3<try and result>

「い、いらっしゃいませー」

 土曜日。昼間。ファミリーレストラン。
 レイが働いているところで、僕はウェイトレスの格好をしていた。フリフリが付いた紺色と白色で彩られたドレス。どうしてウェイトレスなんだろう——おまけによくチャオサイズの服装があったな、と思っていたら、僕以外にも働いているチャオがいるらしい。
 ファミレスの取締役——とでも言うのだろうか——みんなから店長と呼ばれ親しまれる女の人が、レジからニコニコとこちらを見ている。

「わー、チャオだー」

 お店に入って来た小さな女の子が真っ先に僕のところに来て頭を撫で出す。ついうっかりポヨがハートマークになるけれど、厨房から顔を覗かせたレイがにやにやしているのを見て、すぐに丸い状態に戻した。

「いらっしゃいませ。4名様でよろしいでしょうか?」

 僕に出来る最大限の笑みで家族を迎える。店長が言うには、笑顔も仕事のうちらしい。だからってウェイトレスの服装は無いでしょう。僕、たぶん人で言ったら男ですよ。
 家族を空いている席まで案内して、御注文お決まりになりましたらお呼び下さい、なんて言って。すごく緊張する。でも、頑張らなきゃ。せっかくレイがおぜん立てしてくれたのに、それを無駄にする訳にはいかない。

「飲み込み早いねえ、エースちゃん」
「ま、俺が仕込んでやってっからな」

 という自信満々な言葉と共に出て来たのは、このファミレスで働いている先輩——黒いダークノーマルタイプのマトさんだ。彼はちゃんとしたウェイターの正装である。
 長年勤めていると自慢げに話していた彼は、開業の頃から店長と一緒にお店を支えているらしい。厨房で働くレイも俺が仕込んだ、と言っていた。レイは否定していたけれど。
 ハーフチャオの僕を見ても嫌な顔一つせず、ちゃんと仕事を教えてくれるマトさんは良い人なのだと思う。チャオというチャオが全員ハーフチャオを嫌っている訳じゃないんだ。なんだか不思議な感じだった。今までハーフチャオは嫌われるのが当たり前だと思っていたから。

「元々優秀なんでしょ。カレ、頭よさそうだし」
「俺の教え方がうまいんだっての」

 店内スピーカーから鉄琴を叩いたような綺麗な音が流れる。お店の上にある電子文字盤が、32番テーブルからの注文を報せていた。
 さっきのテーブルに駆け寄って、お客さんの目線の高さまで飛ぶ。注文電卓を手に持って、僕はにっこりと作り笑顔を見せた。

「ご注文はお決まりでしょうか」


「ふう」

 休憩時間。朝から夕方までの実働8時間に、休憩が30分。時給は850円。チャオのアルバイターの最低賃金は国によって保障されているから、それよりも若干多めの金額だ。
 緊張で息が詰まる。なんとかやっていけそうだと思った。周りの人もチャオもみんな優しいし、仕事も今はそれほど難しいと思わない。さっき注文の番号を間違えてしまったけれど……。
 最も、伝票には合計金額しか入力されないから、注文の番号をミスしたくらいじゃあ、あまり業務には響かない。食材が無駄になるくらいだろう。自己嫌悪はするけれど、いちいち悩んでいても仕方がない。

「初勤務はどうだい、エース君」

 その言葉に僕は微笑みと溜息で答える。無言で休憩室の席を詰めると、レイは僕の隣に座った。休憩室は狭い。テーブルがひとつと、ベンチみたいな椅子が両脇に置いてある貧相な場所だ。でも、僕はなんだかこの空間が好きになりかけていた。
 ここは学校のように広くは無いけれど、人がいて、チャオもいて、僕は彼らと話す事が出来る。そんな当たり前のことが、これほど嬉しいなんて、知らなかった。
 どうやって友達になるかも知らない僕が。
 こうして、他の人の、チャオの、輪に入れるというのは。

