PRINCESS SIDE TO AFTER
――これはなんの冗談かしら。
突然もぬけのからになってしまったベッドを見つめて、私は真っ先にそう思った。
 ̄ ̄ ̄ ̄
「ふじみっ?」
友人達が彼女のことについてそう告白した時、にわかにはそれを信じることがなかった。事は昨夜、あの巨人を打ち倒して城に帰還し、彼女を私の部屋に寝かせていた時だ。
「詳しい話は面倒だから省くが、ユリは確かに不死身だ。あの駄々っ子巨人をどう頑張っても殺せなかったのもそのせいだろう」
「だからあの時、根っこをぶった切っても死ななかったのかアイツ」
白い帽子を身に着けたチャオ――ゼロの言葉に、カズマは額に手を当てた。
「信じ難い話ですが……なるほど、ユリ様の言っていた方法とはそういうことだったのですね」
「セバスチャン、彼女と会っていたの?」
「ええ。かの木が不死身である謎を解き明かしたのもユリ様です。その後、木の根の下へ行き自らの身を差し出したものかと思われます」
「どうしてそんなことを」
「ユリ様は賭けだと仰っていました。おそらくユリ様は自らの身を使ってかの木を真に不死身にし、外の森から命を奪う理由を無くしたのでしょう。その後のことは、おそらくご友人たる皆様に任せたものかと」
「それ、ひょっとして僕が木の根を切り落とす方法に気付かなかったらヤバかったってこと?」
「ヤバかったでしょうな」
「……アホか、こいつは」
信じられない。いくらそんな方法を思いついたとしても、実行に移すことができるだなんて。少なくとも私には不可能だ。あの木が外の森から命を奪うのをやめない可能性だってあるというのに。それに、バケモノの体内から出られなければ状況は悪化の一途を辿っていた。
「ですが、皆様のおかげでこの国が救われたのは事実です。後に国王様から感謝の言葉と褒美が用意されています」
「いらねえよ褒美なんて。物品なんか持って帰れるかわかんねえし、飯食わせてもらうって言われても嬉しくねーし」
「所長さん、こういうのってもらっとくのが礼儀じゃないの?」
「それってヤーさんの世界のハナシじゃねえのか。とにかくいらんもんは要らん。じゃあな」
「本当に一企業の代表? 所長さんらしいけど社長らしくはないね」
そういって彼らは早々に出て行ってしまった。私達は呆気にとられるばかりで、後を追うことも忘れてしまった。
「……異界の方って、なんだか凄いのね」
「マイペース、と形容すべきなのでしょうか」
 ̄ ̄ ̄ ̄
「……マイペース、か」
私以外に誰もいない、私の部屋。誰もいない私のベッドをまじまじと眺めながら、私は一人呟いた。
本当に信じられない人達だった。魔法を操るチャオ、巧みに剣を振るう少年少女、そして不死身の探偵。
皆、別れも告げずにいなくなってしまった。私達の目の前から、跡形も無く。
「不思議な人達だったなぁ」
そういう私も、何故か不思議と驚きはなかった。突然現れた少年少女達が、突然現れたバケモノたちを滅ぼし、突然消えてしまったというのに。まるで通り雨のようだ。
恍惚とした私の耳にノックの音が響き、一人のメイドが入ってきた。私のお世話係であるメイドだ。
「おはようございます、姫様。よく眠れ――あら」
部屋に入ってきた彼女がベッドの上に誰もいないことに気付き、整った声が一気に調子外れになる。
「姫様、お客人はどちらへ?」
訊かれた私はどう答えたものか少し迷った。単純にいなくなったと言ってしまえばよかったものを、面倒のないように言葉を選んでしまう。
「帰ってしまったわ」
