第二話 魔の森の悪夢
第二話 魔の森の悪夢
「ミコは……あの子は両親を亡くしたのです」
「魔王軍ですか」
はい、と村長は答えた。
会食が終わる頃合いになって、村長は先刻の非礼を詫びると言ってきたのだった。
「あの子の親は優秀な魔法使いでして、魔王軍首都侵攻の折に招集されたのです」
「王国の魔法団に?」
「はい」
目を瞑って頷く村長。何となく、もしかしたらミコの両親のどちらかは村長――ロージンの子なのかもしれないと思った。
「あの子は"勇者"の伝承を信じていました。"魔王"の出現と共に現れ、"聖剣"と共に世界を救済する"勇者"を待ちわびた。ですが」
「間に合わなかった」
ルーシーが言葉尻を引き取る。
「半年ほど前に、魔王軍の手によって。遺骨すら届けられることはなかったのです」
「それで"勇者"はいらないか」
恨みつらみを直接ぶつけられた当の本人はいつになく重々しい様子で話を聞いている。
「今更だもんな」
サインは悔しそうに言った。
「"勇者"様の責任では……」
「サインのせいじゃないでしょ。両親を亡くしたのは可哀想だけど、あの子のやってることはただの八つ当たりだよ」
「そうかもな。だけどおれがもっと早く"聖剣"を手に入れてたらなんとかなった」
村長とルーシーの慰めにもサインは応えない。こういう時、サインはいつも自分ひとりで責任を背負おうとする。
強い力を持つとどうにかできることが増える。できたかもしれないこと、それができなかった時に残るのはあともう少しだったのにという後悔だ。ぼくたちにはいつもあともう少しが足りない。"勇者"であるサインでさえそうなのだ。
これ以上この話を続けてもサインを追い詰めるだけだと分かったのだろう、村長が咳払いをひとつして話題を変えた。
「ところで、いつ出立なさるので?」
「明朝には。できるだけ人の少ない時間に発ちたいと思っています」
「では今晩はもうお休みになられるがよろしかろう。何かわたくしたちにできることがあれば、何なりとお申し付けくだされ」
「ありがとうございます」
そう言って村長は仮の宿から去って行く。
「村長、良い人だよね。こんな宿もお布団も用意してくれたし」
「それだけぼくたちに期待してるんだよ」
正確には"勇者"に期待しているのだが、そう言葉にすることはできなかった。
「両親かあ」
ほう、とため息をつくルーシー。
「心配?」
「うーん、お父さんもお母さんも魔法使えるし、わたしはあんまり。ヒョウジは?」
「心配かな。ぼくがいたら、少なくとも魔王軍からは守れると思う」
「だけど時間の問題だろ。結局"魔王"が来る」
"魔王"への強い対抗意識を燃やして、サインが言う。
「半年で首都からおれたちの住んでたエミー地方まで侵攻してきたやつらだ。"魔王"が来たら生半可な戦力じゃどうにもなんねーよ」
生半可な戦力。どきりとした。サインにそういうつもりはないだろうが、まるで自分がそう言われたみたいで。
ピュア王国の伝説によれば、"魔王"には"勇者"でないと対抗できないとある。"勇者"は"聖剣"によって選ばれる。"聖剣"から、世界から選ばれた"勇者"サインにしか成し遂げられないこと。きっとそれはどんなに努力をしても届かない世界なのだと思った。
「今日はもう寝ようか。明日に備えないと」
「そうだな。明日は"魔の森"だし」
「うわー。やだなー。行きたくなーい」
"魔の森"の怪談に笑いながら、ぼくたちは眠りについた。
「竜の民のこと、聞きそびれたね」
――明朝、ぼくたちは"魔の森"へ向かって出立した。
旅の準備には村長とお付きの人が協力してくれた。"我ら竜の民の御加護を"。彼らはそう言ってぼくたちを見送った。
「朝ごはんもおいしかったなあ」
「魚がうまかったよな」
まだ食べ足りないのか、サインは自分のお腹をさする。前々から思っていたことだが、"勇者"は人よりもよく食べてよく眠る。サインの個性レベルの範疇にも思えるが、もし"勇者"であることと何らかの関係があるのだとしたら、彼の体はもはや他人とは少し違うものになっているのかもしれない。
「湖で獲れた魚って言ってたね。今から釣る?」
