No.8
皆さんは体験した事があるだろうか。
歩いても歩いても風景が変わらぬが故に、これが世界の全てなのではないかと錯覚した事が。
私? いやぁ、私はたった今そう勘違いしそうになった。あんまりにも階段を降り過ぎて、ポヨが頭から離れていくような錯覚を覚える。
すわ、地獄への階段か。そう疑い始めた頃だろうか。ようやく長かった降り風景にも終点が見えた。
鉄の扉だ。恐らくは入り口と同じ物の。
とりあえず蹴った。
「ユリ、クールダウンだよ、くーるだうん」
問題児に宥められた。へこんだ。
何はともあれ、一足早く腰だけ老人になろうと言う前にようやく目的地と思しき場所に到達できたのだった。
後ろを振り返ってみる。そこには何段か飛ばして私達の足跡が付着した階段がある。やはりこの暗さでは先など見ようが無い。
前へと視線を戻す。ちょうど今し方蹴りかました鉄の扉が、めげずにこの階段の世界との境界線の役割をしている。
扉と扉の中に挟まれた階段の世界。ある意味、ここが世界の全てだと錯覚するのもごく自然な事なのかもしれないと、自分に都合の良い解釈を作っておく。
「じゃあ、開けるよ?」
まがりなりにも、暗がりの階段の世界を降りに降った向こう側。夏もそろそろ終わりが見えてきた頃だと言うのに、私の背筋をひやりとした物が駆け巡るのがわかる。
それはカズマも同じなのだろう。だからなのか、扉を開けるのに私の同意を求めてきた。
勿論、首を横に振る事は無い。手ぶらで帰るには、私達は少しばかり遠出をし過ぎた。
私が頷くのを見て、カズマも意を決したようにドアノブに手を伸ばした。掴んだノブには多少の錆付きが見られ、この扉が古い物だと言う事を教えてくれる。
カズマは躊躇する事なく――いや、躊躇したからこそか――ノブを勢いよく回した。施錠はされていない。そして扉を、今度はゆっくりと開く。向こうからは階段の世界を照らすには明るく、しかし照明としては頼りない光が漏れ出した。
夜明けかな。習性のように詩人のような感想が、頭の中を過った。
私達は、ただ言葉を失う事しかできなかった。
目の前の光景を見て思った事と言えば、日本で例えて大正の世に現代の技術力を再現するには、これだけの機材が必要なのだろうか、とだけ。
それは、パウの研究室の比ではない。天井を仰げば、目に見えないほど、手の届かないほど高く。奥を見渡せばそれらは容易く視界を遮る。
さっきまでのが階段の世界と呼べるのならば、この部屋にだって何か名前を付けられるに違いない。いや、部屋という呼び方すら正しくないのかもしれない。
ここは、現代技術の結晶だ。
中心にそびえ立つ塔のような機械を中心として、周囲には本棚のような機械が所狭しと配置されている。まるで迷路だ。下手をすれば迷ってしまうかもしれない。
「……おおー」
ようやく声が漏れたのは、カズマの方だった。
「ユリ、ここってどこだったっけ」
「……えっと、小説事務所。の、地下?」
あまりにも目の前の光景に対するインパクトが強くて、つい疑問符が付いてしまった。
一体これらは何の為に作られた機械なのだろうか。この規模からして、きっととんでもない物に違いない。何故って、まず規模がとんでもない。
「とりあえず、ミキを探さなきゃ」
「あ、そうだった」
思わず当初の目的を忘れていた。ミキを探しにきたんだった。私としては、この特ダネ的な光景をカメラに収めて会長に着払いで送れば万事解決だ。
そういうわけで、カズマと共にミキを探す事にする。二手に分かれようとも思ったが、合流が面倒だと判断して一緒に行動。
とりあえずというか、まずは中央の塔のような機械を目指した。本棚のような機械を右に抜けて左を通って、勘だけを頼りにずんずん進む。
果たして、滞りなく中央まで辿り着いた。塔のような機械は間近に見れば改めて感嘆の息が漏れるほどに壮大で、このまま仰向けに倒れてしまいたいくらいだ。
「ミキー? いるー?」
カズマが声をあげる。多分、呼んでも返事なんかしないんじゃないかなぁ。
「あ、いた」
そういう問題でもなかった。
「…………」
そこにいたミキは、私達が最初にここに入ってきた時のように塔のような機械を見上げていた。
こちらに気付くと、今度はその視線をこちらに向けて固定した。
「ミキ、こんなとこで何してんの?」
「…………」
答えない。
「ミキ、ここって一体何の部屋なの? この機械は何?」
「…………」
答えな――
「言えない」
答えた。答えられない事を。文脈としては多少通りにくいが、ミキという人物像を中心として考えれば、この言葉は十分に意味がある。
「言えないって、なんで?」
「情報の開示を許可されていない」
「情報の開示?」