「あらあら、せっかく王様がいろいろと用意してくれていたのに。止めなかったんですか?」
「止める暇もなかったの」
「そうですか。お客人の皆様方、タフでしたね。あんなにボロボロだったのに休みもせずに城を出て行かれるんですもの。まるで嵐のよう」
「そうね……ところで、私これから出かけたいのだけれど」
「あら」
何気無いつもりだった私の言葉に、メイドが口に手を当ててわざとらしく驚く。
「珍しいですね。姫様がお外に出たいと言うなんて」
「なによ。外出ならいつもしてるじゃない」
「いえ、そういう意味ではなく。普段は勝手にいなくなるじゃありませんか」
「だって昨日のことがあるから、朝のお稽古もお勉強もないじゃない。いちいちみんなにわからないように外へ出るのも手間なのよ」
「清々しい主張ですね」余計なお世話だ。「それでしたら、ミレイ様のお見舞いに行ってはくれませんか?」
「気が乗らないわ。また今度ね」
「姫様……」
メイドが呆れたように首を振る。その態度が少々癪に障って、思わず言葉を並べ立ててしまう。
「あんな人の見分けもできない男の見舞いになんか行けないの!」
「まだ根に持ってるんですか。仕方ありませんよ、姫様とお客人様、どう見ても同じでしたもの。間違えて当然です」
「当然のように間違えられた私の身にもなって! とにかく私は行かないわよ!」
「姫様。無礼を承知で言いますが、根に持つ女は好かれませんよ」
「っ~~」
このあたりでとうとう我慢できなくなった私は部屋を飛び出し、乱暴に扉を閉めた。
「もうっ! 城の中にはロクなことがないんだから!」
扉に向かって言葉をぶつけ、振り返った私は思わず固まってしまった。
「……こわい」
「え、あ、その」
なんとも合間の悪いことに、外の森で会ったコドモチャオがいた。
「ご、ごめんなさいね? はしたないトコ見せちゃって」
慌てて取り繕い、頭を撫でてやる。その子の腰の引けた姿勢は元に戻ったが、強張った表情はなかなか抜けてくれない。これは困った。
「あ、そうだ! 一緒にお出かけしましょ。今日はいい天気よ」
曖昧に頷いたように見えたその子を抱き抱え、私はすたこらと廊下を走った。
私が今日にも外に出たかったのは、ユリと話していた100年の謎について調べてみたかったからだ。これでも私は、城の人間の中では最も国の人々と親しいという自負を持っている。民の支持率ならばお父様にだって負ける気がしない。……という話はさておいて、そういうことだから国の人々のことは大まかに知っている。だから聞き込みくらいお手の物だ。
お昼頃であるこの時間帯、大半の男達は商店街で必死に客寄せし、大半の女達はお城近くの憩いの場で談笑に花を咲かせ、大半の子供達は(今はなき)あの森の近くで楽しく遊んでいる。ご老人達は町外れの静かな小川でのほほんとしており、私と同じ歳くらいの者は騎士をやっていたりメイドをやっていたり……
「はああ」
思わず嘆息してしまった。常々外に出かけては思うのだが、この国は私くらいの歳の者が圧倒的に少ない気がする。おかげで城から抜け出しても、年代が違うせいか持っている話題にもズレがあって、私はいつも人の話を聞く立場だ。
「あなたにはこの悩み、わからないわよね」
抱えたチャオの頭を撫でながらそれとなく愚痴を零す。これほど複雑な悩みはない。若い子の話にはついていけず、大人達の話にもついていけず。私という人間は果たして若いのかそうでないのか、さっぱりわからない。
「よくわかんないけど、わかるよ」
チャオは私の目を見ながらそう答えた。言葉そのものは曖昧だったが、その目はハッキリと言葉を告げる目をしていた。
