第三話 竜神様のはら
第三話 竜神様のはら
食料を貯蔵した蔵の中に湖の地下に繋がる階段があった。階段を下りた先は洞窟だった。静かに空洞音が響いた。
奥の見えない暗闇にミコがランプを照らす。薄暗がりに苔の張った壁面が見えた。
「まるで"異界"だな」
「異界って?」
サインの呟きにミコが聞き返す。
「こんな暗いのがずっと続くんだよ」
いまひとつ納得できなかったようすでミコがぼくに視線を送って説明を促す。
「シルバー山の山頂で"異界"と呼ばれる場所に迷い込んだんだ。道に迷う人を、心に迷いを抱えた旅人を闇に誘うらしい」
「あんたらあの山を登って来たのかよ」
「うん」
彼女が感心したように吐息をもらすと、ランプの灯がそれに伴って揺れた。
「わっ」
影が暗闇の中で揺らめいて、それにマークが驚いたみたいだった。ルーシーが頭を撫でてやると少し落ち着きを取り戻した。
「今、影が動いたような……」
マークが不安そうにぼやいた。
「ああ、あんたらの"異界"はどうか知らないけど、ここは竜神様の"のど"だからね」
「呑み込まれてるってこと?」
とルーシー。
「昔からそう呼ばれてるんさ。罪人は竜神様の"はら"行きになってたってじいさんはよく言ってた」
「この洞窟自体が竜の体内みたいなものなのかな」
「そういうこと。あんたは頭回るみたいね」
ミコがぼくの肩をバシンとはたく。サインと言い争っていた時にも思ったが、この人のコミュニケーションはかなり暴力的だ。あの村長も若い頃はこんな感じだったのかもしれない。
洞窟――"竜神様ののど"の壁面をよく観察してみると、かすかに脈動していた。まさか本当に竜の体内ということはないだろうから、原理的にはこの空間そのものが魔法で構築されているのだろうと思った。"異界"の場合、空間を作り出していた魔法使いは旅人たちの妄執だ。かつてシルバー山で死んで行った者たちの悔み切れぬ執念が、山の豊潤な魔力に染み付いていた。
この洞窟の場合は竜神様の魔法で構築されているはずだ。入りこんだ者が不審な動きを見せた場合、すぐに"呑む"ことができるように。
「まあ、あたしがいるうちはほんとに呑みこまれちまうことなんてないけどさ!」
「おまえがいると何が変わるんだよ」
「変わる変わる。すっごい変わるよ」
「だから何が」
サインが声を荒げようとすると同時に、どくん、と地面が鳴った。
「あたしは"竜の血筋"だから」
「だから何なんだよ、竜の血筋って……おまえはいつも一言足りねーんだよ」
「あんたは勇者のくせにもの分かり悪すぎでしょ」
「この二人すごい相性悪いみたいね」
ルーシーとマークが呆れたようすを見せる。
「で、血筋って何なの?」
ミコが尋ねたルーシーを睨む。
「あんた、勇者の彼女?」
「殺されたいのかしら」
冷やかな笑顔を浮かべてルーシーが右手に火の魔法を構築し始める。ルーシー、出てる出てるとマークが彼女を止める。彼女の溢れんばかりの魔力はマークの管理下にある限り暴走することもないが、無意識に魔法を発動させてしまうことも少なくない。
魔力とは血液みたいなものだ。傷口からは勝手に血が出てくる。それと同じで、ひとたび栓が外れればそこから魔力はいくらでも出てくる。最も魔力が外界に出る場合は血液と違い魔法という形になってしまうのだが。
どくん、と今度はさきほどよりも大きな地響きがした。ルーシーが慌てて火の魔法を抑えた。
「ほら、竜神様も怒ってる」
にやっとミコが笑った。
「わたしのせい……」
「待ってルーシー。魔力の流れが何かおかしい」
落ち込もうとするルーシーにマークが待ったをかける。
