No.10
「かんぱーい!」
後始末を一通り終わらせた私達は、ちょうど所長室で祝杯をあげているところだった。コーラで。
……だんだんコーラというものに対してゲシュタルト崩壊を起こしそうになってくる。
「今回も助けられちゃったね。ありがとう、所長さん」
「いんや、今回の俺は裏方だ。一番の功労者は、そこの新入りだよ」
そう言って所長は私を指さす。ミスティさんはと言えば「あぁ、そうだったねー」と断りもなしに私の頭を撫でてきたので笑い返しておいた。一応、愛想笑いである。
ミスティ・レイク。
人間とチャオの本格共存について詳しく知ろうと思うと、彼女の名前が出てくる。
優秀なチャオの研究者を父に持ち、自身もその知識の多くを受け継いでいる彼女。そして何より自他共に認めるチャオ好きは、人間とチャオの共存の模範ともなるべく姿勢として広がっていったものだ。
また、彼女は小説家としても名高い。世界で最初のチャオの旅人の物語を綴った「フウライボウと不思議なポンコツ」は、ノンフィクションという事も相まってか注目を浴び、彼女の知名度を更に押し上げた。
今でもその物書きとしてのセンスは伸び、フィクションやノンフィクションに関わらず親しみ深い小説を書き上げ、更には世界中の名所や未踏の遺跡へと足を踏み入れたという記録も広く知れ渡る。
その一方で、エクストリームギアという低空を浮遊し滑走するボードを操る技術に関しても一流であり、ここのところ世界的に有名になり始めたEXワールドグランプリでも彼女の名を聞く事ができる。
速さ、そして技術を問われるこのレース大会での彼女の活躍は他とは一線を画する。速さなどは二の次にしたパフォーマンス重視の彼女のスタイルは、しかし誰よりも速く、華麗かつ大胆に勝利をさらう。そんな彼女に付いた二つ名は「風に愛された少女」だ。
有名な事件としては、彼女が4度目に参加したグランプリで起こったカメラマン撃墜事件だ。
EXワールドグランプリでは、各トリックポイントには必ずカメラマンが配置され、参加者の見事なトリックを捉える。
そこで彼女は最終ラップで、ジャンプ台で高々とジャンプし、手を銃の形に変えてそのカメラに向けて撃つというトリックを披露してみせた。するとそれを見た若いカメラマンがヘリから落下。それに気付いた彼女は、着地後に急いで彼をキャッチ、そのまま抱き抱えて一位を取った。
意識を取り戻したカメラマンは自分が抱き抱えられながら紙吹雪と声援の中にいる事に気付き、何を勘違いしたのか「まッ、まだ心の準備がッ」などとのたまった。後にそのカメラマンは二重の意味で落とされたカメラマンとして、しばらく新聞のネタになったとかなんとか。
「それにしても、所長がこんな有名人と知り合いだったなんて驚きです」
どういう関係なんですか、という質問も兼ねて私は話を振ってみた。
「俺じゃなくて、リムが偶然知り合っただけだ」
わかるだろ、と顔だけで告げる。あの人の幸運って有名人をも引き寄せるんだ。すごくすげぇ。当の本人と言えば、今も受付でニコニコしている。……表情がダヨ? パソコンは使ってナイヨ?
