第三話 力なき狂人

 昔々、この地上には神様がいました。
 神様は神の子たちを集めましたが、ほとんどの神の子たちは危機に気づいていませんでした。
 神の子たちは、そのまま散り散りになってしまいます。
 そんな中、危機に気づいていた神の子がいました。
 その神の子は神様に意思に従って、また神の子たちを集めようと動いたのでした……。


 山は霧に包まれていて、麓は空気が冷たかった。山の木の葉には雫がついていそうだ。時々鳥が大きな鳴き声をあげた。大きな鳴き声の割には山に溶け込んだ、自然な音のように聞こえた。今のこの辺りの雰囲気にはどこか古風な趣があって、詩人であれば詩を詠むだろう。山登りを好む人の中には、こういった状態を特別好む人もいるくらいだ。僕も山登りが好きなわけではないが、この雰囲気は好きだ。麓は木が生えておらず、道は舗装されていない土の道だ。やはり少し湿っていて、独特な匂いを発していた。道は広くなったり細くなったりしたが、基本的には見通しが良かった。前方には村とも言えるような町が見えている。そこを通れば、トンネルを一つくぐってもうムーンシティだ。そこまでに殺人鬼と遭遇する可能性もあるだろうが、鳥の鳴き声を除けばまったくそんなことを想像させないくらい静かだった。
 エイリオとマッスレと並んで歩くのは、不思議な気分だった。今までエイリオと二人で歩いたことは何度もあった。五人とか六人とか、あるいは数十人とかのの大人数で歩いたときに、僕とエイリオが含まれていたということもあった。でも、エイリオと他の誰かの三人で歩くことはなかった。それが関係して、不思議に感じるのかなと思った。それと、マッスレが同い年だったということも関係しているかもしれない。これはサンホールから出発するときに判明した。僕が「ソニップさん」と呼んだのに対して、ずっと気になってたんだけど同い年なんだから「さん」なんてつけなくていいのに、とソニップに言われて、さらにマッスレが年齢を尋ねてきて歳を言い合うと、みんな同い年だということが発覚した。二十一歳だ。それから「さん」とつけないようになった。なんだか収まりがよくなった気がした。ちなみに、ナイリオは十三歳だった。
「どうしてナイリオをソニップに任せたの?」と僕はマッスレに尋ねた。
「戦うことに関しては俺もソニップに負けないくらいだと思うんだけど、守ることに関してはソニップの方が慣れてそうだからな」とマッスレは答えた。
「とは言っても、俺たち三人も守られる立場だから、ナイリオがどこにいてもあんまり変わらないかもしれないけどな」
 少し釈然としなかった。それを顔に出すと、マッスレが困ったような顔をした。
「うーん、あのな。正直言うと、あいつ俺にべたべた懐いててさ。下手すりゃ死ぬかもしれない任務だってんだから、緊張感持ってもらわないとな」
 なるほどな、と思った。確かにナイリオは懐いている様子だった。それにあの歳だ。マッスレと一緒にいるときは、歳相応にはしゃぐのかもしれない。それにしても、マッスレが自分のことを守られる立場と言ったのは意外だった。こんな表現を使うのは失礼だけど、もっと単純で無鉄砲な人だと思っていた。それに、マッスレは少なからず上の立場と思っていたのに、実のところは僕と同じで守られる立場にいたということが衝撃だった。単純なのは、僕の方かもしれない。
 そのあとマッスレが、あっ、という顔をして、また喋り始めた。
「お前ら何が好き?」
 唐突に話が変わったので、少し意表を突かれた。多分マッスレは思いついたことをどんどん口に出すタイプだ。緊張感を持てと自分で言ったばかりなのに。僕はすぐに答えを出せなくて、困った顔をエイリオに向けるとエイリオが答えた。
「あたしは水泳かな」
 僕は納得した。エイリオは暇さえあればプールでも海でも泳ぎに行く。僕もそれについていくことがあるが、泳ぎにはまったくついていけない。僕だって人並みくらいには泳げるが、エイリオの泳ぎは見るからにレベルが違う。それでも本人は「もっと速く泳げる気がする」なんて言うくらいだから、生まれ持ったものがあるのだろう。とにかく、エイリオといえば水泳、と印象を僕は持っていた。
「へえ、すげえな。俺なんて全然泳げないから羨ましいよ」
「いや、大したことはないんだけどね」とエイリオは平然と返す。
「十分大したものだと思うけど」と僕は横槍を入れる。マッスレは笑っていた。
「ナイチュは何が好きなんだ?」
