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「えっと」
彼女が続ける。
「何か私、失礼なことを」
彼らを照らし続ける落日は、ゆっくりと樺色になった。
冷たい北風と暖かい陽光が織り交ざり、一枚の布を紡いだ。
彼の心情を象徴するかの如く、複雑に入り混じっている。ただ違うのは、彼の方は北風に色が付いていることだ。
涙を拭い、彼女の問いに答える。
「いや、ちょっと…。違う、そうじゃなくて」
意思と反し、感情がこみ上げてくる。
その様子を見た彼女の目元が、陽光に照らされて輝き始める。
彼自身がどうしようもないのに、彼女は更にどうすることもできないからだろう。
戸惑う様子を露にし、目を泳がす。口元が何かを言おうとするが、何も言えない。
ついには彼女は涙を流した。

彼女の涙を見て、彼はようやく決心をした。
「感傷の情に堪えなかったんだ。
 それに加え、僕も昔の彼女と同じ事をしてしまった。本当に申し訳ない」
彼女は下を向き、セミロングの髪が表情を隠す。泣いているのを隠そうとして、肩が震えている。
その肩に手を置き、手前に引き寄せた。

彼女は驚き、呆気に取られたような顔をしてまっすぐ前を見る。
「公衆の面前でこんなことはしちゃダメですよ」
自分を心配してくれてた彼を軽く前に押し出す。彼女の顔には既に、困惑の色はない。

その瞬間を見計らい、僕は彼らの間に割り込んだ。
「ほらほら、仲直りしたならさっさとどこにでも行けチャオ」
通りかかる人々が何事かとこちらを見てくる。ただ、早く体を休ませたい人たちである。足早に横を通過していく。
僕は、彼が生まれた頃から傍にいる。彼は一見完璧に見えるが、感傷的すぎる面があるのだ。
未来からやってきた有能な機械かのように、彼を見守り続けた。そして、これからも。
「チャオ、その…いつから見てたの?」
顔から火が出るような、という比喩が最も合うだろう。
本来は通りすがりの目を気にするべきなのに、僕がそれを見ていたことに恥らっていた。
「チャオはこいつといつも一緒チャオ。本当に恥ずかしい奴らチャオ…」
僕は苦笑しながら彼らに「早くこの場を立ち去れ、視線が痛い」という趣を伝えた。
若干遠まわしであったが、彼らは即座にこれを理解した。
こういう一件の後はどこにも行く気がせず、彼の当初の計画であった"社の誰よりも先に電車に乗り込む"という目的は果たされずに終わった。
本当に暇で、いつもと違うことをしたくなったのだ。
だが、今日は特別な日。いつも社を出る際にブラックを飲んでいたのだが、今日は急いで出てきたのでノドが乾いていることに気付いた。
「じゃあ、そこら辺の喫茶店にでも」
と、僕と彼女を誘ったのである。

喫茶店。シックな内装で、賑わいも少ない。
フルートのメヌエットが店内に一つ、花を添えている。
今日は特別な日。彼は何かに甘えたくなり、砂糖を溶かした。
スプーンを使ってカップに棲む苦味を潰していると、彼女が笑いながら僕にコーヒーを飲ませようとする。
僕は猫舌で、苦いものは嫌いだ。さっきのことはもう忘れてしまっているのか、と安心もした。
あまりにしつこいものだから、と少しだけ振り払うようにして羽を動かした。
そのせいで彼女の手がぶれてしまい、持っていたスプーンからコーヒーが零れ落ちる。
幸い、彼らにはそれがかかることはなかった。
「おいおい、気をつけてくれよ」
彼が苦笑しながら諭す。
本当に、本当に楽しい時間だった。

このページについて
掲載号
週刊チャオ第306号
ページ番号
2 / 5
この作品について
タイトル
Once in a Blue Moon
作者
Sachet.A
初回掲載
週刊チャオ第306号