7<start and finish>

 10年くらい前までは、こんなチャオが1人で残っている——なんてこともなかったらしい。
 昼間の騒がしさとは比べ物にならない寂しさを持つ校内の一室。僕はチャオサイズの布団にくるまりながら、まだ薄暗い窓の外を見てもう一度寝ようと思った。
 外では楽しそうに小鳥たちがじゃれ合って、遠くへ飛んで行く。小鳥たちにとって、空は自分たちの場所だ。誰にも邪魔されない、自分たちだけの自由な場所。
 少し彼らが羨ましくなって、僕は小さくため息を付いた。僕の居場所はやっぱりここしかなくて、どこへ行ったとしても、最後にはここへ帰って来ることになっているんだ、きっと。
 なんにせよ。
 夜明けが、早く来ると良いな。


 1クラスに40匹のチャオがいる。授業科目は社会科。内容はようやく2学年らしいものになって来たばかりで。それと、おはよう、なんてあいさつが教室でかわされている。
 もちろん、僕にはあいさつなんてないけれど。
 他のチャオ——必然的に僕以外のチャオということになる——は仲間内で楽しく話したり、先週の週末は飼い主と一緒にショッピングモールまで出かけたとか、小動物と友達になったとか、こそこそと楽しげに話していた。

「さて、最近になって注目を浴びつつある『免許制度』ですが……エース君、免許制度の概要を簡潔に説明して下さい」

 先生もそれを分かっているのだろう。他のチャオに聞いても喋っていて分からないから、僕に聞く。まるで晒し者だ。その先生と来たらしたり顔で『今朝ニュースでやりましたよね』なんて言い出した。
 ——分かるさ。テレビは見ていないけれど、今日の朝刊の一面ニュースになっていたもの。

「チャオを飼う際に免許の提示を義務付けすることで、捨てチャオ問題などの対策とする制度です」

 周囲から溜め息が聞こえる。
 それでも遥かに前よりは少ない溜息の数に、僕はちょっとだけ嬉しくなった。最も、何かが変わったのかといわれれば、そういうわけでもないけれど。

「そうですね、免許制度はチャオブリーダーとして最低限の資質を問われる制度だと言って良いでしょう。また、」

 先生は空中を飛びながら(社会科の先生はヒコウタイプなのだ)ホワイトボードに『チャオの悪質な売買』と大きく書いた。

「チャオの悪質な売買や、チャオの虐待などの問題もまた、表ざたになることが多いのですね、それではもう一度、エース君」

 また僕だ。周りのチャオは授業中に答えたがらないことが多い。やっぱり先生もそれを分かっているから、僕に聞くんだ。他のチャオのくすくすとした笑い声が聞こえた。
 以前よりも確実に、段々と、チャオの性格は人に似てきているという。ペットは飼い主に似る、というヤツだろう。でも、気持ちは分からないでもないし、結局のところ性格なんてものは周りから影響されるものなのだ。

「免許制度は、何に基づいているか、また、免許制度を取得する条件は何なのか、答えられますか?」
「チャオ国際法に基づき、戸籍情報を明確にした上で『一般的なチャオ飼育に関する知能試験』を設ける——それが条件です」


 僕は飼い主を知らない。もしかしたら僕は国の繁殖場で生まれたチャオかもしれない。でも、タマゴのまま捨てられて、タマゴのまま学校に保護されて、そうして生まれた事は確かだ。
 水色ハーフ。人にとっては珍しくてすごいものみたいだけれど、チャオの中ではただ単にうとまれるだけ。最近では街中チャオで溢れかえっているせいで、僕みたいな捨てチャオは見向きもされない。
 けれども、チャオは元来非常に高価だ。
 だからチャオの悪質な売買が問題になる。貴重なチャオを比較的安値で手に入れよう、という風潮があるのは確かである。 
 ふと目の前が真っ白になった。なんだ、と思うもつかの間、

「だーれだ?」

 ほんわりとした声に、僕の心が跳ねる。僕の友達はいかにも楽しそうにきゃははと笑いながら、僕の目をその小さな手で隠していた。
 ——リファイサ。愛称をリース。ヒーローオヨギタイプのピュアチャオ。1学年年上の可愛らしい子だけれど、実はとてもスキルが高い上に性格もまじめで厳しい。可愛らしい飼い主の人に育てられていたから、たぶん飼い主に似たんだろうなあ。
 その子は僕の手をぎゅっと握って、横から顔をひょいっと覗かせる。僕のポヨはハートマークになっていないだろうか。大丈夫だと思いたい。

