No.13
私達の足並みは、順調とまでは行かないが滞りもしない。
進めば敵と出くわし、それを退けて進んでもまた敵と出くわす。
幸いなのは、相手のメインターゲットが第三勢力たる私達ではない事だ。四人という少人数で行動している私達は敵に見付かり辛い上に、敵はすでに交戦しているから注意も向けられない。
「こういうの、漁夫の利って言うんだろうな」
簡潔にまとめるアースさん。
事実、この戦力差でこの状況はとてもありがたい。もしもこれが正面衝突だったら、私達に勝ち目はなかったかもしれない。この人達の実力を疑うような言い方だけど、本人達もそれはわかっているだろう。
『こちら遊撃隊二番。みんな、聞こえる?』
パウさんからの通信だ。四人は一度その場に留まり、彼女の報告に耳を傾ける。
『敵勢力のうち「HUMAN」が撤退し始めたのを確認した。敵の頭がやられたみたいだ。これで残る勢力は「C H A O」のみ』
どうやら私達の向かう先の敵はチャオのようだと言う事が今判明した。
『だけど、気をつけて。ここから敵は僕達への攻撃に全力を傾ける。彼らにとっては、僕達も「HUMAN」と同じ排除するべき対象みたいだ。それに向こうには「BAL」がいる』
「BAL?」
よくわからない単語が飛び出した。部隊長の苦い顔を不思議そうに見ていると、後ろにいるホーネットさんが教えてくれた。
「知らないのか? 「BATTLE A-LIFE」計画の人工チャオだ」
ああ、なるほど。略称ね。人工チャオか。
「えぇっ!?」
そこまで理解して、ようやく事の重大さに気付いて驚いた。
「あ、あの、参考までに聞きますけど……BALってどれだけヤバいんですか?」
「終電に間に合わずに朝まで寝て、更に始発も通り過ぎて帰れなくなった挙句、妻に浮気かと問い詰められるほどだ」
マジヤベえええェ!
『ユリ、今から僕もそっちの援護に向かう。ヤイバ、何か火器を持ってきて。爆発物だと助かる』
『りょうかーい。隊長ーっ! 俺だーっ! ロケラン貸してくれーっ!』
そんな物の頼み方があるかよ。
「噂をすればなんとやら、だ」
マスカットさんの声に、私の意識は声から景色へと変わる。
前方に、二人のチャオがいる。ヒーローチャオと、ダークチャオだ。
「嫌味ったらしいタッグだ。気取ってやがるのか」
立ちはだかった二人の姿を見て、アースさんが毒を吐いた。敵の後ろには、目標らしき大型車両。想像していたよりもデカく、少し圧倒される。
『よし、周囲にいるだけ十分だね。そこから離れないで。今から割り込む』
「事務所本部、どれだけ持ち堪えればいい?」
『ちょっと待って……六分だ。それまで耐えて』
「長いな。だが、やってみせる」
「お嬢さん、離れるなよ。ここであんたを失ったら、俺達の負けだからな」
三人は、武器を構える。
それを見計らってか、二人は手をこちらに向け。
伸ばした。
「うおっ!」
咄嗟に、全員がその場を避ける。私も横へと飛んでかわした。顔をあげて後ろを見てみると、建物の壁に突き刺さった二つの腕が見えた。
「……うそ」
言わずにはいられなかった。あんなのにぷっすり刺されたら、間違いなくぷっつり逝ってしまう。
「お互いに二対一か」
傍らにいたホーネットさんが素早く体を起こして構えた。
あの最初の一撃で、私達は丁寧に二分されたようだ。向こうではマスカットさんとアースさんが、ダークチャオを相手に接戦を繰り広げてる。
「……こっちは、ある意味タイマンですけど」
私も立ち上がり、目の前に佇むヒーローチャオをそれとなく睨んだ。
人類との和平を望まない天使の姿は、とても滑稽だと思う。それを笑う余裕さえあればいいのに。
ヒーローチャオは、また腕を鋭利な刃にした。標的は……私だ。
「ちくしょおっ」
伸ばされた手刀を、私は走って避ける。そして遠慮という言葉を彼方に投げ捨て、左手に持ったサブマシンガンを敵に向けて撃った。敵は私の放つ銃弾を容易く避ける。
それに合わせて、ホーネットさんも銃撃をお見舞いし偏差射撃を行う。だが敵はそれすらも避け、姿勢を低くしてホーネットさんに飛びかかった。