「それでミスティさん。仕事の話なんですけど」
本題へと切り出したのはヒカルだった。ちなみにその後ろでは、何故かカズマとヤイバがスナック菓子を賭けたゲーム対決をしている。何をしているのかはわからないが、ちょくちょく「めびーすわんふぉっくすとぅー」だとか「いんかみんみそーみそー」だとか意味がわからん言葉が飛び出しまくって意味がわからん。
「おっとっと、そうだったね」
背負ったリュックを降ろして、何か資料らしきものが入ったファイルを取り出し始める。そのリュックというのがフウライボウさんが入っていたリュック。こんなのに大事なものを入れていいんだろうか。
「一体なんの資料なんですか?」
何も知らされていない身として情報の開示を要求してみると、所長はファイルの中の資料をいくつか渡してきた。
『Revolution-C H A O』
『BACK TO THE ONLY HUMAN』
それが資料のタイトルだった。
なんかのネタかと思った。
「……映画のタイトルですか?」
前者はあんま聞いた事がない響きだが、後者は凄く聞き覚えがありそうなタイトルだった。っつーかディスってんのかよ。
「計画名だ。酷くセンスの無い、な」
卑下しつつも、所長の目は熱心にその資料を読み漁っている。普段の寝惚け眼とは正反対だ。そんな見慣れぬ光景を目の端に置いて、私も手にした資料の文面を読み漁ってみた。
「こいつらが計画参加者だ。こいつらの個人情報を漁るなりするのが、今の目的と思っていい」
個人情報っていい値段が付くって、詐欺絡みの本に書いてあったなぁ。そう思いながら目を走らせる。
そのページは、全く知らない人物の名前が羅列されていた。計画参加者一覧、らしい。これがまた混沌としたもので、国籍というものを忘れたかのように日本語、英語、イタリア語、フランス語、その他いろんな言語で書かれた名前が、所属国問わず計画に参加している者達がいるという事を教えてくれる。
「バベルの塔でも再建するつもりですか」
なんとなーく、そんな事が頭に浮かんだ。
神の領域まで登りつめようとした人間達を、神は言葉を違わせる事で塔の建設計画を頓挫させたという話だ。この参加者リストは、まるでその時に参加していたメンバーのリストのようにも見える。
「ある意味、似たようなものよ。発想としてはね」
私のその感想のような問いに答えたのはミスティさんだった。
「この計画はね、現代の人間とチャオの共存関係を良しとしない連中が立ち上げたものなの。目的は勿論、お互いに一緒」
わかるでしょ? 彼女の目はそう言った。
人間とチャオの共存関係を良しとしない者達。その目的は、確かにわかりやすい。
「自分の地位の向上と、相手の地位の失墜?」
正解、と私の頭を撫でた。いやちょっといきなりやめてくださいよと、私は資料へ逃げた。
「なんですか、戦争でもするんですか?」
「いんや。現代は共存に異論を唱える奴なんてそう多くはない。いきなりどこかで人間とチャオが戦争し始めたって、信頼関係は簡単に崩れんよ」
確かに、国際警備機構を筆頭にいろんな国際的機関がその機能を果たせていないが、それでもこの世は概ね平和である。暢気、とも言えるが。
「じゃあ、この人達は何をするつもりなんですか?」
「それを調べるのが、俺達の仕事だ」
なるほど。一応納得した。
「ミスティさんも、それに協力してるんですか?」
「うん。というより、私達で一緒に始めたの」
「始めた?」
どういう事なんだろう。世界を股にかける傍ら、正義のヒーローまで兼業しているという事なのだろうか。
そんな私の疑問を読み取ってか、ミスティさんはその事情を語ってくれた。
「……フウライボウがね、被害者なの」
・
・
『Revolution-C H A O』
これは、過去に行われた計画の名前を変更したものである。元の名前は、こうだ。
『BATTLE A-LIFE』
プロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックが作り出した人工カオス。その技術を基に、戦闘用のチャオを作り出す。それが目的だ。
他者による完全なコントロールを施したチャオを社会へと離し、秘密裏に動かす事ができるという、機能・隠密性共にとても優秀な『兵器』を大量生産するのだ。
世界で最初のチャオの旅人と言われるフウライボウ。その旅の真の姿は、人工に作り出したチャオの機能に支障がないかを確かめる為に行われたという実験だったのだ。
そう。彼もまた人工的に作られ、感情などという殺戮には必要ないものを省かれた被害者だった。
しかしその実験は失敗に終わった。旅の途中で出会ったミスティや、忘れられた謎のオモチャオ・ロストらの活躍により計画そのものもまとめて頓挫させる事に成功し、フウライボウは感情を取り戻してみせたのだ。
