No.11
——今日はなんて忙しいんだろうか。
そう愚痴を漏らしたのは、果たして誰であったか。
だが、そう思う所は皆同じだった。
『こちらアルファチーム。市民の誘導は完了した。いつでもいけるぞ』
『こちらブラボーチーム、こちらも同様に突入準備完了』
『チャーリーチームだ! 酔っ払いの一般市民が言う事を聞かない! くそっ、なんだってこんな夜中に仕事せにゃならん!』
『それも敵の策略だと思って、まとめて怒りをぶつけてやれ。……あぁ、デルタチームも準備はできてる』
『エコーチームも準備完了だ。さっさと終わらせて、俺達も酔い潰れようぜ』
耳に届く数多くの声を、私はどれも区別する事ができなかった。
入り乱れる男達の声に、たまに子供のような声も混ざって聞こえる。それらはGUNに所属する人間とチャオ達だ。
『おいおいおいおい、まさか空軍まで出張る事態になるだなんて。俺は聞いてないぞ』
『エアライダー3、私語は慎め。エアライダーリーダー、目標地点に接近中』
『泣き事なら後で聞きますよ。今は暴れん坊達を静かにさせましょう』
『なんだと? おいらは泣き事なんか言ってないぞ! エアライダー4、撤回しろ!』
そんな緊迫感のない会話を聞きながら、私も同じ気持ちを抱いていた。
戦争をするつもりではないと、所長は確かにそう言った。だが今宵、食物連鎖の地位を譲らぬ人間達と、革命と力を欲したチャオ達が、昂る精神を抑え切れずに衝突した。
それは間違いなく、戦争と呼べるものなのだろう。
私達はそれを止めるべく、この戦地へと足を踏み入れた。
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『BATTLE A-LIFE』を構成していたメンバー。それらは勿論、チャオを己の私欲の為に操るべく集った人間達だ。
コントロールを離れ、己が為に動き出したチャオ達の存在を、人間達が知らない筈はない。
空中分解した組織は、しかし事を終結させる為に人間達は再び集った。
それだけなら、彼らは正義のヒーローとして称えられただろう。
だが、彼らは元々チャオを手駒として扱おうとした人間達だ。その真意は、決して褒められたものではない。
彼らの目には、チャオは憎悪の対象としか映っていない。
食物連鎖の頂点に立つのは、人類だけでいい。チャオの席など在りはしない、と。
それが『BACK TO THE ONLY HUMAN』の思想だ。
そして、相反する二つの組織の過激派は、セントラルシティにてぶつかりあってしまった。
「また傭兵扱いですね」
リムさんのその言葉は、通信機を介さなかった。
間違いないと、私は頷いた。
私達の目的は、至って単純。
戦闘を行っている両組織の鎮静化。できるようなら、確保を。できないようなら——排除を。
今回前線にやってきたのは面々は、所長・パウ・リムさん・ヤイバ・ミスティさん・フウライボウさん。
そして、私だ。
「まぁ、俺達は裏方なんだけどね」
ヤイバさんが実に気楽そうな足取りで、戦地へと歩く。
話によると、実際に戦闘に参加するのは所長達古株三人。私たちやその他は、負傷兵の救護や情報網として味方陣営を駆け回る事になる。
一応私達も護身用としてサブマシンガンを渡されている。片手でも容易に扱える、手軽な武器だ。
その銃器の握り心地を、私は今一度しっかりと感じていた。
「待っていても、良かったんだぞ?」
所長の言葉に、私は顔を上げた。そこにあった顔は、どれも気遣いの表情だった。
わかっている。……わかっているとも。
世間には、きっと小規模の紛争としか伝えられないんだろう。
でも、この先には戦争がある。
そうだ、私は——
——私は今から、戦争をしに行く。命を奪いに行くのだ。
それぞれの面々が散った後も、私は耳に入る声の全てを聞き流し、手にした銃器を見つめていた。
本当に、映画みたいな世界に入ってきてしまった。
私達の常識から離れた世界。そしてここでは、目に映るそれらが常識。
当たり前ではないものは、ここでは当たり前。まるで不思議の国のような理屈だけど、ここではそれらは不思議ではない。
誰かの命が、失われる事なんて。
私は今から、それらが失われる要因として世界に加わる。
願わくば、この声の届かん事を。この声の忘れ去られぬ事を。
嗚呼、さらば一般市民として在り続けた私よ。私はこれから映画のような世界に身を投じよう。
『交戦!』
そして、戦いは始まった。
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『こちらブラボーチーム! 目の前の敵の無力化に成功した! 手の空いてる奴は援護してくれ!』
『チャーリーチーム、見えてるぞ。何をちんたらやってるんだ?』
『エアライダーか? 見えてるんなら支援を頼む。あの戦車をどうにかしてくれ』
『おい、部隊長はどこだ? ……くそっ、誰でもいいから援護してくれ。状況が確認できない』
『なんだ、またお前か。チャオの小さな体にこういうのは不利だからな、付いて来い』
『よく言うぜ。足元を掬われないように援護してやるよ。行くぞ!』
やかましい通信の声を、しかし私はなるべく聞き洩らさないように夜の街を駆ける。
カズマ曰く、私という人材はこの場において重要であると言った。パウ印の白いカチューシャが、GUNの用意した電子機器との中継になるかららしい。それならば、私自身が必要とされる理由はない。
そんな事実を、私はここに赴いてからも改めて吟味していた。
『事務所本部より中継へ。混線が酷いから、移動を続けて。大丈夫?』
事務所本部、カズマからの通信だった。子供のような場違いの声は何かと印象深い。情報伝達には役に立つだろうか。
「こちら中継、了解——ちょっと待って」
応答し、そこで私は声を止めて耳を澄ました。混線だ。
『——通り——背後に付いた。指示を——』
間違いない、恐らくは敵の声だ。背後……まさか、私達の背後の事か?