「リースでした」
「うん、言わなくてもちゃんと分かってたよ」

 気が付くとその子が目の前に迫っていた。二、三歩後ずさって、僕はぎゅっと握られたままの手を離す。
 どうやら彼女は視力が生まれつき悪いらしく、近くないと僕の表情がうまく見えないみたい。だからって近すぎるのは、ちょっと僕の心臓(ないと思うけれど)に悪いと思うんだ。
 チャオにはもちろん視力や聴力などの機能がある。——と、されている。耳や瞳などの細かな分類は不明だが、先天性のもので五感障害を患うチャオも少なくはないようだ。
 生き物を飼うということをちゃんとわかっていない人たちは、そういう障害のあるチャオを捨てて、また新しくチャオを買う。それがたまらなく増えているのだ。免許制度が注目される時代というのは、同時に残酷な世情を表す。

「あの、どうしたの? 僕の顔、変?」

 変なのはいつものことか、とっさにそう思って、自己嫌悪。ここで変って言われたら立ち直れないだろう。
 彼女はふふ、と優しく微笑んで、僕の口に手を当てた。内緒という意味だろうか。それは自分の口に当てるんだよ、ということは分かっていたけれど、しばらくこのままでいたくて僕はあえて間違いを指摘せずに置いた。


 図書室のドアの前で、僕は立ち止まる。しばらく図書室には寄っていない。最近では昼休みなどの空いた時間はリースさんと話したりしていたから。
 もう寄る必要もないかな、と最近思い始めていた。図書室の本はほとんど読み終えてしまったし、何より本よりも大切なものが僕にはたくさんあるから。
 すると僕を見て、そそくさと通り過ぎていくチャオたちが数匹。チカラタイプの、ニュートラルチカラタイプの子に僕が勝ったというのは、いまや学校中で有名な話になっていた。
 単純な恐怖。今までのことを仕返しされるんじゃないかという恐怖が、彼らの中にはあるのだろう。得体の知れないものに対する恐怖。
 僕が捨てチャオだから?
 僕がハーフチャオだから?
 でもきっと、それも含めて僕なんだと思う。
 彼らの足音がすぎて、途端に辺りが寂しくなる。僕のポヨは変化していない。こういうポヨの自制も、オトナになれば自由自在に出来るようになるのだろうか。少し気になった。
 やっぱりきっと、僕はオトナにはなれないのかもしれない。だって、ポヨを自制できるときと出来ないときがあるんだもの。
 人とチャオは違うから、チャオは必ずしもオトナにならなくて良いのだけれど、僕としてはコドモのままでいることに、なんだか少なからずジレンマを感じてしまう。
 どうしてだろう。オトナになりたいなんて、今まで思ってもみなかったのに。リースさんだったり、レイだったり、お母さんだったり。そういう優しい人たちが、僕を変えたのだと思う。
 優しい人たちに囲まれて、優しい人たちの中にいて、僕も優しくなれたんだ。
 
 廊下をまったりと歩いているうちに、昼休みの終わりが近づいて来る。もうじき、チャオ界隈は夏休みだ。チャオの学校は義務教育といえど人のそれと比べて緩めで、春休みは4月から5月のゴールデンウィークまで。夏休みは7月から8月31日までなのだ。
 本当のところ、そこまで税金を割くことは出来ない、というのが主な理由だろう。結局、社会は人によって成り立っているのだから、チャオよりも人を重視するのは当たり前だ。
 ただ、チャオの知能実験でもあるこの義務教育というシステムが一応の成功を収めたとき、社会は少しだけ変わるかもしれない。
 今のところ、チャオは守られるだけの存在でしかない。法によって。世論によって。けれどチャオが本当の意味で自立出来たとき、チャオは社会の中で生きていくことが出来るのだろう。
 いつになるかは分からないし、そもそもそんな夢物語が実現するとは思わないけれど。

 なんとなく。
 本当になんとなく、僕は昼休みも終わりに近いというのに、屋上へ行ってみた。なかば無意識の行動。そこには、オレンジ色の肌をしたチカラタイプのチャオが座っていた。
 あの一件以来、彼はすっかり大人しくなった。僕を恐怖するクラスメイトとは違って、考え事をしているようでもあったし、かと言って生活態度が改まったかというと、そうでもない。
 ただ、そう。
 僕に対してしたような——暴力の被害者はもう存在しないということだ。

 無言で彼の隣に座る。ちらっとこちらを見て来た彼だが、すぐに目を逸らされた。
 無愛想だなあ、と呟く。舌打ちが聞こえた。仲がいいわけじゃないから、親しく話すことなんて、最初から出来るはずないんだ。
 けれど、僕たちはいがみ合っていた頃とは違う。
 僕が見下していたチャオはどこにもいないし、彼だって、彼にとってのいじめられていたエースはどこにもいないのだ。

