1 染まらない命
一ヶ月くらい前の事だろうか。
ある日、お医者チャオさんから僕にお呼びが掛かった。
僕の看護師歴は、それほど長くはない。
国家試験を危なげに合格した僕は、とある大病院で新米看護師として働いていた。
一応、僕の看護師としての知識は標準よりも高いものがあるのだが、それでも国家試験の合格ラインを超える事を危うくさせたものがある。
それはチャオに関する問題だ。
チャオとの共存が始まって以来、今でも生態が解明されきっていない。故に、予習段階で僕の頭の中はごちゃごちゃだ。
チャオでありながら人間・チャオ両面の医学に精通している、あのチャオ幼稚園で長く働き続けたお医者チャオさん(本名不明)でさえ、自分達チャオの生態を把握し切っていないのだという。
チャオの生態解明は、現代医学の一つの壁だ。
人間と違って皮膚という物がそもそも性質が違う為に、開腹なんて出来っこない。一定の損傷は瞬く間に回復するが、それ以上の損傷は即、死に繋がる。即ち、チャオに外科という項目は存在しない。
代わりに、内科項目に関しては人間の倍以上の複雑さを秘める。レントゲンや内視鏡での手探りで作られたちぐはぐな標本。人間の体内と時には類似し、時には大きく様相の違う臓器配置などなど。
人間とチャオにとっての危険分子の違い、キャプチャー時の変化、個人差――その不確定要素は、チャオの生態解明を遠い未来の物とさせる。
そのせいか、現代の優秀な医師と言う奴は、チャオについての医学知識が豊富な人を示す事が多くなってきた。
つまり僕は、医療従事者としては未熟。もっと言うと、古い時代の看護師という事だ。
そんな僕がお医者チャオさんに呼ばれたというのだから、きっと良い知らせではないのだろうな。
憂鬱な気持ちを心の中にしまっておいて、翌日の朝に出発した。
――――
水の都ソレアナ……の、途中に位置する街。
主要都市ステーションスクエアとの間にある街なので、観光地であるソレアナへ行くついでに寄っていく人達が多い為になかなか活気のある街だ。
お医者チャオさんは医療機関からの依頼を受け、この街の病院に入院している重病患者へ会いに来ているのだという。そこで僕にお呼びがかかったという事は、恐らくその件で僕を助手として呼んだのかもしれない。
一応、僕はお医者チャオさんと面識がある。僕がチャオ医学の勉強で頭を悩みに悩ませまくったので、特別講師としてお医者チャオさんの講義を受けたのだ。ちなみにその成果のほどは知っての通りである。
「まあ、あまり期待はしないでおくかな……」
お医者チャオさんの引き受けた重病患者というのは、きっとチャオの患者さんの事なのだろう。
もしそうだとするなら、僕が役に立てる事はそうそう無いに相違無い……。
……というわけであるからして、僕はもう観光気分でこの街に訪れていた。
かといって、別にこの街に名物の類があるわけではない。ステーションスクエアに比較的近いが為に多くの店舗等が配置されているくらいなもので、例えるなら日本のトーキョーに近い都市のようになっているだけだ。特に目を引くものもないし、賑やかな人だかりが多いだけとも言える。
そんな多くの人ごみをかき分け、僕は目的地へと急いだ。
辿り着いた病院というのは、僕の想像に反してなかなか大きな施設だった。
特にこの街に優秀な医師がいるという話も聞いた事がない故に、僕は心底驚いた。
「お医者チャオさんから連絡を受けた方ですか?」
その大病院へ足を踏み入れると、一人の女性看護師さんが話しかけてきた。長い金髪を束ねた若い容姿で、その顔はとても凛々しい。仕事熱心で優秀な看護師さんという印象だ。
「話は伺っております。1010号室でお待ちですので、私が案内します」
「あ、はい。ありがとうございます」
お互いに社交辞令のような会釈を交わして、一緒に目的の場所まで移動する事に。
エントランスだけで見ても結構な数の人がいて、利用者が確かに多いのがわかる。
「観光中のトラブルだとかが多いものですから、この病院に収容される患者さんは多いんですよ」
「はあ、なるほど」
それならこれほどの規模の病院である事も頷ける。見れば何人かの人が荷物として旅行バッグなどを携えている。
一緒にエレベーターに乗り込み、看護師さんが十階のボタンを押した。
「ところで、患者さんはどんな状態なんですか?」
「私も詳しくは知らないんですが……なんでも、先天性の疾患みたいです」
先天性、つまり生まれ付きの疾患は大抵ロクなもんじゃない。
例を上げるならば、 先天性白皮症だ。通称アルビノと呼ばれ、メラニンの生合性に支障をきたしてしまう。その結果、肌や髪が白くなり、光や紫外線に弱くなるというもの。その為、アルビノの人達は例え曇りの日でもサングラスをかけたり、肌を焼かれないように日光対策を徹底したりと、なかなか苦労するらしい。視力にも影響を及ぼす為、オペラグラスを標準装備したりもする。
僕の親戚にもアルビノの人がいて、普通の人とは違う生活を送るその人の姿を、僕は長い間見ていた。僕が看護師になった理由は、そんな人の事を少しでも助けてやりたいからと思ったからだったと思う。
エレベーターが十階へと着いた。
小柄な看護師さんの歩調に合わせて、僕は病棟の奥へと進む。
突き当たりの窓の外には曇り空が映っている。僕は空と気が合うみたいだ。どうも、気が進まない。