「こちら中継! 敵の混線から、味方の背後に敵勢力が接近している可能性があります! 急ぎ確認を!」
『なんだと? AWACS、確認できるか?』
『少し待て……確認した! 陸・空から多数の敵勢力! 敵は我々にも矛を向けてきた! 挟み撃ちだ!』
『嘘だろ!? 何が小規模な紛争だ、敵勢力が強大過ぎる! 援軍を呼べ!』
その後も罵声のような通信が入り乱れる。状況は予想以上に酷くなっていく。こいつは逃げ続けるのも限界かもしれない。この銃器の引き金を引かない事を祈ったが、どうやら無理な願いのようだ。
銃声。砲撃。通信。それら全てが、私を包む環境音として奏でられる。正直、もう勘弁してほしい。
やがて、私を包む音の割合が銃声を占める。マズイな、戦闘の真っ只中に飛び込んでしまったか?
私のその認識を裏付けるように、銃弾が私の足元を穿った。
「——っ!」
声にならない悲鳴が漏れた。
立ち止まってはいけない。本能でそう判断した私は、目の前の建物の影へと走り出した。
だが、振り上げた足すらも容易く止められる。完全に捉えられた。もう逃げられない。震える手を、もう片方の震える手で押さえた。
とうとう、引く時が来たんだ。迷ってる暇なんか無い。構えろ。そして撃て。そうすれば確実に、目の前の敵は消え失せる。永遠に。
さあ。
さあっ。
さあ——!
「撃て! 臆病者!」
——…………————……。
気付いた頃には、私は弾薬を30発消費していた。
目の前にあったのは。人間の死体が二つ。灰色の繭が一つ。
そして、私を突き飛ばした所長の後ろ姿が一つだった。
「……どうだ、新入り」
へたり込んだ私に向けて、所長は声だけを私に向けた。
「まだ、引き金を引く力はあるか?」
今一度。私はまた、今一度、自分の手を見た。
震えているように見えるのは、私の視線が揺れているからか、本当に震えているからなのか。
私は自らに問い掛ける。
理由も無ければ、恐らくは権利も無い。誰かに許可を促されたって、進んで実行は、し無い。
なれど、できるか。正当化をしろとは言わない。その手は、引く事ができるのか。
冷たい引き金を。
蔓延る雑草を。
世を彩る命の幕引きを。
「はい」
息を吐いたら、肯定の言葉になっていた。その時の私は、そう思って立ち上がった。
目の前の命は終わった。だけど、戦いはまだ終わっていない。
私は再び、聞こえてくる声に耳を傾けた。
『——あぁっ、クソッ! AWACS! 援軍はまだなのか!?』
『もうすぐだ! あと三分!』
『三分も待てるか! 俺はカップラーメンだってお湯を入れたら一秒も待たないんだよ!』
『阿呆が! 弱音を吐く前に腹でも下してやがれ!』
戦況は、著しく悪い。所長も所持している無線機を介して聞こえる声に舌打ちしていた。
だが、そこに旋風が巻き起こる。
『ん……おい! なんだあれは?』
その声に、無線が一度静まり返る。
『どうした、デルタチーム? 報告せよ』
『あぁ、ちょっと待ってくれ。まだ確認できない』
デルタチームの返事を、しかし待たぬ部隊が言葉をあげた。
『デルタ、エコーチームだ。ひょっとして、お前が見ているのはハイウェイ付近のアレか?』
『おいお前ら、一体何の話をしてるんだ? わかるように説明——』
『んなっ!?』
返ってくるのは堪えたような呻き声。ますます状況がわからなくなる。
『デルタチーム! どうした! 応答せよ!』
『ほ、報告! シャドウチャオらしき人影が、敵勢力と単身で交戦中!』
単身で交戦? そんな馬鹿げた事をしているチャオ?
私達の理解が及ばぬ中、無線から聞こえる声は止まない。
『こ、こっちでも確認した! なんだありゃあ……動きが目で追えない! 速すぎる!』
『おいおい、連邦政府直属のエージェントでもやってきたって言うのかよ? 冗談じゃない』
『何が冗談だ! 間違いない、あいつ銃弾の一つも掠っちゃいない! 何なんだ、一体どんな魔法使ってるんだ!?』
所長が苦い顔をしたのは、その言葉を聞いた時だった。
「あの野郎……相も変わらず暇な奴だよな」
何の事ですか? と、表情で尋ねた私の事を所長はさらりと無視をした。暗くて見えなかったかな。
「こちらは遊撃隊の隊長だ。安心しろ、そいつは援軍だ。これから戦況が覆る。各員、頃合いを見て一気に攻めろ」
『戦況が覆る? 何を言っているんだ、遊撃隊』
同じ疑問を、恐らくは皆が抱いた。それらは無線からの声でも明らかだったし、私もその一例に漏れなかった。
だが、所長の笑みは確信に満ちていた。
そして力強く応答した二つの声に、私達は首を傾げざるを得なかった。
「こちら遊撃隊二番、スタンバイOK!」
「遊撃隊三番もOKです! 隊長さん、指示をお願いします!」
パウと、リムさんだった。
「あの……一体何をするつもりなんですか?」
風が、舞い上がる。
炎が、燃え上がる。
水が、湧き上がる。
「奇跡の魔法——お前にも見せてやる。一緒に来い」
そして、幻想は息を吹き返す。
「さあ、起床の時間だ」
私は真に、風にさらわれた。