第5話 農園

 あまり行かないようにすると決めたけれど、瑠加から来いと言われたならば行こうという気になる。
 トウマが産まれてから三ヶ月。
 すなわち瑠加の家を初めて訪ねてからおよそ二ヶ月後のことだった。
 私は彼に呼ばれていた。
 しかも朝の七時までに来るように指示されていた。
 学校へ行く時よりも早く家を出て、私は彼の家に向かった。
 彼は門の前で待っていた。
「おはよう。いいタイミングだよ」と彼はにこにこして言った。
 もうワゴンカーに、彼の両親と彼らの飼っているチャオ四匹が乗っていた。
 私とチャコと瑠加も乗って、車が出発する。
「どこ行くの?」
「じいちゃんとばあちゃんがやってる農園」
「一時間くらいかかるから、眠かったら寝てていいよ」
 運転手である、瑠加のお父さんが言った。
「あ、大丈夫です。ちゃんと寝てきました」
 普段学校ある時なんか平気で夜更かしをするけれど、昨晩は早めに寝た。
 チャコが寝るのと同じような時間に寝たくらいだ。
「農園って、よく行くの?」
「俺はよく行くってほどじゃないけど。じいちゃんとばあちゃんは毎日行ってるからね。向こうに泊まったりもしてるし。だからこっちから会いに行かないと、同じ家に住んでるはずなのになかなか接点がないんだよ」
 それにチャオたちが喜ぶのだと瑠加は言った。
 四匹のチャオは、チャオ用のチャイルドシートみたいな物に座っていたり、瑠加や瑠加のお母さんの膝に乗っていたりしている。
 私も膝の上にチャコを乗せている。
「ガーデンより広いし、木に登れるし、食べ物はたくさんあるし。チャオにとってみれば、これ以上ない遊び場なんじゃないかな」
「あとは池さえあれば完璧なんだけどね」
 瑠加のお父さんが言った。
「チャオは水が好きで、リラックスするから」と私は言った。
「そう。大正解」
「あれから、ちゃんとお風呂に入れてあげるようにしました」
「素晴らしいね。チャオは元々森の中にいる生き物なんだけど、チャオがいる森には池や流れの緩やかな川があるんだ」
 瑠加のお父さんは、楽しそうに語り始めた。
 チャオは池や川の傍で寝て、そこから大きくは離れずに生活する。
 チャオの森と呼ばれている森があって、そこはチャオの数が他の生物と比べて圧倒的に多いという森なのだそうだ。
 そこにもやはり池や川がある。
 それも大きな池、太い川。
 その水場の大きさがそのままチャオの数に繋がっているらしい。
「僕もチャオの森に行ったことがあるんだけどね。チャオの森は敵になる動物がかなり少なくて、チャオがピラミッドの頂点っていう感じなんだ。そういう環境が作り上がっているからかな。そこに生きているチャオは、他の森のチャオに比べて長寿だっていう傾向があるみたいだね」
 転生するチャオも多いらしい。
 さらにカオスチャオも発見されていて、そのチャオが自然に育ったものなのか、カオスチャオになってから捨てられてしまったチャオなのか、研究者たちは興味を持っているのだそうだ。
「それで今は、研究者のチームがチャオの森にキャンプをして、自然にカオスチャオが育つのかということも含めて調べているんだ。もう始まってから十年は経っているかな。森の傍に研究所もあるんだ」
「この人、そのチームに入りたがってるのよ」
 困ったように瑠加のお母さんは言った。
「惹かれるけどね。でも少なくとも五年はそっちで生活になっちゃうからなあ」
「そんなにですか」
 そりゃあ瑠加のお母さんは困るだろう。
「五年いないと、チャオの一生を観察することができないからね。時間の積み重ねが大事なんだ。カオスチャオになったチャオもまだいない」
 チャオ研究にとって五年は短いが、子供を持つ親にとって五年は長い。
 そう瑠加のお父さんは言った。
 五年も瑠加から離れてしまうと、その間の成長を見守れなくなる。
 卒業式も出られないし、成人になる時に一緒にいることもできない。
 だからチャオの森に行くとしたら、瑠加が成人してからだろうと瑠加のお父さんは言った。「瑠加が自立したら、チャオの森に母さんと行って、第二の人生を歩むっていうのはいいかもしれないなあ」
「まあ、瑠加が独り立ちしてからなら」と瑠加のお母さんも少し乗り気だ。
 こんな調子で、車の中での一時間は、瑠加のお父さんがほとんど話していた。
 チャオは種を植えて、木の実の成る木を育てることがある。
 種を植えられるのなら、他の植物も育てられるはずだということで、花や野菜の世話を手伝わせてみるという研究をしている大学もある。
 そんな感じで、チャオの研究についての色んなことを教わる。
 まるで授業を聴いているみたいだったけれど、退屈はしなかった。
 途中横を向いて瑠加を見ると、瑠加は寝ていた。
 きっとこんな話はいつも聞かされているのだろう。
 瑠加のおじいさんとおばあさんの農園では、りんご農園みたいに木々が間隔を開けて整列していた。
