2 人柱

「君には特別に、私のお手伝いとこの子の看護をお願いしたいんですよ」

 僕が呼び出された理由は、たったそれだけの事だった。
 お医者チャオさんの意図まではわからなかったが、特に断る理由も見当たらなかったし引き受ける事にした。
 今回の件に関しては病院側も特に問題なく受け入れてくれたし、この病院のことについても例の看護師さんがいろいろ教えてくれたから不自由はなかった。
 だが、コドモチャオの看護は人一倍気を使った。
 ただの赤ちゃんを世話をするのとは訳が違う。割れ物を扱うかのような日々に、こっちの体力すらもすり減っていく気がする。
 常に異常みたいな状態だから、対応にも困る。いつ壁のボタンに手を伸ばしたものかと頭を悩ませまくったし、話をしようにもお互いに言葉は通じない。
 たまにポヨがコドモチャオの感情を教えてくれるが、大抵が渦巻き状に変化するだけだ。最初は何か異常かと思ってみたが、結局はいつも通りであることを確認して溜息を吐く。そんな事を繰り返すから、変化なくベッドに横たわるコドモチャオの姿を視界に入れなくなってきた。
 勿論、看護師としては非常によろしくない傾向にある。たまに病院側から頼まれて別の患者の世話をしに行ったり、診療補助の為にと医師に協力を求められたりするのだが、その時に同じような態度を取らないように無駄に必死になってしまうのだ。

「せめて、言葉でも話せたらなぁ……」

 そんな事を、コドモチャオの前で堂々を愚痴るようにもなってきた一週間目。
 僕がそんなことを言った途端、コドモチャオのポヨが渦巻き状に変化したので酷く驚いた。
 まさか、僕の言葉を理解したのか? と思ってコドモチャオをじろじろと見てみたが、やっぱりいつも通りだ。全く驚かせてくれる。

「こんな事もあろうかと」
「げげんちょ!」

 これまたタイミング良く病室のドアが開かれたもんだから、酷くマヌケな驚き方をしてしまった。

「おやおや、君はなかなか個性的な反応をしますね」
「せ、先生ですか。入るんだったらノックぐらいしてくださいよ。というか、聞いてたんですか?」
「ん? 何のことですか?」
 素でボケながら入ってくんじゃねーよまぎらわしーなテメー。
「まぁまぁ、聞いてください。今日は良い物を持ってきました」
「良い物?」
「ずばり、これです」
 そう言ってお医者チャオさんがどこからともなく取り出したのは、何の変哲もなさそうな二つのヘッドセットだった。
「……先生、それ不良品です。コードついてませんよ」
「おや、あなたは有線派ですか? 家の中は汚そうですね」
 そんなこと診断すんじゃねーよ。つーか無線のヘッドセットなんてあったっけなぁ。
「まぁ、君のお家の事はどうでもいいです。そんなことよりもこの不良品です」
「不良品なんですか……」
「ん? 間違ったかな?」
 どこまでボケ倒すつもりだこの人。
「これはですね、チャオマイクというものです」
「チャオマイク?」
 何かの玩具だろうか。聞いた事のない商品名に僕は首を傾げた。
「その名の通り、これはチャオの言葉を翻訳する為のマイクなんですよ」
「翻訳機? そんなの作られてたんですか?」
「ええ、作られてましたね。ただ私や幼稚園の校長先生を始め、多くのチャオがいとも簡単に人語を話してしまうものだから、生産はすぐに打ち切りになってしまったそうです。せっかくの苦労が台無しですね」
 朗らかに笑うお医者チャオさんだが、その苦労を台無しにしたのはあなたがたが筆頭ではないか。
「試しに業者に問い合わせてみたら、どうやら在庫は処分されてなかったみたいで。快く譲ってもらいましたよ。これさえあれば、そこの患者さんともお話ができるはずです」
「本当ですか?」
「ええ、恐らくは」
 意味有り気に恐らくと付けたお医者チャオさんの言葉は、なんだか歯切れが悪かった。
「確証がないんですよね。チャオマイクの性能に難があるという意味ではなく、そもそもこの患者に意志疎通、つまり「言葉を交わす」なんて事をするのかという点で不安が残りますからね」
「んー……多分、大丈夫だと思いますけど」
「ほほぉ。その心は?」
 自信満々に聞いてくるもんだから、自信満々に話せない。
「えーっと……ほら、ポヨって感情表現の為にあるじゃないですか。これがちょくちょく変化するのを見てきてるので、多分話すことはできるかと」
「そうなんですか? 私がこの患者のお世話をしていた時はそんな状態は見た事ありませんでしたがね」
「え?」
 飛び出た僕の疑問の声に、お医者チャオさんは当然のように返した。
「見てませんよ、私は」