「ま、失敗は誰にでもある。気にするなよ、あんま」
「そうかな」
「失敗したっていいんだって。謝ればそれで終わりだ」
「本当にそうなのかな」

 そうだよ、とお弁当箱を広げるレイ。お母さん特製のお弁当には、見るからにたくさんの愛情が詰まっていた。最も、それは僕も同じなんだ。
 リュックから木の実と小さなお弁当箱を出す。念入りに断っておいたのに、お母さんが僕のために作っておいてくれた。両親も飼い主もいない僕にとって、初めての、『お弁当』だった。
 そこに込められたものは何なのだろうか。愛情? それとも同情? そうだ、この『お弁当』は単なる『お弁当』じゃない。僕のためだけにつくられた、僕だけの『お弁当』だ。
 胸のあたりが温かくなる。ポヨが変化していないかとても気になる。いったい誰が僕を思ってくれただろうか。いったい誰が僕のために、僕のためだけを思ってくれただろうか。お母さん。もし僕に飼い主がいたとしたら、こんな感じなのかな。
 レイはがつがつとご飯を喉の奥に流し込みながら、うまいなこれ、と独り言をもらしつつ、黙ってお弁当箱を見る僕に何も言って来なかった。彼なりの気遣いか。彼は時々、何を考えているのか分からないような表情をする。本当に何も考えていないのか、何か考えてそれを隠しているのか。
 僕には分からないけれど。それでも彼が、彼なりに僕を思いやってくれてることくらいはいくら僕でもちゃんと分かっていた。

 ゆっくりと味わって食べ終え数分。僕はマトさんに教わった仕事を反すうしながら、休憩時間の終わりに近づくにつれて戻ってくる緊張をなんとかごまかしていた。
 今朝はあんな感じにふざけていたマトさんだが——仕事はしっかりしている。むしろ開業時からいるだけあって、本人たちは冗談めかしていたけれど、教え方は実際、上手だと思う。

「休んでなくて大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」

 緊張はほどけない。けれど休んで立ち止まっていたら、お世話になっている人に対して、何よりおいしいお弁当を作ってくれたお母さんに対して失礼と言うものだ。
 がんばって、恩返しをしなきゃいけない。
 別に誰に言われたことでもない。だけど絶対にしなきゃいけないって、僕は思う。捨てチャオだってことを黙っている後ろめたさも確かにある。でも、それだけじゃない。良い人たちに恩返しをしたいっていう気持ちに、チャオも人も、捨てチャオだって関係ないはずだ。
 レジの前にお客さんが並んでいた。いけない、急がなきゃ。僕は他に従業員がいないことを探して、少し不安だったけれど、急いでレジに駆け寄った。

「お待たせいたしました、それではお会計の方、598円になります」

 すばやくレシートに注文伝票に目を通して、読み上げる。レジの入力はチャオでも簡単に出来るから、たぶん、これで問題ないはずだ。
 お客さんはちょっとだけ戸惑ったように見えたが、すぐに財布の中から100円玉を6つ取り出して、カードをすっと置いた。

「ポイントカードお預かりいたします」

 レジ脇にあるカードリーダーに会員制のポイントカードを通してから、僕はそれとレシートと1円玉を2枚、一緒にまとめて渡す。
 大丈夫だ。出来る。
 もっと、ずっと頑張らないと。
 僕に優しくしてくれた人たちのためにも。
 もっと。

「ありがとうございました。またお越しください」


「お疲れ様。初日はどうだった? 大変だろうけど、がんばってね」
「はい。ありがとうございます」

 1日目が終わった。飛んだり着地したり、走ったり持ち運んだりしたせいで、体中が倦怠感に支配されているみたいだった。
 はたらくって大変なんだなあ、と思いつつも、頭の隅では意外と出来るもんなんだと考えている自分にあきれる。たまたま上手く行っただけかもしれないのに。そう思おうとしても、不安なんて出てこなくて、嬉しさが溢れて来る。
 ずっとこうして頑張り続けてさえいれば、いつかは。あの子の姿が浮かぶ。無事かどうか、気にならないと言えば嘘になるだろう。だけどどうしようもなかった。僕はみんなとは違う道を行くんだ。

「明日もよろしくおねがいします」
「おーう。気いつけて帰れよー」
「じゃ、また明日」

 最後の言葉はレイのものだ。お店を後にした僕たちは、外の生ぬるい空気を思いっきり吸い込んで、はきだした。
 ぐー、と、どちらともなくお腹の虫が鳴る。おまえだろ、という視線を投げかけられて、投げ返す。チャオは腹の虫なんて鳴るのかな……お腹は確かに減っているけれど。
 仕事が出来た。その事実が僕を何倍、何10倍にも膨れ上がらせる。きっと今の僕に出来ない事なんてなかった。そう思えるほどに。