とマーク。彼は意外とサインに似てアクティブだ。
「なんか変な生き物とか釣れちゃったら嫌じゃない?」
「マイルス湖には竜が棲んでんだろ? もしかしたら」
「ウワサでしょウワサ」
眼前に広がる湖を見る。こうして近くで見るとその大きさに圧倒される。対岸に小さく家々が並んでいるのが見えたり、釣り堀が作られているのが辛うじて分かる程度だ。
水は澄んだ透明なのに、湖の底は暗闇になっていて見通せない。竜が棲んでいるという話もあながちウソではないのかもしれないと、ぼくは地図を広げながら思った。
「なんとなく湖の形が竜の頭に見えるかも」
「え、ほんと? 見せて見せて」
「いやなんとなくね」
ルーシーに地図を渡す。彼女は首を傾けてみたり地図を傾けてみたりしたが、納得が行かなかったようだ。
「竜っていうかトカゲじゃない?」
「いや竜だろ」
とサインが地図を覗きこんで言った。
「そもそも竜ってなに? なにするの?」
「伝説になるくらいだから、富を与えるんじゃない」
「出た、物知りヒョウジ」
サインのからかいに少しだけいらっときたが、地図を取り返して説明する。
「このあたりの土地は雪山ばかりだから、食料が獲れる場所ってほんとここらへんしかないんだよね。"魔の森"は"魔の森"って呼ばれているくらいだし」
「シルバー山、なんもなかったもんなあ」
「すっごい寒かったしね」
シルバー山。ルージュ地方と首都ソニックシティ圏の境目にある霊峰。ぼくたちはそこをまたいできた。この二つの地方は、本来であればヒーローブリッヂと呼ばれる大きな橋で自由に行き来ができるようになっている。しかし魔王軍の侵攻の影響で、橋はすでに落ちてしまっているのだ。
ぼくたちがシルバー山を登らざるを得なかったのもほかに道がなかったからだった。そうでなければあれほど険しい雪山を登ろうなどとは思わない。
「それもあって、ここは竜の恵みのある土地だーとか言われていたんじゃないかな」
「これはボクたちチャオに伝わる話だけど」
話に切り込みを入れて来たのはマークだ。
「マイルス湖はもともとチャオの楽園だったらしいんだ」
「楽園? なんで?」
「生き物として弱いチャオたちを竜が守ってくれていたみたい。守り神、って呼ばれていたみたいだよ」
ふうんと森の中を進みながらマークの話を聞く。
「マークを見てるとチャオが弱いとか思えないなあ」
「ボクは"ブソウタイプ"だから」
チャオは本来弱い生き物だ。だが魔王軍のチャオやマークは戦うことに特化して進化した。人は"ブソウタイプ"と呼んでいる。
戦いの最中に突然銃を撃ったり魔法を使ったりできるのも、"ブソウタイプ"のチャオが人の使う武器や魔法を真似ることができるからだ。
ルーシーは主にマークを魔力の供給元としてパートナー契約を結んでいるようだが、"ブソウタイプ"のチャオは本来ひとりでも十分に戦える。
「昔は"ブソウタイプ"がいなかったってことか?」
と思ったことを口にせずにはいられないサインが聞く。
「チャオが"ブソウタイプ"に進化することは稀なんだ」
「だけど魔王軍はみんな"ブソウタイプ"だよな?」
「そうだね」
一説によれば、とぼくが口を挟む。
「"ブソウタイプ"は人がチャオに戦うことを望んだ形態、らしい」
「戦うことを望んだら、戦えるようになるのか?」
「一説によればだけどね」
「まあとにかく昔はボクたちチャオってみんな弱かったんだよ」
ボクは昔から強いけど、とマークは付け加える。その言葉にルーシーも満足げな様子を見せた。ふたりは小さい頃からずっと一緒に戦ってきた。だからマイルス湖の村でマークを魔王軍と疑われた時に、ルーシーは自分のことのように怒りをあらわにしたのだ。
「ってことは"ブソウタイプ"のチャオが集まって魔王軍を結成して、人に反旗を翻してるってわけか」
人に反旗を翻す。サインが自然に口にした言葉に、ぼくは何だかもやもやしたものを感じた。
人から戦うことを望まれて進化したチャオはどういう気持ちなんだろうか。竜に守られる生活がチャオたちにとっての楽園なら、戦って人から命を奪い、住処を奪う魔王軍は、一体なにを目指しているのだろう。
魔王軍の、目的は。
「ところでさ」
