No.2

 所変わって、所長室。
 挨拶はいらないと言われておきながら、結局は所長室の事が気になってついつい足を運んできてしまった。
「おはよう」
 そう言って私を出迎えたのは所長……ではなく、所員。さっき外で窓越しに見えたヤイバだった。なんで所長が挨拶しないんだよっていうかお前秘書のポジション陣取ってるつもりかよ。
「だって寝てるんだからしょうがないじゃんよ」
 あぁ、そうですよね。ってなんで寝てるんだよここ寝室じゃねぇよ所長室だよ椅子にふんぞり返ってもいいから少なくとも寝るんじゃねぇよ。
 ……といった感じの会話を、私がここで勤務し始めた頃にした事があった。
 今ではすっかり私の中でも静々と寝息を立てて寝る所長の存在が当たり前になってしまった。傾向としては、世間的に見て悪い方だと思う。それを思うと、自分の適応力が思ったより優れている事に喜べない。もうちょっと常識人でありたかった。今じゃここの事務所の面々とは、基本的にさんづけで呼んだりもしなくなるほどになっちゃったし。今のところさんづけしてるのはリムさんとかくらいだ。
「そういえばさ」
「ん?」
 所長とヤイバの姿を見て、ふと頭の中を通った疑問を口から吐き出した。
「なんでヤイバは、所長の事を先輩って呼ぶの?」
「そりゃ、先輩だからだよ」
「先輩って……学校の先輩、みたいな?」
「違うよ、色んな意味で先輩なんだよ」
 特に理由がないみたいな物言いだ。大した定義がないとなると、なんとなく呼んでるんだろうか。
「定義って程じゃないけど、それらしい理由はあるよ」
 来客用に置かれたソファに体を投げ出すようにぼすっと座り、真ん中のテーブルに置かれたコーラを勝手に飲み始めてしまった。私も向かい側のソファに座り、所長の体を形作っていると言っても過言ではないコーラをちびちび飲む。
「よく何かしら気取った不良が、目上の人に対して勝手に「兄貴」って呼んだりするでしょ? フィーリングとしてはそんなもの」
「兄貴、ねぇ」
「いや、違うかな。剣客や武道家で言う「師匠」とか。学校の「先生」とか、会社の「上司」とかとは別のモノ」
「……つまり、先人?」
「そうだ、それそれ」
 私が何気無く思いついた言葉に、ヤイバは首を振る。先人というと、いわゆる過去の人という言葉のイメージが強い。その線で行くと、ヤイバの先輩という呼び方はそれなりの意味を含んだ言葉になる。
「履歴書も無しに入れる場所だったみたいでさ、カズマ達と一緒にこの事務所に押しかけで入ってきて、いつの間にかここの一員になってたんだ。入所してしばらく経ってから、先輩がなんでもないように言ったんだよ。「お前達の履歴書くらいは見てもよかったかもしれない。小説のネタぐらいにはなるだろ」って。一番隠したい事、先輩達に感覚でバレちゃってたみたいでさ」
 先輩達。つまり、所長であるゼロさん、そしてパウとリムさん。この三人が、事務所が設立された頃からのメンバーだとか。この頃は家賃滞納するほど金銭事情が苦しいと聞いていた。未だに信じ難いというか、想像できない。当時のオーナーにはとんでもない大金を突き付けてさっさと手を引かせて、ここの権利関係は全部所長の手の中だ。裏社会とか怪しい組織とかに目をつけられる理由がそこかしこに転がってるんだけど、不思議と安心できる場所だ。恐ろしい。
「で、当然追い出されるのかと思ったんだ。そんな奴置いてくれないと思って。そしたら今度は、自分達の秘密をなんでもないように話したんだ。こっちの事情に負けず劣らずとんでもない話だったよ」

 秘密。それは、私も話でしか聞かされていない空想の物語。でもそれは、ここにいる人達を形作った基盤。
 でも、普通のチャオじゃないなんて、この人達にとってはただの装飾品だ。本当の基盤は、そんな道を歩いてきた足。
 ある人は闇の世界を渡り、またある人は家族を失った。ある人は昔の自分をも失ったし、またある人は復讐に燃えた事もあった。聞くだけなら、どれも現実味がなくて想像がつかない。
 それでも、そんな現実味がなくて想像もつかない事を体験した。その結果としているのが、私の目の前にいる人達。


