第二話 ブラックアウト
昔々、この地上には神様がいました。
神様はチャオたちに危機が迫っていることに気づいていました。
このままではチャオたちがいなくなってしまうことも、わかっていました。
それは神様にとって、とても悲しいことです。
何よりも、あの子が飛ぶ姿が見られなくなるなんて信じたくありませんでした。
神様は神の子たちを集め、危機を打開しようとしたのでした……。
ソニップさんに連れられてきたのは、町役場の会議室であった。そこには自衛兵たち、つまり僕たちの護衛をしてくれる人たちがいた。僕たちが入った扉の方から奥へと伸びる大きな長テーブルがひとつあって、長テーブルを囲うように椅子があり、そこに全然知らない人たちが座っていた。僕たちはこの知らない人たちに命を預けるのだ。不思議と心強かった。無根拠に、すべてを守ることのできる無敵集団のように見えた。部屋に張り詰めた緊張感は、彼らの実力が持つ一面だと思った。
「君たちがナイチュ君とエイリオさんか。よろしくな」
中でも一番前に座っている、僕たちの一番近くにいる兵士が立ち上がって挨拶をした。細身のように見えるが、鎧に通された腕は太く、たくましかった。五十代くらいの年齢に見えた。どこかリーダーのような風格を感じた。そのまま握手でもするのかと思ったけど、彼はそのまま座ってしまったので、僕は返事をするタイミングを見失ってしまった。
エイリオは少し怖がっているようだった。僕はどちらかと言うと、まだ彼らのことが分からないし、どう反応していいのかもわからなかった。僕たちが何も言わずにいると、ソニップさんが、
「じゃあ、みんな。改めてよろしくな。調査兵機動隊隊長のソニップだ。今回は俺が指揮を取らせてもらう。もちろん、責任も俺が全部取る。ということで、そろそろ行こうか」と言った。
もう出発なのか。いや、でもしょうがないか。先に動かれて、犠牲者が大量に出るのは避けたいのだ。僕たちも、一刻も早く動かなくてはいけないのだ。
それにしても、ソニップさんが言った、責任も俺が全部取る、という言葉が気になった。取ってつけたような響きを感じた。でも、ただの気にしすぎのような気もした。今は平常心ではないし、状況も普通ではない。何を不自然に感じてもおかしくない。とにかく、僕たちはソニップさんや自衛兵に任せておけばいいのだ。
そういえば、ソニップさんが自衛兵の中にいるのはおかしい。ソニップさんは調査兵のはずだ。そのことを自衛兵の一人に尋ねると、どうやらソニップさんは元々自衛兵特攻隊に所属していたが、本人の希望で調査兵機動隊に移ったらしい。自衛兵時代は敵なしと言ってもいいくらい剣の腕が達者だっだそうだ。調査兵になってからはこの辺りをよく調査するのでこの辺りの地理にも詳しく、剣の腕も立つということで、ソニップさんが適任なのだそうだ。
そうして僕たちは出発した。向かうはサンシティだ。サンシティに向かうには、僕の家がある森を抜けなくてはならない。森の中に作られた道は細く、とても車で通れそうはない。バイクなら通ることができるが、そもそも僕たちは車もバイクも運転ができない。ソニップさんが運転するバイクに乗るという案も出たが、殺人鬼に指定された人間は僕とエイリオだけなので、表立って兵士が共に行動するのは良くないとソニップさんが判断し、却下された。早めに着かなければいけないが、サンシティがそれほど遠い場所にないということから結局徒歩で向かうことになった。
いつもよりも静かな気がする森の中をエイリオと並んで歩く。僕たちの足音だけが聞こえる。森の中をエイリオと二人で歩くことは珍しいことではなかった。町へ出かけるときは、いつもそうだ。今日も、いつもと同じように歩いている。いつもとあまり変わらないな、と思いながらも少し緊張感を覚えて、まるで遠足みたいだ、とも思う。