「何か用かよ」
「別に、何も用はないけれど」

 そうだ。特に用なんてない。ただ気分がそっちに向いただけ。
 座ろうと思ったから座った。答えようと思ったから答えた。何もおかしいことなんてない。

「お前、……いや。あの子は元気か?」
「リースさんのこと?」

 こくりと頷いた彼の表情にはかげりがあった。きっと彼にも何か事情はあるのだと思う。だからチカラで強行したし、いろんなチャオを引き連れて大将を気取っていたんだ。
 少しいやみな言い方になってしまうのは許して欲しい。僕だって今までされたことの仕返しをしたくないと言えば、うそになる。けれどそれをしてしまったら、僕は彼と同じになってしまうから。
 昔の彼と。

「うん、元気だよ。元気すぎるくらい」
「なら、いい」

 後悔、しているのだろうか。
 僕に負けたことによって、彼は『強いチャオ』ではなくなった。捨てチャオでハーフチャオのいじめられっ子、エースに負けた『弱いチャオ』のレッテルを張られたのだ。
 それから彼は独りになった。自業自得だと思うし、助ける義理なんてない。でも、気持ちは分からなくない。彼はみんなの中にいながら、独りだった。求められていたのは、彼の強さだけ。
 強い人に従わなくちゃ、自分がいじめられる。その恐怖に耐えられないから。だから強さにすがる。悪いことじゃない。みんなやっていることだ。
 僕は納得できないというだけで。

「俺はお前が羨ましいよ」

 唐突に切り出した彼の表情には、感情がなかった。そんなあいまいな表現になってしまうくらい、なんとも表現しづらい表情だったんだ。

「俺はお前みたいになれない」
「僕だって、君にはなれない」

 冷たい視線を向けられる。皮肉でも嫌味でもなくて、本音なのだけれど。
 別の誰かになろうとする方がおかしいと思う。
 僕はチカラじゃ彼には敵わないし、捨てチャオであることに変わりはない。だけれど、僕はこうして生きている。決して楽なことばかりじゃない。それでも。

「僕も、君が羨ましかったよ」

 僕と彼は、きっと同じなんだ。まったく違うものだとも言える。そういうもんでしょ?
 驚きの表情を見せた彼にふっと笑って見せた。
 色々言いたいことはあったけれど、僕の心の中には何もなかった。空が綺麗だなあとか、頭の隅で考えているだけで、優しい気持ちになれる。
 僕がいじめられていた原因が、僕にもあるように。
 僕がここまで来れたのは、彼のお陰でもある。

「友達になろう」

 唐突に言ったのは、僕だ。

「は、今更何を」
「良い友達になれると思うんだ」

 葛藤があったのだと思う。
 プライド。周りからの視線。そういうのも確かに大事だけれど、時として僕たちは忘れてしまう。そんなものよりも大切なものがあるはずだということを。僕はそれを手に入れることが出来た。
 理由のない人なんていない。チャオなんていない。
 だから、今度は僕から手を差し伸べてみようと思う。
 レイが僕にやってくれたように。
 リースさんが僕にやってくれたように。
 お母さんが、マトさんが、店長が、校長先生が、僕にしてくれたみたいに。
 僕は、優しいチャオになりたい。

「辛い事も、楽しい事も、一緒にやろう。僕たちみんなで、頑張って行こう。友達って、そういうものだと思うんだ」
「……生意気になったな、お前」

 鼻を鳴らして、彼は立ち上がった。
 去り際に彼の放った言葉を、僕は一生かかっても忘れられないだろう。
 うまく笑えているだろうか。
 笑えていないはずがない、と思った。

「エースー!」

 声が聞こえた。屋上まで届くほどの大きな声が。誰だろう。分かっているのに、僕は笑いながら思った。
 門からずかずかと入って来る人影に、僕は笑みを濃くする。

「お前の出番だ! 五木原をデートに誘いに行くぞ!!」

 これが僕の役回りなのか。
 苦笑いになっていないだろうか。なっているはずだ。なっているに違いない。
 約束だからね、仕方ないよ。
 金色の羽を広げて、僕は飛び立つ。たった1人の相棒の元に、走る。
 必要なときは呼んで。
 心の中だけでもいいから。
 僕は飛べることが出来るから。
 出来るだけ早く駆けつけるから。
 友達になろう。
 いや。
 そう思った時点で、もう既に友達なんだ。

「勝算はあるの、レイ?」
「全てはお前にかかってる! 頼んだ!」

 俯いて歩いていたあの日は、もう無い。
 だから、僕は笑顔で歩こうと思う。

 そうして、いつか帰って来る場所に、言うのだ。

「行って来ます」

 と。


 この物語は、僕のための、僕だけの、僕にしか出来ない——

このページについて
掲載日
2010年2月2日
ページ番号
8 / 9
この作品について
タイトル
Half and Half
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2010年1月29日
最終掲載
2010年2月2日
連載期間
約5日