「なあに、それ?」
その妙なおかしさにくしゃりと笑って、私はその子の頭を撫でた。なんというか、一緒にいると心が安らぐ子だ。こうして受け手になってくれる者が周囲にあまりいなかったからだろうか。
何はともあれ、私はチャオのことを詳しく知る人物を探すことにした。この子を連れて歩けば誰もがわかりやすく反応して、聞き込みもやりやすくなるだろう。そう思って連れ出したのだが、どうも事は狙い通りに運んでくれない。まず、お城近くの憩いの場で淑女の皆々様方に捕まった。
「まあ、なんて愛らしい」「こんな動物初めて見たわ」「これ、お姫様のペット?」「素敵ねえ」「もっとよく見せて」
「ええと、私の友達です、ペットではないです、はい」
メイド流礼儀作法の心得、その一。己を律する事、場を律する事也。
私のお世話係であるメイド曰く、所詮礼儀とは相手を不快にさせない為にあると言っていた。その為には、自分の事情のことはできるだけ忘れろ、と大雑把に教えられている。そういうわけなので、私は石像よりも硬い笑顔で皆々様と共に貴重な時間を無駄にした。区切りの良いタイミングで体良く逃げ出し、商店街にやってきてほっと一息吐いた私は、今度は商売人達に捕まった。
「その子、生まれたばっかりなんだって?」「ウチの野菜食いねえ、栄養満点で健康になるよ」「肉はどうだい、大きくなれるよ」
「ええと、今はちょっと持ち合わせが。お金じゃなくて時間の」
メイド流礼儀作法の心得、その二。事情を軽視する事、己を軽視する事也。
私のお世話係であるメイド曰く、人付き合いの悪い無愛想な奴はやがて見放されるが、自分の事情を切り捨て続けては人付き合いも長く持たないとのこと。そうならない為に、断れる事柄は丁寧に断っておけと教えられている。そういうわけなので、並み居る商売人達にスマイルだけ渡してやってすたこらさっさとあの森の跡地まで逃げ出した。そしたら今度は子供達に捕まった。
「おひめさま、なにそれー?」「へんなのー」「かわいい!」「もっとよくみせてー」「ねー、あそぼーよー」
「ええと、お姉さん今日は忙しいのよ。今日の服、汚しちゃダメだし」
メイド流礼儀作法の心得、その三。乗せられる事、落とされる事也。
私のお世話係であるメイド曰く、相手が礼儀作法の必要ない人間だからって、こちらも礼儀を忘れてしまっては自分の中の礼儀作法も腐ってしまうそうだ。その為、最低限礼儀を持っているとアピールしておいて自分の持つ礼儀作法を腐らせるなと教えられている。そういうわけなので、子供達にはまた今度ねと言葉を残して私はその場から逃げ出した。
「もうやだ。なんなの」
この子を連れてきたことがとことん裏目に出ている。かえって関係のない人達の目を惹いてしまっていて、聞き込みするどころかこっちが根掘り葉掘り聞かれてる状態だ。私は聞き込みは楽だという嘘を吹き込まれてしまったらしい。
「う、ううん。まだこれからよ。これからが本番よ」
「あのー、姫様?」
意気込む私の肩を、木材を抱えた男がぽんぽんと叩く。
「えっ? な、なに?」
「ここ、危ないので。その、離れていただけないでしょうか」
「あ」
よく考えたら、ここはバケモノの被害が一番酷い場所で、今は大工だらけだった。
とまあ紆余曲折を経て、ようやく本命の場所へと辿り着いた。ご老人達のいる町外れのところまでやってきた。この辺りは小川があっていつも涼しげで、暑い時期は皆ここで涼み、寒い時期でもわざわざここで焚き火を焚いて過ごしている。最近はご老人達よりも溢れ者が増えた印象があって、町の人はなんとなく近付いていない。私もその一人だ。
