5 この島を出たいとは思わない
卵が来てから一ヶ月が経って、チャオは生まれた。
生まれたチャオはフツウと同じピュアチャオだった。
でも名前はアサが決めたとおりにエメラルドになった。
ある日、ちょっとした事件が起きた。
カオスチャオたちが焦った様子で騒いでいるので何事かと海辺に行くと、エメラルドが海を漂っていた。
自分が生まれた卵の殻の中に入って、ぷかぷかと浮かんでいた。
海は入ってはいけないルールだった。
波の強い日は流されてしまうかもしれず、危険だからだ。
俺が来るとカオスチャオたちはすがるような目で俺を見てきた。
「大丈夫。大したことない」
と俺は言った。
実際にそうだった。
今日は波がほとんどない穏やかな海で、エメラルドも島のすぐ近くを漂っていて、ほとんど流されていなかった。
俺はちょっと泳いで、卵の殻に触れる。
卵の殻の中からエメラルドは顔だけ出して、海もしくは海の向こうにあるものをじっと見ていた。
俺は卵の殻をビート板のように持って押して島に戻った。
カオスチャオたちは救助されたエメラルドに群がった。
チャオたちもエメラルドの親のつもりでいるのだ。
二人と十匹も親がいるのだからエメラルドは大変だ。
怒られたり泣きつかれたりしている。
俺は卵の殻を持ってチャオたちから離れた。
卵の殻の中に入って海を漂っていた、さっきのエメラルドの姿にショックを受けていた。
島の遊水池である溜め池に俺は卵の殻を置いた。
殻は浮く。
チャオが入っていても浮かんでいたのだ。中になにも入っていなければ当然そうなる。
俺は空っぽの殻を見つめて空想をした。
一匹や二匹なら卵の殻に乗ってこの島から出られるのではないか。
エメラルドが転生すれば、また卵が出来る。
やがてチャオはみんなこの島から出られる。
そうしたら俺たちはどうしよう。
木を倒して、船を作れるだろうか。
実が取れなくなってしまうがどうせ島から出るのだし、食糧については死なない俺たちには関係ない。
と考えて気がついた。
そもそも俺たちは死なないのだから、船も殻もいらないのだ。
ただ波に流されて、どこかにたどり着くのを待てばいい。
それまで苦しい思いをするのだろうけれど、なにがなんでもこの島から出たいのであれば、俺たちはただ海に飛び込むだけでよかった。
俺はアサと一緒にどこかの国に流れ着いて、そこで不老不死のことを隠して普通の人のように生きていくことを想像する。
でも今はもうエメラルドがいるから、エメラルド一匹を残して島を出ていくわけにはいかない。
それなら俺とアサだけが島から出ればいいのではないか。
人がいなくてもチャオは育つ。
俺たちがいなくなっても、エメラルドには十匹も親がいるのだ。
算段はついた。
後はアサに話して実行するだけだ。
だけどそれは無理だ。
アサがそれを望んでいないことはよくわかっていた。
もしかしたら俺だって、想像するのを楽しんでいるだけで、本当に脱出したいとは思っていないのかもしれない。
「なんの遊び?」
浮かべた卵の殻を見ている俺に、アサが近寄ってきた。
「遊びじゃなくて考え事」
「ふうん。どんな?」
「この島はもう俺たちにとってすがりたい過去なんだな」
「え?」
「たとえばこの島から出ようと決意して、木を切り倒して船を作って、それでみんなでこの島から出るとするだろ。でもしばらく経ったら、俺たちはこの島の日々に戻りたくなってしまうんだろうなって考えてた。今の俺たちがたまに、この島に送られる前に戻れたらいいなって思うみたいに」
「過去は美化されるってこと?」
「そうじゃない。俺たちはこれまでの日々に囚われてしまうんだよ。研究所にいた日々、この島にいた日々。その日々が俺たち自身の象徴みたく感じてしまう」
わかるような、わからないような。
そうアサは言った。
「でも、確かに船を作ってまでこの島を出たいとは思わないよね」
やっぱりそうだよな。
アサにも脱出の意思はないことがわかって、俺は安心していた。