しかし、残党はもちろんいた。
あろうことか、それはチャオだった。
フウライボウ達の唯一の失敗は、AIの中途半端な操作により、コントロールをフリーにしてしまった事だ。
抑えるものが何もなくなった人工チャオ達は、恐らく考え得る最悪の選択を選んだ。
自らに与えられたこの力を使って、人間を超えた存在になろう、と。
それが『Revolution-C H A O』の始まりだ。
・
・
「……はあ」
話を聞いた私の感想は、ひとまずそれだった。
もっと詳しく言うと、あんまり実感が湧かなかった。
理由は明白。私が所長達の魔法使い説や、カズマ達の元・非チャオ説を鵜呑みにしてないのと同じだ。
「話、飛躍し過ぎじゃありませんか」
その一言に尽きた。
ある意味、これは当然の事だと言える。さしもの私も、もし所長達が目の前で魔法らしきものを使用してみせたら、信用するのに三十秒も要らないと思う。
だが、残念ながら私はそれらを設定でしか知らない。もしどこぞの物語のキャラ説明でヒロインが宇宙人だとか未来人だとか神だとか、それだけを見たら「ああん?」とか口走る。絶対に口走る。自信がある。
まあ、唯一そういうありがちな物語の主人公と私とで違う点は、それを嘘として処理しようとは思わない事だ。これは私が幼い頃から作り上げてきたルールとでも言おうか、ある種の座右の銘とでも言える。
常々思うのだ、主人公が話だけで聞いた見知らぬ人物や友人、ヒロインの驚くべき正体。そいつを頭から疑って切り捨てた後、実は本当だったよどうするジャリボーイというよくある展開。それを見る度、私は思う。「ざまぁ」と。
例えばある日友人が「拙者金星人と文通してるでござる」とか言い出しても決して疑わないし追求もしない。私の記憶の中に「あいつは金星人と文通してる(本人談)」とだけ記して、そこでお終い。
もしそれが本当だったとしても「そういえばそうだったね」で済むし、もしそれが嘘だったとしても「涙拭けよ」とハンカチを渡すし、もし最後まで明かされぬ謎だったとしても「まぁ興味ないし」とその終末を綴る。完璧な布陣である。
ただまぁ、今回は少しばかり勝手が違う。
まるで映画のタイトルのようであって、中身も映画臭さを感じるこれらの計画。やっぱり私は疑っているつもりはない。だが唯一違う点は、私はこれらを追及しなければならない立場にある事だ。
そう、こいつは仕事なのだ。小説事務所に勤める所員として、愉快な同僚達と一緒に関わっていかなければならない。それは私にとっては愉快ではない。
面倒、だ。
嗚呼、さらば一般市民として在り続けた私よ。私はこれから映画のような世界に身を投じよう。
阿呆、と下らぬ思考を止めたのはちょうどこの辺りだったと思ふ。
「まぁ、お前には直接関係のない事だけど、これも仕事と割り切って慣れてくれ」
所長のその言葉に促され、私も渋々納得した。
常識人としての私の心が、この話を嘘として否定し続けている事に気付き、しかし私は努めて無視した。
だが、しかし。
資料に羅列された文字——というか、大半が名前——を見て、私はげんなりする。
「こんなにいるんですか……」
それらが示す事実は、このB級映画的(異論は認める)計画に、沢山のキャストが存在する事だった。スポンサーとか凄いんだろうなとか、地上波で放送したらCM長いんだろうなとか、そんなどうでもいい事まで考え出してきた。
「まぁ、名前だけかき集めたらこうなるわね。行方の知れない人とか、とっくに死んじゃった人とかも混ざってるし」
そう言って資料に筆を走らせるミスティさんが一番大変だった。記された人物が行方の知れないか死んでるかを、別に用意された資料を見ながら随一書き込んでいるのだ。
所長とヒカルは同じ作業をしているわけではないが、誰かの名前を探すかのように資料を漁り、曖昧にその名前にしるしをつけている。だが、その作業の目的はよくわからない。
カズマとヤイバはと言えば「クーラードリンク忘れた」とか「砥石忘れた」とか言いながら、仲良くポテチを貪ってゲームしてた。仕事を忘れんじゃねーよポテチ食った手でゲームすんなとか今はどうでもいいんだよっつーかうるせーよ。
とか言いつつ、別に私も大した事をしているわけではない。沢山の名前が記された沢山の紙に何となく目を通し、「次貸して」と言われた紙を渡してるだけだ。仕事してる体だけなら二人よりマシだが。
「あっと、そうだ」
そこで思い出したように声をあげたのはミスティさんだった。
「ねぇ新入りさん、ちょっとパウさんのところに行ってきてくれない? フウライボウとかギアとか、気になるから」
邪魔者扱いされたみたいだ、と思った。ちょっとだけ。
だが、後ろ二人を除いてこの場で一番役に立っていない事は事実だったので、断る理由も無く首を縦に振った。
所長室を出る時に漏れそうになった溜息を、私はバレないように押し留めた。
