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文人は一人で歩いていた。散歩とは基本的に一人で行うものだ。しかし、たまに見知った人に会うこともある。
「む」
「おや」
七海美紀がチャオを泳がせていた。
「ここで会ったが百年目」
「ここで出会うのは初めてだけどね」
「決着をつけようじゃないか」
「えーと、何のかな?」
「どっちが日本人か」
「どっちも日本人だ」
軽いジャブで場を暖める。出会い頭からギャグを飛ばすのはもはや恒例になりつつあると二人は思っている。何度も何度も会話していればそういうパターンが出来上がることもあるものだ。
「なんか難しそうな顔をして歩いていたね」
「あれ、見えてた?」
「目がいいんで、私」
一人でいる時の自分は無防備である。それを見られるのはなんとなく恥ずかしいものだ。
「幸せについて考えていたのさ」
「答えは……見つかってはいないんだろうね」
「まあね」
「曖昧だけど、私はどういうものかわかるよ」
「それは?」
美紀は口元を吊り上げて言った。
「しわとしわを合わせて……」
「それじゃあ僕はこれで」
「軽いジョークだから、そんなあっさり去らないで」
すがりつく。
「まさかそんなギャグを日常生活で聞くとは思わなかった」
「それはともかくとしてさ、迷える若者って感じだよね。幸せってなんだろう、って」
「そうかな。そうかも」
「散歩をしてても幸せに感じなかったわけだ」
「うん、そうだね」
「私は他人が必要なんだと思うな」
今度は真面目な彼女だった。
「人間って、他人がいないと何をしたって幸せになれないんじゃないかって思う。もちろん人じゃなくてチャオとかでもいいんだけど、自分以外の誰かがいないと人はだめなんだと思う」
いつもの冗談ばかり言う美紀がそんな真剣な意見を言うとは思っていなくて、文人は驚いた。
「チャオを育てるのもさ、ブームの時の方が楽しかったんだよ。今も、チャオのことに興味持ってくれる人と一緒の方が楽しい」
「そうか」
自分ははたしてその需要に応えることのできる人間だったのだろうか。文人は考える。
「ま、こういうのは一人で考えなきゃだめなんだろうから」
美紀はプニを持つ。
「がんばれ」
そして去ろうとする。
文人はそれを止めた。
「ん?」
「この前、チャオのブームが去った理由は言葉にして表せないって感じの話をしたじゃん?」
「うん、したね」
「それと同じで、好きって気持ちをどうして好きなのか具体的に言葉で言えないものだと思うんだ。好きな子に対してどう接したらいいかわからなくていじめちゃうのと似てるのかな。自分の気持ちを深く言語化するなんてできない。感情は縛ることができないものだから」
「うん」
「僕は君が好きだ」
二人はしばらく静かだった。まるで写真としてその瞬間が切り取られたかのように文人は感じた。しかし、静寂に耐えて美紀の返答を待った。十秒の空白があった。
「……告白する時に、好きな子をいじめる例を出すのはちょっと違うと思うな」
「ぐう」
ぐうの音が出た。
「確かに照れ隠しで突っ込みの余地を残してしまった……」
「そんなんじゃだめだよ。やり直しを命じます」
恥ずかしがって中途半端なことをしたらやり直させるのは罰ゲームの基本である。
「うぐぐ」
「ただし今日はだめ。また後日挑戦してください」
「な、なぜ」
「告白する時はそれに相応しいムードというものがあるでしょう」
「確かに、今告白してもギャグ以外の何物でもないよなあ」
「正直、さっきのもギャグ成分多めなんじゃないかと」
文人はその言葉にショックを受けた。
「まあどうしてしたかはわからないでもないけど、ムードだけで恋愛に繋げるのはちょっと無理矢理だったんじゃないかな。ほら、命を救われただけで好きになれっていうのも無理な話だし、ぶっちゃけ曲がり角で転校生とぶつかったところで好きにはならないじゃん?積み重ねがないとだめでしょ」
「あ、あ、あうー」
冷静に分析されてとても恥ずかしい。彼はどんどん惨めな敗北者へとなっていった。
「次回に期待します」
「今度はもっと好感度を上げて挑むよ……」
「それまでにファンブル出して致命的な溝を作らないように気を付けなよ?」
「SAN値も減りすぎないようにしないと」
「いや、そのステータス必要になるような機会ないから」
美紀は笑った。文人も遅れて笑う。笑うのをやめるタイミングを見失ったまま笑いが増幅していき、二人は爆笑した。
完全に満たされたわけではない。だが、どうすれば満たされるのかはわかった気がした。
そして二人は約束をするのだ。どこにでもあるような約束だが、それはきっと大事なものなのだ。
「それじゃあ、またね」
「うん。また」