 木には、木の実がたくさん成っていた。
 店で買うのと似たような姿になっている。
「今は、収穫の時期なの?」
「チャオの食べる木の実は通年で取れるよ。成るのも早いから、次から次へと取れる。取れすぎて、値段が安くなりすぎるなんてことがよくあるくらい」
 取れすぎるというのは、地面に落ちている木の実が見られることからもわかった。
 瑠加は底の浅いトートバッグに、ナガレ君とトウマを入れていた。
 チャコを入れるバッグはないので、私は抱えている。
「ここらへんは普通の安い木の実。ちょっと奥に行くと、三角の実とか四角の実とかの、ちょっと変わった味の実の木がある。で、一番奥が、ちょっと高めの実。高級品として出される木の実とか、ハートの実とか」
 やっぱりハートの実も作っているのだ。
 高価な実は、こちらにある実よりも成るペースが遅いらしい。
「一番高いのは、一個いくらくらいなの?」
「一個一万円っていうのがあるね」
「そんなに」
「ピュアゴールデンラブっていう品種で、早い話が品種改良したハートの実だね。そこまで高いやつは、大体がチャオじゃなくて人間用」
「一万円のやつはおいしいんだ?」
「人間にとっておいしい味なもんだから、チャオは逆に嫌いだったりするくらい、うまいよ」
「食べたことある、一万円?」
 そりゃあ孫だから、と瑠加は言った。
 たぶんお小遣いをくれるみたいに、おじいさんとおばあさんは食べさせてくれたのだろう。
「お、戻ってきた」
 瑠加はそう言って手を振った。
 車に降りてからどこかへ行ってしまっていた瑠加の両親が、大きな籠を背負ってこちらに向かっていた。
 さらに瑠加の祖父母らしき、おじいさんとおばあさんも一緒に来た。
「あれ、じいちゃんとばあちゃん」と瑠加は言う。
 瑠加のおじいさんとおばあさん、そして私は挨拶を交わす。
 例によって、私は瑠加の恋人と思われているように感じた。
 私だって、ただの友達の女子をこんな所に連れてくるとは思えていないのだ。
 こいつ結構私のこと好きだったりするんじゃないか。
 そう手応えを感じていた。
 瑠加のご両親は、木の実の収穫を手伝うそうなのだが、私たちは手伝わなくていいと言われる。
「じゃあ奥の方行ってていい? そっちも今日やる?」
「やるにしても午後だね」と瑠加のおばあさんは答えた。
「じゃあこっち行こう」
 瑠加に連れられて、木と木の間の通路を歩いて行く。
 真上にも実が成っていて、足下には木の実が落ちている。
 落ちている木の実を踏まないようにすると、なんだかダンスのステップを踏んでいるみたいになる。
 進んでいくうちに落ちている木の実の種類が変わった。
 上を見ると木にはたくさんの三角の実が成っていた。
「なんか綺麗。クリスマスツリーみたい」
 木の実が飾り付けみたいに見えた。
 すると瑠加は、
「実際クリスマスツリーに使っている所もあるらしいね。昔、テレビでやってた」と言った。
「わかった。ハートの実のやつが人気なんでしょ」
「その通り」
「人間って単純」と私は笑った。
 三角の実の次は四角の実。
「ああ、そうだ」と言って瑠加は私の方に振り向いた。
「ちょっとこれ持ってて」
 瑠加は私にトートバッグを渡す。
 そしてトートバッグの中からトウマだけを抱き上げて、出した。
「見てて」
 瑠加は右手にトウマを立たせると、ゆっくりと右手を挙げる。
 右手を突き上げたような形になると、トウマはそこから飛び降りるようにジャンプした。
 必死に羽ばたいて、トウマは飛ぶ。
 トウマは私の腰ほどの高さでなんとか飛んでいて、可愛い。
「飛んでる」と私はトウマを小走りで追いかけながら言った。
 丁度トウマが着地したところで、私はトウマを抱き上げた。
「飛んだね」と私は瑠加に言う。
 早足で歩いていた瑠加は私に追いつくと、
「最近飛べるようになったんだ」と言った。
「この調子ならたぶんヒーローヒコウチャオになると思う」
 ヒーローチャオに進化させるための、ヒーローの実もここの農園で穫れる。
 それをトウマに食べさせるために今日は来たのだと瑠加は言った。
「どこらへんにあるの」
「もうちょっと奥。ハートの実の少し手前」
 もりもりの実の成る木の次にダークの実の成る木のエリアがあった。
 この次がヒーローの実のエリアだ。
 ヒーローの実とダークの実、どっちが多く売れるのか、私は瑠加に聞いてみた。
「そりゃあ、ヒーローの実だよ」
「やっぱそうなんだ」
「ダークチャオになりかけたチャオをヒーローチャオにするために何個も買っちゃう人だっているからね。その逆をする人は少ないし」
 ダークチャオの飼い主は悪人である。
 そんな噂があるのだ。
 チャオは飼い主の影響を強く受ける生き物だからだ。
 だけど飼い主の性格と、ヒーローやダークへの進化は関係ない、と研究者の多くは主張している。
