̄ ̄ ̄ ̄


 ようやく追っ手がいなくなったのを確認した私は、木を背凭れにしてひたすら荒い息を吐いていた。
 ギアの扱いがうまくなったなという自信が、この森の木々という障害物を前にして砕けてしまった。うっかりスピードを出すと木に体当たりしてしまう。だから森に入ってからは自分の足で逃げ回っていたのだ。あいつらを撒けたのは奇跡みたいなものだ。
 荒い息をようやく整え、重い腰を上げる。ここへやってきたは良いが、ここに何があるというのだろうか。
「いや、自分でやってきたんだし……」
 額を手で押さえ首を振る。我ながらいい加減な勘をしているものだ。確かにあの不死身の木が生えてる場所も森だったが、それがここと何か関係があるという根拠もないだろうに。
「……森、ね」
 私以外は誰もいないのだろう、とても静かだ。またバケモノが湧いて出たりするわけではない。これでここでもバケモノが現れれば手がかりを探す手間が省けただろうに。そう思って溜め息を吐きかけた時。
 ――声が聞こえた。
 街角で人と出くわしてしまった野良猫か、はたまた水槽のガラスを叩かれた魚のように私はピクリと反応した。
「ばか……?」
 間違いない。誰かがそう叫んだような気がした。誰かいるみたいだ。こんな森にいったい誰が? それにばかってなんだ?
 気になった私は、声のした方――私がやってきた方角へと引き返した。改めて振り返ってみると、かなり奥の方まで走ってきたらしい。ここからは森の外なんか全く見えない。出たい時は斜面を降りていけばいいから問題はないが、何しろここまで全力疾走だったから非常に疲れている。正直もう歩きたくない。そうやってのろのろと歩いていく内に、頬に冷たいものが当たる。
「最低……」
 こんな時に雨だ。この調子で歩いていたら足場も悪くなって到底歩けたもんじゃない。渋る体に鞭打ってペースを上げる。ギアの出力を抑えて使えば歩かずに済むかなと考えたが、残念ながらそちらの方が遥かに難しいことに気づいてすぐに諦めた。バランスも取りづらくなるし、何より足が棒のようになっていて姿勢制御なんかできそうにない。
「あー、最低」
 もう一度同じ言葉を繰り返した。目が覚めたら知らない人にお姫様扱い、人違いだという言葉は届かず身に覚えのないことで怒られ、かと思ったら今度は記憶喪失だと騒がれ、ようやく別人だとわかってくれたと思ったら不死身のバケモノ退治に付き合えと言われ、当のバケモノには命を狙われ……学校生活で例えれば登校初日に委員長に任命された挙句、全ての学校行事に裏方としての参加を強制されてるようなものかね。
「委員長でもないっつの……」
 面白くもない。自分のあまりの境遇の悪さも、例えも。溜め息が止まらない。いや、これは疲れて息が荒いだけか。
 なんにせよ私の運はちょいと悪いどころではない。死を経験したことがあるなんて履歴を持っている奴は、少なくともフィクションを含めてもあんまり多くないはずだ。これ以上悪いことが起きるなんて滅多にないだろう。
 そんなことをつらつら考えながら歩くこと10分ほど。そろそろ濡れた服が肌に張り付いた感触にも慣れきってしまった頃、私はあるものを見つけた。
「……何これ?」
 枯れ葉だらけの場所にやってきた。まるでここだけ秋が訪れたように。その中に埋もれるように靴が落ちていた。気になって拾ってみようと近寄った時、もっとおかしなことに気付いた。茶色い枯れ葉に埋もれて黒いものが見える。それはまるで髪の毛のようで、改めて靴を見てみると、これは落ちているのではなく誰かが履いたまま倒れている状態であることに気付く。
 慌てて私は枯れ葉を払い除けた。誰かがこんな場所で倒れている。誰だ、いったい?
 枯れ葉の下には、私の見慣れた服装が見えた。私の世界でありふれたファッションだ。この世界の人間ではない。こいつは……
「カズマっ?」
 どういうことだ。なんでこんなところでカズマが倒れている。急いで起こそうと手を伸ばしたその時。