小川沿いに進むと、色取り取りの花畑が見えてくる。どうやらバケモノはここまではやってこなかったようで、小川はちっとも濁ってはいないし、花々もその身を散らしている様子はない。昔からまるで変わらない姿がそこにある。
「あ、ちょっと?」
突然、チャオが私の腕の中から降りて走っていってしまった。小川にどぽんと飛び込んでしまうので慌てて追いかけたが、チャオは我が物顔で小川を優雅に泳ぎ始める。泳げないわけではないみたいだ。
「驚かせないでよ……」
チャオに近い場所で腰を降ろし、私は一息吐く。少々疲れているのか、私はそのままなし崩しに仰向けになる。ちょうど風が私の頭を撫で、鼻を髪でくすぐらせる。
……そういえば、昔は歳の近い友達もそれなりに多かった気がする。身分の違いこそあれど、そんなことはお互い全く気にせず遊んだものだ。この場所で。
「……狭くなったかしら」
寝転がったまま周囲を見渡す。昔は広大そのものと思ったこの場所が、私とチャオしかいないというのにやけにちっぽけに見える。
「姫様が大きくなったんですじゃ」
そよ風に飛ばされそうなしわがれた女の声が聞こえて、私は身を起こした。文字通り腰を丸めて松葉杖を持った老人がいる。確か、昔からよくここに訪れていた人だったか。見覚えがある。
「この辺りも静かになってしまった。動けるもんは皆、仕事があると言って町に繰り出しての。何かあったんですかえ?」
「町に? それなら、多分復興活動でしょう。町、ボロボロだし」
「ぼろぼろ……?」
「ええ。町をバケモノに壊されて」
「なんじゃと?」
老人は松葉杖を持った手を振るわせる。今にも心臓を止めて死にそうなくらい、口元が戦慄いている。その目がぎょろぎょろと動き、小川で泳いでいるチャオに止まった。
「おお、なんという、なんという……あれは、チャオではないか!」
「え……」
とうとう松葉杖を落としてしまった老人のその言葉に、私はばっと立ち上がって老人の元に駆け寄った。
「おばさま、チャオを知っているのですかっ?」
今にも倒れそうな老人の肩を揺する。
「は、早くチャオを追放しなければ、ああ」
「ついほう? それって100年前の? おばさま、ひょっとして知ってるの!?」
なんとか落ち着いてもらうために、なんとか老人をその場に座らせる。
「落ち着いて話してください。100年前、チャオはどうなったのですか」
「おお、おお……異形の群れが、チャオを……」
聞いてしまってから少し後悔した。冷静に考えて、実際に100年前の事件に立ち会ったというのなら、この人は当時とても幼かったはずだ。つまり純真無垢な心に、チャオたちがバケモノに襲われたという惨劇を刻んでいる。普通に考えてトラウマものだ。無理に思い出させてはいけない。
「あ、あの、やっぱり話さなくても」
「チャオを、チャオを追放しなくては。おお、おお……」
だめだ。全然聞いてない。いったいどうすればいいんだろう。困り果てて周囲を見ても、誰も助けてくれそうな者は……
「だいじょうぶだよ」
そう思っていたところに、さっきまで小川で遊んでいたチャオが近寄ってきていた。余計事態がややこしくなると思って止めようと思ったが、その前に老人が私の手を振り払って自ら近付いてしまう。
「おお、チャオよ! ここにいては行けない、今すぐ逃げなさい! すぐにも奴らが来る!」
「だいじょうぶ、もういないよ」
「急ぎなさい、わたしたちが守ってあげよう。急ぎなさい、急ぎなさい」
守る? 今、守ると言ったか? 追放じゃなくて?
