5. カピバラと一木

 田舎の人間は都会の人間よりも大人びているのかもしれない。そう思い始めたのは、とある学校でのやりとりがきっかけだった。
 横浜ではあんなに群れ合うのが好きだった女子達も、ここではそこまでベタベタしない。というか、一人一人が自立している感じがする。
 群れるほど人がいないからか? 自然の中で育ってきているからか?

「お前んとこの牛舎、もう古くなってきてるだろ」
「まあな」
 塾に来ると、一木とカピバラはしばしば牧場の話をした。
「そろそろ建て増したいんじゃないのか?」
「そばってん、量を増やせば売れるっちゅう時代じゃないけん」
「じゃあどうするんだ? 高級路線か?」
「まだわからんばい」
 普段はアホっぽい二人だけど、実家の仕事のことになると真面目に考えているらしい。私はそれについていけないけど、適当に口を挟むことはできる。
「牛乳のおいしさって、育て方でそんな変わる?」
「変わるわ!」
「全然違う!」
 きびしいツッコミが飛んできた。
「うちの牛の方が健康的だからな、一木のとこよりもうまい」
「んにゃ、俺げの方がうまか」
 一木は露骨に嫌そうな顔をした。男達はそんなことで張り合うんだ。ふふんと笑ってしまった。
「あ、鼻で笑ったな」
「いいだろう。本物のミルクのうまさというものを思い知らせてやる」
 あれ? 一瞬でも大人びていると思ったことが、急に嘘くさくなってくる。こいつらただのガキなんじゃないのか?
「おいしさの指標ってなんかないの?」
「ねえな」
「うん、どうやったらこいつにミルクの違いを教えられるんだろうな」
「やっぱ実際に飲んでもらっきゃなかとね?」
「そうだな。そうすれば我が農場の素晴らしさがわかってもらえるだろう」
「俺げの方が、絶対に、うまか」
 ……くだらない張り合いの果てに、どちらのミルクがおいしいかを私がジャッジすることになってしまった。土曜日の午後にカピバラの家に行き、それから一木の家に行く。そういう段取りに、なぜかなってしまった。

 歩いても歩いても新しい草が押し寄せてくる。私は長い坂道を登っていた。入道雲が私をあざ笑うかのようにそびえ立っている。カピバラは自転車を押しながら、私の隣を歩いていた。
 カピバラは男子の中でも背が高い方で、私の頭はちょうど彼の胸あたりにあった。私は彼の顔を見上げた。
「カピバラの家族ってどんな感じ?」
 カピバラは腕を組んで、少し考える様子を見せた。
「うちは家族で牧場をやってるわけじゃないぞ」
「そうなの?」
 これまでの話から、私はてっきりカピバラは牧場の跡継ぎなのかと思っていた。
「うちは元々家族経営でやってた三つの家が合体して、一つの牧場になったんだ。だから俺の父は役員の一人であって、社長じゃない。創業者の名前の頭文字を取って、TKG牧場と呼ばれている」
「卵かけご飯牧場?」
「田中・片原・郷原牧場の略だよ!」
「狙ってつけたんじゃないの?」
「時代を先取りしちゃったんだなあ、これが」
 そんな話をしていると、草原の向こうから小さな銀色の屋根が見えてくる。牧場の風、としか形容できない、独特の臭いが鼻をつく。
「あれがTKGの牛舎のうちの一つだ」
と、カピバラは説明した。
「もしかして、もうこの辺にも牛がいるの?」
 私は周囲の牧草を見回した。いきなり牛に近寄ってこられたらびっくりしてしまうだろう。
「いや、昔は放牧もやってたんだが、今はみんな牛舎飼いだな。あの中を歩くだけで、牛にとっては十分な運動になるんだ」
「マジか」
 私はてっきり、牧場といえば牛が外で草を食べている場所かと思っていた。そのイメージは早々に覆された。
「中を覗いてみるか?」
「いいの?」
「少しだけらな」
 カピバラは自慢げに眼鏡をかけ直した。

 牛舎の中は体育館くらいの広さだった。土の上で数十匹の牛たちが思い思いの場所で寝そべっている。自由に歩き回っている牛や、餌を食べている牛もいる。
 建物の中心に一本、人間の通る通路が設けられている。柵が牛たちのいる場所と通路を隔てている。カピバラはその一画を開けた。
「来いよ」
 私はおそるおそる牛の区画に入った。
 自由気ままに生きているかに見えた牛たちだったが、共通しているところもあった。すべての牛には、頭の部分に縄がくくりつけてある。カピバラは歩いている一頭の牛に目を付けて、その縄を引いた。牛は嫌がるそぶりも見せずそれに従った。
 大きくて力があるのに、人間の意志に従順な生き物。それが長い年月をかけて家畜化された、牛という生き物の本能なのだった。

 さて、問題は牛そのものよりもミルクの味である。カピバラのお母さんが、私にパンケーキを焼いてくれた。
「いただきます」
 取れたてのミルクをふんだんに使ったパンケーキ。私がフォークの側面で切ろうとしても、フワフワの生地にずぶずぶと埋もれていってしまう。
 なんとか切り取って口に含むと、ミルクの香りがいっぱいに広がった。おいしい! 舌触りは滑らかで、口の中でとろけるように消えてゆく。甘すぎず、ヘルシーな感じさえするのに、しっかりとミルク感が伝わってくる! これなら無限に食べられそう!
 私がべた褒めしていると、カピバラのお母さんはとても喜んだ。喜び極まって、私におみやげをたくさん包んでくれた。パンケーキの他に、クリームチーズ、ミルクプリン、ムースもあるらしい。
 うちは二人暮らしなんだけど、断り切れなかった。なんてったって、無限に食べられるからな。