「うんうん、問題ない。好調だね」
満足そうな顔をして頷くパウと、何かの計器類から目を離さないミキ、そして自分の相棒を少し退屈そうに見守るフウライボウさん。
研究室にいたのは、その三人だった。
フウライボウさんの旅の始まりは、人間とチャオの本格共存開始の366日前。つまり生誕祭前日の事だと言う。
そこで旅の楽しみを覚えた彼の足取りは、驚く程大きな歩幅だった。
初めての旅の途中で出会った人々もまた、彼と同じく広い世界を知るべくフウライボウ・ミスティ両名の旅に手を貸した。その程は、ミスティさんが記す冒険の記録の制作にフウライボウさんが大きく手を貸しているという事を教えればわかる事だろう。
また、その手広い知識の多さも彼の特徴である。サバイバビリティに長けた彼を称賛する声は多く、また釣りの名士としても名を馳せている彼には、数え切れないほどの支持者がいる。
それと、彼を語るにあたって外せない謎がある。それは不思議なポンコツだ。
ミスティ・レイクの処女作かつ人気小説のタイトルでもある不思議なポンコツ。その正体は、まさしくポンコツと呼ぶに相応しい……と、作中で言われ続けているスケボーだ。
作中ではそのスケボーの事をフウライボウさんは「相棒」と呼んでいた。その相棒はまるで意思を持つかのように独りでに動き、フウライボウを乗せて共に旅をしたと言われている。
しかし、いざ現実に目を戻してみるとその存在は霧のようにあやふやだった。向けられたインタビュアーのマイクに対し、フウライボウさんは首を傾げ、ミスティさんは悩ましげに唸るだけだった。
一説では、ミスティさんが操るエクストリームギアがポンコツの正体なのではないか、とまことしやかに囁かれているのだが——
「うん。そうだけど」
謎は解明された。そこには大衆の驚愕と一握りの感動が、欠片ほどもあるわけなかった。
人の夢と書いて儚いって言うんだね。
「でも、確かにこのギアは謎なんだよね」
パウさんの語る所の謎は三つある。
一つは制作者が不明な事だ。
フウライボウさん曰く、このギアはゴミ捨て場にあったものを適当に見繕って拝借したものである。元の持ち主もいつの間にか手元から無くなっていた品だと言っていたが、彼に譲渡してしまったそうだ。その持ち主も、どこが作った物かは知らないという。
そして一つは、その異常な性能。
フウライボウさんの初の旅の時期というと、まだエクストリームギアという物が広く普及しているわけではなかった。
勿論制作会社も作り慣れた製品ではないが為に、多機能や高性能を実現する事は難しかった時期だ。そこに来ると、この不思議なポンコツは名前に反して実に優秀、というよりも群を抜いているのだという。
現代のギアはモーフィングメタルという可変形金属を使用している。平たく言うと、最近のギアは変形が可能だということ。これは本当に最近生まれた技術で、少なくともフウライボウさんが不思議なポンコツに出会う前の時期には実現していない筈の技術だ。
しかもその技術の実現は今も至難を極めるらしく、手すりや縁を滑走するグラインド機構を備えたスピード形態、空気の層を捉え空を飛ぶフライ形態、万全の耐久力と安定感を備え障害物を退かせるパワー形態、これら三形態に自在に変形させるようにすると、どうしても基本性能を削らざるを得なくなると言う。
だが、これはそれを見事に両立させる事に成功しているというのだ。
そしてこのポンコツ最大の謎が一つ。
最初に設定された変形機構か、ボロボロなスケボーであったことだ。
「はい、調整完了」
「ありがとうございます、パウさん」
良いってことよと、達成感に溢れた顔でパウは笑った。
持ち運びに便利なボックス形態のギアを、大事そうに抱えるフウライボウさん。彼の言葉通り、数々の旅路を共にした相棒であるのは確かなようだ。と、思う。
「これでフウライボウさん達が書いた本をタダで貰えるんだから、安いもんだよ」
「いや、それじゃ釣り合いが取れないんじゃ……」
全くである。というか、本当に報酬はそれだけなのか。相当な読書好きだ。
「というより、この人達の書いた本が、僕を本の世界に引きずり込んだんだけどね」
「いやぁ、そんな」
「……はぁ」
返すべき言葉に迷った。流石と言うべきなのか、阿呆かと言うべきなのか。結局何も言わなかった。
でもまぁ、パウの仕事ぶりを見たのはこれが初めてだった私は、それらは小さな事だった。所長達といいなんといい、事務所の活動風景を見れた今日という日はある意味貴重だと思う。
そこへ、荒々しいというでもなく、しかし穏やかではないノックが響いて、ドアが開かれた。
現れたのは、ハルミちゃんだった。
「ハルミちゃん、どうしたの?」
私が聞く頃に、荒い息を整えて要件を伝えた。
「依頼が来ましたっ。GUNからですっ!」
小説事務所に、電流が走った。