「だいじょうぶだよ。ぼくたち、もういっしょにいていいんだよ」
「おお、おお……」
チャオのやわらかな言葉を聞いてか、老人は徐々に落ち着きを見せ始めた。というか、今にも眠りそうだ。どの道、この老人から話は聞けそうにない。せっかくの手がかりだと思ったのに。
「祖母さん!」
さらに困り果てる私達のところへ、一人の男がやってきた。私よりも二、三歳くらい年上に見える青年だ。
「祖母さん、またこんなところに……って、姫様? どうしてこんなところにっ」
「ごめんなさい、ちょっとこのおばさまとお話をしようと思っていたのだけど……それどころじゃなくなっちゃって」
「はあ……っていうか、なんです? この水色の」
「ああ、これ? チャオっていうの。外の森で見つけて」
「チャオ? これがチャオなんですか?」
驚いた青年は身を屈め、チャオの顔を間近に見る。うんうん唸るおばさまの隣で睨めっこ。なんと異様な絵柄だろうか。
「チャオのこと、知っているの?」
「祖母からよく聞かされていました。決して誰にも話してはいけない、と言われていた話なのですが……」
「それ、私に聞かせてもらえないかしら!」
「ええっ?」
今が好機とぐっと身を近づけた。青年はあとずさり、困った顔をする。
「いやでも、誰にも話すなって」
「今なら話しても大丈夫! バケモノもいなくなったし、チャオもこの通りいるし! それに話ならちょっとだけ聞いたし」
「ううーん」「むうーん」
悩む青年の顔に意味もなくチャオを近付けたりして、とにかく良い答えを待つ。ひとしきり悩んだあと、青年はいつの間にか眠っていた老人を負ぶった。
「おれの家に来ませんか? 汚い場所ですけど、そこでお話しましょう」
 ̄ ̄ ̄ ̄
宣言通り、青年の住む家は汚かった――訂正する。古くて床の軋む音がして、味のある一軒家だった。
リビングと思しき場所で、城の図書室並みに堅い椅子に座って待つ。チャオは面白がって家の中を探検しに行ってしまう。物を壊したりしてはダメよと言いつけておいたが、大丈夫だろうか。
しばらくして、青年は寝室に老人を寝かせた後、何やら古びた本を一冊持って戻ってきた。
「これ、うちが自主的に纏めている航海日誌です」
「航海日誌?」
「おれの家族、代々この国で漁業と貿易をやってるんです。ずっと昔は日誌なんかつけなかったんだけど、100年前くらいに日誌をつけるようになりまして」
そういってその日誌とやらを見せてくれた。
『一日目。いよいよ航海が始まった。今回の積荷はいつものとはワケが違う。あのバケモノどもは流石に海の上までは追ってこないようだ。小さい命を守る為とはいえ、何か起こりそうで震えが止まらない』
「これ、ひょっとして?」
「曽祖父のつけていた日誌です。そこに書いてある積荷は、お察しの通り」
チャオ、というわけか?
「でも、どうして? チャオは100年前に絶滅したって話じゃなかったの?」
「……最後のページを」
言われるままに本の最後のページを捲る。
『五十六日目。ようやく帰ってきた頃、町の者の間で一つの取り決めがあった。チャオは絶滅したことにして、今後一切チャオのことを口にしてはいけないという。それが自らとチャオ達を守る一番安全な方法だと。この航海日誌は燃やすべきだろうか。とても一人では判断できない。家族とよく相談してみよう』
……目から鱗が落ちたようだった。
「当時、バケモノに襲われたこの国……いえ、この町は疲弊していました。奴らを追い払ったとはいえ、町の者もチャオたちもバケモノに大勢殺されてしまった。もしもまたバケモノが現れるようなことがあったら、間違いなくみんな根絶やしにされてしまう。だからチャオを遠いところへ逃がしたんです」
「じゃあ、絶滅って話は……」
