03-1
月明かりだけが頼りの、夜も更けた塔の上。
影の球体を右手に全て集めた男は、狂った声でにやりと笑う。
いつの間にか乙姫を守るようにして、優輝が彼女の前に立っている。
チャオを道具だという男に向けて、優輝は精一杯の強がりを見せた。
「生意気な餓鬼だな。自分の身の程を知らんようだ」
ちなみに、栢山創一は一生懸命走っていた。
魔法のサンクチュアリ 03 -タイムワープ-
「“Shadow break”!」
集めた影を巨大なつめの形に変形させると、それで優輝を切り裂こうと右腕を振り上げる。
打つ手の無い優輝は、そのつめを避ける事も出来ず、一瞬でこう思った。
終わった…! 俺の人生…!
「“Wind aria”」
つめは風で防がれ、男は身を返してもう一度つめで優輝を狙った。
「“Shadow break”!」
「おわぁっ」
ドッヂボールの要領で、つめを避ける優輝。
ただ、体勢が整えられない。反動をどうやって利用すればよいのか分からなかったので、やけになった優輝は右手を思いっきり握り締めた。
「うらああああああああああ」
男の眼が見開かれる。右手で殴られると思った男は、下から来た思いっきりの鳩尾蹴りに対処できず、まともに受けてしまった。
「げほっ、がっ、」
咳き込んでから、影のつめを優輝に突きつけた。
「こざかしいな、餓鬼!」
「“Wind bullet”」
風の弾丸が影のつめをはじき、男は文字通り飛び上がった。
「優輝、私がやるから下がってて。というか、さっさとチャオを渡して帰りなさいよ。私に勝てると思ってるの?」
「その餓鬼を抹殺するのが先決だ。邪魔しないでもらいたい」
「はあ…面倒くさいやつ」
右手をすっと伸ばした乙姫は、目を鋭く細めて、男をにらみつけた。
「“行動停止”!」
「二度も同じ魔力が通じると?」
あざ笑う男。魔力が「発動」する前に優輝の真後ろに回りこみ、影のつめを立てた。
そのままそれを、優輝に突き刺す。
暗い空中に、優輝は放り投げだされた。
「っ、優輝!」
「さて、相手になろうか、プリンセス=ウィッチ」
影のつめをかぎたてる。
空中を落ちながら、優輝は初めて「死ぬほどの痛み」を感じていた。
身体の感覚がほとんどしない。あるのは、痛み。ただそれだけ。
どこからするのかも分からない。
不思議な冷気が身体を包んでいるようでもある。
塔の上から落ちれば、命は無いだろう。
助けは、…来ない。俺一人のために、命を捨てるわけがない。
だとすれば、自分でどうにかする。
「優輝!」
乙姫の声がした。
自分を抱えているのだろう。傷口が風で傷む。
「痛い、わよね……。ちょっと待ってなさい」
乙姫は何事か呟いた。優輝の痛みが引いていく。血は止まらないのに、痛みだけが引いていく。
「痛覚を麻痺させたわ。これで、あなたはチャオのところに行きなさい」
「い、いやだ」
チャオのいる場所がどこか、ではなく、優輝はここで乙姫に向けて、初めて否定の言葉を口にした。
「俺、つまらないプライドかもしれないけど、あいつと戦わなくちゃだめだ」
「何言ってるのよ。死んじゃうわよ」
「乙姫、ナイトたちをよろしく」
ポケットから分厚い本を取り出す。
あれなら、あれならと、脳内で何度も繰り返し反芻していた。
「……分かったわ。ふう、もう。死んでたら承知しないわよ」
「任せとけ」
弱弱しい声でそれだけ言って、優輝は再び空中に放り出された。
あれ、なんだか違うな、こんな魔力の名前だったっけな、と思いつつ、その呪文を唱えた。
「“時間移動”」
自分の声が何重にもなって頭の中に響く。
音が全て止んだ。
身体が重力に反して、地面と逆方向に「落下」していく。
正直、かなり怖かった。
悲鳴を上げた。
「ああああああああああああ」
止まれとまれとまれとまれ、と念じる。
止まらない。
塔の上までたどり着くと、男が影のつめを持ってあたりを見回していた。
「止おおおまああああああれええええええええ」
止まった。
それはもう本当にぴたっと止まった。
塔の上に、ぴたっと着地する。
「お、お前……」
なぜ、ここに、と続けたかったのだろう。
だが続けられなかった。
驚き。それだけで。
「“Shadow break”!」