「やるかぁ?」
懐のナイフを取り出し、得意気に笑う。その様を見たヒーローチャオが、無表情に保っていた顔を歪めた。笑っている。歪んだ口は、嘲笑うように開き。
「無様な人間め」
そして、刃がぶつかり合う。
ヒーローチャオの高速の手刀は、ホーネットさんに攻める隙を一片も与えない。それでもホーネットさんは、それら全てをナイフ一本でいなし続ける。凄い男だ。あんな化け物相手に、あそこまで対抗できるなんて。
「……見てる場合じゃないか」
大した戦力ではないと見られているのか、ヒーローチャオはこちらに意識を向けていない。その判断は恐らく間違っていないのだろうが、それでも私にとっては好機だ。
銃を構える。ようやく手振れは収まってきた。これならヒーローチャオも狙い撃ちにできるかもしれない。ホーネットさんに当たらないよう、そしてヒーローチャオに悟られないように、手早く、確実に照準を合わせる。
解放されつつあると言っても、未だプレッシャーが圧し掛かっている。車両のフロントを狙うのとは訳が違う。絶え間無く動きぶつかり合う的の、その片方のみを狙う。失敗は許されない。
なるべく気負わない為に、私は無理矢理考えをポジティブに持っていく。
大丈夫、今やってはいけないのはホーネットさんを撃つ事だけだ。なんだったら、最悪撃った弾をどちらにも当てなければいい。
状況は悪くなるが、それでもフレンドリーファイアよりは確実に悪い結果にはならない。はず。
考えろ。
ホーネットさんが左。
ヒーローチャオが右。
ホーネットさんがいないのは右。
ヒーローチャオがいるのは右。
迷ったら。
右。
撃て。
かくして、放たれた一発の弾は命中した。
――ヒーローチャオの、鋭い手刀に。
「何をしている」
当たった。そこまでは良いのに。
敵は弾を跳ね飛ばして、傷一つ負う事は無かった。
あまつさえ、敵は攻撃の意思を私に向け、私の腹を蹴り飛ばし、手刀を私の首元へと添えた。
この間、僅か二秒足らず。
「ユリっ!」
「動くな」
ホーネットさんの駆け寄る足を、たった一言で止めた。
私の一発は、確実に状況を悪化させた。こんな所で足を引っ張ってしまうだなんて。
「……ははっ、いいのかよ? そいつはお前達と同じチャオだ。不用意に殺すのは良くないんじゃないか?」
「不用意なのは貴様の態度だ。慎め」
気迫のあるその言葉に一瞬怯むが、それでもなおホーネットさんは口を閉ざさない。
「なぜいきなりこんな場所で戦闘を起こしたんだ? 差し支えなければ教えてくれよ」
「我らが火種ではない。先に手を出したのは貴様達、低俗な人間ではないか」
「なら、さしずめお前らはガソリンだな。どっちも街中に放っておくのはあぶねぇもんだ。だから俺達が掃除しに来てやってるんだよ」
「我らが動かすのは、我らチャオの未来だ。貴様達の火種がなければ、こんな所で燃える理由など無かったのだよ」
まるで変化球のような会話のキャッチボールだ。お互いに意図の見えない口の攻め合いは、さっきの接近戦の続きのようにも思える。
「だが、今までだってここまで大規模な部隊を動かした戦闘なんか無かった筈だ。一体何故」
「人間達の焦りであろう。不安の種が芽生えようとするだけで必至に摘み取ろうとする。なんと脆弱な生き物か」
「それに全力で対抗してるお前らも同じに見えるぜ」
「全力だと? 貴様達の目は節穴のようだな。我らの力、人間などに到底及ぶ筈も無し。全力など、貴様達の身には耐える事は愚か、戦慄する間も無い」
「良く言うぜ。どうせその力だって、元々はあのプロフェッサーが作ったものなんだ。結局は人間が作った力に頼り切ってるだけ」
そこまで喋った途端、ホーネットさんの口が止まった。
私の首に添えられた手刀が、無くなっている。
目の前からヒーローチャオが消えている。
ヒーローチャオはいつの間にかホーネットさんの元へと間合いを詰めている。
ホーネットさんの脇から――血が、流れている。
ホーネットさんが――刺されている。
「……この……猫、被り、が……」
「ほざけ」