意味深なその言葉を、私は思わずオウム返しにした。
「誰から?」
「……ゼロ」
「所長さん?」
カズマが驚く傍らで、私はやっぱりと思っていた。ここを隠したのはあの三人であるという私の考えが、見事に当たったわけである。
「でも、教えていいの? 所長さんが隠せって言ったんでしょ?」
カズマのその疑問も最もだった。隠せと言われたら、その人物自身の事も隠さないといけない。それをミキは随分と簡単に教えてくれた。
対してミキは、実に淡々と言ってのけた。
「私自身からの情報の開示が許可されていないだけ」
まるで揚げ足取りのようだ。だが、そういう事を言わないのがミキだと、私は付き合いがまだ浅いながらも認識している。
「でも――」
「本人に聞けば、きっと教えてくれる」
だが、その付き合いの浅さなのか、この言葉に少し驚いた。
「あの人は、そういう人」
――他人の事を見ていないようで、よく見ている。そんな人臭さを、私はこの時感じた。
長居は無用だと言う事で、私達は事務所へ戻る事にした。
エレベーターで。
「いやぁ、エレベーターもあったんだなぁ。帰りが楽で助かったね、ユリ」
音速で錆びた鉄の扉にドロップキックをした。
足腰が強くなった。……気がした。
所長室に戻ると、ちょうど所長が帰ってきていた頃だった。冷蔵庫の中の缶コーラを一本開けている頃だった。
「ん、珍しい二人だな」
ミキとはつい先程別れた為、所長室にやってきたのは私とカズマだった。所長と合わせて、ちょうどここには事務所のソニックチャオが一堂に会したわけだ。
所長の何の気なしにコーラを飲む姿を見て、どちらが切り出したものかと顔を見合わせた。そんな気まずそうな私達の姿を不思議な顔で眺めながら、所長がもう一口。
意を決して切り出したのは、私だった。
「あの」
んー? とだけ返事を返す所長。一体何から話せばいいのやら、だ。
「地下室の事なんですけど」
私の言葉を聞いても、所長はコーラを吹いたりはしなかった。ただ、その表情が少しだけ険しくなったのは私にもわかった。
「パウの研究室の事か?」
しらばっくれた、というわけでもないだろう。果たして私達の尋ねている地下室とやらが何なのかという確認の言葉だ。
「いいえ」
念の為、キッパリと否定の言葉を吐いた。
「そうか」
それで理解できたらしい。
手に持ったコーラを適当な場所に置き、所長専用の(と銘打たれてるだけでヤイバも普通に使っている)椅子に座る。私達も来客用の椅子に座る事に。
「なんだ、偶然見つけたのか?」
「はい、私が」
「……まぁ、別に厳重に隠したわけでもないしな。いつか誰かが見つけるとは思ってたんだが」
顔だけで、まさかお前が見つけるとはな、と言われた。確かに、私がこの事務所内では一番新入りなわけだ。私だって必要に迫られなければ、あんな扉を見つける事はなかったと思う。
「先に言っておく事がある」
「口外はするな、とか?」
所長が言うより早く、カズマが先に条件を言い当てた。所長が肩を竦める。
「……一応、事務所内だけの秘密だ。他所にはばらすなよ」
ついでか、条件に補足を付けてきた。
「一応知ってると思うが、俺は昔魔法使いだったりする」
所長が話し始めたのは、そんなところからだった。
確かに、話だけなら知っている。特に重要性がないと思って、深くは追求しなかった事だ。
「ついでに言うと、俺の出身地もこの辺りじゃない。随分遠くか、或いは――」
いや、いいか。そう言って、或いはの先の言葉を伏せた。何となく気になる物言いだが、この様子だと追及しても話すつもりはなさそうだ。
「とにかく、何かと資本主義だったり何なりが目立つ中、俺達は魔法が使えたのでした。そんなある時に」
まるで物語をその口で紡ぐかのように語る所長。私達も自然と聞き入る。
「突然、ここの地下室へとやってきた」
唐突に脈絡のない事を言い出したので、私達は顔を見合わせた。どういうこと? さぁ? そんな会話が視線で行われる。それを察しつつ、状況は詳しく話せないんだがと話を続ける。
「本当に突然だったんだ。空間転移……ワープみたいなものかな。俺やパウにリム、ついでに俺の兄貴も一緒に、ここの地下へと現れた」
空間転移――随分とSFじみた話になってきた。魔法だのまで絡んで、ファンタジーなのかSFなのかハッキリしてほしくなってくる。
「辺りを探しても俺達を呼びよせた奴はいない。そりゃもう困ったな。一体なんの拍子に俺達はこんなとこに来たのか、さっぱりわかんなかった。大体、丸一週間はな」
丸一週間。その間、見知らぬ土地で孤立無援だったわけだ。
「……それで?」
「あぁ。パウがあのバカデカい機械の正体がわかったって言ったんだ。そいつはとんでもない代物だったよ」