 私はカピバラの家を出発した。紙袋の紐が関節に食い込んで痛い。
 一木の家はここから、さらに十分程登ったところにあるらしい。近所って言ってたくせに、全然近くないじゃん。文句をたれながらも、脚を動かし続ける。
「よお」
 坂道を下って、一木が迎えに来てくれた。
「遠くない?」
「荷物持ったろうか?」
 私は黙って紙袋を一木に突き出した。一木はそれを引き取った。
「なあ、ライオン」
 歩きながら、一木は思い出したように口を開いた。
「今から優花に会うことになるけん、先に言っとくけど、優花は俺の彼女じゃあないけん」
「誰、優花って?」
「あれ、言わんかったと?」
「なるほど! その子が一木の彼女なのか!」
「違うって言いよるのに……」
 一木は私に、二人が付き合っているという噂があることを教えてくれた。
「通学はもちろん一緒だし、弁当も一緒に食べとるけん、誤解されるんもしょんなか。そばってん、ほんとはそぎゃんことなか」
 一木はなにが言いたいんだろう? 恋人扱いされることに照れてるのか? それとも変になじられるのが嫌なのか?
「じゃあ、聞かせてよ。どういう関係なのか」
 そう聞くと、一木は立ち止まって、荷物をさぐり始めた。
「小学四年の時たい。優花が俺げの隣に引っ越してきたんは」
 長財布から一枚の写真を取りだして、私に見せてくれる。女の子が大きな卵を抱えている。
「これ、自分で撮ったの?」
 一木はうなずいた。
「最初は引っ込み思案な子だと思っとった。そばってん、しばらくして、牧場の仕事がしたいと言いいだした。だけん、俺はそん言葉に応えて、いろんな仕事をそいつに教えた」
 一木は写真を長財布の中に戻す。
「優花は吸い込むように俺の仕事を吸収していきよった。で、俺は受験勉強をきっかけに、家の仕事をなんもせんくなった」
「ダメじゃん!」
「いやあ、そういうわけでもなかとよ」
 一木は後頭部を掻いた。
「優花は俺の能力を受け継ぐもんだけん。例えるなら、うーん、弟子みたいなもんたい」
「ほんとに弟子と思ってる?」
 私が一木の顔をのぞき込むと、彼は照れくさそうに視線を逸らした。
「あー、いや、少し違う」
 なんやねん、それ。

 しばらくして、草原の中にぽつりと白い二軒の家が現れる。大きい建物と小さい建物が、渡り廊下で繋がっている。一木によると、大きい方が桐山家で、小さい方が松風家らしい。

 家に上がると、最初に出迎えてくれたのが優花だった。なるほど、なんとなく先ほどの写真の面影を残している。愛嬌のある丸っこい顔。二重のぱっちりとした瞳。セミロングの髪を特に飾るわけでもなくまっすぐに伸ばしている。
「あら、おかえり」
 優花もまた、私のことを興味深そうに見つめた。
「はじめまして。小川莉音です」
「ライオン、だよね。話は聞いてるよ」
 どうやらそのあだ名はすでに広まっているようだ。まあとっくに学校でも使われてるから、気にしたってしょうがないけど。
 靴を脱いでリビングに上がる。さっそく、私はリビングの端に置かれている水槽に目を引かれた。中にタマネギみたいな形をした、水色の生き物が浮かんでいた。
「これなに?」
「チャオだよ」
 これがチャオ……名前は聞いたことがあったけど、実物を見るのは初めてだ。
「触ってみなよ」
 優花は屈託ない表情で私に勧めてくる。
「噛んだりしない?」
「大丈夫、チャピルは大人しいけん」
 一木もそう言うので、目を閉じて、指先を水槽の中に突っ込んだ。指の先端がチャピルに触れた。
「うわ、なにこれヤバイ!」
「手をぎゅっと握ってみて」
 指先でチャオの丸っこい手を探す。握ってみると、実は中にちゃんとした骨があることに気付く。丸い手は太い指と、その間についた水かきがまとまって、そういう風に見えているだけだ。ぷるぷる感がクセになりそうだ。
 急に、チャピルがバタつき始めたので、びっくりして手を離す。チャピルは水槽の淵を掴んでよじ登った。足拭きマットの上に立って、よたよたと歩いた。私は思わず後ずさりした。
「出てるけど、いいの?」
「いつもんことたい」
 チャピルはマットの上にボンヤリと座り込んだ。皮膚を潤していた液体が急に白みがかって、チャピルの全身を覆い尽くす。粘液は厚みを増しながらふくらんで、表面が少しずつ乾いていった。なにかとんでもないことが起きているのが、素人目にもわかった。
 優花が私の肩越しにつぶやいた。
「繭だ」
 実際、それはカイコなどの繭によく似ていた。
「なに? チョウチョになるとか?」
「そんなに劇的には変わんないけど、ちょっと変わる」
 優花は何度か見たことがあるのだろうか、あわてる様子もない。淡々とチャピルを見守っている。
「チャオの変態は二時間くらいかかるけど、このまま見ていく?」
「変態?」
 優花の口からそんな言葉が出たことに、思わず笑みが漏れてしまった。その笑いは優花にも伝染した。
「そう、チャピルは変態する」

このページについて
掲載号
週刊チャオ チャオ20周年記念号
ページ番号
8 / 16
この作品について
タイトル
ライカ記念日
作者
チャピル
初回掲載
2018年4月30日
最終掲載
週刊チャオ チャオ20周年記念号
連載期間
約7ヵ月26日