 私の手は、宙を掠めた。

「え?」
 おかしい。
 今、私はカズマを起こそうと手を伸ばしたはずだ。
 もう一度、カズマに触れてみようとした。だが、カズマの体は古ぼけた電気のように明滅しており、そこに実体がないかのようだ。いくら触れてみようとしても宙をかき混ぜることしかできない。
「所長と同じ……?」
 なんでまた、カズマまで?
 正直言って何がなんだかわからないが、とにかく調べてみないことには始まらない。
 うつぶせに倒れているカズマの顔は、やっぱり私の見知ったカズマの顔だ。多分カズマで間違いない。はず。服装は昨日、というより最後に元の世界で見たカズマの服装そのものだった。ただ相違点として、腰になにやら鞘のようなものがあることに気付く。近くには剣が落ちているし、どうやらカズマが使っていたものらしい。さらに調べてみると、右腕に大きな傷跡があることに気付いた。いつ負った傷なのかはいまいちよくわからない。というのも、出血自体はしていないのだが、カズマが倒れている場所には真新しい大きな血痕がある。
「……まさか、死んでるとか」
 ふと嫌な可能性が頭の中をよぎった。少なくともこれだけの傷や血痕からすれば、普通は死んでいてもおかしくない。だが、肝心のその部分が曖昧だ。脈を確認しようにも、触れないんじゃ始まらない。呼吸していないようには見えるのだが、それでもこの状態ではいまいち生死を断定することができない。そもそもこれがカズマである保証がないわけだが……それを言い出すとキリがないので、あまり考えない方向で。
 現状言えるのは、私と同じようにこの世界に来ていたカズマは、ここで誰かと戦闘行為を行った結果負傷してしまい、ここで倒れた。と、簡潔にまとめるとそんな感じか。
 ……誰と?
 右腕の傷をよく見てみる。最初は斬り合いで負った傷かと思ったが、これは切り裂かれたというより引き裂かれたように見える。獣か何かを相手にしていたと見るのが妥当だろうか。獣といえば、今はバケモノがタイムリーだけど。
「…………うっそだあ」
 二つ、アテがある。一つはあの森と同じようにこの森がバケモノの発生源であり、カズマはそれに出くわしたから。もう一つは、私がヒーコラ言いながら撒いた追っ手のバケモノに出くわしたから。前者であれば心も軽やかなのだが、大方後者だと思う。ギアを稼動させてなお撒くのに手間取ったあいつらから走って逃げ切れた理由にもなる。ストレートに言えば、私のせい。
「あーあー、私が悪者なんだー」
 セバスチャンさんの困ったような笑みが見えた気がして、汚れるのも構わず枯れ葉だらけの地面に寝転がった。いい加減心も体も疲れきってうんざりしている。このまま眠っていたいくらいだ。もちろんそんなことをしていても状況はこれっぽっちも好転しない。それどころか不死身の木にバケモノと脅威が存在する今、ますます悪化する。
「所長も置いてきちゃったし」
 バケモノの狙いはチャオであるからして、間違いなくあの場にいた所長は目をつけられている。最悪、あのまま目を覚まさずに灰色の繭の中で眠りにつく可能性だってあるのだ。そうでない可能性もあるにはあるのだが……
「結局これってなんなのさ」
 一番の問題はそこだ。所長、カズマ、この二人に起きているこの異変。まるでホログラムか何かのように触れることができない。もちろんホログラムってわけではないだろう。何せここは見るからにファンタジアな世界だ。そんなオーバーテクノロジーが存在するわけがない。とすれば、これは魔法的な何かになるのだろうか。
「あの木のしわざ、とか」
 現状思いつく可能性はそれくらいなものだ。仮にそうだとして、この状態がいったいどういう意味を示すのか全然わかるわけないのだが。いくら考えても答えは浮かばず、私は地に落ちた枯れ葉をひたすらちぎるのに時間を費やす。完全な手詰まり。手にすることができるのは、この枯れ葉のようにいくらでも降ってくる疑問だけ。

 ふと、枯れ葉をちぎる手がぴたりと止まった。
「……枯れ葉?」
 周囲を見渡した。そこいらに枯れ木が何本か見つかる。森の中のまばらな枯れ木は気づけばなかなか目立つのだが、カズマばかりに注目していて全然気付かなかった。
 なぜだろう。何かが引っかかる。
 今、触れることのできないカズマは、枯れ葉に埋もれながら地に伏せている。なぜか? それは私が撒いたバケモノに襲われたから。
 この一文におかしな部分がある。平たく言えば――そう、矛盾だ。何か食い違ってる。

「これは……おかしい」
 その矛盾の正体に気付いたとき、私は確信に満ちた目でここから遠い場所を見据えた。

このページについて
掲載日
2011年12月24日
ページ番号
23 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日