 ……おかしい。
 僕は毎日のように渦巻き状に変化するポヨを見続けてきているのに、お医者チャオさんはそれを見ていない。
 一体何が原因なのだろうか? 恐らくは僕がその原因の一つとされているのかもしれない。でも、看護内容に関しては他の患者よりもむしろ――比較してはいけないが――ずっと丁寧なくらいだ。
「……まぁ、これは症状の一つとして記録しておきましょう。前例もないですから、きっと貴重な情報となるはずです」
 そんなことより、とお医者チャオさんはチャオマイクの一つをチャオの頭に取り付ける。少し窮屈そうな素振りをしたように見えたが、コドモチャオに大した異常がないことを確認して、もう片方のチャオマイクを僕に手渡した。
「え、僕が話すんですか?」
「そりゃそうでしょう」
 ……まぁ、特に断る理由もないか。
 僕は慣れない手つきでチャオマイクを頭に被せ、
「君、それ逆ですよ」
 すぐに逆に戻した。マイクが左側になる。そのマイクを口の前の方へと位置調整し、
「スイッチはあるんですか?」
「ありますよ。左側に」
 スイッチを入れた。
 さて、何から話したものやら。 まずは挨拶からかな。
「こんにちは」
 そういえば、子供の頃にゲームのキャラクターとお話できるゲームをした事がある。今の気持ちは、それと良く似ている気がする。本当にお話ができるのかな、という新鮮な気持ちだ。
『なに?』
 唐突に聞こえた機械音声に、僕は少し驚いた。
 それもその筈、このコドモチャオがピクリとも動かないままに話したからだ。口元すらも動いていない。僕達は不思議そうに顔を見合わせる。
「調子はどう?」
 どう話せばいいのかわかったものではなく、どうも歯切れの悪い言葉になってしまう。

『寂しい』

 機械音声相まって、非常に冷たい言葉が僕の耳を劈いた。
 突然飛び出した言葉に、僕は思わず首を傾げてしまう。その様子を傍から見ていたお医者チャオさんは、諦めたように首を振った。
「ダメみたいですねぇ」
「え?」
 一体何がダメなのか、僕にはわからなかった。
「見ての通りです。何も喋ってくれません」
 わけのわからない事を言って患者のチャオマイクを取り外そうとするもんだから、僕はとにかく慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「ん? どうしましたか?」
「ちゃんと会話できますってば!」
「なんですって?」
 次に驚いたのはお医者チャオさんだった。
「だから、返事してくれてるんですよ」
「患者はなんと?」
「その……寂しいって」
「んむ? ちょっと貸してください」
 言われた通り、僕は付けていたチャオマイクを取り外してお医者チャオさんに渡した。彼は慣れたような手付きでチャオマイクを取り付け、マイクのスイッチをオンにした。
「こんにちは」
 一言喋って、数秒待って。
「具合はどうですか?」
 一言喋って、数秒待って。
「聞こえてますか?」
 一言喋って、数秒待って。
「……何も聞こえませんね」
 お医者チャオさんは、あっさりとチャオマイクを外してしまった。
「え、そんな」
 僕はやや乱暴にチャオマイクを受け取って「おやおや、強引ですね」やかましい。
 もう一度取り付け――また左右を間違えそうになりながらも取り付けて、少し焦りの隠しきれない声でコドモチャオに問う。
「聞こえる?」
『聞こえる』
 冷たい機械音声は、確かに僕の背筋を凍らせる。
「ほら、やっぱり会話できますよ」
「あららら~……わかりました。ちょっと待っててください」
 そう言って、唐突に病室の扉を開けて周囲をキョロキョロと見回すお医者チャオさん。
「あー、キミキミ。ちょっとこっちに来てくれませんか?」
 ちょうどいい所に、という具合で病室に入ってきたのは、最初の日以来まともに話していない金髪の小柄な看護師さんだった。
「どうしました? 何か問題でも?」
 言葉だけなら至って普通なのに、その顔は明らかに僕を不審な目で見る。僕ってそんなに信頼無いのかな。
「検証みたいなものですよ。とりあえず、このマイクを付けて喋ってみてください」
「はぁ……なんですか、これ」
「そこのチャオとお話ができるマイクです」
 イマイチ飲み込めない顔のまま、渋々と言った具合にチャオマイクを付ける看護師さん。……なんだか良く似合ってる気がする。まるでオペレーターみたいだ。
「……こんにちは」
 歯切れの悪い挨拶をする看護師さん。
「こんにちは」
 もう一度繰り返す。やがて怪訝そうな表情のまま、マイクをあっさりと外し、彼女は首を振った。