「なんか普通に遊びに行くみたいだね」
とエイリオが言う。僕もいつもと同じように「ね」と返すと、なんだか白々しく聞こえた。エイリオもそう聞こえたのか、それから黙ってしまった。エイリオの口を封じてしまったみたいで、悲しかった。エイリオにはいつもと同じように喋っていてほしかった。
僕の家とエイリオの家が見えた。エイリオが家の方を見ながら歩いているのを、僕は見ていた。エイリオの長い後ろ髪が、無言で僕を見つめていた。通り過ぎると、またエイリオは前を向いて歩いた。そのまま少し歩くと、僕がいつも飛ぼうと試みている場所が見えた。少しの間、この場所ともお別れだ。夢を見ている場合ではないのだ。僕たちの周りの森の中を兵士たちが隠れて歩いている。これが現実だ。
森を抜けると民家や施設が立ち並ぶ道へと出た。ここからがサンシティだ。サンシティ自体には用がないが、通る町を指定されたということはここで何が起こってもおかしくないということだ。僕たちは周りを警戒しながら歩いた。町にはたくさんの兵士たちが見回りにあたっていたので、それにまぎれるように僕たちの護衛の兵も表立って動く。ただ、僕たちから遠すぎず、近すぎずの距離で、だ。
周りを見ながら歩いていると、家と家の間にある塀の上で何かが動くのが見えた。立ち止まってそこを見ると、女の子がいた。なぜこんなところにいるのだろう。
「早く避難しないと危ないよ」
僕はそう言って塀に登ろうとした。すると、誰かが走ってくる音が聞こえて僕は咄嗟に振り向いた。護衛の兵だった。自衛兵の部屋で挨拶をした、リーダーの風格を持つ兵士だった。彼は僕の目を見ながら、すごい勢いで走ってきていた。僕はその勢いに驚き、動きを止めた。
「どうした!」
彼は声を張り上げた。僕はかろうじて「女の子が」と声を漏らすと、すっと塀の上に飛び乗り、女の子の手を引いて出てきた。彼はそのまま女の子を連れて、ソニップさんのところへと行き、そのあと町の中へ歩いていった。僕もエイリオも唖然とした表情で彼の歩いていくほうを見ていた。するとソニップさんが僕たちのところへやってきた。
「ありがとな。あの子はちゃんと避難させたからな。また何か見かけたら俺たちに言ってくれ」
ソニップさんはそう言って、また僕たちから少し離れたところに行った。ソニップさんに話しかけられて、僕たちは少し落ち着きを取り戻した。あれが兵士というものなのか、と僕は思った。正義という言葉が思い浮かんだ。正義を貫こうとする意志が、あの気迫を生み出す。いや、違う。分析なんかより、この直感のほうが遥かに説得力がある。彼が走ってくるときの目には間違いなく敵意が宿っていた。僕の体に残る恐怖がそれを証明していた。そうだ、殺人鬼に指名されておいて、殺人鬼とまったく関係を持っていないなんて、常識的に考えてみればおかしな話だった。僕たちが殺人鬼の仲間であるという可能性に、国が行き着かないはずなんてなかった。兵士たちの任務は、状況次第で護衛にも監視にもなるのだ。
ソニップさんを見る。ソニップさんは無線機で誰かと話をしているようだった。ソニップさんも、僕たちを監視する義務があるのだ。今まさに、僕たちの動向について話しているのかもしれない。僕はソニップさんを信頼したい。でも、ソニップさんが僕を信頼していないのかと思うと、僕は虚しく思うだけだった。ふっとソニップさんが僕たちの方を見た。緊張して、動けなくなる。そんなこともお構いなしに、ソニップさんは僕たちのところへ駆け寄り、兵士たちを集めた。
「サンホールに殺人鬼がいるらしい。サンホールに避難してきた人がほとんど殺されたそうだ。サンホールに配備された兵士もだ。今、ポール隊長が交戦を始めた。俺も応援に行く。お前らも後からでいいから着いて来い、ナイチュとエイリオは絶対に守れよ」