そしてヒーローチャオは、ホーネットさんを私の元へ投げ飛ばした。
「ホーネットさんっ!」
急いでホーネットさんの近くへと駆け寄った。脇腹から血が絶え間無く流れている。
「すまん……たった、一人なのに、守れ……」
「もういい! 喋っちゃダメ!」
「俺は、いいから……逃げ、」
「黙れっ!」
口の訊き方にも気を遣う余裕が無くなり、乱暴な言葉を叩き付けてしまう。しかしそれが効いたのか、ホーネットさんは荒く息をするに留まる。
出血が酷い。これじゃ内臓を逸れていたとしても、あっと言う間に出血多量で死んでしまう。
「人間にはお似合いの姿だ」
ヒーローチャオは、歪めた口を閉じようとしない。
「食物連鎖の頂点か……笑わせてくれる。人間など、ただ他の生物よりも狡猾故に、食物連鎖そのものを崩す邪魔な存在なだけだ」
自らの手を流れる血を、ただじっと見つめる目は笑わず。
「そのような生物に、頂点に立つ資格など無い。真に頂点に立つべくは、痛みを知る者である我らチャオだ」
そしてその目は、私の方へと向けられた。
「今ならまだ遅くはない。君のチケットも」
「断る」
全て言い切る前に、私は既に口を開いていた。
「あまり軽率に答えを出さない方がいい。人類との共存など」
「断る」
「……君は考えるのは苦手なようだな。少し冷静になるべきだ」
「お前は人の話を聞けよ」
怒りが恐怖を遥かに超えた事を、自分自身も理解していた。
鋭い手刀を持つ化け物に対する私の防衛本能も、既に機能していない。
今の私を抑えつけるものは、何もなかった。
「断るって言ってるんだ。お前のその態度を押し付けがましいって言うんだよ」
「君は何も理解していない。わからないのか? それでは我らに牙を剥いた挙句、尻尾を巻いて逃げた人間共と何ら変わりないぞ」
「何ら変わりないのはそっちだ! そんなに敵対したいなら、お前達だけでやってろ! 私達の平和な日常を何だと思ってるんだ!」
怒りを露にする私を見るヒーローチャオの目は、怯むでもなく理解し難いと思うそれになっていた。
「平和だと? 人間の作り上げたこの世界が果たして平和に見えるのか?」
「ああ、見えるね。お前達がこんな馬鹿げた真似しなければな!」
「君は何か勘違いをしている。我も好んでこんな戦いをしているわけではない。それに言ったであろう、今回の火種は人間の側だ」
「勘違いしてるのはそっちだ、人間だのチャオだのの話をしてるんじゃない! 何が食物連鎖の頂点だ、そんなのくそくらえだって言ってるんだよ! そんなの好んで欲しがってるのはお前らだけだ!」
「必要なのだよ、それが。このままではチャオが人間に食い潰される日が必ず来る、そうなる前に」
私は、熱り立った。
戦ったってきっと歯が立たない。
出し抜こうとしたって嵌められない。
それでも、今の私のこの心が、折られる気なんて微細も感じない。
「今夜限りの付き合いなのに、この人は私を命を張って守った! それが私を食い潰すなんて事、あるわけがない!」
思い返せば、恥ずかしい台詞を口走ったものだ。
私のこの時のカチューシャは、常にマイクをオンにしていた。だから、その場にいた全員が私の言葉を聞いていたという事を聞かされて、私は真っ赤になる。
まあ、それは後の話なんだけど。
それでも私のこの言葉を聞いて、勝利の女神は既に私達に微笑んでいた。
「……残念だよ。君は既に、人間に汚されてしまったようだ」
私の叫びを聞いたヒーローチャオの顔は、もう歪んではいなかった。最初の無表情だ。
手刀を私に向け、言い放つ。
「せめてもの、手向けだ」
その手は私へと伸びる。
死神の鎌が、私の首へと迫ってくる。
だけど死ぬつもりは無い。
守られたこの命を無駄にしたら、あの世で顔向けなんて出来そうにないから。
だから。
間一髪で、避けた。
私の頭脳が、勝利へ向けてフル回転する。
懐に忍ばせた警棒型スタンガンのスイッチを入れる。
それに気付いたヒーローチャオが、手刀を引っ込めようとする。
だけど、逃がさない。
「なにっ」
私はその手を、躊躇無く掴んだ。
運良く峰の部分だったのが幸いして、怪我はしなかった。