そこで一拍置いて、所長は私達の顔を見回した。とうとうあのデカブツの正体が明かされる。私とカズマが固唾を飲んだのはほぼ同時だった。
「あいつはな――俺達と同じ存在だ」
私達チャオは、人間と同じくずっと昔から存在していた。
昔こそ人間ほどの環境適応能力はなかったが、人間にはないキャプチャーという特性を用いて、現代まで生き抜いてみせた。
だがある時、私達と似た『兵器』が古代に作られる。
その兵器は私達チャオと同じように、あらゆるものの特徴、特性、動き、何もかも全てを完璧なまでに取り込み――キャプチャーし、それを再現してみせ――挙句、四大文明の一つを滅ぼした。
その兵器の名は――ギゾイド。
ギゾイドという兵器には、非常に謎が多い。
何故なら、ギゾイドに関する詳細な資料は、今から50年前の物しか見つからないからだ。更にそれを遺した人物は、当時世界最高の頭脳を持つ科学者と謳われたプロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックだ。
彼が死刑にあってから実に50年にもなるが、未だに政府はジェラルドの研究資料の情報を把握し切れていない。
ギゾイドも、その一つだ。
チャオをも悠に上回るキャプチャー能力は、しかしチャオとの関連性を思案させる。しかし、その二つが直接関連しているわけではない。
ギゾイドはチャオと類似し、チャオは突然変異体カオスの手によってナックルズ族から守られ、ナックルズ族とライバル関係にあったノクターン族……。
ノクターン族。4000年前に存在したのではないかと言われる、四大文明の一つ。
この種族の存在が発見されたのは、まだ去年くらいの事だろうか。
とある歴史の先生さんがナックルズ族の事を調査していた時に、偶然その名を見つけ、今現在も調査中だと言うのだが。
そのノクターン族を調べていた時に、これまた偶然見つけたと言うのだ。
ギゾイドに類似した絵を見つけた、と。
カオス。チャオ。ナックルズ族。ノクターン族。ギゾイド。
この繋がりは、偶然ではない。
ノクターン族が作り出した可能性が高い、4000年前の究極の古代兵器ギゾイド。
これを知った誰かは、こう考えた。
『4000年前の技術を、私達がどうして再現できないと言えようか』
「それが、あの地下室のデカブツだ」
――通称、空想再現装置。
そう名付けたのは、リムさんだそうだ。
「人間もキャプチャー能力に関しては、機械の力を使ってほぼ完璧な領域まで踏み込めている。それはわかるよな」
私達は当たり前のように頷いた。
「だが、いつも再現で躓く。だからこの計画は、チャオやギゾイドに関する資料を漁るに漁って、あんな膨大な機材をも使って、本気で4000年前のテクノロジーを再現してみせようとして――そいつは予想を上回る成功に辿り着いた」
所長の、いつになく真剣な表情。それと事の重大さは、間違いなく比例している。
「あいつは、どんな望みをも叶えちまう常識外れな玩具だ。あらゆる事象や能力の情報を集積し、再現できる。物語の中の魔法だって、あいつを使えば簡単に手に入る――
――悪魔の兵器だ
―ピッ――ピピピ――ピピッピピピッ――
そんな音がカチューシャから聞こえたのは、話がちょうどいい所までやってきた時だった。
『もしもし、ユリ? ちょっと悪いんだけど、そっちにゼロとかいないかな?』
パウだった。まるで見計らったようなタイミングでかかってきた通信に、些か不信感を抱きつつも応答した。
「うん、ちょうどいるけど」
『あぁ、よかった。ちょっと急ぎの用事なんだ。悪いけど、変わってくれないかな?』
その声に余裕が感じ取れない所から、なにやら急を要する事態なのは私にもわかった。
可愛らしいカチューシャを所長に投げつけると、所長はなんでもないように片手でキャッチしてみせ、なんでもないように被っていた帽子とカチューシャを入れ替えた。
「パウか? どうした?」
その顔が、苦いものに変わったのはすぐだった。
「どんな状況だ。なるたけ簡潔に」
所長の応対の様子からすると、やはり只事ではないらしい。カズマも緊急事態の備えをするかのように椅子から立ち上がっている。唯一私が、いまいちどうしたものかわからずにいると、所長は通信を終える頃だった。
「わかった、とりあえずお前は依頼者と逃げてくれ。俺達が応援にいくまで捕まったりはするなよ」
それだけ言って交信を終え、カチューシャを私に投げつけた。それを私は両手でキャッチし、再び頭に装着した。
「何があったんですか?」
「パウが、どこぞの敵性組織なんぞに追われてやがるんだ」
所長は、拳銃を構えて所長室を飛び出した。