ソニップさんはそう言うと駆け出した。ナイチュとエイリオは絶対に守れよ。ああ、ソニップさんはやっぱり、信頼に値する人だ。ただ、嬉しかった。凄まじいスピードで遠ざかっていくソニップさんの背中を、僕たちは追いかけた。
サンホールには昔、エイリオや友達とバドミントンをしにきたことがある。入ってすぐに受付があって、周りの壁や柱の白が綺麗なのだ。メインホールは体育館のようなもので、バスケットゴールやバドミントンのコートがある。サンホールには他にもトレーニングルーム、道場、憩いの部屋と呼ばれる談笑のための部屋などがある。サンシティの人が避難しているのはメインホールだろう。サンホールに着いた僕たちはメインホールの入り口である両開きの白い扉を開いた。目に飛び込んできたのは、血の赤であった。たくさんの人が血を流して倒れていた。その中に、ソニップさんと女の子が立っていた。あの塀の上にいた女の子だ。女の子は泣きながらも、ソニップさんの話にしっかりと答えるように見えた。ソニップさんは女の子を撫でると、こちらを向いた。話が終わったようだ。
「やられた。ポール隊長も」
ソニップさんが視線を向けた先に、先ほど女の子を避難させたリーダーの風格を持つ兵士が倒れていた。やはり彼は隊長だった。隊長というくらいだから、強いのだろう。でも、殺されてしまった。彼の死体からは、なんとも言えない絶望感が漂っていた。
「マッスレが、やってくれる」
女の子が口を開いた。まだ十二、三歳くらいに見えるが、幼さを感じさせない力強い口調だった。
「殺人鬼はマッスレと言う男に追われて、逃げたらしい。俺がここに着く直前のことだったそうだ。俺はそのどちらともすれ違っていない。だから、二人ともまだサンホールの中にいる」
ソニップさんはそう言うと、護衛の兵士たちをサンホールの出入り口に配備した。
「相手はかなり異常だ。絶対に気を抜くな」と護衛の兵士たちに言うと、今度は僕たちの方を向いた。「行くぞ、絶対にはぐれるな」
「この子は」と僕が言う。
「君もついてきてくれ、俺が守る」とソニップさんは女の子に言った。
「ナイリオ」と女の子は不機嫌そうに言った。
「そうか、ナイリオちゃん、いいか?」
「呼び捨てでいい」
「わかった、ナイリオ。行くぞ」
ソニップさんは僕たちと、ナイリオという女の子を連れて、走って廊下に出た。静かな廊下に僕たちの走る音だけが響いた。今度はソニップさんが一人で走っていくことはなく、僕たちの速さに合わせて走っていた。おそらく実力者であったポール隊長が殺された以上、他の人間にとって頼れる人物がソニップさんしかいないからだ。その点、出入り口に護衛の兵士たちを配備したのは意味がなさそうだったが、あるいはソニップさんがここで殺人鬼を完全に仕留めようとしているのかもしれない。
様々な部屋のドアを開けたが、殺人鬼もマッスレという人もいなかった。なんとなく小部屋にはいない気がした。廊下を進み続けると、何かの音が聞こえ始めた。どん、どん、と重い音だ。体育館の床を裸足で動き回るときの音に似ていた。メインホールか? でも、走った距離からしてここはメインホールから離れている。そんなことを思いながら走っていると、ドアが開きっぱなしになっている部屋があり、はっとした。道場だ。そうか、道場の床も同じような音がする。
「気をつけろ」
ソニップさんが言い、道場の入り口から中を覗く。僕もそれに倣って、こっそりと覗いた。中には筋肉質な男と、後姿ではあるが血塗れの黒いマントを羽織って、さらに血塗れの黒いフードを被った明らかに異様な人物がいた。筋肉質な男がマッスレという人だろう。そして、あの異様な服装をしているのが殺人鬼だ。二人は腕と足を使って牽制し合っている。格闘技の試合を見ているようだった。近くの床に、刃渡りの長い血塗れのナイフが落ちていた。血塗れのナイフの毒々しさは、例えようがなかった。緊張が体を支配する。