当然ヒーローチャオは想定外の出来事に戸惑う。
もう、逃げられない。
私はスタンガンを、手刀に向けて叩き付けた。
「ぐ、が、あああっ!」
高圧電流が、ヒーローチャオの体を駆け巡った。
頼む。このまま終わってくれ――。
「ふ、ざ――るなぁ!」
だが、そこまでだった。
高圧電流を耐え、それどころか私はそのまま振り払われてしまった。
マズい、このままでは無防備だ。そう判断した頃には既にサブマシンガンをヒーローチャオに向けて撃っていた。
それらはまたしても避けられる。電流の痺れが抜けきらないような動きながら、それでも迫り来る弾を掻い潜って私へと近付いてくる。
頼む、一発でも良い。当たってくれ。
弾は、ヒーローチャオの足を射抜いた。
それを受けたヒーローチャオが呻き声をあげて膝を付く。
でも、私は対照的に驚いていた。私が狙っていたのは上半身の方だった。だから、足に当たるだなんて。
「よお、俺達の事も忘れるんじゃねーよ」
その声に、私もヒーローチャオも顔を向けた。
自信満々な顔でライフルを構えるマスカットさんとアースさんがいた。
「ははっ、嫌そうな顔すんなよ。嫌味そうなタッグだったのはそっちだろうが」
そう言えば、ダークチャオはどうしたのだろう。そう思って彼らの後ろを見ると、灰色の繭が見えた。
勝ったのか、あれに。
「あまり私達を舐めてもらっては困る。お前達独り善がりのような連中に負けるほど弱くはないさ」
「きさまらぁっ!」
もはやヒーローチャオに理性は残っていなかった。我を忘れて、手刀を二人に向けて伸ばした。
「あんま同じのばっかりだと飽きるんだよっ!」
二人は苦も無く、左右に分かれて避けた。
「アース、しばらく相手にしていてくれ。私はホーネットの元へ向かう」
「任せな。お嬢さんに良いトコ取られちゃ顔無しだ。俺もヒーローになってやるぜ」
『残念だけど、ヒーロー候補はここにもいるよ』
ふとそこで、通信の声が割り込んできた。
『遊撃隊二番パウ、到着! 本物のヒーローは、高いとこから遅れてやってくるんだよ』
その場の全員が顔を上げて、建物の上を探す。
果たしてどうやって移動したのか、現代では珍しくヒコウスキルに自信があるチャオだったのか。
二人のテイルスチャオが、月を背にしてビルの上に立っていた。
『総員、全力で離れて! ヤイバ、貸して』
『あいよーぉ!』
その言葉を合図に、私達はとにかく散った。私もアースさんも、ホーネットさんの肩を持ったマスカットさんもばらばらにだ。ある意味格好の的だったが、ヒーローチャオは運良くパウさんへと意識を向けていた。
『六分経った!』
そして、勝利宣言が舞い込む。
『敵の電子機器を全てダウンする事に成功! 今がチャンスだ!』
『よし、発射ぁ!』
最高のタイミングで、パウさんはロケットランチャーの弾頭を放った。当然、ヒーローチャオはそれを見て走り出す。爆風から逃げる為だ。
だが、その弾頭が地面に到達すると共に、計り知れない轟音と熱が押し寄せてくる。
「うわっ、なんだあの火力は!?」
「おい、炎がどんどん広がるぞ! 一体何を打ち込んだんだ!?」
その声につられて私も振り返って確認した。
凄い光景だった。まるで導火線でも引かれてあるかのように爆風が広がり続ける。それに飲まれたヒーローチャオが焼かれている。
そして厄介な事に、その爆風は私達にも迫ってきている。
「おい、飲み込まれる――」
マスカットさんが叫んだ頃に、私達の真後ろから水柱が噴出した。
水柱は魔法陣をなぞるかのように円形を描き、それらは高い壁として爆風を包み込む。
「パウさん、やり過ぎですよ」
その壁を作ったのは、たった今到着したリムさんだった。
『ごめんリム、つい勢いに乗ってフルファイアしちゃった』
「まぁ、間に合って良かったです」
そこから、私の耳に入る言葉はほとんど無かった。
耳に聞こえる勝利を喜ぶ声は、私の耳を綺麗に通り過ぎていく。
勝った。その実感は、私にはあまり湧かなかった。
ただ、水の向こうに広がる炎の光景が印象的で。
私はいつの間にか、意識を失っていた。