二章

二章
 
 中学一年生になった。
 チャオBBSに、「ロッド」はデビューを果たした。当時、どういう気持ちでチャオBBSに書き込みしていたかは憶えていないけれど、同じゲームを好きな仲間と気持ちを共有したかったのだろうなあ、と思う。
 中学校では「勉強はできるけど、友達づきあいが好きではない」キャラクターを作った。何のトラブルもなく、健やかに過ごしていた。バレンタインデーにチョコレートをくれた佐々木さんを意識してドギマギするような中学生だった。チャオBBSではご存じの通り、ところかまわず首を突っ込んでは、特に何の影響も与えることができなかった。ぼくには友達を作る才能がなかったのだ。
 チャオ小説は、ぼくにとっては自己実現の場所だった。ぼくは「かっこいい何か」になりたかった。現実ではそれが「正義のヒーロー」で、チャオ小説においては、ぼくの書くキャラクターや必殺技がそれだったのだろう。のめりこんだ。他の人の小説も読んだ。友達が欲しかったから。チャオのコミュニティの中で、学校で、ぼくは役割が欲しかった。認められたかった。けれど、研究だとか、理論だとか、そういうものにぼくは価値を見出せなかった。他の人だけが前へ進んでいて、チャオのコミュニティの中で個性を放つところを見て、ぼくには個性がないように思えてならなかった。ぼくは、要らないんじゃないか。どこへ行ってもぼくは「いないほうがいい」存在だった。とにかくぼくは友達が欲しくて、自分の話を聞いて欲しかった。自分を知って欲しかった。それが当時のぼくにとっての「チャオ小説」だ。
 ところで、中学一年生のぼくは生意気な少年だった。先輩にはタメ口を使い、「たかが一、二年早く生まれた分際で、ぼくよりえらいのか?」というのが口癖だった。ぼくは中学生にしては何でもできたから、図に乗っていた部分があるのは否定できない。だけど、ぼくは特にいじめられてはいなかった。「面倒くさいやつ」。それが周りのぼくに対する印象だ。
 先生にも喧嘩を売っていた。授業で漢字の間違いがあったり、計算のミスがあると、ただちに指摘して修正させた。でも、ぼくはテストでは毎回一位を取っていたので、先生はぼくに対して優しかった。
 卓球部は半年で幽霊部員になった。地域の剣道クラブに通っていたから、という理由だ。最も、剣道クラブにもあまり参加はしていなかったのだけど。
 スキー合宿では、上級クラスに入った。が、初日に熱を出して倒れて、タクシーで病院に運ばれた。二日目は適度に楽しむことができた。同じ上級クラスの渡辺くんから、「おまえって、あんまり上手じゃないよな」と言われたことを根に持っている。渡辺くんもあまり上手ではなかったからだ。それ以降、たいした能力もない人間で、かつ他人には大層な物言いをする人間を、ぼくは見下し始めた。
 相変わらず正義のヒーローのふるまいをしていたぼくは、いじめられていた久保さんにも、みんなと同じように接していた。でも、久保さんはとてもヒステリックだったので、面倒くさくて投げ出したこともあった。久保さんは自傷癖のある女の子で、自分から「私は自傷癖があるから」と主張していた。いじめは良くないと考えて久保さんの意見も聞くことにしたのだが、彼女にも非はある。だから、何もしなかった。そのいじめを、ぼくは「悪」とは定義できなかったのだ。中途半端な正義のヒーローだったなあと思う。
 そして、激動の年、中学二年生の始まりである。
 チャオBBSではそのころ、ダークさんや土星さん、水神さんたちと、お絵かきチャットで遊んでいた。スマッシュさんのギャグが当時はとても冴えていて、「うぇっぽ」の単語の破壊力は今でもよく憶えている。ロッドとしてのぼくは、普段のぼくとあまり変わりがなかったように思う。チャオのコミュニティでは、年中何かとトラブルが起きていた。学校とはまた違う社会の中で、ぼくは自己主張していた。ここには色んな意見を持つ人がいて、その人たちがぶつかり合っている。そういう場所は、ぼくにとってはとても楽しい場所だった。日頃からぼくには戦う相手なんていなかった。「面倒くさいやつ」として扱われていたからだ。だけど、ここでは一人一人が自分の意志で行動している。そういう場所は、なんだか安心できた。
 同じチャオ小説を書いている仲間と、馬鹿なことをして楽しんでいたぼくは、少し昔のぼくに戻っていたように思う。
 けれど、現実はそう優しくはないのだった。
 