殺人鬼がマッスレさんに殴りかかった。凄まじい速さの右フックだった。だがマッスレさんの反応も速く、顔を少し引いてフックを避けたようだった。そのままマッスレさんは大きく下がって距離を取った。そして余裕の笑みを見せ、一息ついた。
「スレスレだったぜ」
そんな言葉とは裏腹に、余裕の表情で殺人鬼に近づいていく。殺人鬼はマッスレさんを中心に回り込むように反対側へ移動していく。殺人鬼の顔がようやく見えたが、殺人鬼はマスクにサングラスも身につけていた。それもまた異様であったが、それ以上に状況が異様だった。たくさんの人や自衛兵の隊長をも殺し、見た目もまた異様な殺人鬼を、おそらくは一般人であろう人が追い込んでいる。これほどまでに大きな事件であったのに、終わりはもう目の前に見えていた。
「終わりだ」
そう言ったのは、ソニップさんだった。淡々と道場へ入って行き、僕たちもそれに続く。マッスレさんが驚いてこちらを見た。殺人鬼も黙ってこちらを見ている。ソニップさんを含め、僕たちはマッスレさんの横に並んだ。マッスレさんは状況が飲み込めたようで、また殺人鬼の方を向いた。殺人鬼が、完全に追い込まれた。
「もう一度言おうか? 終わりだ。諦めろ」とソニップさんが言う。殺人鬼は動かない。じっと、僕たちを眺めているように見えた。
しばらく動かないので、ソニップさんは痺れを切らしたのか、殺人鬼に近づこうと一歩前に出た。すると、殺人鬼は突然マスクを捨てた。
「終わりじゃない」
殺人鬼が喋った。驚く間もなく、殺人鬼はフードを外し、サングラスを捨てた。セミロングの髪、丸みのある輪郭、美しい顔。殺人鬼は、女だった。
辺りを不思議な雰囲気が包んだ。ソニップさん、マッスレさん、エイリオ、ナイリオ、僕、そして殺人鬼の女。緊張感に包まれていた部屋が、ここにいる人間によって違う色で塗り潰された。その色は、平和を連想させた。きっとここにいる誰もが、それを感じていた。
殺人鬼の目が、潤んだように見えた。それも一瞬、殺人鬼が自分の後ろにあった窓ガラスを突き破って逃げた。少し遅れて、ソニップさんが窓を開けて外に飛び出した。でも、それと同じくらいのときにバイクのエンジン音が聞こえ、それは遠ざかっていった。そういえば、この道場の裏の辺りには駐輪場があった。殺人鬼は、逃げることになる可能性も考えて、駐輪場にバイクを置いていたのか。ただの狂気に溺れた殺人鬼ではないようだ。
ソニップさんがまた開いた窓から道場に入ってきた。悔しさが滲み出た表情だった。
ソニップさんは僕たちに怪我がないのを確認してから、マッスレさんとナイリオから殺人鬼が現れたときの状況を聞いた。
殺人鬼はポール隊長がナイリオをサンホールのメインホールに連れて行った直後にメインホールに入ってきた。ポール隊長はすぐに気がつき警戒したが、あっという間に刃物で首を斬られて倒れた。そのまま殺人鬼は駆けながらメインホールにいた人を斬った。出口が近く、逃げられそうな人から斬っていき、また逃げようとした人にもすぐに追いつき斬った。無駄のない動きだったのが印象的だったそうだ。そして、何故なのかマッスレさん、ナイリオの二人を殺さずに、廊下へ逃げていった。マッスレさんはそれを追って道場まで追い込んだ。殺人鬼はこれもまた不思議なことに刃物を捨て、格闘技でマッスレさんとの戦いに挑んだ。二人が話したのは、こんな内容であった。それとナイリオには、何故家と家の間なんかにいたのか、ということもソニップさんは尋ねた。ナイリオは、殺人鬼を見つけたら飛び出して倒そうと思った、と言った。それを聞いたマッスレさんは、ナイリオを叱った。二人はこの道場で稽古をしている格闘家で、ナイリオはマッスレさんの後輩にあたるらしい。ナイリオは気が強い女の子であったが、マッスレさんのことを慕っているようでマッスレさんに対しては素直だった。そんなところが子供らしく、守ってあげたいと僕は思った。