「……で、それがどうかしたんですか?」
「なははは、面倒だから聞き流したな?」
 ぶっちゃけた話、私は他人にそこまで興味を持つチャオではない。確かにここの人達は個性的だけど、慣れてしまえば結局は同じ職場で働く仲の良い人、という存在でしかない。そのぶっきらぼうな様が女らしくないとか言われたりするけど。
「なるほどね、じゃあ俺とユリは逆だな」
「逆?」
「あぁ。まーなんていうか、それほど尊敬してるってほどでもないけど。この人はそんな風に、俺達よりもよっぽどいろんな事を知ってるし、体験してる人なんだなーって。それでいつの間にか先輩って呼ぶようになったわけ」
 そう言われてみると。ちびちびと飲んでいたコーラを一気に口に流し込んで、基本無表情のまま眠り続ける所長の姿を横目で見る。
 私がヤイバみたいだったら、きっと私も所長ではなく先輩と呼んでいたのかもしれない。
 休暇を貰った日のあの時の会話を思い出す。信じるものは自分で見つける。自分のルールは自分で決める。他人に頼らず、自分の力で。
 確かに私は、他人にそこまで興味を持っていない。でも、自分の事をそれほど強いとはこれっぽっちも思ってない。だから、自分のルールだとか、そんなもの作って生きるほど強くはない。ただの民間人――ただのソニックチャオだ。それを思うと、所長の事をもっと敬意を込めた名称で呼んでもおかしくない。
「でもまぁ、そんなに深い話でもないよ」
「そうかな?」
「そうだよ。だって、過去に何があろうが、現実は目の前にある。普段からぐーぐー寝てる所長っていう現実がね」
 実に的を射た発言だ。ああ、現実って恐ろしい。ヤイバの言うとおり、結局目の前にいるのは職務怠慢が職務ですと体現しているような所長なのだ。これが私にお説教してたんだと思うと、現実というものがわからなくなる。深く考えてはいけないな、こういうの。
「んじゃ、俺はもう帰るから、残りの秘書のお仕事よろしくぅ」
「え、え?」
 まだお昼にもなってないのにもう帰るの? というかヤイバって本当に秘書なの? というより秘書の仕事ってなんかあるの?
「子守」
「私保母じゃないっていうか所長子供じゃない!」
「あー、今のいいツッコミだねー。やっぱ期待の新入所員だけあるなぁ。ヒカルとかのポジション乗っ取れるかもよ?」
 ここヤイバのポジションなんだけど。というツッコミが喉から出る前に、ヤイバは足早に所長室を出て行ってしまった。私も部屋を出ようかと思ったが、何故かそんな気が起きずに腰をソファに預けたままだった。何故だろう。いくら立ち上がろうとしても立ち上がれない。目に見えない重りでもあるんだろうか。
 チラと所長の方を見てみると、そんな事なぞ露知らずに眠っている。
「……本、借りておけばよかった」
 パウの顔を思い出してはそんな後悔をして、また一つコーラの缶と取った。プルタブを開けた時の音が気持ちいい事で知られる炭酸飲料だが、これで起きないかなと思ってチラと所長を見ても、そんなことはなかったぜ。
「はぁ」
 何バカなことしてるんだろう、私。大きく吐いた溜め息を戻すかのようにコーラを勢いよく口に流し込んで、また一つ大きく溜め息を吐いてしまった。
 小説事務所の所長、ゼロ。間違いなく私なんかより凄い人だ。RPGで例えるならラスボスを軽く降して裏ボスにも苦戦しないレベルで、私はそこいらのNPCの民間人レベル。でもこうして見てると、そんな実感は全く湧かない。
 この部屋に引きこもって、大半は炭酸飲料だけ飲んで生活してるような、そんな動かぬソニックチャオ。
「……あれ?」
 そういえば、所長みたいに炭酸飲料しか飲まない探偵の小説を、パウから借りて読んだ覚えがある気がする。でも、どんなタイトルかは思い出せない。今度パウに聞いてみようか。

 でも結局、いつの間にか私は退屈になってソファで寝てしまい、その事を忘れてしまった。後に思い出すことはない。多分。

このページについて
掲載日
2010年6月12日
ページ番号
4 / 18
この作品について
タイトル
小説事務所 「can't代 Therefore壊」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2010年6月12日
最終掲載
2010年10月15日
連載期間
約4ヵ月6日