7. 祈祷
朝起きても、ライトカオスは私の部屋にいました。昨日ほどのまぶしさは感じられず、蛍火くらいの明るさになっています。その奇妙な存在を私はじっくりと観察しました。
蜻蛉さんはチャオを心の動物と呼びました。もしそうなら、私の気持ちに呼応して、このチャオはライトカオスに育ったということになります。ライオンのこと、蜻蛉さんのこと、昨日はそんなことばかり考えていた気がします。
だけど、本当にそれが理由なのでしょうか。それとも、潮の満ち引きのような、なにかもっと大きな流れがライトカオスを生み出したのでしょうか。
「なんなのかなあ、君は」
私はライトカオスの頬をぷにぷにとつつきました。ライトカオスになっても、相変わらずこいつは一言も発することはなく、私に答えを教えてはくれないのでした。
私はライトカオスをリビングに連れて行きました。リビングでは一木がテレビを見ていましたが、私が抱いたライトカオスを見るなり、驚いて近寄ってきました。
「すげえ。どぎゃんしたと?」
一木はライトカオスの光を掴み取ろうとしました。光る球はすっと血潮を透かして、一木の手を赤く染めました。
「わかんない。それより、もっと大事なニュースがある」
「何?」
「ライオンが私のおねえちゃんになった」
「は?」
私は昨日からの出来事を、事細かに一木に説明しました。ひとしきり聞き終わった後、一木はしばらく黙りました。
「どう思う?」
「突然言われたけんびっくりしとる。そばってん、ライオンも俺たちの家族なんじゃなかと? お前も俺の家族だろ?」
突然聞かれて、私は戸惑いました。家族、という言葉は私に安心感を与えてくれると同時に、少し手垢の付いた感触もあります。だけど、そう、私たちは家族。その大筋には違いがないはずです。私はうなずきました。
「じゃあライオンも家族ばい。優花と家族になれたんだけん、ライオンとだって、家族になれんはずはなか」
「でも蜻蛉さんが……」
「そりゃあ向こうの都合たい。俺らが気にすることじゃなか」
一木はきっぱりと言い切りました。一木にとっては蜻蛉さんなんて血のつながりのない他人だから、そういう風に割り切れるのかもしれません。だけど、今回に限っては、それが頼もしく思えました。
「俺の方から話してみりゃん。ライオンは俺たちの家族ばいっちゅうて」
その日の夜、一木は塾に行っていたから、そこでライオンと会ったはずです。ライオンと一木との間でどういうやりとりがあったのか、詳しくは知りません。
翌朝になっても一木は起きてきませんでした。私は一木のドアを何度か叩きました。反応がなくて諦めようかと思い始めた矢先に、ぼさぼさの髪をした一木が出てきました。
「もう、遅刻するよ」
一木は大きなあくびをして、顔をしかめました。
「風邪っちゅうことにしとけ」
堂々とずる休みを宣言しました。そんなことでいいのか、と思ったものの、一木はあまりにも眠そうだし、これ以上交渉していると私がバスに乗り遅れてしまいます。
私はさっき作った弁当を一木に押しつけました。
「これ、お昼」
「ありがと」
一木はそそくさと自分の部屋に引っ込みました。
学校が終わった後も、なんとなくそのまま帰る気になれませんでした。私の足は牧場とは反対側の小道へと向かっていきました。そこには小さな石造りの鳥居があって、飛び石が森の中へと延びていました。不揃いな岩の上には苔がむしていて、お世辞にもきれいとは言えません。鳥居をくぐると、木の葉が風に揺れる音や、虫の鳴き声や、鳥のさえずりが一斉に私を取り囲みました。
少し歩いたところに、ボロボロの本堂がありました。鈴緒を掴んで強く振ると、カランカランと乾いた音が鳴りました。
お辞儀をし、手を叩いて目を閉じます。ここに来て、私はお願い事をなにも考えていなかったことに気付きました。少し悩んでから、私は心の中で唱えました。
「ライトカオスが未来永劫生き長らえますように」
目を開けて一礼すると、木漏れ日が先ほどまでよりも強く降り注いでいるような気がしました。このお願いに意味があったのかは、私自身にもわかりませんでした。
ライトカオスは単に寿命の長いだけのチャオです。しかし、ライトカオスをゆっくりと乾燥させると、乾眠と呼ばれる極めて防御力の高い状態になります。乾眠中のライトカオスは、水を与えると元のように活動を再開します。ライトカオスは無限の寿命を持つ、などと言われるのはこのためです。
私は知りたかったのかもしれません。神というものがいるとして、どうして私の元にライトカオスを届けたのか。その目的を教えて欲しかった。
私には、自分がどうやってライトカオスを育てたのかわかりませんでした。ライオンに家族になって欲しいという強い思いが、そうさせたのでしょうか。あるいは、自分ではどうしようもできないという悔しさや、やるせなさが、繭になんらかの影響を与えたのでしょうか。
ライトカオス。それはあまりも自分の手に余る存在でした。この世界には、もっとライトカオスを受け取るのがふさわしい人がいるんじゃないだろうか。そんな風にも思えました。
参道を抜けて家に帰ろうとしたとき、近くの建物から太鼓の音が聞こえてきました。この地区の小学生は、毎年夏になると太鼓の練習をして、それを花火大会の日に発表するのです。そのどこか原始的なリズムは、私を懐かしい気持ちにさせました。
家に帰ると、一木とライオンがリビングでテレビを見ていました。
「ただいま」
私がどう声をかけたものか迷っていると、先にライオンが立ち上がって頭を下げました。
「一昨日は、ごめん」
「ううん、気にしてないよ」
そう言っても、ライオンは頭を下げたままでした。彼女はぽつりぽつりと、言葉を紡ぎました。
「蜻蛉のことは、私にはまだ許せてない。だけど、優花を傷つけたのは、八つ当たりだった」
「気にしてないから、顔を上げて」
ライオンの顔が、ゆっくりとこちらを向きました。眉がなにかを堪えるように歪んでいました。
「一木に言われて、やっと気付いた。私は本物の家族も傷つけようとしてた」
「そんなことない」
「ううん。私は一つの悪い感情に流されて、優花のことが見えてなかった」
ライオンの瞳は、私だけを見つめていました。
「だけど、それは昨日までの私。今日からの私は、不公平とか公平とかじゃない。明日の私がどうなるべきかでやることを決める。だから、そのことを優花に最初に伝えたかった」
「昨日の夜からずっと話しとったとよ。家族になるっちゅうんはどぎゃんことなんか」
一木も立ち上がって、優しくライオンの肩を抱きました。
「俺は思った。家族っちゅうんは、見捨てんっちゅうことじゃなか? 俺は約束した。絶対にライオンを見捨てんって」
私は笑いました。
「なにカッコつけてるの、一木のくせに」
私もライオンの肩に手を伸ばします。ライオンのまつげと私のまつげが触れ合うくらいに、顔を近づけます。
「私も最初からそのつもりだよ」
その日から、一木の行動はさらに変わっていきました。学校での昼休みに、私たちのグループではなく、どこか別のところで食べることが多くなりました。誰と食べているかはうすうす気付いていましたが、私は追求しませんでした。