その後、僕たちはサンホールから出て、ソニップさんが自衛兵に指示を出すのを聞いていた。応援を要請して、サンホールの中の死体を回収し、城へと帰還。また、万が一の可能性も考えて、サンシティで生き残っている人たちも城へと避難させる。そんな内容だった。さらにソニップさんは「管理部に連絡するから待っててくれ」と言い自ら無線機を取った。
調査兵機動隊ソニップだ。ちょっと頼みごとがある。現在配備されている自衛兵たちを、自衛兵射撃隊の兵士たちと入れ替えてほしい。城の護衛も自衛兵射撃隊を中心に。近隣の住民は絶対に巻き込むな。……ポール隊長がやられた。接近戦では多分厳しい。それと、こっちにも射撃隊から五人ほしい。……いや、射撃隊だけでいい、調査兵捜索隊はやられる可能性が高いし、あまり人が多すぎてもまずい。……ああ、頼むよ。後は任せろ。ソニップさんはそう言っていた。国の中身を垣間見たようで、少し興奮した。
それから少しして、たくさんの兵士たちがサンホールにやってきた。兵士たちがサンホールに入っていく中で、五人の兵士がソニップさんのところに来た。この人たちがさっき頼んでいた射撃隊の兵士だろう。彼らは僕たちに気づき、簡単な自己紹介をした。四人は普通の兵士であるようだが、もう一人は射撃隊の隊長で、ジョンと名乗った。そのジョンさんがソニップさんに声をかけた。
「これからだ。気を落とすな」
「ああ、悪いな。やってやろう」
そう話したところで、ジョンさんが僕たちの方を見た。視線の先にはマッスレさんとナイリオが並んでいた。
「二人は見ない顔だが、サンシティの住人か?」
「そうだ」
ソニップさんとジョンさんの視線に気づいたマッスレさんとナイリオが注意を向けた。
「そうか。では、城に連れて行こう」とジョンさん。
「待ってくれ。俺はこいつらについて行きたい」
マッスレさんが強く言った。ナイリオもうなづいた。ジョンさんはすぐさま「だめだ」と言った。大人の余裕と、実力者の余裕が感じられた。それでもマッスレさんは引き下がらなかった。ジョンさんがこの先にある危険性について話した。マッスレさんは「それでも俺はついて行く」の一点張りだった。ジョンさんも説明しても無駄だと思ったのか「君たちの命を守るのが私達の使命なのだ。わかってくれ」と懇願するような言い回しになっていった。最終的には、ソニップさんに「なんとか言ってくれ」と投げた。
だが、ソニップさんはしばらく黙っていた。何かを考えているようだった。ジョンさんが怪訝といった表情をした。ソニップさんが口を開いた。
「俺たちと同行させよう。責任は俺が取る」
ジョンさんは驚き、すぐさま表情に非難の色を浮かべた。
「何を言っているんだ、ソニップ。お前は国民の命を守る兵士なんだぞ。立場をわきまえろ」
「そうだ、だから俺はこいつらを守る」
「ふざけるな。そんな単純ではないのだ。お前はまだ若いからそんなことを」
ソニップさんが手の平でそれ以上の言葉を止めさせた。ソニップさんは確かに若いが、ソニップさんという人物が持つ説得力と、それに伴う威厳は十分にあった。
「この二人は特別だ。サンホールにいて、かつ殺人鬼の近くにいながら殺されなかった二人だ」
「何だと」
「殺人鬼にはこの二人を殺せない理由があるのかもしれない。もしそうなら、俺たちの力になるのは間違いない。そして、マッスレに至っては殺人鬼と格闘してやつを圧倒したほどの実力者だ。その上で、俺が守る」
