07-3
「えー、前日から連絡してあった事ですが」
担任教師が喋り始める。
「明日から夏休みです。それとともに、明日から臨海学校へ向かいます」
教室が歓声に包まれた。
マジですか奥さん。
「これは人間界に行くという行事なので、みなさん事前に資料を渡しておきますから、よく読んで置くように」
何だか嫌な予感がした。
何せ、自分の学校も確かこの時期に臨海学校だったはずだからだ。
「今年はあなたがいるから、いろいろ便利なのよ」
乙姫が言う。何でだよ、俺をダシにするな。
というかさっきから何という言葉が多いな。
ともかく優輝は背筋が凍るように冷たかった。
「質問は?」
「先生、どうやって人間界まで行くんですか?」
「水着は自由ですか?」
「向こうで魔力は使ってもいいですか?」
などという質問が飛び交う中で、優輝は一人、暗い顔をしていた。
当然だ。
友人に会ってみろ。
質問攻めは間違いない。
優輝はとんでもなく目立つのが嫌いなのだった。
翌朝午前六時。
乙姫の言いつけで、支度を万全に整えた優輝は少し早めに集合場所へと到着していた。
集合場所といえども特別な場所ではなく、学校の多目的室である。
「遅かったわね」
「時間ぴったりだと思うんだけど……」
眠たそうにあくびをする。
隣ではナイトとスカイが並んで読書をしていた。
「道を開くから、手伝ってちょうだい」
乙姫のほかにも、多目的室には教師が数名と生徒が何人かいた。
きょろきょろと現場を確認してから、優輝は乙姫の隣へ移動する。
「どうやるんだ?」
「手、貸して」
素直に従い、右手を差し出した。
すると、世界と世界の狭間…曖昧な線引きが、はっきりと分かった。
どこにあるか―ではなく、どうすればいけるか―でもない。
ただ単に、移動する。それだけで良い。
「意思疎通、完璧ね」
「驚きです」
教師が声を揃えて賞賛の声を上げる。優輝はなんだか照れくさくて、乙姫から目を逸らした。
「その線を、教室全体に広げて」
優輝は言われた通りに集中してみた。
曖昧な線がみるみると広がっていく。それは肉眼では見る事が出来ないが、優輝には、そして乙姫にも「見えている」事だろう。
「上出来よ。後は、雑談でもして待ってなさい」
「やるだけやらせといて後は好きにしろ、かよ」
「文句あるの?」
溜息を一つついて、不機嫌に優輝はナイトとスカイの元へと向かった。
乙姫には分からなかったが、優輝の不機嫌な理由…ナイトとスカイ、彼らにはしっかりわかっていた。
「子供ですね」
「子供だな」
「何が?」
優輝の質問に答えるものはいなかった。
「これから人間界に行きます。各教師の指導の下、人間界の民に粗相の無いよう―」
「なあ、みんなチャオを連れてきてるけど、人間界の人たちに見られていいのか?」
優輝が疑問に思ったことを率直に言った。
「何か裏工作をしているのでしょう。あのプリンセス=ウィッチの事ですし」
「認識変化、ではないか?」
「認識変化?」
「人間の認識として、チャオが普通の生物に見られるという魔力だ。最も、これから行く海というところの全員にそれを発動させるには、かなりの呪力が必要だろうが」
なるほど、と良く分からなかったが頷いた。
要はチャオは別に「不思議」にもならないわけだ。
すごいなあ、やっぱり魔法みたいだ。
「って事は魔力も使っていいことに?」
「なりませんね」
「ならんな」
「出発しますよー」
第一学年全員が、機械的なオレンジ色の空間を上昇していく。
優輝が初めてこちらに来た時……確か同じような空間を落下したはずだ。
夜のトンネル。オレンジの蛍光灯。
生徒らが歓声を上げているうちに、第一学年全員はまだ人通りの無い旅館の前に到着した。
すごかったねー、うん、ここが人間界かあ、すごいねえ。
そんな囁きが聞こえる中、乙姫を含む教師一行は旅館の女将と何やら話しこんでおり、優輝はナイトとスカイに解説してやっていた。
例えば、スリッパ。これは魔法界に無かったはずだ。続いて温泉。これも無い。
「あの横開け式の扉のようなものはなんですか?」
「障子だよ」
「あれはなんだ?」
「どれの事を言ってるんだ?」
「鉤爪が頭についている、あの三角形の大群のことだ」
「ハンガーね。服をかけるのに使ってるよ。というか、魔法界に無かったっけ」
「服はたたむものではないのですか?」
「ハンガー使うと便利だろ」
「「なるほど」」
ナイトとスカイが声をあわせて言った。
クラスメイトたちが優輝の方をちらちらと見ていて何やら訊きたそうにしているのに気がつき、優輝はああ、やっぱり来なければ良かったかも、と後悔した。