 僕は考え直した。エイリオが水泳なら、僕はなんだろう。これと言って優れたものを持っているわけでもないし、熱中できるような趣味を持っているわけでもない。もう一度、エイリオが水泳なら、と考えた。僕は、空を飛ぶことが好きといえるんじゃないだろうか。しかし、実際に空を飛んだことはないし、あまりにも突拍子もない答えなので、なんと言っていいかわからない。結局僕は苦し紛れに、
「空、かなあ」
 と答えた。なんて気取った答えなんだ、と思い、赤面した。丁度、町に入って辺りに家が増え始めて、エイリオもマッスレも周りを見渡し始めたので、とりあえず僕は黙っても許される権利を得た。
 周りの兵士たちはどう動くのだろう。僕たちを見逃さず、且つ周りを見渡せるようなところを歩くのだろうか。家同士に結構な間隔があるので、確かに見晴らしにはそれほど問題なさそうだが、坂や田畑や小さな川もあるので、動きづらそうでもある。そう思っていたところに、周りの兵士たちが集まってきた。
「ここは動きづらいな。ちょっと陣形を変えよう」とソニップが言った。
「そうだな。我々兵士は彼らを中心に前後に分かれよう。それと二人の兵士を彼らにつけよう」とジョンさん。
「賛成だ。横に広がるのは効果的じゃない。俺とナイリオとメッツが後ろ、ジョン隊長とカーネルが前でいいか?」
 ジョンさんはうなずき、兵士たちを振り分けた。僕たちと一緒に歩くのは、ゾランとスモリエという兵士だ。背中に大きな銃を担いでいて、腰にも拳銃を備えている。銃には詳しくないのでよくわからないが、状況によって使い分けるのだろう。ソニップとナイリオと一人の兵士は後ろへ、ジョンさんと一人の兵士は前へと分かれた。横に兵士がいなくなったとわかると、家の陰が気になってしょうがなかった。突然家の陰から殺人鬼が襲ってくるのではないかと心配だった。エイリオもマッスレも横の方を気にしていた。二人の兵士もそうだった。マッスレだけ余裕のある表情だった。
「そういえば、さっき空が好きって言ったよな」
 僕たちの歩いている道が、町の中をくねくねと曲がって山の脇を沿うようになり、木々の隙間が気になり始めたときだった。マッスレが話しかけてきて、僕はうなづいた。後ろを歩く二人の兵士が不快そうな顔を向けた。守られる立場の人間が緊張感を持たないのはいい気がしないだろう。僕たちの中に兵士が加わってから僕とエイリオが黙っていたのは、兵士がいることで僕たちが守られる立場だということを嫌でも感じさせられたからだ。でも、マッスレは自身のことを守られる立場であると言っておきながら、そのことをほとんど気にしていないようだった。それと、その話はあまり掘り下げないでほしかった。
「ナイチュは空を飛んでそうな感じするよな」
 マッスレは笑った。冗談だとわかっていても、恥ずかしかった。反面、嬉しかった。マッスレは僕が空を飛ぼうとしていることを知らない。知らないのに、空を飛んでそうと言った。それは僕自身に空を飛ぶということを連想させるものがあるということだった。だからと言って僕が飛べるということにはならないが、それでも僕は励まされた気になった。でもやっぱりマッスレが言った言葉は冗談だし、恥ずかしかったので苦笑い以上の返事はできなかった。
 エイリオがマッスレの方に顔を向けた。助け舟を出してくれるのかと思ったが、エイリオの力の入った顔は怖かった。エイリオは怒っている。
「そんな簡単に言わないでよ」
 一瞬、誰もが黙った。歩きながら、会話だけが止まった。横にいるマッスレが驚いているのが見えた。僕も驚いていた。兵士たちの顔を見ることはできなかった。その一瞬の後、エイリオは山の木々の中へ駆け出していった。
「おい!」とマッスレが叫び、追いかける。
「スモリエ、行け!」
 ゾランさんも叫んだ。スモリエさんが二人を追って木々の中へ消えた。ゾランさんの声を聞いたソニップやジョンさんたちが駆けつけた。
「どうした!」
「エイリオが山の中に駆け出しました!それを追ってマッスレも!」とゾランさんが答える。「エイリオはマッスレの言葉に腹を立てた様子でした!」
「あいつ、やっぱり置いてくるべきだったかな」とソニップさんが苦笑いをした。
「おい、ソニップ」とジョンさんが責める。
「でも、マッスレは怒られるようなことは言ってない」
 そう僕が言うと、とりあえずソニップへの非難の視線は外された。
「原因についてはいい。もはやどこにいるのがわからないが、とにかく二人を連れ戻すことを優先しよう。私とカーネルとゾランがムーンシティ側の方へ上がっていく。ソニップとメッツはナイチュとナイリオを連れてサンシティ側の方へ上がっていけ。見つけ次第、空砲で知らせた後にこの場所へ戻って来い。行くぞ」
