6 これが人類の終わりってことですか

 珍しく雪が降った。
 温暖な気候のこの島で雪が降るのは数年に一度あるかないかだ。
 降っても積もらない。
 塔の影などに薄く数日残るだけで、ほとんどはその日のうちに溶けてしまう。
 だから雪が降っている様を見るのが俺たちの雪遊びだった。
 カオスチャオもアサも俺も興奮していたが、エメラルドだけはきょとんとしていた。
 赤いダウンジャケットを着たアサはそんなエメラルドを上下左右に揺すって、
「雪だぜえええ」
 と興奮を伝えている。
 しかしエメラルドは目を回すだけで、なんにも伝わっていない様子だった。
 振りが激しくなって、アサは自分の頭まで揺らしている。
「やめなさい」
 と俺は制止した。俺は青いダウンジャケットを着ている。
 エメラルドはくらくらしているが、どこか楽しげだった。
 不機嫌にならなくて安心する。
 あまりにも意地悪ばかりしていると転生できなくなってしまうから、俺は恐ろしくてアサのように乱暴なことはできない。
 ちゃんとエメラルドを抱っこしてアサは、
「雪なんていつぶりだろう」
 と言った。
 何年だ、と俺は頭の中で数える。
「七年くらい、か?」
「そっか、そんなに前なんだ」
「次見られるのは、転生した後かもな」
 と俺はエメラルドの頭をぽんと叩いた。
 俺はこの島において雪が貴重であることを教えたかった。
 それを知っているカオスチャオたちは仰向けになって、落ちる雪を凝視している。
「私たちもあんなふうに雪見てたね」
 とアサは言った。
「じゃあ俺たちはデラさんだ」
「デラーックス!」
 アサが突然大声を出して、エメラルドがびくっと驚く。

 デラさんというのは、俺とアサを不老不死にした研究所にいた女の人だ。
 俺たちの世話係で親代わりとして、もしかしたらチャオの飼い主のように接してくれた人だった。
 一度大雪が降ったことがあった。
 俺たちにとっては他人事だったけれど、例年の数倍の雪が降ったせいでけっこうな被害が出たらしい。
 不老不死にされた時、俺たちは二十歳だった。
 それから十年は研究所で暮らしていた。
 大雪が降ったのは八年目のことだった。
 研究所からほとんど出られなかった俺たちは刺激に飢えていて、ちょっとしたことで子どものように興奮するようになっていた。
「デラさん、今日は雪ってマジ?」
 雪の話は研究員から聞いたことだった。
「マジよマジ。マジでデラックス降ってる。なんかもう世界が終わるって感じ」
「えっ、世界終わるの」
 ゲームをしていたアサが顔を上げた。
「違う。雪の話」
「あんなに降ってるの見ると、人類が絶滅しそうに思わない? 私だけなのかなあ」
「いや、俺たち見てないですから、その雪を」
「見たい。雪見たい」
 アサはゲーム機を滑らせて、俺とデラさんの方にハイハイで寄ってくる。
「え。脱走とかされると私クビになるから嫌だ」
「しないから大丈夫です」
 と俺は言う。
「クビになったら別の仕事すれば大丈夫ですよ」
 とアサは言った。
「わかったアサはお留守番な」
「嘘ですごめんなさい。連れてって」
 デラさんは、研究所の敷地から出ないように、そしてデラさんの視界から出ないようにときつく俺たちに言いつけた上で、俺たちを研究所の外に出してくれた。
 本来、実験体を勝手に建物から出した時点で、発覚すればデラさんは解雇されるはずだ。
 それなのにデラさんはとても軽いノリで俺たちを外に出してくれた。
 ダウンジャケットを二つ、青色の物と赤色の物を用意してくれて、俺は青をアサは赤を着た。
 俺たちに親身になってくれていた研究者を見つけてデラさんは声をかける。
「こいつらちょっと外に出すから、ばれないようによろしく」
「いきなりなに言ってるんですか。三十分で戻ってきてください。検査の予定あるんでそれ以上は無理です」
「ありがとうな。超デラックスだよ」
 とデラさんは言った。
 俺たちも手を振って、ありがとうと言う。
「ちゃんと雪を払って証拠隠滅してくださいね」
 と彼は手を振り返してくれた。
 こういう出来事を思い出すと、実験体として過ごした日々もそんなに悪くなかったように思えてくる。
 親切に接してくれる人がけっこういたのだ。あそこには。
 外に出ると、全身を叩くように凄まじい量の雪が降っていた。
 俺たちは積もった雪の上に寝転がった。
 俺たちが走り回ると、脱走しないかと見張らなくてはならなくて、デラさんに迷惑がかかると思った。
 だから感謝の気持ちも込めて、大人しく雪を楽しむことにしたのだった。
 仰向けになって寝ると、雪は白い海流だった。
 水に色をつけて、海の中の水の流れを見えるようにしたら、こんなふうなんじゃないか。
 そう思わせるふうに、雪は大体同じ方向を目指して降りながら、しかし中には流れと少し違った動きをする雪の粒があった。
 その異質な動きは小魚が生み出した流れだ。
 よく目立って、つい目でその動きを追ってしまう。
 俺たちの体に段々と雪が積もってくる。
 やがて埋もれてしまうのではないか、と先に気づいたのはアサだった。
 俺は降っている最中の雪を海流にたとえて眺めるのに夢中だったので、降った後の雪を全く意識していなかった。
「このまま雪が積もったら出られなくなりそう」
 とアサは言った。
 俺は砂浜で砂に体を埋める遊びを連想した。
「楽しいかもな」
「雪に埋もれたら、凍ったりするのかな」
「お前らはどうせ死なないから大丈夫だよ」
 立っているデラさんは俺たちを見下して言った。
 デラさんは体を縮めて、寒そうに震えている。
「けど私は死にそう。寒いの苦手なんだよね。クソデラックスやばい」
「私は平気。どうせ死なないし」
 とアサは胸を張った。
 不死身だろうが寒いのは寒い。
 けれど全く平気そうにしているアサは、元々寒いのに強いのかもしれない。
 俺はそんな演技ができるほど我慢できそうにはない。
 思い付いたことがあって、俺は両手を組んで腹の上に乗せ、目をつぶった。
 死人のポーズだ。
 そして死人の俺に雪はまとわりつく。
 はっきりとした色のダウンジャケットに、雪の白は目立った。
 始めは膜のようにうっすらと。やがて俺は全て雪に覆われて、死んだ繭になるだろう。
「これが人類の終わりってことですか?」
 無数の人間が同じように雪に埋もれる様を想像しながら俺は聞いた。
「そうだよ。積もった雪が人間の生きてきた証拠をなにもかも隠してしまう。見えなくしてしまう。永遠に溶けない雪が世界を覆う。それが終末には相応しいって、そんなイメージが私にはあるんだろうね」
 全部たった今考えたことなんだけど、とデラさんは付け足して言った。
 それが俺とアサの雪の記憶だった。
 あの日のように降る雪を見ることはもうないだろうと俺は思う。

このページについて
掲載日
2017年12月23日
ページ番号
6 / 9
この作品について
タイトル
ガーデンコール
作者
スマッシュ
初回掲載
2017年12月23日