そんな中途半端な窓の光景を眺めながら歩いていたら、気付かぬ内に1010号室の前まで来ていた。こんな奥まった場所で入院してるなんて、まるで隔離されてるみたいだ。患者さんも良い気分ではないだろう。
「先生、来ましたよ」
コンコンとノックし、看護師さんが病室のドアを開いた。
大した特徴もない、普通の病室だ。看護師さんに続いて僕も足を踏み入れ、部屋の中へと視線を映す。
やっぱり、普通の病室だった。
「やあ、久しぶりですね」
貫禄の怪しい笑顔が、僕に向かって微笑んだ。
「どうも。試験勉強以来ですかね」
「そうですね。あれから特に変わりはないようですね。君の普段着姿からして、まるでただの観光客のようですな」
言われて自分の身形を見てみると、確かに身も心も観光客だった。
「そうですね。もし先生からお呼びがかからなかったら、僕はこのままソレアナへ行っていたかもしれません」
「いいですねぇ、ソレアナ。私もこの仕事を投げ出して観光に行きたいですよ」
ははは、と暢気に笑うお医者チャオさんの様子を見て、僕達は少し慌てた。
「先生、患者さんの前でそんな事を言わないでください」
僕はその言葉を聞いて、例の重病患者の事を思い出した。お医者チャオさんの後ろのベッドに横たわる患者の姿を見てみる。
見かけは、普通のコドモチャオだった。特に息苦しそうだったりとか謎の外傷を負っていたりもせず、気持ち良さそうに眠っている。
「大丈夫です、例え起きてたって聞いちゃいませんよ」
お医者チャオさんの意味深な言葉に、僕達は顔をしかめる。
「どういう事ですか?」
「そうですねぇ、チャオ医学の素人も来ている事ですし、順を追って説明しますか」
その素人という奴が僕であるという事は、その場の全員が理解していた。看護師さんの綺麗な顔が僕を軽く睨むもんだから、どんな顔をしたものやら。
「さて、チャオが人よりも早く人語を話せたり、用意に歩行ができるのは何故だかわかりますか?」
かなり初歩的な問題が投げかけられた。僕は問題無く答える。
「キャプチャー能力?」
後ろに疑問符が付いたのは、僕の自信の表れだ。
「正解です。チャオのキャプチャー能力は身体能力向上のみに及ばず、知識面にも影響を与えます。これは初期の頃から明らかにされていた事ですね」
なんだか補習を受けているような気分になってきた。女性看護師さんは空いている椅子に腰を降ろして、僕達の顔を交互に見比べている。どうも僕の事をじーっと睨んでみるような気がして、どうも落ち着かない。
「チャオの寿命は基本的に人間よりも短いですが、このキャプチャー能力と転生のおかげで人間と同じ社会で共存できるようになりました。良い事ですね」
「はぁ……それで?」
「はい?」
「それが何か、関係があるんですか?」
「はて。ここまで言ってわからないんですか?」
救済を求めるように看護師さんの方を向くと、一人わかったかのようにコドモチャオへと目を向けていた。
「わかりません」
「へっへっへっ……こりゃいかんですな~」
バカにされた。なかなかへこむ。
「そこのお嬢さんは、おわかりですよね?」
「ええ……わかりましたけど」
その不安が浮かんだ表情を見ても、僕はやはりアテが思い付かない。
「本当なんですか?」
「ええ、残念ながら本当です。……そうですね、ヒントをあげましょうか」
必死こいて考えている僕に救済を与えたのは、お医者チャオさんだった。
「発症率は、ウェルマー症候群と同じレベルです」
「えぇっ!?」
それを聞いた僕は、驚きの声が隠せなかった。
ウェルマー症候群は一万分の一の確率で発症する疾患だ。それも特別にヤバい。
これまでに世界各地で症例報告されたのはたったの1200件。その内の八割が日本人と言われており、僕らには基本的に馴染みのない疾患だ。だからウェルマー症候群と診断できぬまま死んだ患者もいるという話を聞いた事がある。
その症例報告の少なさ通り、非常に稀に起きる遺伝性の疾患だ。副甲状腺や下垂体を主に多くの腫瘍が発生し、ホルモンを通常より多く分泌させてしまい、身体に様々な悪影響を与える。最悪、その腫瘍ががん化してしまうケースもあり、患者はせいぜい40歳から50歳の内に死んでしまう。いわゆる早老症の一種だ。
それと同じレベルの重病である、チャオの病気。
関連するのは、一万分の一の発症率と、キャプチャー能力、先天性疾患、早老症。
そして僕の頭の中に、最悪の診断候補が現れた。
「……キャプチャー欠乏症」
キャプチャー欠乏症。
チャオ特有の早老症の一種。症例報告は数百件程度であり、原因特定もできてはいない。
その名の通り、チャオの特性たるキャプチャー能力が先天的に備わっていない事。
これの悪影響は、致命的なほどに多い。人語も話せず、身体能力も人間の赤ちゃん程度のものから一向に成長しない。
それだけではなく、キャプチャー能力を備えていないチャオには、あらゆるものに対する抗体が備わっておらず、空気すらも体力を蝕む。食事も味がないというレベルのものを食べさせなければ慣れを知らない患者の舌には毒でしかない。そしてその栄養供給も、キャプチャー能力を持たないチャオには無意味ではないか、という説もある。
勿論……というにはあまりにも残酷だが、治療法は見つかっていない。検査を受けるほどの体力も持たないチャオの体から手がかりを探る事はできないからだ。検視しようにも、チャオは死体を残さない。
打つ手の無い、不治の病。
このチャオの寿命は――。
「……何週間、生きられるでしょうかね」
変わらぬお医者チャオさんの表情すら、死神の笑顔に見えた。