地響きが止まない。心なしか壁の脈動も早くなっているような気がする。
「おいミコ」
サインにしては珍しく苦い笑い方をして、戸惑っているミコに声をかけた。
「おまえがいれば大丈夫なんじゃねーのかよ」
――どくん。
一際大きな地響きを皮切りに、ぼくたちが通ってきた道から赤い水が流れ込んでくる。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。全力で赤い水から逃げる。
「なんでこんなことになるの!?」
ルーシーが息を切らせながら言った。みんな必死で答えはなかった。
まるで外観の変わらない一本道を赤い水から逃げながら走る。暗闇の中に二手に分かれた道が見えた。
「こっち!」
ミコが右を指す。右の道に駆け込む。また似たような道が続く。
「いつ着くんだよ!?」
「もう少しのはずなんだけど!」
走る。分かれ道。ミコに続いて右に進む。さらに走る。後ろを振り返ってみる。赤い水の勢いは続いている。
「やばいやばいやばい!」
サインが焦る。
「これ、洞窟ごとぶち抜いちゃっていいか!?」
「ダメに決まってる!」
ミコが返す。
「だったらどうすんだよ!」
「もう少しで着くはずだから!」
もう一度分かれ道が来る。右に進む。赤い水の勢いは続く。地響きは止まない。
何かおかしい、ということに気がついたのはもうしばらく走り続けて、四回目の分かれ道を右に進んでからだった。
「マーク! これ同じなんじゃ!?」
「同じ?」
焦ったせいで言葉に詰まった。
「同じ道なんじゃないか!?」
そう言ってすぐにマークのポヨがびっくりマークになる。たぶん当たりだ。チャオは人よりも魔力の感知能力に優れているという。赤い水に追われていながらも、マークならこの空間の全体像を把握することはできるだろう。
「ルーシー!」
マークが立ち止まってルーシーに呼び掛ける。つられて他のみんなも立ち止まる。
「なに止まってんの!」
ミコが叫ぶ。
「分かった!」
ルーシーがマークに頷いてみせて、手を繋ぐ。赤い水が迫って来る。
魔力が二人を中心に渦を巻いている。ヒカリゴケのような色の粒が彼女のたち前で形を成していく。二人の呼吸が合う。魔力の輝きが一層強まる。
土の魔法。岩壁が目の前にせり上がる。
波の打つ音がして、地面が大きく揺れた。サインがミコを支える。ゆっくりと揺れが収まる。ふう、と誰かがため息をついた。水滴の音が残った。
「歓迎されてないみたいだね、ぼくたちは」
どうやらそうらしかった。
「触んな」
ミコがサインを振り払う。彼女の右腕にはまだ紋章が刻まれている。その紋章に一体どういう意味があるのかは知らないが、少なくとも繋がりはまだあるようだ。それはつまり彼女がまだ"竜の血筋"であることを意味している。
「やっぱりわたしのせい?」
「いやルーシーは関係ねえ」
サインが確信に満ちた声色で言う。
「あいつ、魔王の眷属だ」
"聖剣"を掲げる。その刀身がまばゆく輝く。"聖剣"は倒すべき敵が近くにいる時、その刀身を輝かせる。
「そんなこと!」
ミコが声を荒げる。
「竜神様があたしを、あたしたちを裏切るワケない……」
だがその勢いは続かなかった。彼女の顔は青ざめてしゃがみ込む。無理もない。今まで信じて来た守り神から殺されかかったのだ。だが本当に竜神が彼女たち"竜の民"を裏切ったのであれば、紋章が消えていてもおかしくはない。そんな気がした。
腹の底に響くような鈍く大きな音がした。暗闇の先から冷たい風が吹く。"聖剣"の輝きが強まった。
「お迎えだ」
サインが奥へ向かう。
「魔王の眷属かどうかは分からないけど、ぼくたちと仲良くするつもりはないみたいだ。戦うしかない」
