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喫茶店を出ると、彼は彼女に一言言って、彼女とは別方向へと歩き出した。
僕は彼女に向かって挑発の意から舌を出した。
彼女はそれに応じ、同じようにやり返してくる。
「今日は変な日だね、チャオ」
彼が歩きながら話しかけてくる。
「変なのはお前チャオ。もっと気を引き締めるチャオ」
と、なれなれしく煽ってみる。
僕らは既に親密な関係だった。兄弟も同然なくらいに、お互いを知り合っていた。
表情でどんなことを考えているかも手に取るように分かるし、目の届かぬところで抱いた悩みもお互い、打ち明けあった。
既に人の入りが少ない駅に到着し、電車に乗り込むと、ポツポツと開いていたロングシートに身を休ませた。
程なくするとエンジン音を発し、いつでもいいぞと言わんばかりに車体を揺らした。
そのとき、目の前で老婆がうろうろと席を探す。
人の入りが少ないとは言え、発車直前は埋まるものだ。
彼は快く席を譲り、荷物を持って吊り革に身を委ねる。
こうして、電車は駅を離れた。

今日は特別な日だ。
「今日はよく揺れるな」
彼が僕に話しかける。
「え?ああ、確かに言われてみればそうチャオ」
荷物を置く網の上で横になっていたので、体が痛い。よく見たら網の目の跡が付いてしまっている。
今度は僕が恥ずかしい。
「今日は何を作ろうか――」
彼が車窓から外を見る。
陽光は途絶え、人口の光が街を照らし始める。
車の光、ビルの光。限定してみると、意外に光の種類は少ないことに驚く。
定時に帰れる彼は幸せなんだろうなあ、と実感する。
「僕は――」

ここまでで、僕の記憶は途絶えている。
その後何を言ったのかも分からない。今、僕はどこにいるのか?それも分からない。
叫ぼうとしても声が出ない。目の前が真っ暗だ。上と下も分からない状態である。
諦めて、何があったか思い出そうとする。
だが、思い出す記憶は僕が何かを言いかけたところで終わってしまう。
僕の大好きな南国風スープを作ってくれ、と頼んだのか、なんでもいい、といったのか。
そういう他愛の無いことだったかも忘れてしまっている。
どのくらい経っただろうか。ようやく、目の前に光が差し込んだ。


大惨事だった。
目の前には、赤く照らされた脱線した車両が横たわっていた。
せわしなく動く人々、"KEEP OUT(立ち入り禁止)"のテープの内側にいるってことは、やっぱりそういうことなんだろう。
だけれど、僕はちっとも傷つかなかった。事態を飲み込み、彼の名を叫ぶ。
事故の原因は分からなかった。教えてくれるわけがない。僕はただ呆然と、人が運ばれるのを見ていた。
このご時世、脱線だなんて。Once in a Blue Moon(めったにない)なことだ。
涙は流れなかった。あまりに突然だったもので、受け入れたくなかった。
その時だ。車両からまた一人、運び出されていく。

彼だ。

このページについて
掲載号
週刊チャオ第306号
ページ番号
3 / 5
この作品について
タイトル
Once in a Blue Moon
作者
Sachet.A
初回掲載
週刊チャオ第306号