 父が仕事を辞めた。
 病気で。
 「おまえたちが家族として支えないから」「俺を馬鹿にしている目だ」「今まで稼いできたのは誰だと思ってるんだ」「俺がいるとそんなにうざいのか」「働いていないと俺には価値がないのか」「家族だと思っていたのに、裏切られたんだぞ、俺は」
 そういう後ろ向きな言葉に引っ張られるようにして、家庭環境も悪化しつつあった。ぼくは父が仕事を辞めたことにも、病気になったことにも興味がなかった。だけど、仕事を辞めて卑屈になって周りに当たり散らすのは、ぼくにとっては「悪」だった。だけど、ぼくは何もできなかった。父親が怖いから、ではない。父親がいないと生活できないからだ。ぼくは自分のことを正義のヒーローだと信じていたが、大きな矛盾をはらんでいたことには気づかなかった。
 夫婦喧嘩も多くなった。ぼくは親を取り換えてくれ、と何度も神様にお願いしたが、何も解決しなかった。このときから、ぼくは、「本当に現状が嫌で、どうにかしたいなら、たとえ自分が死んでもどうにかする努力をしなければならない。でなければ、自分の気持ちが嘘になってしまう」ということを信条にし始めた。つまり、「嫌なら自分でどうにかしろ」ということだ。これが大きな間違いだった。本質的には、「他人を信頼するな」ということでもある。他人は、共感できない人を敬遠する傾向にある。悩みも言わず、愚痴も言わず、ただ正義のために行動するぼくは、他人から見たら、どうしようもない「頭のおかしい人」だった。
 そうして、ぼくは人助けの比率を高めた。誰も助けてくれないから、ぼくが助ける側にまわる。それは正義のヒーローとして正しい行いのように思えてならなかった。自分のことはいい、というのが、ぼくの口癖だった。これは欺瞞だ。その実誰かに助けてもらいたかったのは、ぼくなのだ。当時の助けてもらいたがっていた「ぼく」を模した他人を助けることで、問題をすり替えていただけだ。
 このころから、ぼくは自分の人格を分割することができるようになった。他人になりきることが非常にうまくなっていた。アダルト・チルドレンの全てのタイプを時と場合に分けて使い分けることができるような人間だった。そういうぼくの危うさを見かねた当時の担任の田中先生は、ぼくによく話しかけてきてくれた。ぼくの人格を認めてくれた。今となっては、田中先生はぼくのことをよく見ていたのだなあ、と思う。通信簿の「先生からのコメント欄」には、「古武士のような生徒だが、一度挫折したら、立ち直れなくなってしまうほど、強くて脆い」と書かれてあった。ぼくはそんなことないぞ、と思っていたけれど、確かにぼくは今でも挫折したらほとんど立ち直れないから、これは正しい。田中先生はすごい先生だったのだ。
 田中先生のすすめで、ぼくは生徒会に入った。選挙は信任投票で、落ちることはない。みんなも投票なんてどうでもよくて、信任に丸をつけて提出する。そんな適当さだった。だけど、ぼくは前述の通り「敵」が多かったので、不信任投票がとても多かった。ぎりぎり当選したけれど、選挙管理委員会が数字をごまかしたのではないかと考えている。
 生徒会は男二人、女七人の深夜アニメみたいなバランスで、ぼくは生徒会副会長だった。同じく生徒会副会長の中島さんは、人当たりのいい、ある意味ではぼくと正反対のタイプだった。そんな彼女が、ぼくはとても好きだった。生徒会の仕事を、ぼくはたくさんこなした。女の子が多かったので、ぼくが力仕事や面倒な仕事を引き受けることが多かった。後輩の女の子から慕われるのも、悪い気分ではなかった。
 ぼくは、「能力は高いけど気難しい人間で扱いに困る」キャラクターとして確立されつつあった。だけど、ぼくは中島さんの指示には基本的に従っていたので、中島さんは「そんな面倒くさいやつを操ることができるすごい女子」という肩書きを得た。ぼくは他人の考えていることが何となく分かるし、中島さんはぼくの表面上の行動パターンを理解していたから、コンビネーションは高かったように思う。
 だけど転機が訪れた。
 中島さんが、好きな男の子に告白して振られたのだ。
 教室でも泣いていて、生徒会室でも弱気で、ぼくは自分の力不足がとても恨めしかった。他人の気持ちを変えることは難しい。そう思った。しかも、中島さんは女子グループから嫌われ始めたのだった。その理由は、中島さんを慰めていた黒川くんにある。黒川くんは大層人気のある男の子で、中島さんを必死で慰めていたのだけど、それが女の子たちにとっては気に食わなかったようだった。何とかしたかったけど、女子グループに怒鳴り付けるだけでは解決しない。そこで、ぼくは、中島さんを責めた。「黒川くんがあれだけ慰めてくれているのに、いつまでめそめそしているのだ」というようなことを言った。中島さんが可哀そうになるくらいに、喧嘩した。中島さんもぼくに対して本音をぶつけてきた。他の人が喧嘩を制する形で、その話は終わったけれど、たちまちぼくに対する目線が厳しくなった。だけどそれ以降、中島さんが表立って目の敵にされることはなくなった。
 嫌われ者がいたら、もっとすごい嫌われ者を出して、上書きすればいい。ぼくの常套手段で、正義のヒーローの必殺技その一だ。
 生徒会では気まずくなったけど、ぼくは元からみんなと仲が良いわけじゃない。ぼくは正義のヒーローとして、正しいことをしたのだった。中島さんのことが女の子として気になってはいたが、それは頭から切り離すことにした。
 