 テレビでもしばしば、深く考えることじゃない、とチャオの専門家が言っているのを聞く。
「まだダークチャオうんぬんって信じてる人、いるんだね」
 嘲笑うように私は言った。
 しかし瑠加はそういう態度にはならずに、
「ちょっと悪い人に見られたくてわざとダークチャオにする人もいるそうだし、そう簡単にはなくならないのかもね。俺も正直、ヒーローチャオ連れている人は優しい人なのかなと思っちゃうし」と言った。
 でもヒーローチャオを飼っているからと言って、優しいわけじゃない。
 チャコとナガレ君にハートの実を勝手に食べさせることもあるのだ。
「私って、優しい?」と聞いてみた。
「そういう感じは全然しない」
 全然かよ、と私は笑う。
 奥へ奥へと進んでいくと、とうとうハートの実が成っている木のエリアになった。
 木に成っている実の数はこれまっでの木よりも少なくて、想像していたよりも寂しい姿をしていた。
「なんか少ないね」
「ハートの実は、成るまでに結構時間がかかるんだよ。だから一度収穫すると、次のが出来るまではこんな感じ」
「あ、そうなんだ」
 天候のせいで不作とか、そういう話だと思ったのだがそうではなかったみたいだ。
 瑠加は手の届く高さにあるハートの実をもぎ取った。
「食べてみる?」
 そう差し出される意味がわからず、私は困惑した。
「ハートの実は、結構食べられる味をしてるんだ」
「そうなの?」
「そうだよ。だからハートの実を品種改良して、一万円で売ったりするんだ」
「そういえばそうか」
 私はハートの実を受け取る。
「これこのまま食べていいの?」
 どうぞ、と瑠加は頷く。
 私はハートの実をかじった。
 食感は柿みたいだ。
 味は、ぶどうジュースの甘みを薄くして、その分しょっぱくしたような感じだった。
「なんかフルーツ感ある。でもおいしいってほどでもない」
 もっと甘い方がいい。
「好き好んで食べる味じゃないよな」
 私はもう一口食べて味を再確認し、
「うん。好き好んで食べる味じゃない」と顔をしかめて頷く。
 瑠加は手を差し出した。
 そこにハートの実を返す。
「なんでこうしょっぱいんだろうな」
 返されたハートの実をかじって、瑠加は言った。
「でもこのしょっぱさで、チャオは恋をするのかもしれない。俺たちの甘いとか甘酸っぱいみたいに」
 瑠加がそう言うと、私の口の中にハートの実のしょっぱさが蘇ってくる。
 チャオの恋の味はしょっぱい。
 しょっぱいと、チャオは幸せ。
「馬鹿舌だね。チャオって」と私は言った。
「ああ」
 瑠加はハートの実を平らげてしまうつもりのようで、どんどんかじっていく。
 そして苺ほどに小さくなった最後の一欠片を口に放り込もうとするのを、私は止めた。
「食べる」と言って、私はその一欠片をもらう。
 チャコとナガレ君の幸せそうな繁殖のダンスを思い出しながら味わう。
 そんなしょっぱさのせいで、私は瑠加に告白してしまいたくなる。
 けれどその告白は、答えを聞かないで振られたことにしてしまう類いの告白だったから、するわけにはいかなかった。
 どうしてこんな味でチャオは幸せになれるんだ、と思う。
 それにハートの実を食べて告白なんて、ガキっぽくてださかった。
 そんな自分を見せたくはない。
「まずい」と私は呟いた。
 それと同時に瑠加が、俺さ、と言っていた。
 私の呟きに邪魔されて、瑠加は続きを言えなかった。
 続きをどうぞ、と彼の目を見て促す。
「相田のこと好きだよ」と瑠加は言った。
 私は、これはとってもださい、と思った。
 チャオを物凄く好きな男がハートの実を食べて告白なんて、なんのひねりもなかった。
 私以上にださい瑠加の告白のせいなのか。
 それとも告白してもらえた嬉しさなのか。
 判別の付かない涙が出そうになって、私は困った。
 変な涙を流してしまう前に一応オッケーを出しておこうと思って、
「私も好き」と私は俯いて言った。
「よかった」と瑠加は笑う。
 これでもう泣いても大丈夫。
 そう思うと、左目の方からだけ涙が出た。
 なんで片方だけなんだと心の中でつっこみを入れたら、涙はその一筋だけで止まってしまった。
 気分も、ほんのちょっとだけではあるが、落ち着いてしまう。
 私はハンカチで涙の流れた所を拭く。
「どうした」と瑠加は聞いてくる。
「ちょっと嬉しかっただけ」といい加減なことを言っておく。
 絶対にしょっぱい味がするだろうから、今日は何があってもキスをしない。
 そう決めた私は、収穫の手伝いをしてみたいと言って、来た道を引き返した。

このページについて
掲載日
2016年12月16日
ページ番号
5 / 7
この作品について
タイトル
ハートの実
作者
スマッシュ
初回掲載
2016年11月20日
最終掲載
2016年12月16日
連載期間
約27日