 あんまりおかしいから、お医者チャオさんは手の空いた人達を片っ端からかき集めて、チャオマイクを取り付けて患者との会話を試みた。
 だが、結局僕以外に患者と会話できた人物はいなかった。


 ――――


「じゃあ、後はよろしくおねがいしますね。オペレーターさん」

 ……この渾名は、たった二日で病院中に広まった。
「マイク付けて喋ったらオペレーターなのかよ……」
 僕の愚痴は、スイッチをオフにしていた為に患者には伝わらなかった。
 命名したのは当然お医者チャオさんだ。センスの良い渾名ではないのだが、しつこくこの名で呼ぶものだから周囲も気兼ねなく同じように呼び始めてしまう。不名誉という程ではないが、光栄だとは欠片も思えない。

「失礼します。オペレーターさん、先生から次の薬を預かってきました」
 軽いノックとほぼ同時に扉を開けたのは、例の看護師さんだ。僕がオペレーターの渾名を付けられて以降は、見方でも変わったのか睨まれる事は無くなった。
「今度は、なんの薬ですか?」
「ええと、GUNに特別に支給してもらったカオスドライブに、各種促進剤を調合したものです」
 効果の程は、看護師さんの顔からなんとなくわかった。僕も同じような顔をしてしまう。
「正直、付け焼刃です。促進剤の効果すらも取り込まない筈ですから、例え経口でも大した効果は見込めない、との事です」
 要はただのおいしくない水だ。
 だが、僅かとはいえ同じ病を患うチャオも世の中にはいる。この患者を実験台にしてでも、僕達は治療法を見つけ出さないといけない。
 勿論、それに対する抵抗が僕にないわけではない。いくら未来がないからと言って、コドモチャオを実験台にするなんて行為を易々と実行する気にはなれない。
 犠牲を増やさない為に、犠牲を出す。昔から僕達人間の前に立ちはだかり続ける葛藤の一つだ。これに対して一切の犠牲を出さないただ一つの方法は、対処法を知っている事だ。何も知らない僕達は、こうした残酷な手を使ってでも治療法を確立しなければならない。
「でも、あなたのおかげで治療法の確立に一歩近付いている事は確かですよ」
 僕の浮かない顔から心情を察したか、彼女はそんな慰めの言葉をかけてくれた。最初の頃に比べれば、随分と優しい態度を取ってくれるようになったものだ。
 ……もう、この患者と出会ってから二週間は経つ。

 結局、薬には大した効果は見込めなかった。

このページについて
掲載日
2010年10月22日
ページ番号
4 / 8
この作品について
タイトル
PURE.
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2010年10月16日
最終掲載
2010年10月25日
連載期間
約10日