「何をキッカケにチャオの存在が奴らに知られるかわからない……そう思った当時の人々が考えた嘘です。生き残った人々みんなで偽の歴史を作ったんですよ。その為に一冊だけチャオの絶滅に関する本を書いて信憑性を高めたりもしました。その本、今はお城にあると思うんですが」
ひょっとして、地下の図書室にあるあれか。何度も読んでいたあの本が、全部デタラメだったなんて。
「……なあんだ」
どっと疲れたような気がして、背凭れに体重を預けた。なんと単純な真実だろう。100年の謎とか言っておいて、解き明かしてみればなんとも呆気ない。この程度でウン十万稼げるというのなら、この世はタンテイで溢れかえることだろう。
「運が良かっただけ、か」
ここにこうして日誌という証拠を残していた家族がいたから。たまたまそれに出会うことができたから、こんな簡単に真実を見つけられたわけだ。ひょっとして今回のユリもそうだったのだろうか。100年の謎を、今の私みたいに呆気なく解き明かしたのかもしれない。だとしたら、私にも不死身の木の謎を解き明かすことは可能だったのかもしれない。そんなことを思って、少々笑みが漏れた。
 ̄ ̄ ̄ ̄
とはいえ、100年の謎は100年の謎だ。青年から航海日誌を借り、お父様に見せてみると、お城の中は騒然となった。
「チャオは絶滅してないだって?」「まだどこかで生きているのね!」「おい貿易をしている全ての国と連絡を取れ!」「お礼の品も用意しなさいチャオを守り続けた感謝の気持ちだからちゃんとしたものを!」
あっという間に騒がしくなった王の間から、大半の衛兵やメイドたちがいなくなった。一気に静まり返ったこの場で、お父様は終始落ち着いていた。
「……お父様」
「言いたいことはわかる。少なくともわしは知っていたよ」
そういってお父様は、悲しそうな笑顔で私の頭を撫でた。
「すまなかったな。昨日は冷たいことを言ってしまった」
「ううん。私が何も知らなかっただけ」
国王は、この国の者しか守れない。なんて酷い言葉だろうと思っていた。でも、それは私の勘違いだった。チャオだってこの国の者だった。だから異世界から来た彼らでさえこの国の者と同じ扱いをした。即ち、危険だから逃げなさい、と。わざわざ誤解を招くような言い方で。それは100年続いた嘘を貫き通すため、仕方がなかったことだ。
「お父様」
「なんだ?」
「うまく言えないけど……大人って大変なのね。私、嘘は苦手だけど、それでも大人になれるかしら」
「……なれるさ。お前は大人の嘘の意味を知った。それだけで十分成長したと言える。そう思うだろう、セバスチャン」
「ええ、まったくです」
突然老紳士の声がお父様の後ろから聞こえてきて、私は大層驚いてしまった。立派な椅子の大きな背凭れの裏からセバスチャンが現れた。
「大きくなられましたね、お嬢様。私は嬉しゅうございます」
「な、なんでそんなところに」
「国王様、私も元盗賊団と連絡を取る事に致します」
「うむ。せいぜい旧交を温めるといいだろう」
「え? え? なんの話?」
「おや、私が元盗賊兼スパイだったことはご存知のはずですが」
「そうじゃなくて、その、連絡って?」
「盗賊団に預けたチャオたちの件です」
「ええええええ?」
実は先代国王と元盗賊団頭領はどういうわけか親しい関係にあったようで、国王の代替わりの際に盗賊団系列の裏カジノからセバスチャンがやってきてお父様に仕えるようになった、という不思議な経緯がある。何がどうなって国王と盗賊が仲良くなったのかずっと謎だったが、その間にチャオがいたからだったとは。100年の謎がまた一つ紐解かれた。
「ってことは、セバスチャンもチャオの絶滅が嘘って知ってたの!?」
「バラせば制裁、という取り決めでしたので。ようやく肩の荷が下りてほっと一息ですな」
なんということだ。こんな身近に100年の謎の真実を知っている人間が二人もいたなんて。
「今頃チャオも沢山増えて手に余っているのでしょうな、ほっほ」