 そのころ、夫婦喧嘩は悪化して、何度もぼくが夜中に起こされた。そのたびにぼくが怒鳴られて、ぼくは早く家を出たい一心で受験勉強に打ち込んだ。
 中学三年生のころのはなしだ。
 中学三年生のクラス分けでは、ぼくは、中島さんと黒川くんと同じクラスになってしまった。
 だけど、松浦くんや安達くんという、素敵な友達がいたので、何とかなった(彼らは野球部・バスケ部のエースで、ぼくとはかけ離れた地位にいたのだけれど、なぜか仲が良かった)。担任の木幡先生に幽霊部員の件について咎められたり、宮原さんという女の子に「元々君みたいな人がタイプだったんだよ」と言われて複雑な気持ちになったりしたけれど、それ以外は普通の学校生活を満喫していた。
 みんなより一か月近く早く受験が終わって、ぼくは私立の高校に通うことになった。同じ私立の高校に通う黒川くんと、なぜか仲良くなった。アニメの話とか、ゲームの話とか、いろいろな話をした。黒川くんは中島さんと仲が良かったので、内心では気が気でなかったけれど、黒川くんは人格者だった。中島さんとぼくを自然に取り持って、うまいこと「面白く仕立てた」のだ。その時まで、ぼくは自分のことを「頭のいい人間」だと思っていたけど、本当に頭がいい人というのは、黒川くんみたいに、器の大きい人のことを言うのだなあと感じた。
 黒川くんとはたくさん遊んだ。黒川くんの家に泊まりに行くこともあった。彼の家にはゴールデンレトリバーの「クッキー」がいて、ぼくは行くたびにクッキーと一緒に昼寝していた。クッキーが死んでしまったときには、一緒に送別会をした。黒川くんとは特別気があったわけではないのに、なぜか一緒に遊んでいた。お互いに対し、必要以上に干渉しなかったからだろう。そういう人のほうが、ぼくは長続きするように思える。だけど、今となっては、もう少し干渉しておいたほうが良かったなあと思っている。
 中島さんとは、自然に仲直りした。卒業式で、元副会長同士として授与式を行った。卒業のムードで色々なことがごまかせていた。
 だけどそういう色々なものをごまかすことが、ぼくはとても嫌いだった。
 普段仲の悪い子たちが、とても感動的な別れをしているところ。あれだけ愚痴を言っていた先生に、別れの手紙を渡しているところ。背伸びをして、大人ぶって、ドラマのワンシーンみたいに感情移入しているところ。卒業式の日だからという名目で、普段とは違う行動をとる彼らを見て、ぼくはうんざりする気持ちでいっぱいになった。一貫性のなさ。矛盾。そのいかにもわざとらしい、「作り物じみた感動のシーン集」に、ぼくは嫌気が差した。そのときになって、ぼくはようやく気づいたのだった。
 ぼくは、他人が嫌いだ。一貫性のない人間が嫌いだ。うわべだけの感動を支持する人間が大嫌いだ。ぼくの、「嫌い」人生の幕開けだった。
 
 このころ、チャオBBSでは週刊チャオ編集部として週刊チャオの運営に関わっていたような気がする。SRFBDの活動として多くの小説を書いていた。だけど、ぼくの印象に残っているのは宏さんの「チャオの奴隷」とか、ぺっく・ぴーすさんの「Final dash」とか、ホップスターさんの「魔術師狂想曲」とか、懐中時計さんの「チャオ裁判」とかだ。当時書いていた小説のことなんてほとんど憶えていない。中でも宏さんの文章の巧みさにはとても惹かれて、真似しようとしたけれどできなかったことをよく憶えている。
 中学生のころは、冬木野くんとオフ会をした。マクドナルドでご飯を食べた。当時の金銭事情からすれば、あまり大したことはできない。チャットだけだったものの、スマッシュさんとは何か一つ通じ合うものがあった。家庭環境が似ていたからだ。スマッシュさんとオフ会をしたのは、高校生になってからだったと思う。
 チャピルさんはぼくにとって、「なんだかよく分からないけど、とりあえずすごい人」だった。
 
 そうしてぼくは、高校生になる。
 そう、高校一年生だ。
 
 三章へ続く

このページについて
掲載日
2014年10月13日
ページ番号
2 / 4
この作品について
タイトル
ろっどの物語
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2014年10月13日