許可を得る必要はないだろうが、ぼくは彼女に一声かけておきたかった。そうして暗闇の奥に進んだサインに続く。ルーシーがミコの表情をうかがって、ぼくについて来る。
彼女を連れて行くつもりにはなれなかった。ぼくたちと共に行くにしろここに残るにしろ、どちらにも同じくらいの危険はある。だけどこの先竜神との戦いは避けられない。そうなれば彼女は足手まといになる。
置いて行くのが正しい判断だと思った。
暗闇の道がしばらく続いた。その暗闇を"聖剣"の道しるべにしたがって進むと、やがてぼくたちは開けた場所に出た。
「さむい……」
ルーシーが呟いて、マークが火の魔法を彼女の側に灯す。
「ありがと」
マークのポヨがハートマークになる。
壁面に張っていた苔は、いまや霜に変わっていた。吐息が白い。空気中の水分が凍って時たま地面に落ちる。暗くて見づらいが天井が遠いことは分かる。大きな空間だ。構造的に湖の直下だろうか、恐らくここが、
「"竜神様のはら"――」
どしん、と今度は生き物の音がした。獣の臭いがかすかに感じ取れる。壁面に薄らと張り付いた霜が氷結する。
「お出ましだぜ」
サインが"聖剣"を構えた。
蒼い竜が姿を現す。体長は人よりも遥かに大きい。サインが五人ほど縦に並べばその頭に届くだろうという大きさ。その竜が翠色の瞳をこちらに向けていた。
竜が氷柱を生み出す。その氷柱がサインに向かって一直線に飛来する。サインはそれを"聖剣"で両断する。氷の結晶が粉々になって飛び散った。
ぐっと一歩踏み込むサイン。そのまま突進。"聖剣"を表皮に突き立てる。
がんっと高い音がして弾かれる。竜の尾が横薙ぎに払う。跳躍して避けるサイン。氷柱が空中のサインを狙う。
「マーク!」
ルーシーが叫んで火の魔法で氷柱とサインの間に膜を張る。
体の軸を翻して"聖剣"が竜の首を狩る。もう一度高い音がして弾かれる。その反動で着地。
「剣が通らねえ」
「魔法なら」
火の魔法を練る。尾を狙って放つ。命中。白い煙が噴き出る。
「効いた!」
サインが吼える。
「いや」
とマーク。
「氷で防御された。あの氷の魔法をどうにかしないとこちらの攻撃は通らない」
氷柱が天井からぼくの隣に落ちる。狙いがぼくに変わったことを察知して駆ける。剣で迫る氷柱を弾きながら回避行動。
サインが"聖剣"の刀身に魔力を注入。刀身から光が伸びる。尾を一閃。高い音。
「弾かれた!」
氷柱がサインに飛ぶ。火の魔法の膜で防ぐ。
ルーシーとマークが魔力を練って、火の魔法を氷柱のような形状にして頭部を狙う。大きく白い煙。しかし煙が晴れないうちに氷柱がぼくとサインに飛ぶ。ぼくは火の魔法で払い、サインは横に転がって避ける。
「やけに女に優しいなあ、竜神サマ!」
サインが竜の頭に向かって跳び上がる。"聖剣"を振りかぶる。刀身から溢れる光。それを縦に振ろうとして、竜の尾が"聖剣"を捕えた。そのまま尾に弾かれて地面に投げ出されるサイン。
「こいつ……」
"聖剣"が尾に絡めとられている、ように見えた。しかしそれは間違いだった。翠色の眼光がサインを鋭く突き刺す。眼光は四つ、いや、六つ。
竜の頭が三つ。今まで尾だと思っていたそれは竜の首だ。サインの表情に焦りが見えた。
三つ首の蒼い巨竜が咆哮し、口にくわえた"聖剣"を一呑みする。
「何がやべえのか分かってんじゃねーか」
「竜神様!」
後ろからミコが駆けてくる。その瞬間、魔力の流れがぐっと彼女の方向に傾いたのを感じ取った。
「サイン! あの子を!」
ぼくが言い終えるよりも早くサインは起き上がって駆け出した。氷柱が彼女を地面から突き刺すように隆起する。寸でのところでサインがミコを抱えて避ける。
