(前編)ページ5
「遅刻。廊下に立っていなさい」
朝のHRに間に合うことが出来なかった僕は、両手に水の入ったバケツを持ち廊下で直立不動の刑を言い渡された。
今まで遅刻とはほとんど無縁だった僕がこうして今廊下に立たされているのは、登校途中に一度家に帰り両足の靴下及び靴を履き替え、傘を引っ張り出してきたことによるタイムロスが最大の原因として挙げることが出来る。
当然その原因を先生に懇切丁寧に話したところで遅刻を免除してもらえるわけも無く、僕は鬱な気分で窓の外を眺めている。
ちなみに先ほどまで降りに降っていた雨は、僕が学校の敷地に足を踏み入れると同時にピタリと止まった。新しく買ったばかりの武器が宝箱の中から出てきた時の勇者みたいな気分だ。
遅刻に対する罰則として廊下に立っていろと言うのも少々時代錯誤な感があるが、こうして廊下に立たされている間と言うのはなんとなくノスタルジックな気持ちになるとともに、朝から混乱しっぱなしの頭を冷やすには好都合な時間であった。
冷静に考えてみる。
偶然だよな。
人間生きていれば階段から落ちることだってあるだろうし、犬に吠えられることもあるだろうし、下水に足突っ込むことだってあるだろうし、犬の糞を踏んづけることもあるだろう。
が、こうも立て続けに事が起こると、あまり思い浮かべたくない言葉が頭を掠める。
『呪い』
ばかばかしい。そんなことがあってたまるか。
幽霊に代表されるいわゆる怖い話は苦手だと言ったが、かといってそれらの科学的に証明されていないものを全面的に信じていると言うわけではない。
この程度の不運の連鎖なんて、たまにはあるさ。
そう自分で結論付けると、さっきまで鉛みたいに重かった気分も少しは軽くなった気がした。
「どうだ、反省したか」
教室の扉をスライドさせ、先生が廊下に顔だけ出してきた。
僕は「はい」と返事し、教室へ入り自分の席へ向かう……ハズだった。
教室へ入るとき、足に軽い衝撃を覚えた。
その衝撃により僕の体は前のめりになり、重力に引かれるまま倒れこむ。
それだけなら「けっつまずいてやんの」と笑い者にされるだけですんだだろうが、あいにく僕の両手には。
水の入ったバケツが装備されていたのだった。
がらがしゃん、と派手な音を立て僕の手から開放されたバケツは、嘔吐するかのように中の水をぶちまけた。
一番害を被った、というか文字通り水を被ったのは僕であると主張させていただきたい。が、その主張はどうやら聞き入れてはもらえなさそうだ。
頭から水を滴らせ恐る恐る顔を上げると、そこには般若能面、ではなくて――
「……」
僕と同じように、ずぶ濡れになった先生のお怒りの表情があった。
数秒後あえなくマグマは噴火し、僕の鼓膜は先生の怒号で震え上がった。
一時限目の理科担当の先生が来るまでのわずかな時間に、濡れた制服を脱ぎジャージに着替えて授業を受けた。
その授業が終わり休み時間になると、友人の木戸毅(きどつよし)が話しかけてきた。
「よっ。なんつーか、朝から大変だなぁ」
そうだねと呟いた僕の声は、我ながら生気が感じられぬ声だと思った。そりゃ生気も抜ける。
朝からいろいろあった上に、着いて早々先生に怒られるは、とばっちりを食った廊下側最前列に座っているクラスメイトには白い目で見られるは…。
「もう散々だよ…」
はぁー、と大きなため息を一つ吐き出す。
さて何で今日はこんなにため息ばかりついているんだろうと原因を考え、記憶遡行の先に見つけたものはあの不法侵入チャオの憎たらしい顔である。
またムカムカしてきた。なんで僕が呪いをかけられなければ……――
そこまで考えて、考えるのをやめた。
呪われてなんかいない、ただのアンラッキーの連続さ。
100人の占い師に一斉に『あんた、呪われてるよ』と指差されようとも、僕はそれを受け入れるつもりはない。
コレは呪いなんだと認めるコトと、あの不法侵入チャオに白旗を振って降参するコトが、イコールで結ばれている気がしてならないから。