「殺人鬼が私たちを混乱させるために殺さなかった可能性だってある。敵が組織犯である可能性だってある。その中にもっと危険な人物がいる可能性だってある。殺されてしまう可能性は十分にあるだろう。もし二人が殺されてしまったらどうするんだ」
「それを言うならナイチュとエイリオだってそうだ。城にいたほうがよっぽど安全だ。でもナイチュとエイリオはここにいる。二人はキーだからだ。そして、マッスレとナイリオだって、今やキーとなる可能性を秘めている」
「そんな希望的観測で、国民の命を危険に晒すわけにはいかない」
「確かに希望的観測かもしれない。だが、俺は確信している。殺人鬼は個人的に俺たちに用がある。ナイチュ、エイリオ、マッスレ、ナイリオ、俺も含まれているかもしれない。殺人鬼は、俺たちを見て涙を見せかけた。そして何よりも、俺はあいつを知っている気がする」
そうだった。ソニップさんの言うことは僕も感じていたことだった。僕は、あの殺人鬼を知っているような気がする。でも、それだけじゃない。マッスレさんも、ナイリオも、そう、最初に会ったときのソニップさんも同じだった。みんな、何か繋がっている。
「お前は責任というものをなめている」
「あのさあ」
口を挟んだのはマッスレさんだった。ソニップさんとジョンさんがマッスレさんのほうを見る。
「仮に俺が死んだとして、何でソニップに責任を取らせなきゃいけないんだ? 俺が死んだのは、俺が判断して、行動した結果だ。責任はその時点で俺が果たしてるじゃないか。勝手に他の奴が責任を取るなんて言うのは、俺に対しての侮辱じゃないのか?」
「それは次元が違う話だ」
「じゃあもう勝手にそっちの次元で責任を取ってればいい。俺はそっちの次元なんて関係ないし、勝手についていく」
そこで、マッスレさんは僕とエイリオの後ろについた。ジョンさんは溜息をついて、後ろを向いた。
「見なかったことにしよう」
その後、僕とエイリオとマッスレさんを中心に、兵士たちが少し離れてついて動く、ということになった。要はこれまでと同じだ。でも兵士が少し離れてつく理由はこれまでと違って、今回は視野を広げて敵の発見を早めるためだ。ここからはムーンシティまでは山の麓を通る。見晴らしがよく、護衛に徹するよりは殺人鬼を見つけて、捕まえたほうがいい。また、殺人鬼はバイクに乗っている可能性が高いので、見つけたらタイヤを狙って撃つようにとジョンさんから指示があった。途中、村とも呼べるような町を一つ通らなければいけないので、そこでは住民を巻き込まないよう気をつけるように、とも指示があった。ナイリオはマッスレさんと行動したがったが、マッスレさんの希望でナイリオはソニップさんと行動することになった。早くもソニップさんとマッスレさんはお互いの信用を得たように見えた。ジョンさんには悪いが、僕はこの二人がリーダーであるほうが安心できる。二人が手を取り合えば、どんな敵にでも負けない気がした。だがそれは逆に僕の無力感を煽った。僕はただ守られるだけで、何もできない。マッスレさんは、判断と結果で責任を語った。それに当てはめると僕はどうだろう。今の僕の行動は他人に決定されていて、ほとんどの場合は僕の判断が関係していない。確かに僕がいることによって兵士たちの動きも変わるだろうし、殺人鬼の動き方も変わったかもしれない。そういう意味で結果は多少なりとも変わるだろう。だが、僕の判断がない以上、僕がいたときの結果は僕がいないときの結果と、僕にとっては対等だ。どちらの状況においても、僕は世界の中の一要素でしかない。僕にとって僕が"自分"でないなんて、そんな虚しいことがあっていいのだろうか。僕は、何なのだろう。判断をせずに結果だけ動かしてしまう無責任の重みが、僕にのしかかっていた。僕は弱いから、できることもない。責任を果たすことができるのは、選択肢を持った強い人間だけだった。