「竜神、様……」
ミコは縋るように竜を見上げていた。
「どうにかならねーのか」
とサイン。
「ヒョウジ」
「ぼくに聞いてるの?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
少し考える。魔力が竜の口に集中する。
「ルーシーが火の大魔法で何とか。でも外したらやばい」
氷柱が生成。細かく分散して飛来。狙いはサイン――いやミコ。二人の前に駆けて剣で弾く。弾きもらしたものをルーシーが火の魔法で防ぐ。
「竜神様!」
「あっ!」
ミコが叫んで竜の目の前に走る。
「あたしです! ミコです! "竜の民"の……」
右腕の紋章を見せつける。竜の攻撃が止む。ミコの表情が少し和らいだ。
「おとなしくなった、のか?」
とサインが自問する。
「竜神様に許可なく来たことは謝ります、でも!」
ミコが必死に訴えかける。
「勇者が魔王を討つために、"魔の森"を通らなければいけないんです! どうか!」
氷の結晶が落ちて割れる音が響いた。しばらくその間が続く。竜のようすに変化はない。しかし攻撃は止まった。
ルーシーが一息ついた。この広間に着いてから続いていた緊張が解けたのだろう。
サインが笑ってミコに駆け寄る。
「変だ」
マークがぼくを見て言った。
「それはぼくに言ってるんじゃないよね」
「いや違くて。サインが竜神に嫌われてるって話じゃなかったの?」
空気中の冷たさが増した、ような気がした。
「なんであの子が攻撃を受けるのかな」
ルーシーとぼくが顔を見合わせる。なぜ、ミコが攻撃を受けるのか。勇者を連れて来たから? 竜が既に魔王の眷属だから? 納得できるようで、いまひとつできない。
「やるじゃねーか、おまえ」
サインがミコに声をかけた。瞬間だった。
竜の尾がミコを横薙ぎにせんと振り払われる。ルーシーが土の魔法を生成、足場を隆起させてミコとサインを退避させる。尾が空を切る。
――魔力の流れを察知して対応していることに、気付かれた! 即座にぼくはそう判断した。
「竜神様……!」
「ヤロウ!」
眼光の鋭さが増す。確実に竜はぼくたちを殺しに来ている。
火の魔法を竜の尾に放つ。白い煙。防がれる。氷柱がぼくを狙って飛来。剣で弾く。
「こっちに、早く!」
二人が急いで駆け戻る。竜の尾が振り下ろされる。ミコとサインの頭上に迫る。サインが彼女を引っ張って避ける。
ぱらぱらと氷の結晶が散る。
こうなってくると、サインが無謀な突貫をしなければ、と思わざるを得ない。
"聖剣"はない。魔法は通用しない。大魔法は一度きりでリスクが高い。逃げる時間はどうやら稼がせてもらえない。そもそもこの空間が竜の作ったものである可能性が高いから、逃げ切れるとも思えない。
「ミコ、ここはおれたちで何とかする。とりあえずおまえは逃げろ」
サインがミコを起き上がらせる。妥当な判断だ。
彼女はよろよろとサインの手から離れる。
竜の尾が横薙ぎに迫る。ルーシーが魔法を生成する直前、ミコが尾を蹴り飛ばした。
ずしん、と大きな音を立てて巨体をよろめかせる竜。
マークのポヨがびっくりマークになっていた。
「こっちが下手に出てりゃあ付け上がりやがって」
右腕の紋章が一際輝く。ぐっとそれを振り上げながら、ミコは竜を睨みつけた。
「あんた、ぶっ飛ばすから」
魔力の流れがミコに向く。ぼくが剣を握る手に力を込める。氷柱が生成される。ミコは飛来する氷柱を殴って壊しながら竜の頭部に組みつく。
そのまま思いっきり殴り飛ばした。
巨体が壁に叩きつけられる。
「ええ……」
サインが唖然として言った。