セバスチャンの軽い言葉と笑顔を前に叩き伏せられたような気がして、私はとぼとぼと王の間から出て行った。
「あ」「あ」
城の廊下でミレイと出くわす。頭に包帯を巻いた甲冑姿の彼は、外で待っていたチャオと何か話していたようだ。
「……あ、あの、姫」
「まあ、ミレイ団長様ではありませんか。頭の傷はもうだいじょーぶ、なのですか」
「え、ええまあ。あの、姫?」
「それはそれは、よかったよかった。さあチャオ、行きましょう。下でみんな楽しそうなことをしているそうよ」
「あ、あああの、待ってください姫!」
チャオを拾ってさっさと行ってしまおうとしたが、やかましい鎧の音が後ろからがちゃがちゃとついてくる。
「まあ、人違いではありませんか? 私は姫ではないですことよ」
「えっ、姫じゃないんですか?」「そこボケるとこじゃないでしょ!」
いけない、つい足を止めて言葉を叩きつけてしまったではないか。
「あなたって本当に信じられない人ね! 知ってる? あなた、メイドたちの間では気遣いの心を持たない鉄の野蛮人で通ってるのよ?」
「は、はあ……鉄の野蛮人ですか」
「そうよ!」聞いたことないけど。「ただでさえ国王直属の騎士団団長っていう役職に就いてるんだから、少しは礼儀作法ってものを学びなさい! この田舎者!」
「姫、その暴言では説得力というものが」「口答えしない!」「も、申し訳ありません」
「とにかくっ、私はもう行くわ。せいぜいその頭を元の能天気に治して職務に励むことね!」
吐き捨てるだけ吐き捨てて、私はその場からさっさと立ち去ろうとした。が、廊下を曲がって階段を降り始めたところで一人のメイドと鉢合わせする。
「あ、姫様」
「あら、あなた」
見覚えのある顔だった。確かミレイに恋心を寄せているメイドの一人だったか。
「あの、すみませんでした! 本当にごめんなさい!」
「え、ええ?」
なんと唐突に頭を下げられてしまった。私、このメイドに何かされただろうか?
「その、わたしなんかの為に、あんな辛いことを」
「辛いこと?」
「さっき、ミレイ様とお話なさってましたよね」
「そうだけれど、なにか」
「あの……その……」
何やらしきりにもじもじしている。私とチャオが虫の脱皮でも眺めるみたいにぼーっと見つめていると、メイドは突然声を張り上げて宣言した。
「わたし、ミレイ様と幸せになりますから!」
「――――は?」
呆気に取られた。急に何を言い出すのか、この小娘。
「あの……幸せになるって、なんのこと?」
「その、ミレイ様と、添い遂げ……」
恥ずかしがっているのか、顔を手で押さえてふるふるしている。
「え、は、あの、なんで?」
「昨日、言ってくれましたよね? ミレイ様に告白するって相談に、いいわよって」
「はあ!? なにそれ知らないわよ!」
「言ってくれましたよ、間違いなく。ほら、記憶喪失騒ぎの時に」
なんだ、なんの話だ。全然知らないぞキオクソーシツだなんて。
「実は既に告白もしたんです。付き合ってくださいって」
「ええっ!? へ、返事は!?」
顔をぐぐっと近づけると、メイドは器用に体を後ろに曲げた。階段でだ。危ないったらありゃしない。
「そ、その……」
我ながらわざとらしく唾を飲み込む。
「この騒ぎが終わったら、って……」
――私の中の何かが、ぱきっと逝った音がした。
「……ごめんなさい、この子を預かっててもらえる?」
「え? ええ、いいですけど」
「待っててね、私ちょっと急用ができたから」
「はあい」
……今ならやれる気がする。この国最強の騎士と謳われるミレイを、私の手で打ち負かすことが。
武者震いが止まらない。今なら戦う者達の気持ちがわかる。戦を前にして奮い立つこの気持ち。
「こンの、能天騎士があああっ!!」
「はあっ、姫っ!? ななななななにを、おやめくださ、うわああああ!?」
嗚呼、今日という日は。今日という日は――なんとめでたいことだろう。