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 大森文人は今日も平常運行だ。すなわち散歩中である。休日になると遠くまで行ってみようか、などと思ったりもするのだが、今日はそのような考えが出てくることはなかった。
 丁度先週通った道と全く同じ道を行く。そしてコドモチャオと歩く七海美紀を発見し、声をかけた。
「今日もチャオの散歩のようで」
「君も君で今日も散歩か」
「年中無休」
「24時間」
「せめて寝る時間を」
「それでいいんかい」
 食事は歩きながらすればいいし、などと文人は思う。
 しかし今日は自分の散歩など別にどうでもいいのだった。
「少しは黒くなった?」
「うん、なった」
 1週間で色が変化するとは、恐るべきダークパワーだと文人は思った。美紀がダークチャオを育てる資質があることはもはや疑っていない。
「波動が」
「だめだこの人……、殺意に目覚めてる……」
「攻撃力が高くなるけど防御はだめになるよ」
「スリーサイズは?」
「秘密」
「くっ、堅いじゃないか」
「まあ波動が黒くなったりしてないし」
 意外と隙はないようだった。
「まだ1週間だしね。変化はないよ」
「へえ。ところで無性に聞きたいことがあるんだけど」
「秘密」
「いや、スリーサイズの話じゃないから」
 そんなものを執拗に聞きたがるのは主人公だけだ。いや、そんな主人公もいないだろう。ではサブキャラか。だとしたらそいつは間違いなくギャグ要員だ。肝心のデータは引き出せないことだろう。
「うーん、じゃあ何?」
「どうしてチャオなのかなあって」
 美紀は呆気にとられたようだった。文人を見ていた顔の向きがそのまま硬直した。
 チャオは過ぎ去った流行だ。ブームのうちはその可愛さが盲目的にもてはやされたが、冷めていくうちに視線は現実的な苦労へと向いていった。
 チャオの最大の特徴はキャプチャだ。それによってパーツをつけて外見を変化させ、進化によってその姿を大きく変え、成長する。しかし、キャプチャのための小動物やカオスドライブを買う費用は安いものではなく限界もない。金をかけなければ外見が大して変わらず、歩いたり泳いだりするようにもならない、そんな成長しないペットを長く愛することは難しい。また、キャプチャによってチャオは他のペットと共存できない存在になっていたことも大きい。
 また、チャオの外見や行動はその飼い主がどういう者であるかを必要以上に語った。歩くことすらできないノーマルタイプのチャオを飼う者へ向けられる視線には嘲笑の念が込められた。ヒーローチャオやダークチャオなどへ進化することも飼い主へ影響した。
 結論を言えば、現在チャオを飼うことは一般家庭においてあまりないことだった。
「珍しいよね」
「あー……」
 美紀の歯切れが悪い。
「可愛いじゃん。なんていうか、こう、好きー、なの」
「うん、可愛いよね。妖精みたいだ」
「だよねー」
 チャオを十分育てられるくらいの財力が七海家にあるようだ。ならばチャオを飼ってもおかしくはあるまい、と文人は思った。実は大森家もそれくらいの富はある。しかし文人がペットの世話をすることはないだろうし他の者はペットに一切の興味を持っていなかった。
「でもダークチャオになったら近所の人の目が痛くない?」
「大丈夫だよ」
「どうして?」
「始末するから」
 満面の笑み。
「素晴らしくダークっぽいなあ」
「ごめん間違えた。ダークチャオに育たないから大丈夫」
「どうやったらそんなテクニカルな間違いを……」
 そんな疑問を解消するべく美紀はどうしたらそう間違えることができるのかを雄弁に語った。だが、それは文人のような正常な神経を持つ人間には理解できない要素が数多くあった。美紀もわざと自分でもよくわからないことを思いつくままになるべく名状しがたいものになるよう話していたからだ。
「まずは日本語で話してくれ、な?僕も知り合いが狂っているなんて思いたくないんだ」
「イア、イア」
 待っていたと言わんばかりに日本語から未知の言語へ切り替える。もしかしたら既知の言語かもしれないが、この二人にとっては日本語と英語以外は有名なものでない限り未知の言語になるので問題はなかった。
「何語だそれ」
「たぶんアクロ語」
「自分でもよくわかってない言語を使うなよ」
「言葉って難しいよ」
 ギャグテイストからシリアス風味に急激に変わるのは彼女の仕様だ。情緒が不安定なわけではないので安心していただきたい。
「伝えたいことを正確に伝えられないんだもん」
「哲学だね」
 美紀は笑った。だが、顔は笑みを作っているというのに目からは今にも涙がこぼれ落ちそうで、涙は地に落ちた瞬間破られることのない強靱な壁となって二人の間に決定的な距離感を生み、人間とはえてして孤独なものであると証明してしまう予感さえあった。これが夕焼けの中だったら切なさ乱れ打ちなムードになっていたに違いない。もしそうであったらその空気に二人は耐えられただろうか。あるいは完璧な美しさの断絶ではなく中途半端なものであるから、それを否定できる何かが、奇跡でもいいから、あると今にも消え入りそうな心の灯火は願っているのかもしれない。少女が口を開き、寂しげな声を出す。まるで今日までの二人の関係が明日には一切の欠片さえ残さずに消えてしまうのではないかと錯覚するくらいに。あるいは、そうなると知っているからこそ無意識に形作られた声なのかもしれなかった。
「文人君をえっちな人って言えばいいのかエロい人って言えばいいのか、わからないんだ」
「どっちも嬉しくないなあ」
「あなたはえっちな人?それともエロい人?」
「いいえ、普通の斧です」
「普通の斧というとすなわち……」
 考え込む。そこまで深い意味はなく言った発言だったので、一体どんな解釈をされてしまうのかと文人の不安は募るばかりだ。
「……すごい」
 そう呟かれて文人は死にたくなった。おそらくわざとであろうが、顔が少し赤くなっているように見えたのでなおさら死んでしまいたくなった。もしこの会話を誰かに聞かれていたら、お客様の中に神様はいませんか、と叫び、見つけた神様に懺悔をした後に腹を切っていたことだろう。幸いそうなることはなかった。
 文人は彼女が普通の斧から何を想像したのか、という思考の迷宮に一日中囚われてしまった。

このページについて
掲載日
2010年7月16日
ページ番号
3 / 9
この作品について
タイトル
きっと楽しい。
作者
スマッシュ
初回掲載
2010年7月16日