 家に着くまでの会話はいつもよりちょっと静かで、それでも2人して笑えることが出来たんだ。
 だから大丈夫だと思った。
 もう僕はずっとがんばっていけると思った。
 独り、たまらなく辛く、寂しいあの部屋。1人でご飯を食べて、1人で勉強して、1人で寝て、1人で帰る。1人が当たり前だったけれど。今の僕は1人じゃない。僕を助けてくれる人たちがいるから。
 今日から、今、この時から——たぶん、昨日からそうだったのだろうけれど——ようやく僕は、ここを自分の家だと言えるのだ。厚かましいかもしれない。でも、お母さんは優しいから許してくれるだろう。
 許してくれるなら、僕は甘えてしまってもいいのだろうか。
 1人じゃないと、安心してしまっても、良いのだろうか。


 『もしかしたら、義務教育を受けていないせいで学校から呼び出されるんじゃないか』という不安はあったけれど、意外にも運が良かったのか、僕は1週間とちょっとを何事もなく過ごした。
 週払いのお給料を手渡しで受け取って、歓喜したのが昨日。お世話になっている恩として、お母さんにお金を渡そうと思ったのが昨夜。拒否されたのがそのあとすぐだ。
 ところでレイは学生である。朝から夕方までは平日を、学業に励まなければならない。お母さんはお仕事で、僕はだいたいがバイトだけれど、この日、僕はお休みだった。

『初めての給料なんだから、好きに遊んで来い』

 というのはマトさんの言葉。もともとそんなつもりはなかった。稼いだお金は貯金にあてて自立するつもりだったし(元々レイの父親が帰って来るまでの1か月間だけかくまう、という約束だ)その他のお金はお母さんにいつもお弁当を作ってくれたりする世話賃として渡すつもりだったのだから。
 それにしても、最近飛んだり走ったり、重たいものを持ったりしているせいか、だいぶこなれて来た感じはある。もしかするとスキルが上がってたりするかもしれない。
 そうでなくとも、僕は1月に生まれたばかりでスキルが低いのだから、このあたりでスキルを上げる必要はあるだろう。
 チャオのスキルを上げる方法は3つある。1つはトレーニングだ。人と一緒で、チャオも極わずかだがトレーニングでスキルが上がる。それからカオスドライヴ。安値で売られている栄養剤のようなものだ。最後の1つに小動物がある。
 まんべんなくスキルを上げるなら、やっぱり小動物の——フェニックスの類を買うべきなのだろう。だけど残念なことにフェニックスは高価だ。今の所持金で買えない事はないけれど、そんなに多く買う事はできない。

 そもそも、小動物だって一応、生き物だ。買うとかそういうのは、倫理的にどうなのだろうか。と、今さらな事を考えてみる。
 チャオにキャプチャーされてしまえば、小動物は消えてしまう。触れるだけで。跡形もなく。いくら国が管理して小動物を繁殖させているとしても、それに罪悪を感じられずにはいられない。
 だけど、生きるためには仕方のない事なのかなとも思う。
 それに何より、フェニックスの羽はとても綺麗だ。
 そうと決まれば。僕は家の鍵を首から提げて(お母さんが出かける時の為に紐を付けておいてくれたのだ)さっそく買いに行くことにした。

「わあ……」

 ショッピングモールは一昨年出来て間もない場所らしい。そのころには生まれていないし、なにより学校の外に出た事のない僕にとって、こういった物が雑多にある場所、というのは生まれて初めてだ。
 お母さんの話だとか、地域限定の新聞にだとか、学校の先生の話だとかによく出て来たから、きっちり憶えている。『小動物やカオスドライヴの専門店』があること。
 どこだろう。あたりを見回す。男の人と女の人が手を繋いで歩いていた。その横でチャオと人が楽しそうに談笑している。ショッピングモールの入り口にはアーチのようなものがあって、そこから人が出たり、入って行ったりしていた。
 もちろん、少数だけれどチャオだけの子もいる。それでもチャオは人に連れられて行っている方が断然、多い。
 賑やかな場所だなあ、と思うと同時に、なんだか不安になって来た。僕1人で小動物やカオスドライヴの専門店を見つける事が出来るのだろうか?
 悩む。思い悩む。どうしよう。どうやって探せばいいんだろう。学校では教えてくれなかった。本にも『お店の探し方』なんて書いてなかった。こういうときは案内板みたいなものがあってもいいものだけれど。

