(前編)ページ6
チャイムがなると同時に、数学担当の先生が教室にやってきた。
教科書を出し、ノートを出し、筆記用具を出す。
ため息ばかり吐いているわけにはいかない。今は学び舎の根幹に根ざす大前提、『勉学に励む』というコトを実践するべきだ。
誤解の無いように言っておくが、普段だってちゃんと励んでいる。
鬱々とした今のような状況だからこそ、いつも以上に励むべきだと言いたいのだ。
今朝に起きたしょうもない不幸の数々のコトなど忘れ、一心不乱に先生のありがたーい授業を聞いていれば、暗雲に絡みつかれた僕の心もそのうち晴れやかになるだろう。
嫌なことは、忘れればいいのだ。
僕はシャーペンを手に取り、ノートに書き取りを始めた。
べきん。
嫌な音だった。
シャーペンの芯を出そうとした瞬間、その音は鳴った。
音の正体は、僕のプラスチックシャーペンがあげた悲鳴だった。
「げ」
このシャーペンは下部に付いた出っ張りを押すことで芯が出るようになっているのだが、その出っ張り部分が折れて、押せなくなってしまった。
当然、芯も出せない。芯が出せなくなったら、シャーペンは終わりだ。
愛用していたシャーペンの当然の突然の殉職にショックを受けつつ、先生の隙を見計らってぐるりと体を反転させる。
後ろの席の、木戸から鉛筆を借りるためだ。
シャープペンシルという便利なモノを手に入れて以来、僕の筆箱の中には鉛筆が入っていないのであった。次から入れてこよう。
「ん、はいよ」
「ありがとう」
やはり持つべきものは友達である。
人間、みんなこうして助け合っていくのだなぁと、小さくも大きい友情パワーに感動を覚えつつ、早々に中断されてしまった筆記作業に戻る。
べきん。
ホントに嫌な音だった。
拝借した鉛筆でノートに文字を書き記そうとした瞬間、その音は鳴った。
音の正体は、拝借した鉛筆の悲鳴だった。
「…嘘でしょ」
見事に、芯が折れた。
折れた芯がノートの上をころころ転がり、中央に挟まって止まった。
もう一本木戸から借りようかと思ったが、借りた鉛筆を即行でへし折った挙句『もう一本貸して』などとは、なんと厚かましい。
仕方なく別の人に借りようとした時だった。
右隣から、救いの手が差し伸べられたのだ。
「書くものないの?貸してあげるよ」
そう、鉛筆を差し出してくれたのは笹山葉月(ささやまはづき)さん。
容姿端麗頭脳明晰。スポーツ万能で人望厚い学級委員長という、才色兼備を具現化したような人である。
そんな人が、自分に鉛筆を貸してくれるというのだ。
「あ、ありがとう」
僕はその親切をありがたく受け取ることにした。右隣の笹山さんが女神のように思えてきた。
彼女の温もり残る鉛筆を握り締め、僕は今度こそ真っ白なノートに文字を――
べきん。
もう説明する気も失せる。
彼女から借り受けた女神の鉛筆の芯を、罰当たりにも僕は折ってしまったのである。
言わせて欲しい。決して力の入れすぎではないと。
ノートと芯が触れた瞬間、何故だかわからないが、200キロオーバーの豪速球に力負けしたバットのようにべきんといってしまうのだ。
「あ、芯折れちゃったね。もう一本貸してあげるね?」
アフターケアまで完璧にこなしてくれようとする笹山さんであった。
あまりに優しい心遣いは涙が出るぐらい有り難かったのだが、丁重にお断りして、気持ちだけ受け取ることにした。
今の僕なら、ダイアモンドで出来た芯でも折ってしまうだろうから。ノートは後で誰かに見せてもらおう。
いよいよ、コレは呪いのせいではないかと白旗をぶんぶん振り回しかけた僕であったが、何とか思いとどまる。
冷静になるんだ僕。シャーペンが壊れて、鉛筆の芯が折れただけだ。
ありえない、呪いなんて。
僕の中で呪いを肯定する心と否定する心が睨みあいを始めた時、先生が用意した問題に対する解答を前に出てきて板書するよう求めてきた。
僕はその解答がわからず、伏し目がちにして指名されないよう祈っていたのだが――案の定と言うかなんと言うか、僕は指名されてしまった。
仕方なく席を立ち、問題を目の前にしてみたもののやはりわからない。
が、とりあえず間違ってもいいから書くだけ書こうと、白いチョークを手に取り板書しようとした時……。
べきん。
5cmほどの長さを誇っていたチョークが真っ二つになり、床に転落したのであった。
僕の右手には2.5cmほどになったチョークが残され、それを見た先生は、
「おいおい、力入れすぎだろう」
と苦笑しながら僕に言うのであった。
言わせて欲しい。決して力の入れすぎではないと。
今日は、厄日だ。
(つづく)