 ジョンさんたちは速やかに山の中へと入っていった。僕たちもソニップを先頭、メッツさんを殿に、山の中へと入っていった。雑草が生えた斜面は歩きにくかった。土は意外と固く足跡が残らなかったので、足跡を追うということはできなかった。体力が斜面に削られていくのを実感する度に、二人が見つからなくなる不安が増していった。
 エイリオは怒った理由はなんなのだろう。いや、なんとなく検討はついている。僕がこんなことを想像するのはおこがましいが、エイリオは僕が馬鹿にされていると思い、怒ったのだと思う。でも「空を飛んでそうな感じするよな」という言葉は、僕が今まで飛ぼうとしていたことを知っていないと馬鹿にしているなどとは思わない言葉だろう。逆にいえば、エイリオは僕が今までずっと飛ぼうとしていたことを知っていたのだ。しかも、空を飛ぼうとする僕を肯定してくれていたのだ。エイリオが、すごく愛おしかった。
「あっ」
 ナイリオが声をあげて、僕たちの列から外れて歩き出した。僕たちは何だと思ってナイリオの方を見ると、その先にエイリオが立っていた。良かった、見つかった。でも、エイリオの様子はおかしかった。少し上の方を見上げて、佇んでいた。ナイリオがエイリオのところに辿りつく前に、立ち止まった。ソニップとメッツさんも様子がおかしいことに気づき、ナイリオのところに駆けていった。ナイリオのところまで行くと、そこでようやくエイリオの前で守るように立ちふさがるマッスレと、その先の木の横に立っている殺人鬼が見えた。


 空を飛ぼうとすることは僕にとって無くてはならないものであったが、同時に引け目でもあった。人は空に飛びたいという願望を少なからず持ちながら、それを表現することをしない。空を飛ぶことが不可能なことだからだ。もしも表現しようものなら、周囲の人間のことを優先して考える優しい人間でさえ“狂った人間”として扱われる。そう、空を飛ぼうとする考えは“狂っている”と思われるのだ。そして表向きでは狂った人間は何をするかわからないという理屈で、社会的にも個人的にも遠ざけられる。でも実際のところは違う。人は人を卑下したがる一面を持つのだ。だから、空を飛ぼうとするような狂った人間は、身を守りながら食らいつくことができる絶好の獲物なのだ。
 僕は食われてしまわないように隠れて空を飛ぼうとしていた。そして、エイリオはそんな獲物としての僕を知っていた。それでありながら、エイリオは僕を許してくれた。嬉しかったし、僕もエイリオのすべてを許し、幸せになってほしかった。エイリオの前に立つマッスレを見たとき、そこに立っているのは僕でありたかったと思った。でも、それも一瞬だった。次の瞬間には、何も考えられなくなっていた。僕がエイリオを守る未来なんて見えなかった。殺人鬼が怖かった。僕という人間はこうも簡単に動いてしまうものなのか、と絶望した。
 殺人鬼は山の中に消えていた。すぐに見失ったし深追いは危険だということで、メッツさんが空砲を放った後に僕たちは山を下りた。最初にエイリオを追ったスモリエさんが、大分離れたところから下りてきた。見当違いな方向に走っていっていたようだ。でも空砲を聞いて下りてくるあたり、ちゃんと訓練されているんだろうなと思った。それからジョンさんたちとも合流し、エイリオが状況を報告した。一番最初に殺人鬼と遭遇したのがエイリオだったのだ。殺人鬼は「そっちの動きは山の中から見える。でも何もしないから、みんなと合流して。次はムーンシティで会おう」と言ったそうだ。そこにマッスレが追いつき、あのような状況になっていたらしい。そこに僕たちがやってきて、殺人鬼が逃げたのだ。
 それからまた僕たちはムーンシティを目指し、歩いた。今度はナイリオも僕たちと一緒に歩くことになった。ソニップがナイリオを連れて歩いているときに、なんでマッスレと一緒じゃいけないのかと駄々をこねられたらしい。ソニップが困り果てて、結局ナイリオをマッスレに任せた形になったのだ。
 それと変わったことといえば、マッスレとエイリオがよく話すようになっていた。マッスレの馬鹿話を、エイリオが馬鹿にするという感じで、喧嘩しているようにも見えたが、雰囲気は悪くなかった。ナイリオも二人の話を聞いて笑っていた。エイリオは反省したようだったし、マッスレにある程度心を許したようにも見えた。僕は居心地が悪かった。エイリオとマッスレの距離が縮んだからではない。僕が感じているのは、無力だった。

このページについて
掲載日
2013年11月2日
ページ番号
3 / 7
この作品について
タイトル
神様の祈り
作者
ダーク
初回掲載
2013年11月1日
最終掲載
2013年11月19日
連載期間
約19日