 とりあえずささっとモールの中に入る。とは言え仕切りなんてなく、アーチがどしんと構えているだけ。その線を踏み越えて、僕は周りを見回しながらゆっくりと歩いて行った。傍から見ればとても挙動不審だろうと思う。
 それにしても、なんだか注目を浴びているような気がする。気のせい、かな。捨てチャオだって分かるわけない。他にも1人でいるチャオはいる。
 ハーフチャオ、だからだろうか。その可能性はある。チャオのタマゴはとても高価だ。ハーフチャオとなると、必然的に『2世代目』となる。チャオの養育費自体はそれほどかからないけれど、タマゴから生まれた直後に色々な検査を受けなければならない。その検査費が高いのだ。
 だから、余裕のある家庭でしか2匹もチャオを飼う事は出来ない。
 『なら、捨てチャオはタダだから人気なんじゃないの?』という疑問は僕の中にもある。でも、チャオは話せるし、他の動物と違って知能があるんだ。それに、誰だって他の人のものだったものを欲しいとは、あまり思わないだろう。
 もちろん、ほかの人のものだけを欲しがる人も中にはいるかもしれないけれど。
 右を向いた。わずか離れたその先に、『ChaosDriver』とまだ日中だというのにネオンサインで輝かせた看板が目に付く。
 たぶん、そこだ。僕は周りから感じる奇異の視線を気にしながら、そおっとお店の中に入った。店員さんは1人だけ、いや、この場合1匹だけと言うべきか。
 僕はシャークマウスの彼(?)にさり気なく近寄って、どう声をかければいいかしばらく悩んだ。お店の雰囲気はそこそこ綺麗で、雑多に並ぶチャオのカオスドライヴと小動物の檻とは別に、おもちゃが数十個あった。
 お客さんはいない。平日の昼間だからというよりは、このお店の規模があまり大きくないせいだろう。
 そんなふうに考えたことをしたせいではないのだろうけれど、僕の目の前にいつの間にか店員さんがいた。

「何か欲しいものでも?」
「あ、えっと……小動物のフェニックスが」

 ああ、と店員さんは頷いた。シャークマウスの割には妙に低いテンション——というのは僕の偏見だろうか。
 店内を見回して、どうやらフェニックスはいないということに気づいた僕は気まずさを感じて店を後にしようと踵を返す。

「予約しておくかい?」


 生体認識、なんてものがあるらしい。
 それを使って認識させておけば、小動物はほかのチャオにキャプチャーされることなく、僕の住所まで届くとか。始めは半信半疑だったけれど、あまりに店員さんがお勧めするのでつい流されて。
 バーコードリーダーのようなものに通されて、お金を払って、僕はショッピングモールに戻って来た。
 詐欺じゃないと良いけれど。お店の規模的に信用できたものじゃない。でも、貴重な小動物がキャプチャーできると思うと楽しみだった。
 学校だったら、カオスドライヴをちょっとキャプチャーさせてもらえるくらいだもの。
 ——それにしても、お腹減ったなあ。
 お金はちょっと余ったから、どうしよう、お母さんに何か恩返しがしたい。
 何か買っていこうかな、と思った、そのときだった。

 チャオの集団が、じろりとした目つきで僕を見る。
 最初は気のせいかと思ったけれど、それは間違いなく僕を見ていた。
 不安、恐怖、焦り。そういったものが僕の体を駆け巡って、暴れ狂う。
 逃げなきゃ。
 逃げなきゃダメだ。
 そう思っているのに、足は動かなくて、地面に張り付いているようで、僕はその場で立ち止まっていた。

『なんでお前みたいなやつが』

 チャオの集団は顔を寄せ合い、ひそひそと重たげに話している。
 僕を見ながら。
 僕を指差しながら。

『ここにいるんだよ』

 僕が何をしたって言うんだ。
 一体僕がどんな悪いことをして、何を気に障ることをしたのか。
 どうして。
 お願いだから、やめて。
 僕は、せっかく、ちゃんと生きていけるって、思ったのに。
 逃げなきゃ。
 ここにいたって、僕が傷つくだけで、誰も助けてなんかくれないんだ。

 はっとする。

 チャオの集団はいなかった。いなくなっていた。幻覚か、と考えたけれど、それにしてはいやに現実的な映像で。
 体中に疲労感があふれる。重たい。
 ……帰らなきゃ。
 戸惑う中で、僕はただそれだけを思い、走った。さえぎる物は何もなかった。ただひたすら、僕は脇目も振らず、駆ける。駆け出す。駆け抜ける。
 逃げるために。
 いやなことから、逃げるために。

このページについて
掲載日
2010年2月2日
ページ番号
4 / 9
この作品について
タイトル
Half and Half
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2010年1月29日
最終掲載
2010年2月2日
連載期間
約5日