ルーシーが怯えたような声でふと言った。
「さっきから、同じところを歩いてない?」
「"魔の森"の悪夢、ですな」
森を進んでいる途中で景色が変わらないことに気付いたぼくたちは、一度マイルス湖の村に戻ることにした。
この現象の正体を突き止めない限り首都には入れない。そう考えて村長に詳しい話を聞くことにしたのだった。
「悪夢ですか」
「"魔の森"には外敵を拒絶する魔法がかかっていると言われておるのです。一度入った者が脅威と見なされれば出られず、脅威があれば入ることかなわず」
つまりぼくたちは脅威と判断されたということだ。
"魔の森"がマイルス湖にとっての、ひいてはチャオにとっての外敵を拒絶する場所なら、"勇者"……"聖剣"が脅威と判断されるのは辻褄が合う。魔王軍のチャオを最も薙ぎ倒しているのはサインだ。
「どうすりゃ先に進めるんだ?」
「ううむ」
顎に手を当てて考え込む村長。
「だから言ったじゃん。"勇者"なんていらないってさ」
「ミコ!」
村長の家の入口から長身の女性が入ってくる。昨日見た時よりも表情から険しさが減っている。しかしそれは歓迎の意ではない。"魔の森"に拒絶され足踏みしている"勇者"の姿を嘲っているのだ。
彼女はずかずかとサインの前に立って、とびきりの皮肉に満ちた笑顔を浮かべる。
「役に立たない"勇者"様なんて、竜神様が通してくれるワケない」
「あなたね……」
ルーシーが冷たい目線をミコに送っているのを見て、慌てて間に入る。
「竜神様って?」
彼女はぼくから目を逸らして腕組みする。答える気はなさそうだと見て村長に促すと、彼は観念したように話してくれた。
「湖に棲む竜を、我々竜の民は竜神様と慕い崇めております」
「では"魔の森"の魔法もその竜神様が?」
はい、と村長は頷く。
「竜神って本当にいるのか?」
サインの疑問にも村長は頷く。じゃあ、とサインは立ちあがる。
「会わせてくれ。おれたちは何としてでも"魔の森"を抜けなくちゃなんねえ」
村長に詰め寄るサインの肩を掴んで、ミコは息巻く。
「だから、あんたは竜神様から嫌われてんの! そのくらい分かれ!」
「嫌われてたら諦めなくちゃいけないのか?」
ぐっと言葉に詰まるミコ。こういう時のサインは、たぶんルーシーやぼくよりも頑固だ。
彼の力強い意志は、彼の眼を通して伝わってくる。彼の意志を前にして中途半端な思いは通用しない。"聖剣"に選ばれる前からサインのことを知っているぼくだからこそ言える。
サインは"聖剣"に選ばれたから"勇者"なのではない。"勇者"として生まれたから"聖剣"に選ばれたのだ。
「おれは竜神に会って、"魔の森"を抜ける。それから"魔王"を倒す」
「あたしのお父さんを……お父さんもお母さんも守れないのに、あんたに"魔王"を倒せるワケない!」
「それでも倒さなくちゃいけない」
強く拳を握って、サインは言う。
「おれは"勇者"だから」
緊張に満ちた静寂。ミコはその言葉を前に何も言い返せないでいる。力を持つ者の責任と、それを成し遂げる強い意志。
サインは生まれた時から"持って"いる。素質がある。そして"聖剣"はそれを正しく見て、正しくサインを選んだ。ぼくではなく、サインを選んだのだ。
彼を前にすると、多くの人はぼくと同じことを考えてしまうはずだ。ぼくが"勇者"だったら同じことを言えるだろうか。たくさんの人から期待され、謂れのない罵りを受けて、なお世界を守るために立ち上がることができるだろうか。
ぼくにはできない。そう思った。
その緊張の時間はしばらく続いた。サインは何も言わない。もとから言いたいことがあれば言うタイプの彼は、言いきれば相手の言葉を待つ。今はじっとミコの言葉を待っていた。
「じいさん」
と、彼女が静寂を破る。
「こいつらを竜神様のところに連れてく」
「ミコ、おまえ……」
「それ、ウソだったら殺すから。竜神様に食わすから」
たぶん彼女も同じように思ったのだろう。ミコの表情にさきほどまでの嘲りや憎しみはない。"勇者"が彼女の気持ちに応えることをミコはもう知っているからだ。
「任せとけって!」
そうサインは笑って、自信満々に言ってみせるのだった。